前世を思い出してから一か月が過ぎた。
その間、私――ソフィア・アスカルトの生活に大きな変化はなかった。
暇な時間に読書をして過ごすのも、お屋敷に来客がある度に陰口を叩かれるのも以前と同じ。
ただ、心持ちは大きく変わった。
本を読める幸せのお陰で、容姿のことを言われてもあまり気にならなくなった。
我が家の書庫には本がたくさんある。
自室の本はもう読みつくしてしまったので、毎日のように書庫へ籠もる日々だ。
夢中で文字を追っていると時が経つのが本当に早い。
朝食が終わってすぐ書庫に行って、次に気付いた時にはお昼になっていた、なんてことも珍しくない。一冊読み終えて次の本を取ろうと思ったら、いつの間にか隣にお兄様がいたこともある。
「全く気付きませんでした」
そう言っても、お兄様は怒るどころか微笑むだけだった。
「楽しそうに本を読んでいたからね」
お兄様はとても優しい。
本を読んでいる私が好きだと言って、静かに見守ってくれる。
せっかくなので読書を勧めると、快く手に取ってくれたが、じっくり派なのか読むスピードはあまり速くなかった。
でも、読書は嫌いではないようで、それからもよく一緒に読んでくれる。
――私は本当に幸せ者だ。
そんなある日。
私は両親からちょっとした呼び出しを受けた。
「ソフィア。最近、読書に夢中になりすぎじゃないかな?」
「あ……」
身に覚えのありすぎる指摘に言葉が詰まった。
「……申し訳ありません。ですが、お父様。私、本を読むのがとても楽しいのです」
「ええ。わかっています。本を読んで知識を深めることも、物語を楽しむことも決して悪いことではありません」
お母様が微笑んで頷き、それから困ったように首を傾げる。
「でもね、ソフィア。このところ、礼儀作法や音楽、絵画のレッスンが遅れ気味でしょう?」
「……はい」
私はしゅんとして頭を下げる。
貴族令嬢たるもの、身に着けるべき教養は色々ある。学問や礼儀作法、芸術等、外部から招かれた家庭教師に教えを乞うのも私の務め。
意図的にサボったり、逃げたりはしていない。
ただ、その。
教本を読むのが中心になる学問の講義はともかく、礼儀作法や芸術分野はあまり身が入らない。お稽古の時間までと本を読み始めたのに、先生が到着してなお気づかないことも頻繁にある。
そういう時は「声をかけられ」→「肩をゆすられ」→「視界を隠されて」ようやく気付く。
夢中になると周りが気にならなくなるのは悪い癖だ。
「学問の方は驚くほど覚えがいいと褒められているから、あまり心配してはいないのだが……」
「知識よりもまず品と礼法を身に着けなければ結婚に差し支えます」
男性が好むのは「頭のいい女性」より「品があって美しい女性」だ。
男の跡継ぎがいない場合などを除き、貴族女性は他家に嫁ぐもの。我が家にはお兄様がいるので私は跡継ぎにはなれない。
だが、
「私、結婚できなくてもいいのですけれど」
「呪われた子」と呼ばれて嫌われている私では、相手を見つけることも難しい。
ならばいっそ結婚しなくてもいいのではないか。
「あなたの気持ちもわかるけれど……」
すると、お母様は表情を曇らせる。
「ニコルが結婚すれば、この家に居ることも難しくなるのよ?」
現在のアスカルト家では「お父様→お母様」の順に偉い。
お兄様が成人した後は「お父様→お兄様→お母様」。
お父様が引退し、お兄様が当主になった後は「お兄様→お兄様の奥さん」の順になる。お嫁さんと小姑なんて現代日本でさえうまくいかないのだから、この貴族社会で私が歓迎されるのは難しい。
私もそのことは承知している。
「お父様、お母様。私、実はやりたいことがあるのです」
「ほう?」
「何かしら?」
「私、司書になりたいのです」
前世――本須麗乃がなるはずだったのと同じ職業。
「本に囲まれて過ごしたいのです。本の整理や案内のお仕事なら頑張れます。職業婦人としてお給料をいただけるようになれば、必ずしも結婚は必要ないでしょう?」
嫁ぐのでも婿を取るのでもなく、仕事をして生きる女性。
数は少ないけれど存在しないわけではない。
例えば魔法省の役人や、宮廷のベテランメイドにはそういった人がいる。結果的に職場結婚に至るケースも多いが、家同士の付き合いで相手を決めるよりは上手くいく可能性は高いだろう。
「司書か。ソフィアは本が好きだからね」
「なるほど。……頭の良いあなたには向いているかもしれませんね」
「本当ですか?」
「ああ。この国にも図書館はいくつかある。専属司書の多くは貴族だ」
代表的な図書館は二つ。
魔法学園の付属図書館と、王城に併設された王立図書館。
お母様が頷いて、
「ソフィアには魔力があります。魔法学園で好成績を収めれば、司書の道へ進むことも不可能ではないでしょう」
「でしたら……!」
司書になれるかもしれない。
ぱっと気持ちが明るくなる。
と、私の内心を見透かしたように、お母様が「ですが」と言葉を続けた。
「図書館には貴族や王族も出入りします。そういった方々のお相手ができるだけの作法や教養も必要よ?」
優しくて綺麗で上品なお母様。
口調もおっとりとしたものだが、締めるべきところはしっかりと締める。
お父様が頷いて、
「ソフィアの気持ちはわかった。司書は国の役にも立つ仕事だ。できるだけ応援してあげたい。……だが、勉強とお稽古はしっかりやりなさい。お前の魅力をわかってくれる殿方が現れないとも限らないのだから」
「かしこまりました」
お父様、お母様の言うことももっともだ。
お相手なんて現れないだろうし、もし現れてもなんとかして断りたいと思いながら、私は深く一礼して答えた。
「これからはもっと一生懸命頑張ります」
◇ ◇ ◇
それから、私は前よりお勉強、お稽古に力を入れるようになった。
お稽古が控えている時は本を我慢するようにした。
どうしても我慢できない時は「時間になったら本を取り上げてください」と前もってお願いしておくようにした。
歌や楽器の演奏も『前世の経験』のお陰か、ある程度はこなすことができた。
礼儀作法や芸術のために何度も何度も練習して、そのせいで本を読む時間が減ってしまうのは正直、苦痛だったけれど、司書になるためなら仕方ない。
学問以外の分野も少しずつだけど進歩して、お父様お母様が安心してくださるようになった。
でも、もちろん読書もしている。
暇を見つけては書庫に通った。
家に無い新しい本も求めた。
直接書店へ行くのは「危ないし、はしたない」と止められてしまったので、使いを出して代わりに買ってきてもらったり、出入りの商人から現物を買い求めた。
ファンタジーにしては本が流通しているこの世界だけど、作るのに手間がかかる分、たくさん買うと結構高い買い物になる。伯爵家の娘とはいえお小遣いは限られているので、欲しい本を全部、というわけにはいかないのが残念なところ。
――でも、そんな私の強い味方となってくれる本もあった。
大衆向けのロマンス小説。
平民向けの物語本で、前の世界で言う少女漫画やハーレクイン小説のようなもの。
貴族の間では低俗とされる傾向があるものの、話の筋がわかりやすく、なんといっても単価が安い。私はなんでも読むが、娯楽小説の類はこの世界に少ないのでとても嬉しかった。
特に気に入ったのは『エメラルド王女とソフィア』という本だ。
殆どが男女の恋愛ものであるロマンス小説では異色の、少女同士の友情もの。
繊細で引きこまれる文章。
メインキャラクターの片方が私と同じソフィアなのもあって、あっという間に読み終えてしまい、続きが読みたい病を発症してしまった。
「お父様、お母様。この本の作者の方とお話ができないでしょうか?」
我慢できなくなった私は思わず両親に申し出た。
最初は「ロマンス小説? 破廉恥な内容だろう?」と反対されたが、「この作品は男女の恋愛ものではなく同性の友情もの」「小さい子でも安心して読める」と主張したところ最終的には承諾してくれた。
お母様は最後まで読んだ上で「良いお話だった」と太鼓判まで押してくれたくらいだ。
ともあれ、私は無事に『エメラルド王女とソフィア』の作者を招くことができた。
やってきたのは若い女性だった。
作家と直接お話するなんて、思えば前世でもなかったことだ。ガチガチに緊張している作者さんほどではなかったが、私も緊張しながら話を始めると、お茶のお代わりが供される頃にはお互い穏やかに話ができるようになっていた。
お茶とお菓子を楽しみながら色々な話をした。
あの作品を書いたきっかけや次回作の構想。
残念ながら『エメラルド王女とソフィア』の続編は今のところ考えてないとのことだったが、別の百合――もとい、少女同士の友情小説を書くつもりだとのことだった。
逆に作者さんからは、平民には入ってこない恋や友情の話、あるいはストーリーの希望はないかと聞かれたので、前世で読んだ本から印象に残っているエピソードを話したりした。
女性だけが通える学校の話とか。
病弱な貴族令嬢と牧場の娘の友情物語とか。
文通をメインに進んでいく話とか。
湖の向こうに住んでいる不思議な少女は、実は過去の人だった話とか。
別れ際「次回作が出たら絶対に読みたいです」と手を握って伝えると、興奮した様子で「頑張ります」と言ってもらえた。
三か月くらいして手元に届いた二作目もとても面白かった。
私が何気なく話した内容がアレンジされて盛り込まれていたりもして、ついつい嬉しくなった。
それから、お小遣いが何故か増えた。
「貴族が作家を招くというのはパトロンになるということだ」
両親の教えにのっとって資金援助を行い、作品の権利を買ったからだ。
本が売れれば売れるほど利益が出る。
二作目の売れ行きが好調で黒字が出そうなので、そのご褒美ということだ。
「ソフィアには作家を育てる才能があるのかしら?」
二作目のヒットがきっかけで、彼女は一躍売れっ子作家になっていくのだが、この時の私はまだそのことを知らなかった。