「なんなんですの、あの女は!」
授業を終えて寮の自室へと戻った私は、苛立ちに任せて枕を壁に投げつけた。
王族も通う魔法学園の備品だけあってさすがというべきか、叩きつけられても大きな音は立たず、ぽすんという軽い音と共に床へと落ちたが――当然、それでは私の気が収まるはずもなかった。
落ちた枕に歩み寄ってもう一回同じことを繰り返そうとしたところで、お付きのメイドから制止がかかった。
「お嬢様、落ち着いてくださいませ。左右の部屋に声が響きます」
「……っ」
指摘を受けた私は唇を噛んで腕を下ろした。
寮の部屋と部屋の間隔は盗み聞きを防ぐ意味もあって広く取られている。また、使用人部屋などを挟んでいるため、ベッドルームとベッドルームが接しているわけでもないが、はしたないのは事実だ。
深呼吸をしてしばらく待つと、少しは気分も収まってくる。
「本当に、なんなんですの、あれは」
私が苛立ちを覚えている相手。
それは、一部の子息・令嬢達の間で「調子に乗っている」「不快だ」と思われている公爵令嬢カタリナ・クラエス――ではなく、その取り巻きの一人である伯爵令嬢、ソフィア・アスカルトだった。
◇ ◇ ◇
ソフィア・アスカルト。
国の宰相を務めるアスカルト伯爵の長女で、先日卒業されたニコル・アスカルト様の妹。
老婆のような白い髪と血のように赤い瞳という非常に目立つ容姿をしており、そのせいか幼少期から有名な人物だった。兄の影に隠れておどおどしている彼女には、私自身、侮蔑の眼差しを向けた記憶がある。
だが、彼女は変わった。
いったいどういう策を用いたのか、同世代の貴族令嬢の中ではトップに位置するカタリナ・クラエス様に取り入ると、その庇護下に入ったのだ。
カタリナ様の不興を買うことは貴族社会での死を意味する。
ソフィアと同じ伯爵家ではあるものの、アスカルト家に比べると幾分か家格の落ちる私は、表向き、ソフィアへの悪感情を封印しなければならなかった。
しかし、気持ちの上では別だ。
以前は私と一緒にソフィアを笑っていた両親が「なかなか世渡りが上手い」などと褒め言葉を口にした時には、怒りを押し殺すのにとても苦労した。
読書家で頭が良いというソフィア・アスカルト。
対抗意識から、私は勉学に励むようになった。自ら望んで名のある先生を呼んでもらい、教えを請うた。魔法についても同じだ。
魔法学園に入学する直前には「伯爵家の子供としては頭一つ飛びぬけている」とお墨付きをもらった。
これなら勝てる。
意気揚々と学園に向かった私を待っていたのは――入学後のテスト結果、座学一位に書かれたソフィアの名前だった。
魔法の実技でも、あの女はオリジナルの魔法を当然のように披露する始末。
荒れ狂う竜巻の中に平然と立つ、白髪赤目の少女。
誰かが自然と呼び始めた「アスカルト家の魔女」という異名が本当にぴったりだった。
「いい気にならないことね、ソフィア・アスカルト」
ある日。
カタリナ様もメアリ様も伴わず教室に現れた彼女に、私は牽制のつもりで声をかけた。
「この前のテストはまぐれに過ぎません。もし実力だったとしても、他の生徒もめきめきと力を付けるでしょう。もちろん私も、負けるつもりはありませんわ」
反感を買うならそれでも良かった。
騒ぎになれば、不利なのは目立つ容姿の彼女だ。
しかし、
「はあ」
返ってきたのは気のない返事だった。
「お気遣いありがとうございます。お互い頑張りましょうね」
微笑みすら浮かべて私の言葉を受け流したソフィアは、「話は終わりだ」とばかりに教科書を開き読み始めた。
気に入らない。
私はそれ以来、更に力を入れて勉学、魔法の訓練に励むようになった。
テストが近づくたび、徹夜に近いレベルで対策をし、必勝を期して臨み――ことごとく敗れた。
二年生に進級するまでの一年間、私は一度としてソフィア・アスカルトに勝てなかった。
◇ ◇ ◇
今日は図書館の近くでソフィアを見つけた。
教室ではカタリナ様やメアリ様と話しているか、そうでなければ本を開いているソフィア。放課後や休日は派閥メンバーとでかけることもあるが、基本的には生徒会の仕事をしているか、一人で寮に帰るか図書館へ直行している。
どうせ今日も読書だろうと様子を窺ってみると、彼女は何やら大人の女性と真剣に言葉を交わしていた。
「……なるほどな。遠話が可能な魔法道具を単に二セット作るのではなく、別の機能を組み込むことで精度と利便性を上げるか」
「はい。遠話の魔法は戦闘以外の用途に使える魔法としてメジャーなものですが、術者と対象が屋外にいなければ使うことができません。また、距離が離れすぎると精度が落ちてしまいます。そこでアンテナとスピーカー……いえ、遠話を拾う部分と、拾った声を増幅して聞き取りやすくする部分を設けるのです」
「画期的なアイデアだな。そのアンテナとやらを屋外に設置し、本体を屋内に置くことができれば――」
「はい。音とは空気の振動ですので、針のように細く長い金属を用いれば――」
何を言っているのか。
魔法道具というキーワードから、会話のテーマ自体は窺うことができた。しかし、彼女達が具体的にどういうことを話しているのかは全くわからなかった。
二年生になって間もない伯爵令嬢が、魔法省のお役人と対等に話をしている?
――私達同級生では相手にならないとでもいうつもりか!
私が憤るのも無理ないではないか。
カタリナ・クラエス様はいい。生まれ自体が高貴であるし、容姿も十分に恵まれている。あの愚か――もとい、操縦しやすい性格も、家格以外はどうとでもなる貴族令嬢の世界においてはむしろ良い条件といえるかもしれない。
だが、ソフィアは違う。
気味の悪い容姿。中途半端な家格。魔力自体も平凡。にもかかわらず座学の成績はずば抜けており、魔法の使い方に天賦の才を持ち、あまつさえカタリナ様やメアリ様に「可愛い」と褒められている。
許せるはずがないではないか。
だから、私は翌日、彼女に一言、文句を言ってやることにした。
カタリナ様やメアリ様が一緒だったが関係ない。胸に蠢く憤りのままに席を立ち、のほほんとした顔の小柄な身体に近寄って、
「あ、おはようございます」
振り返ったソフィアは、あろうことか私の顔を見るなり挨拶をしてきた。
挨拶の後に付け加えられた自分の名前、争いごと自体に興味がないかのような平和ボケした笑顔を見た私は、何故か胸が高鳴るのを感じた。
――何、この気持ち!?
苛立ちが募りすぎて胸がおかしくなったのだろうか。
好戦的な感情とは違う「何か」で頬が熱くなる。私が未知の感情に心奪われていると、
「ソフィア。そちらの方は?」
カタリナ様に尋ねられたソフィアがほんわかと答える。
「お友達ですわ。教室ではあまりお話しませんが、図書館でよくお見掛けする、私の読書仲間なのです」
「へー、そうなの。素敵なお友達ね!」
「ソフィアと仲良くしていただいてありがとうございます。私からもお礼を言わせてくださいな」
「え、ええ……」
こわい。
ソフィアに負けず劣らず平和ボケしたカタリナ様はともかく、気品あふれる笑顔を浮かべながら「釘刺し」をしてくるメアリ様が果てしなく怖い。
何より怖いのは、ソフィアの「お友達」という言葉にドキドキしている自分自身だ。
「こ」
「こ?」
「今度のテストこそ、貴女を倒してみせますから!」
私は動揺する心を無理矢理に抑えつけるようにそう告げると、ソフィア・アスカルトの前から退散した。
やっぱり、私は彼女――ソフィアが嫌いだ。
きっと、こればっかりは生涯変わることはないだろうと、この時の私は心底から思っていた。
原作三巻以降をあらためて確認して「あれ、ソフィアの出番殆どなくない?」となっている私がいます。