ついに劇の本番がやってきてしまった。
ソフィアに思い出させてもらい、人の字をいっぱい書いて飲み込みまくった私――カタリナ・クラエスだったが、それでも緊張は収まらない。
平常心、平常心。
私がやることは決まっている。それを落ち着いてこなせばいい。何しろセリフは一つもないし、アリス様が逐一カンペまで用意してくれるのだ。
そう。
私のやるべきことは――笑顔!
『カタリナはとにかく笑っていてください。みんなと劇を楽しむことだけ考えてくだされば大丈夫です』
アリス様の素晴らしい演技指導に従い、私は「とにかく自然体でいよう」と決めたのだ。
「頑張ろうね、みんな!」
腕をぐっ! とやって気合を入れると、私はみんなに笑いかけた。
「ええ」
「ああ」
「はい」
「もちろんですわ」
「頑張りましょう、カタリナ様!」
「私もみなさんの活躍を見守っております」
メインは私の友人達が固めているが、サブキャラとして他の生徒会メンバーも参加してくれている。みんなでいい劇にしなくっちゃ。
頑張った後のご飯はきっと美味しいに違いないし!
◇ ◇ ◇
『ここではないどこかの大陸に、一つの王国がありました』
ソフィアの綺麗な声がステージに響く。
劇を見ようと詰め掛けたお客さんの数は、私の予想を遥かに超えていた。恐るべし、腹黒ドS王子率いる美男美女軍団。
これでアリス様が出演していればもっと凄かっただろうに、まことに残念である。
それはともかく。
物語の舞台はある架空の国だ。
そこにはたいそう美しく、有能な王子様がいたが――彼は退屈な世界に飽き飽きしていた。天から恵まれ過ぎたせいで何をやっても達成感というものがなかったのだ。
そんな彼は、お忍びでやってきた庶民の街で、ある女性を見つける。
「ああ、なんと美しい女性だろう。あの、お名前はなんとおっしゃるのですか?」
王子様役はキースだ。
自慢の可愛い弟だけあって衣装もきまっているし、セリフも「演じている」と思えないほど自然だ。個人練習に何度も付き合った甲斐がある。
でも、出会ったばかりの女性にいきなり名前を聞くとか、この王子はちょっとチャラ男が入っている気がする。これを機にキースが女遊びに目覚めたりしないかちょっと心配だ。当のキースは「ありえないから安心して」なんて言っていたが。
「………」
対する美しい女性――自分でもおこがましいと思うのだが、私のことだ――は、にっこりと微笑んで首を振る。
「答えたくないと? そんな……私は怪しいものではありません! どうかお名前だけでも教えてください!」
と、ここで王子は私の手にキスをする。
もちろんフリだ。
練習の時もずっとそうだったし、お芝居なんだから今更緊張したりしない。……と、思ったらキースが数秒間固まってしまう。私の手のひらを見つめてどうしたんだろう。まさか次のセリフを忘れちゃった!? どうしよう、カンペは殆ど私のばっかりで、他のみんなのは用意されてないのに!
と、キースはセリフを思い出したのか、何かを吹っ切るように私の手のひらにキスをした。柔らかい感触……って、勢い余ってキスしちゃってるし。キースったらセリフを忘れたからって自棄になりすぎよ、もう。
「見知らぬ方。彼女は口がきけないのです」
ここで現れるのは、貧しいけれど心優しく善良な青年――ジオルド様。
あの腹黒ドS王子のどこが善良なのだと言いたいのは我慢。客席からはきゃーきゃーと歓声が飛んでるし。
「なんと。そのような方がおられるのですか?」
「ええ、生まれつきそのような体質でして……。ご安心ください、私達の言葉はわかっておりますので、あなたの気持ちは伝わったでしょう」
アリス様が『王子の手をぎゅっと握る』とカンペを出す。そうだった。私は慌てて、にっこりと微笑みながら王子の手を握った。
◇ ◇ ◇
城に帰った王子は、一目惚れしてしまった聖女に何かできないか考えた。
「そうだ。せめて、彼女の暮らしが良くなるように」
聖女には、平民が数年は暮らせる額が贈られた。
きっと喜んでくれただろうと再び訪ねると、聖女の暮らしはさほど良くなっておらず、代わりに「彼女に救われた」という人々が募っていた。
「どなたかがお金をくださったのですが、彼女はそれを、他の人々に分け与えたのです」
青年から聞かされた王子は愕然とした。
「この世に彼女のように清らかな方がいるとは!」
ほんの一部の金しか自分のために使わなかった、と知った王子は一回目の数倍の額を贈った。すると聖女に救われる人は増えた。そして、金があってもなくても聖女は笑顔を絶やさず、人助けの労を惜しまなかった。
次第に有名になった聖女は人々の目や耳に留まるようになる。
「彼女を教会に住まわせ、シスターとしよう。あのような善人なら教会の看板にぴったりだ」
「彼女に楽器を教えて演奏させよう。いや、踊り子でもいい。あの美しさなら画家のモデルにするだけでも稼げるだろう」
「忌々しい女。あの子に絶望を教えて闇に取り込みましょう。そうすれば仲間が増えるし、きっと爽快だわ!」
利権に拘る聖職者、強欲な商人、悪辣な魔女。
様々な悪意が聖女に忍び寄ったが、王子と青年による支援と聖女自身の清らかさにより、あらゆる魔の手は退けられた。
むしろ、悪意を持って近寄ってきた者達の方が聖女の善良さにあてられ、身の振り方をあらため始めたのだった。
「教会の改革のためにあなたの力を貸して欲しい」
「吟遊詩人に平和のための歌を歌わせるから、一緒に演奏してくれないか」
「昔は私も、病に効く薬や怪我を治す呪いを主にしていた……いつからあの頃の気持ちを忘れてしまったのだろう。時々、ここに話をしに来てもいいかしら」
聖女は人から頼みごとをされれば断らなかった。
教会の掃除や懺悔の相手を快く引き受け、街の広場で楽器を演奏し、どんな相手に話しかけられても笑顔で応じた。
やがて国には聖女を愛する人が溢れた。
すると当然、一人一人が聖女と会える時間は減っていく。
「最近、彼女とロクに話ができていない。私が彼女のすばらしさを見出したのに」
「僕が一番最初に彼女といたんだ。なのに、みんな僕から彼女を奪っていく」
「あのような聖女は教会にこそ必要なんだ。なのに王家も商人も……くそっ!」
「金のためじゃない。私はあの方のすばらしさをもっと広めたい。そのために最も効率のいい方法を模索しているのに」
「憎い。憎い憎い憎い。あの子は私に優しくしてくれるのに、周りにいる奴らが私を排斥する。こんなことならいっそ――」
「「彼女を独り占めしてしまえばいい」」
聖女は王子から求婚され、青年から「元の家で元通りに暮らそう」と懇願され、聖職者から「教会のトップになってくれ」と頼み込まれ、商人から「旅に出て全ての人を救いましょう」と提案され、魔女から「私とずっと一緒にいて欲しいの」と願われた。
でも、聖女にはそれらを引き受けることができなかった。
困った顔をして首を振る聖女。
――私には、彼女の気持ちがわかる気がした。
王子にキスをされても、青年に抱きしめられても、聖職者に髪を梳かれても、商人から豪華な花束を贈られても、魔女に顔を埋めるように泣きつかれても、駄目だった。
彼女は自分の無力を知っていた。
彼女が救えるのは自分の周りにいる人だけ。お金がない彼女にできるのはたかが知れていたし、一時的にお金を手に入れても増やす方法がないので長続きしない。病気の人を看病することはできても病を治すことはできない。
だから、聖女は初めてノーを伝えた。
――争いが起こった。
聖女を独り占めしようとした者達が他の者を排除しようとし始めたのだ。
激化する争い。
騎士団が動員され、平民達が反乱を起こし、教会が独立を宣言し、金で集められた傭兵団が結成され、ゴーレムやゾンビの群れが国を襲った。
剣を交える王子と青年。
最初の二人の争いは、どちらかがどちらかを殺すまで終わらない、と誰もが思うほどのもので……。
だから、聖女は割って入った。
二本の剣に突き立てられ、赤い血を流しながら、聖女は微笑んだ。
「なんですか。何を、言いたいんですか」
「なんで何も言ってくれないんだ! 最後くらい、君の声を聞かせてくれないか!」
無理な注文だ。
台本では、聖女はただ微笑むだけで何も言わずにこと切れる。だって喋れないのだから当たり前だ。
でも、それでいいんだろうか。
カンペ通りに演技を続けてきた私は、初めて疑問を覚え――その疑問につき動かされるままに口を開いた。
「愛しています」
誰もが驚いた。
観客だけでなく、キースやジオルド様までがぽかんと口を開けて硬直する。
みんなそんなに驚かなくてもいいのに、と思いながら、私はもう一言だけを告げた。
「だから、泣かないで」
そうして、聖女は息を引き取った。
幕が下ろされた後、私達を待っていたのは、観客からの割れんばかりの拍手だった。