ニコル様からひとしきり話を伺った後、私は活版印刷のブースを後にした。
話を聞いてわかったのは、ソフィア・アスカルト嬢が奇抜な発想をするのはもちろんのこと、兄のニコル様の才覚も確かなものだということだった。
極小の文鎮のような形の金属のピースを大量に作り、その表面に一文字ずつ彫り込む。彫ったピースを文章になるように並べて固定し、インクを付けて紙に押し付けるとあら不思議、一ページ分の紙が筆記したのと同じ――いや、プロが筆記したよりも綺麗に記される。
技術として確立した後で整理して聞かされれば「なるほど、可能だ」と理解できるが、写本屋の仕事に不満がない現状、なんでそんなことを思いついたのかと首を捻ってしまう。
しかし、ニコル様はそういった疑問を飲み込み、他人に説明できるまでに把握、実際の運用まで指示できるようになっているというのだ。
『ですが、一ページごとにセットを組みなおすのでは、下手をすれば書くより時間がかかりませんか?』
『ええ。ですから、印刷は複数冊を一度に生産することを前提としております』
『あ。一冊を作ってはもう一冊を作るのではなく……』
『三十冊なら三十冊分、一つのページを刷ってから次のページに向かうわけです』
『……なるほど』
仮に三冊分を一度に刷った場合で手書きと互角としても、三十冊刷れば十倍の効率になる。
人件費で言ってどちらが安いか、設備投資の分がどの程度かという問題もあるので、単純に十分の一の価格にはならないだろうが、
『まずは、アスカルト家が契約している数名の作家の本を活版印刷で製作、販売できるよう進めております』
これが恐ろしい。
アスカルト家が抱えている作家は娯楽小説を書く者が殆どらしいのだが――例を挙げれば、彼らの本はこれから他の作家の半額で、倍の量が発行されるかもしれない。安く字の綺麗な本が苦労しなくても手に入るとなれば、それは飛ぶように売れるだろう。
売れ行きが上がれば活版印刷機の数も増やせる。
発行量が更に増えれば外国の商人も買って行くだろうし、自分も仲間に入れてくれという作家が大挙するだろう。
『魔法学園の教科書や、情報を乗せた薄い紙面を発行できないかも検討・交渉中です』
『アスカルト家は写本屋を路頭に迷わせるおつもりですか?』
『まさか。現在、当家では印刷業への転向を支援すると共に、専属契約を希望する方を募集しております。温かみのある綺麗な文字は数を出す必要のない高級な本に向いているでしょう』
絶句した。
『そこまで喋ってしまって大丈夫なのですか……?』
『これから活版印刷機の試作から始めたところで、当家に追いつくことはできませんよ』
今回の調査レポートの大きなトピックが一つ確定した。
◇ ◇ ◇
もうアスカルト家の功績を見るのは十分だ。
次に向かったのは魔法の研究発表。
こちらでは生徒および教師が開発した新しい魔法や、既存の魔法の新しい使い方について知ることができる。魔法を使えるものが多いのはこの国の特徴だ。これも必ずチェックしなければならない項目の一つである。
明らかに軍事利用しやすい魔法――破壊力の高い魔法は公にされないのが残念なところだが、それでも生活に便利な魔法や、応用すれば戦に使えそうな魔法が転がっていたりする。
「ふむ。これは……アリス様の研究された魔法ですか」
なんでも、水に弾けるような口当たりを加える魔法だとか。
それをして何の意味があるのかはわからないが、これまで聞いたことがないのは確かだ。
実演してもらおうと顔を上げると、そのブースにいるのはメイドが二、三名だけだった。
「こちらでは、実際に制作されたお水を試飲していただいております」
「毒ではないのですよね?」
「もちろんです。アリス様はこのお水を好んで飲まれておいです」
ならばと、グラスに一口分注がれた水をぐいっと飲み干す。
慣れない刺激と共に口の中に広がった風味は――。
「甘い。それに、レモンの香りが……」
「はい。レモンの風味をつけた砂糖水に『炭酸の魔法』を加えております」
「不思議ですね、これは」
炭酸とやらに味はない。
なので味自体はレモン風味の砂糖水なのだが、全く別物に思えるから不思議だ。
夏の暑い時などはこの炭酸とやらが嬉しいかもしれない。
「アリス様はお酒に用いても良いだろうと仰っていました」
「! そちらの実例があるなら購入したいのですが……」
残念ながら酒での試作はしておらず、販売もしていないとのことだった。
「現状、使い手はアリス様だけなのですか?」
「いいえ。ご友人のソフィア・アスカルト様が覚えていらっしゃいます」
「なんでも、ご自分のプロデュースする料理店で振る舞えないか考えていらっしゃるとか」
またソフィア様ですか!?
◇ ◇ ◇
次に目に留まったのは風の防御魔法。
こちらは学園の風魔法教師が実演していた。
自分の周囲に小型の竜巻を生み出して何者も寄せ付けない魔法。
「……このように、この『渦の防壁』は防衛用の魔法です。無論、発動中の術者に体当たりでもしようものなら、相手は怪我をすることになるでしょうが」
術者に接近すれば弾き飛ばされて転ぶか、何かに衝突する。
飛び道具はもちろん効かないし、剣や槍などの細い武器では風で巻き上げられてしまう。がっしりした体格の男が槌でも使えば有効かもしれないが、そもそも戦えない非力な者の自衛用と考えれば、敵にそこまでさせている時点で十分なアドバンテージだ。
「風の属性を持つご婦人には是非覚えていただきたい呪文ですね」
「はい。現在、発案者の一人であるソフィア・アスカルト様、それからご友人のアリス・スティアート王女に協力いただき、使いやすい改良を考えております」
「ソフィア・アスカルト……」
誰かが「さすがは『アスカルト家の魔女』」と呟いているのを聞いて、私は遠い目になりながら納得した。
◇ ◇ ◇
ソフィア様の名前はまだ私を追いかけてきた。
「ソフィア・アスカルト発案、遠話の魔法道具……」
それは遠くにいる者と話ができるという魔法道具だった。
二つ一組であり、それぞれが外にいるか、あるいは魔法道具の一部である「アンテナ」とやらを屋敷の屋根や窓の外などに取り付けていることが条件。
一方が魔法道具を発動させるともう一方が感知し、アンテナと繋がった魔法道具本体のベルが鳴る。ベルが鳴ったのを感知したら駆け寄って、コップのような形をした器具を使って話をする。
持ち運ぶのは辛いサイズだ。
戦争中に軍として持ち運ぶのならアリかもしれないが、基本的には住居に設置して使うものだろう。購入する場合の試算額も馬鹿みたいに高いが、それでも「遠くにいる者と話ができる」というのは画期的だ。国の重要拠点、例えば城と魔法省の本部に置くだけでも便利だろう。
「……ソフィア・アスカルト」
私は「あの少女に常識を期待してはいけない」と理解した。
◇ ◇ ◇
今回の学園祭レポートは不本意ながら自己最長を大幅に更新した。
主にアスカルト家――というかソフィア様のせいである。
カタリナ様がすれ違う度に違うものを食べているのも面白かったが、ソフィア様のそれは種類が違う。
「……わかっているんでしょうか、ソフィア様は」
当人は図書館で司書を希望しているらしいし、貫き通せばそれは通るだろうが、まず間違いなく茨の道になるだろう。
何しろ、一人であれだけの成果を挙げているのだ。
しかも、未だに婚約者どころか浮いた話もなし。
保護者であるダン・アスカルトに変わって利権を握ろうとする家がこぞって縁談を持ちかけてくるだろうし、下手をしたら誘拐事件が起こってもおかしくない。
他国に誘拐されたソフィア様のせいで戦争に発展、などという事態だけは避けて欲しいものだが――。
「そのためにも、詳細に記載しなくてはなりませんね」
こうしてソフィア様の名前と『アスカルト家の魔女』の異名は今まで以上に知れ渡ることになったが、私はきっと何も悪くない。