「おはよう、ソフィア。今日も可愛いね」
翌朝。
朝食のために食堂へ向かうと、キース様に声をかけられた。
優しい笑顔のおまけ付きで、その破壊力は――周りにいた女子達が「きゃー!」と黄色い声を上げたことからも明らかだった。
「ソフィア。重いだろう? 教科書を持つよ」
授業に向かおうとすると当然のようにエスコートされた。
本の重さなら気にならない私だが、嫌味のない気遣いに抵抗するなんてできなかった。
「昼食の時間だ。ソフィアはチーズが好きだったよね? 今日のBセットのメインはピザらしいよ」
食事の際も当然のように付き添ってくれて、私のために椅子まで引いてくれた。
「実技は別々になってしまうな。……僕の見ていないところで怪我なんかしないでくれよ?」
午後の授業に向かう際には私の手を取って微笑んでくれた。
◇ ◇ ◇
こうして、キース様の私へのアプローチはたった一日で学園中に広まった。
『あのキース様が遂に想い人を』
『お相手はあのソフィア・アスカルト様だそうよ』
『え、あの小さ――こほん。本ばかり読んでいて得体の知れな――こ、こほん。学年一の知識を誇るソフィア様と!?』
これには学園中が騒然となった。
ジオルド様やアラン様、アリス様にカタリナ様と濃いメンバーが揃っているせいで隠れてしまいがちだが、キース様はクラエス公爵家の跡取り――双子の王子様が既に婚約者を決めている以上、年頃の男性の中で一番の高額物件と言ってもいい。
今まで全ての求婚、交際の申し込みを断っていた彼が突然、自分からわかりやすいアプローチを始めたのだから、噂に尾ひれがついて広がるのは当然のことだった。
曰く、生徒会劇での私の語りに心を奪われた。
曰く、胸の小さな女性が好みだったらしい。
曰く、既に私と行き着くところまで行っていて、結婚も秒読みらしい。
曰く、義姉のお世話にはもう飽き飽きしている。
キース様がカタリナ様に飽きるわけがないのだが、実際、彼はあの日以来、義姉への態度を大きく変えた。
『おはようキース。今日もソフィアと仲が良いのねー』
『うん。ソフィアは僕の大切な人だからね。それじゃあ、行こうかソフィア。じゃあね、姉さん』
『え、ええ。またね……?』
殊更冷淡になった、というわけではない。
カタリナ様と会えば笑顔を浮かべるし、話もする。ただ、くっつきすぎなくらい一緒にいることはなくなったし、事あるごとに飛び出していたお小言もなりを潜めた。一般的な「仲の良い姉弟」の距離感になっただけなのだが――カタリナ・クラエスとキース・クラエスの仲を知っている者からすれば「喧嘩でもしたのか!?」としか思えない。
しかし、実際は喧嘩なんてしていない。
恋人ができたのに姉の世話なんかしていられないだろう、と一部の人が評した通り、カタリナ様へつぎ込んでいた時間が私に向けられたというのが正しい。
と言っても、私はカタリナ様ほど活動的な方ではないので、
『ソフィアはおしとやかで可愛いね。姉さんとは大違いだ』
手がかからない子、という評価を貰い、もっぱらエスコートされたり容姿を褒められたり、図書館に行くと言えば「じゃあ僕も一緒に行くよ」とついて来てくれたりするくらいだった。
いや、十分過ぎるくらいに嬉しいのだが。
むしろ、それでも過保護過ぎるくらいで、こんな生活が続いたら「もしかして私、モテるのでは?」と勘違いしてしまいそうだ。
……どうして、カタリナ様はこの熱意を向けられて平然としていられたのだろう?
ちなみにキース様は、どんどん広がっていく噂に対して平然としていた。
というか「してやったり」という感じ。自分から積極的に「勘違いされに」行っているのだから当然といえば当然か。
◇ ◇ ◇
キース様が私との婚約に前向きになったのには、もちろん理由がある。
度重なる求婚を避けるため、というのに加えてもう一つ。
――題して「北風と太陽」作戦(名前は私が勝手につけた)。
どれだけアプローチしてもわかってくれないカタリナ様に対し、逆方向から攻めることにしたのだ。
押して駄目なら引いてみよ。
飽きるほど一緒にいた仲のいい義弟が恋人を作り、素っ気なくなったとなれば当然、残されたカタリナ様は寂しがるはず。当たり前だったキース様の存在がどれだけ大切だったか、失って初めて気づくというわけだ。
まあ、私やメアリ様、アリス様の推測も混じっているので、本人的には「姉さんを嫉妬させたい」くらいのノリかもしれないが。
この狙いが伝えられたのは、カタリナ様周辺のメンバーのうち、カタリナ様本人とジオルド様以外の全員。
『アリス様との婚約をお断りしたのは、王女様がお相手となると気軽に破棄できないのと……その、本当に女性として見てしまいそうですので』
『え、ええと……。それは喜んでいいのでしょうか?』
『ふ、ふふふっ。良かったではありませんか、アリス様。婚約を断られたのは女性としての魅力に長けているから、らしいですわよ』
『メアリ様、完全に面白がっていますよね!?』
逆に言うと、私は女性として見られていないということ。
私としても気楽でいいので大歓迎だ。……どうせ子供みたいな体型だし。
『大丈夫か? あいつのことだ、口煩いのが減ってラッキーだ、くらいに思うんじゃないか?』
と、アラン様などは作戦に懐疑的だった。
実際、カタリナ様が全く堪えなかった場合、あるいは義弟離れできない寂しさにジオルド様がつけこんだ場合には逆効果なのだが、蓋を開けてみると、この作戦は一定の成果を挙げた。
『キースが口煩く言ってこない! これは、自由!』
最初の数日こそ晴れやかな顔で解放感を満喫していた(アンさんが悲鳴を上げていた)カタリナ様だったが、次第に「なんか調子が狂う」と感じ始めたらしい。
お菓子を大食いしたり畑を耕したりといったやりたい放題を止め、代わりに「弟ウォッチング」という新しい趣味を始めた。
最近ずっとキース様と一緒な私に代わり、メアリ様やアリス様から聞いた話では、
『ソフィアとキースの仲を見守らなくちゃ! こんな面白い……じゃない、微笑ましいこと、見逃してられないわ!』
と、ジオルド様そっちのけで私とキース様を見守っているらしい。
時には教室の入り口から。
時には生徒会室の片隅から。
時には中庭の木陰から。
時には食堂のテーブルの下から。
大体はすぐに誰かに発見されて未遂に終わるのだが、キース様は嬉しそうだった。
構うのを止めた途端、カタリナ様の方から興味を持ってくれたのだ。
「キース様。このままカタリナ様の気を引きますか?」
私とキース様の密談には「図書館」という好スポットがあった。
カタリナ様はここへはあまり来ないし、目立つ方なので館内では隠密行動が難しい。隣同士で座ってひそひそと言葉を交わし合えば、それだけで要件を満たすことができた。
「いや、もう少し姉さんの気を引きたい。それに実家からも手紙が来ていて」
「手紙ですか?」
「うん。婚約するつもりなら一度紹介しなさい、って」
「……バレてますね」
「それはバレるよ。学園中の噂になってるんだから」
カタリナ様とキース様の実家であるクラエス家には私は何度もお邪魔している。
ご当主様と奥様にも何度もお会いしているものの、キース様の恋人として顔を合わせるのは(当然ながら)これが初めてになる。
「今週末か来週末、時間取れそう?」
「よろしいのですか?」
のらりくらりと引き延ばすこともできると思うのだが。
「うん。あまり引き延ばしても逆効果だと思う。婚約だけでも結構時間がかかるからね」
貴族の婚約には手続きがいっぱいだ。
子供の頃に決める場合はそんなに複雑でもないのだが、この時期になってからの婚約の場合、利権や家同士のパワーバランス、将来の展望等をしっかりと確認しなければならない。
快く、疑いなく招き入れた嫁がスパイだった、なんてことになったら目もあてられない。
婚約する気もないのに熱愛している、と噂になるのも誰も得をしない事態だ。
「わかりました。ご挨拶に伺いましょう」
「ありがとう、ソフィア。好きだよ」
「キース様が好きなのはカタリナ様でしょう?」
「ソフィアのことだって好きだと思ってるさ」
メアリ様やアリス様によると、私達二人は「兄妹のようだけど、仲は良さそう」だということだった。