「責任を取って、僕があなたに求婚します。お受けいただけますか、カタリナ・クラエス様?」
「……え」
本に押し潰されて死んだと思ったら、中世だかファンタジーだかの貴族令嬢に転生した挙句、王子様から婚約を申し込まれていた。
わたし──本須麗乃は、自意識が私──カタリナ・クラエスと混ざっていくのを感じながら状況を認識する。
転生してカタリナ・クラエスになった私は、転んで頭を打ったショックで前世の記憶を思い出した。
不思議な感覚だ。
先祖返りならぬ前世返りをしたわけではない。むしろ、自分がカタリナだという意識ははっきりあるのだが、同時に麗乃の記憶も自分のものとして思い出せる。
だから、なんとか王子の気を引こうと躍起になっていた私は、今の状況を遠い世界のことのように感じてしまっていた。
貴族令嬢と王子と言っても私達は八歳。
お相手のジオルド様は金髪美形幼児ではあるものの、日本で成人した麗乃の記憶が「この子と恋愛はちょっと。というか恋愛とか結婚自体ちょっと」と言っている。
「よろしいでしょうか、カタリナ様?」
「お断りいたしますわ」
だから、私は自然とそう答えていた。
「カタリナ様!?」
騒然となったのは私の使用人達だ。
王子と結婚して華やかな生活を送る! と気炎を上げていた私が、せっかくのジオルド様からの求婚を断ったのだから無理もない。
だが、ぶっちゃけ王子様なんてどうでもいい。
一昔前の昼ドラじゃないんだから、想いあってもいない相手との結婚生活なんてまっぴらだ。
「お気遣いいただきありがとうございます、ジオルド様。本日は私のような我が儘な娘にお付き合いいただき、きっと退屈なされたでしょう? その上、私の不注意であなたの将来を決めてしまうなど、とても我慢なりませんわ。お気持ちだけ受け取らせてくださいませ」
「な……。で、ですが!」
ジオルド様はぽかんと口を開けた後、いろいろと言い募ってきた。
転んでできた傷は小さなものではない。
命に別状はないが、後々まで痕が残るかもしれない。そうなれば結婚に差し支える。我がクラエス家は王族でこそないものの、貴族の中ではトップクラスの権力を持つ公爵家だ。その娘が行き遅れなどと外聞が悪いにも程がある、と。
私はそれに微笑んで答える。
「多少傷物でも公爵家の娘です。貰い手などいくらでもありますわ。それに私、どうしてもしたいことがあるのです」
「し、したいこと、ですか?」
「はい」
私はしっかりと頷くと宣言した。
「読書です。正直、今すぐにでも本が読みたいのです!」
「ど、読書? そんなことのために……!?」
「そんなことなんてとんでもない。本は人類の宝です。知識の宝庫です。本さえあれば世界中だって旅ができるのですよ!?」
この日、クラエス家の屋敷中に「お嬢様がおかしくなった」という話が一気に広まった。
◇ ◇ ◇
「公爵家のお嬢様って本当に良い暮らしをしてるのねー。ご飯は美味しいし、お屋敷は広くて部屋は綺麗だし。必要なことはみんな使用人がやってくれるなんて」
「なにか仰いましたか、お嬢様?」
「ううん、なんでも。いつもありがとう、アン」
少し離れたところで作業していたメイドがこちらを振り返ったので、私は微笑んで答えた。
するとアンは幽霊でも見たような顔をして顔を背けてしまう。
うーん、私がこうなってから一週間も経つのだから、そろそろ慣れてくれてもいいと思うのだが。
まあいいか。
「♪」
うきうきと本に視線を戻し、続きを読み始める私。
この一週間、ご飯や入浴、着替え、勉強や各種お稽古の時間以外は殆ど読書をして過ごしている。こまごましたことを全て、アン達メイドがやってくれるお陰で読書時間がいっぱいだ。
家庭教師の講義やレッスンは正直面倒なのだが、登下校の時間が無い分、学校に通うよりは時間的都合はつきやすい。それくらいは仕方ないと諦めている。
知識欲旺盛になった私にお父様お母様は大喜びだ。
高慢で、ファッションや恋愛にしか興味のなかった私に二人は密かに頭を痛めていたらしい。まあ、王子様からの求婚を断ろうとした件についてはお母様から怒られたが。
……結局、ジオルド様の求婚は断れなかったし。
「 」
「♪」
ジオルド様はよほど責任を感じたのか、お父様お母様に直談判して婚約を認めさせたのだ。
私としても両親から「他に心に決めた人がいるのか」「婚約と言っても結婚はまだまだ先の話だ」と言われてしまえばノーとは言いづらい。
渋々承諾して、丁重にお帰り頂いた。
「 様」
「♪」
ただ、困るのはジオルド様が度々クラエス家を訪ねてくることだ。
婚約者だからということだが、いくらなんでも二、三日に一回のペースは多すぎだろう。まさか暇なのだろうか。
「お嬢様!」
「うひいっ!?」
耳元で聞こえた大きな声に悲鳴を上げ、顔を上げると、アンが困ったように眉を下げてこちらを見ていた。
「ど、どうしたのアン。何かあった?」
「はい。ジオルド様がお見えになられております。早くお支度を」
「あら、そうなの。わかったわ」
またか、と思いつつも頷く私。
相手が王族である以上、こちらの身分が下。わざわざ訪ねてもらっておいて追い返すわけにはいかない。
「じゃあ、後三ページだけ読ませてちょうだい。そこで章の区切りなのよ。キリのいいところまで読まないと気分が悪いでしょう?」
「いえ、お嬢様。お時間が」
「大丈夫よ。三ページだもの。まだ馬車が着いたばかりでしょう? ジオルド様だって移動やお支度で時間がかかるはずだわ」
「それが、もう着いてしまっていたりするのですが」
「じ、じじ、ジオルド様!?」
気づくと部屋の入り口にジオルド様が立っていた。
いつの間に。
「ノックをしても返事がないので入ってしまいました。申し訳ありません」
「い、いえ、こちらこそお待たせして申し訳ありません……」
何でもっと早く知らせてくれないのかとアンに尋ねれば「何度もお呼びしたのですが」と申し訳なさそうに言われた。
ああ、私の癖のせいだ。
読書に没頭すると周りの音が入ってこなくなる。そうなったら視界を遮られるか本を取り上げられでもしない限り動かなくなる。
まあ、幸い、今は椅子に座って読書中だった。
服だって部屋着ではあるがラフな格好ではない。ベッドの上で寝間着のまま本を読んでいた状態よりはずっとマシだ。
「ようこそお越しくださいました、ジオルド様。今日はどうされたのですか?」
精一杯の営業スマイルで問いかけると、ジオルド様も微笑んで、
「はい。また、カタリナの好きそうな本を見つけたのでプレゼントに、と」
わあい、待ってました!
これが、私がジオルド様を邪険にできなくなった理由。
喉から飛び出そうになった歓声と、今すぐ本に飛びつきそうになる身体を抑え、私は「ありがとうございます」と恭しく一礼した。
◇ ◇ ◇
数年が経ち、私の額の傷はすっかり消えた。
「ジオルド様。この通り傷も癒えました。どうか私のことは忘れて、他の女性をお探しくださいませ」
そう申し出ると、ジオルド様は笑顔のまま首を振った。
「気遣いは無用です。それとも、僕が結婚相手では不満ですか?」
「そんなことはありませんけれど……」
「なら、いいではありませんか」
端整な美形へと成長した王子様が、指でそっと私の頬を撫でる。
間近で見つめられた上にそんなことをされるとどうにも緊張してしまうのだが。ジオルド様ときたら天然女たらしにも程がある。
更に、彼の唇からは甘い言葉が囁かれ、私の心を惑わす。
「僕と結婚してくれるなら、カタリナには読み切れないほどの本をあげましょう」
「え」
「魔法学園を卒業した後は王立図書館で司書ができるように取り計らいます。書架の整理など一部の業務以外は妊娠中でも可能でしょうし、僕も会いに行きやすいですし」
「う」
「王位継承にはもともと興味がないんです。なので、カタリナが社交や政治で煩わされないよう、極力配慮しますよ」
「ジオルド様は最高の男性です」
目をきらきらさせて浮かれる私は、ジオルド様の次の問いかけに反射的に答えてしまった。
「では、婚約は継続ということで」
「はい!」
あれ? なんか上手く乗せられたんじゃない? と後から思ったが、その時にはもう後の祭りだった。
変な子なのは変わらないですね。
代わりに野猿がソフィアに入っていた場合、性格が入れ替わったのでは? とか言われそうです。