不思議な体験だった。
走馬灯というのは話に聞いていたし、その瞬間には時間がゆっくりと動いているような感覚になるというのも知っていた。
だが、体験してみればそれは聞いていたより随分と違った感覚だった。
迫り来る大型トラックのフロントバンパーにクラクションの高い音がゆっくりと聞こえてくる。
そのゆっくりと動く時間のなかで蘇るのはこれまでの記憶。幼少期から昨日の記憶まで広く深く、忘れていたはずの記憶を思い出していく。
それが、これまでの人生からの助かるための『知識』を模索しているんだと勘づいた瞬間に気がつく。
──ああ、自分はもう助からないんだ。
その模索した知識から確信を得て、そう思う。
なるほど、走馬灯とは過去の経験から命の危機を乗り越えるために起きるフラッシュバックのようなもので、時間がゆっくりと感じるのはその膨大な情報を処理するために脳が最高率で動くときに起きる副作用なのだろう。
ぼんやりとした疑問が身をもってして解けた瞬間だった。
まあ、最もそれが死ぬ間際に解消されたなど、一番どうでもいいことだ。
目の前で呆けた表情を見せながら歩道へと転ぶ少年を見ながら思う。
人を助けた。何より、まだまだ未来への選択肢が潤沢な子供を助けることが出来たんだ。
きっと、天国に行けるし、来世もいい人生を歩めるだろう────。
卍
「──ねぇ、なにしてるの?」
ソプラノの音で、たどたどしくも言葉として意味を成す声に顔を上げる。
碧い瞳に金糸で編んだように美しく輝く髪。まだ幼さが残っているものの、それでも可愛らしいより綺麗と言える顔は人形のように整っている。
あどけない表情を見せながら見つめてくる彼女に自分は不器用ながらも笑った。
「文字を書いてるんだよ」
道端で拾ったちょっと固い木の棒で地面に書かれた
大人顔負けの綺麗な字体で書かれたその文字を見て、彼女は朗らかに笑顔を見せる。
「きみも文字がかけるんだ!」
「うん、書けるよ。君は?」
ああ、知っている。だから、ここで文字を書いてたんだ。
「かけるよ! 私はアイリス! きみはなんていうの?」
それも知っている。何度も目にしたし、耳にもした。
「……シリウス。それが名前」
「シリウス! よろしくね!」
自分はこの少女が好きだった。
神には感謝したいと思う。
この世界、前世にて大好きだったライトノベル小説に転生してくださったのだ。
一時期は毎日お祈りしたほど狂喜乱舞してしまったものだ。その際にとても両親には世話をかけた。本当に申し訳ないと思っている。
この世界の時代背景としてはとても現代とは比べることも烏滸がましいぐらい遅れてはいるが『魔法』という概念が存在しており、その魔法から発展していった独自の文化も特徴の一つとも言えるだろう。
魔法、学園、ファンタジー、ハーレム……典型的なライトノベルとしての設定を盛り込み、そして王道。
悪といえる存在がいて、そこに正義の体現者である主人公がヒロインや仲間たちとともに苦難の道を歩みながらも戦っていく……ありきたりでシンプルなストーリーだ。
ともかく、夢見た世界に自分は登場人物として転生したのだ。
ただ、問題としてはその転生先。
ヒロインの一人であるアイリスの幼なじみである『シリウス・アルフォード』という登場人物として自分はこの世に生を受けている。
第一ヒロインを正妻と例えるならば、その正妻に立つのは彼女アイリスだ。
主人公の右腕で、理解者で、普通に強くて、相互依存で……後に現われる主人公の最大のパートナーと言ってもいい。
そんな彼女が主人公のヒロインとなる
つまり自分だ。この肉体そのものがシリウスという登場人物なのだ。
家が代々国に仕えているということもあって、この地域では最大の権力を持っている名門貴族。
家柄も良く、才能もあり、容姿も端麗。
主人公を張れる高スペックなのだが、性格に問題があった。
甘やかされ、才能に溢れており、全てが思い通りに行く人生。しかし、親からの表面上だけの愛情や周囲からのプレッシャー。
出来て当たり前とされた子供は次第に歪んでいってしまうのは当たり前だった。
そんな幼少期を過ごすはめになるシリウスに手を差し伸ばしたのがアイリスという心優しい少女。
幼い頃から聖女のように心優しい彼女は悪い評判しかないシリウスに優しく接したのだ。
それに、彼は大いに救われただろう。その胸に抱いた感情が何なのか分からずとも。
もう分かる通り、これほどちょうどいい人物はいない。
ヒロインの幼なじみで才能マン。しかし、性格は描写するのが嫌というぐらい最悪。
彼『シリウス・アルフォード』は主人公がアイリスをヒロインとして迎えるきっかけにして、最初にして最大の敵。
簡潔に言えば彼は『踏み台』だ。それが彼の役割であり運命だった。
彼の最大の見せ場は多くのギャラリーが居る前でコテンパンにされ、それまでやってきた数々の悪事が露見すると同時に学園を追放。
更に、家からも破門される、という天下りも優しく見えるほどの転落っぷりを見せてくれる。
物語の後半でまた出てくるが、三下よりも酷い扱いを受けるので結局彼が報われることは無い。
自業自得なうえに物語上において必要最低限の悪である彼だが、ある一点さえ変えてしまえば華やかな人生を送れる……はずだ。
性格による問題さえ解決してしまえば、めでたくアイリスとゴールインできる可能性は高い。
実際に原作ではそういった関係性の『もしも』が語られている。アイリスも憎からず思っていた描写が確かにあったのだ。
大好きなライトノベルの世界で、大好きなヒロインと結ばれる可能性がある。
これほど、素晴らしく。これほど、心躍るものはない。
原作の崩壊? そんなもの、自分が補完してやればいい。それを出来る力と知識がある。
悪いが彼女は俺が幸せにする。
──そう思っていた。
「──エヘヘ、ありがとう!」
褒められて恥ずかしげにお礼を言うアイリス。
「──分かった! やってみる!」
魔法を扱えるように頑張って練習するアイリス。
「──違う! シリウスはそんな人じゃない!」
嫉妬や家柄、そういった人の醜いことに怒りを表わすアイリス。
「──私、シリウスの隣に立てるようにもっと頑張るから。だから先に行かないでね?」
物語越しに見ていた暖かい笑顔を見せるアイリス。
良かった。邪念も無く、ただ純粋に彼女が愛しく思える。
成長していくに連れて、原作とは大きく外れていくこの世界。それはいい。それに対してはそこまで深く考えていない。
だが、物語が動き出す日が……最初に文脈となる日が近付けば近付くほど、何か妙なしこりのようなものが大きくなっていった。
胸に引っかかる感覚が日を増すごとに大きくなり、時には体調を崩すことすらあった。
その際には、妹や使用人たちに随分と心配をかけた。
勿論、それはアイリスも同様だった。
しかし……アイリスが見舞いに来たとき、泣きそうな表情で心配してくれるとき、それがとても不愉快に感じた。
おかしい。何かが、おかしい。
その日を境に、何故か自分はアイリスを避けるようになった。
彼女の悲しそうな表情を見ると胸が締め付けられるように痛む。
だが、それ以上に不愉快な気持ちが胸の中で大きくなっていった。
そんな日が続くなか、何時ものようにこの家へと向かってくるアイリスの姿を窓から見ていると、一人の少年が現われた。
ああ、そういえば……と、思い何気なしに見守る。その少年はこの物語の中心人物、主人公だったはずだ。
彼女と短い間だが親好を深めていき、最終的には原作の始まりの地点である学園でまた出会い、懐かしさを交えながら話に花を咲かせていく。
そこに、嫌味たらしく絡んでくるのがシリウスで──
「──うん……よろしくね!」
笑っていた。
いつもと変わらない笑顔、自分にも向けてくれていたあの笑顔。
ああ、そうか。そうだったのか。
そこでやっと胸のしこりのようなものが取れた。そして、ようやく分かった。
自分が好きになったのは彼女ではなく。
主人公に褒められて頬を赤くする瞬間。
主人公を支えようと努力する瞬間。
主人公のために怒りを露わにする瞬間。
主人公に見せる太陽のように暖かい笑顔を見せる瞬間。
ここで、ようやく理解できた。あの不愉快な気持ちが。
その笑顔を、声を、好意を、感情を──
──『俺』に向けないでくれ。
卍
『マギシテル魔法学園』。魔法学の権威であり、国の中枢に深く根付いているこの学園は盛大に賑わっていた。
今日、各大陸から将来有望な人材の卵たちが集まってくる。
優秀であれば、才能があれば、力さえあれば平民だろうが王族だろうが、平等に入学できる実力主義の世界。
故に、なかには事前に名前を轟かせている者も少なからずはいる。
それらを出迎える二年生と三年生たちは、それが来る入学式が一つの楽しみでもあった。
それは、もはや恒例行事と化している値踏み。
あの子は可愛い、あの子はカッコイイ、あの子は綺麗、などなど容姿も含めながらも一番は──その家柄や二つ名があるかないか。
「おい、アレって」
「ああ、あの紋章は間違いない。ペンドラゴン家だ」
容姿端麗のものも多くいるなかで一際目立ち、一際目を引く少女が凜々しく会場となる巨大な建物に向かって歩いている。
制服の胸に竜を模したブローチが太陽の光によって輝いていた。
通称『竜狩りの魔法使い』。
かつて大陸の災厄として存在したドラゴンを打ち倒した伝説の魔法使いの末裔で、その象徴たるブローチを着けている少女は多くに視線を集めていた。
ペンドラゴン家はその子孫であり、連綿と受け継がれてきたドラゴンを打ち倒す魔法は王国の最高戦略魔法として登録されているほどの重要な魔法。
それを使い熟せるのはペンドラゴン家のなかでも一握りで、その中でも歴代最強との呼び名が高いのが彼女だった。
彼女はそのまま好奇の視線に晒されながらも、特に気にした様子も無く会場前に設置された受け付けの前で立ち止まる。
「アリス・ペンドラゴン様ですね? 御入学おめでとうございます。ご到着して間もないですが、ペンドラゴン様が主席ということになりますので挨拶をしていただきたいのです。つきましては案内の者が説明いたしますので先んじてご入場ください」
「分かった。これからよろしく頼む」
行儀正しく頭を下げ、そう口にしたアリスの姿に面を食らった受付の女性は数秒言葉を失った。
何時までも帰ってこない返事を気にしてアリスが顔を上げれば、女性は慌てたように仰々しく頭を下げる。
本来ならば、アリスのような立場の人間が頭を下げることなど滅多に無い。
いくら平等をモットーにしている学園でも暗黙のルールが存在するのだ。
故に、上の立場の人間が受付程度の者に頭を下げるなど、良い意味でも悪い意味でも前代未聞だった。
だが、それもこの学園の特徴。加えて入学式ならば珍しいことではない。
その様子を遠くから見ていた三年生が口を開く。
「主席はペンドラゴンらしいな」
「まっ、そうだろうよ。張り合えるのは会長ぐらいじゃね?」
「生徒会長なら張り合うじゃなくて、普通に勝てそうだけどね」
「あぁ、分かるかも。マルタ様ならワンチャンありそうだよね」
「って、ことは……次席はあの家か?」
「かもな」
緊張から歩き方がおかしい者や、アリスのように胸を張ってあるく者、恥ずかしそうにしながらも精一杯前を向いている者など……多種多様な面持ちで次々と正門を越えていく新入生を見送りながら、上級生達の値踏みは進んでいく。
そして、入り口の方からざわざわと声が大きくなる。
「おっ、きたきた。『
「へぇー、イケメンじゃん。てか、その横に居る子、めっちゃ可愛くね?」
「バカ、良く見ろ。『
「兄妹揃って二つ名持ちとかふざけてるよねぇ~」
「アルフォード家は名門だからな。ただ、まあ……あの二人は別格だ。先の大戦で多大な功績を上げている。きっと、今代でペンドラゴン家と並ぶだろう」
今年度の次席である『撃滅』の二つ名を持つシリウス・アルフォードと『永久凍土』の二つ名を持つルミナス・アルフォード。
その兄妹は堂々と胸を張って歩く。
だが、涼しげな表情を浮かべて歩くシリウスに対してルミナスは露骨に顔を歪めて、顰め面を隠そうともしなかった。
シリウスも何時ものことだと思いながらも、今日からここでお世話になるのだ。
アルフォード家、そして延いては妹自身の体裁のためにも注意を促す。
「ルミナス、少しは態度を隠した方がいい」
「……何故ですか? 本来ならばそこらの有象無象は私たちに平服するべきなのです」
美しい相貌に冷ややかな目。ルミナスの代名詞ともなる氷魔法を使わなくとも二つ名が通りそうだ。
「それに、お兄様は何故あんなトカゲ女に主席を譲ったのですかっ。手を抜かなければ勝っていましたよね?」
非公式ながらも学園主催の決闘したときを思い出す。
もしかしたら、と思いもしたが、やはり公式チートには勝てなかった。
硬くて、速くて、広範囲で、高威力で……どんな無理ゲーだ。
それに対して妹は何やら勘違いしているらしい。
……ともあれ。
「手は抜いていない。それに、二度とそんな蔑称を口に出すな」
「……っ、分かりました」
不愉快極まりないといった具合に怒りを滲ませた苦い表情を浮かべるルミナス。何が、そんなに不服なのか。
多少なりとも猫を被り始めるが、それでも近寄りがたい印象は消していない。
それに、シリウスは内心とことん困っていた。
悲報。妹が原作の俺みたいな性格になってしまっている件について。
勿論、原作よりかはかなりマイルドではあるが余り良い印象は受けないだろう。
そもそも、原作のルミナスは少しワガママなところがあるものの、ちゃんと貴族として礼儀を持ち、淑女として正しくあろうとするなど、兄と違ってとても良い子ちゃんなのだが……どうしてこうなった。
なお、原作では話題を上げただけで今のような表情を見せるほど心底兄を嫌っていた。何故、反転したし。
というか、ルミナスはヒロインの一人でもあるのだ。
物語中盤で割と重要な役割を持つヒロインなので、出来れば主人公に惚れて貰わなければ困るのだが……このままではヒロインどころか踏み台になってしまう。
仮にそこまで行かなくとも非常に不味い。
ただ、この時点でだいぶ原作との隔離が起きているため、この先で本当にそうなるのか分からないが、それでも後顧の憂いは断っておきたい。
一応の大筋は原作通りだが、ここから違いが出てくるのは間違いないとみていいだろう。
加えて、最初から色々と違う。原作のシリウスは次席などというポジションではない。二つ名も決して『撃滅』などという大それたものでは無かった。
それに、原作では
そこに主人公やヒロインたちと同じ学年で自分たちが入学している。最も、妹の場合は致し方ないところがあるが。
これからどう動くべきか。そう思いながら背後に視線を向ける。
多くの新入生が歩いているなかで、何処か憂いをおびた表情で歩くアイリスの姿。
今更、原作のような立場になるのは難しい。いきなり突き放しても余り良いようには転ばないだろうから、アイリスとの関係性はそこまで変わっていない。
流石に式典という場なのでお互いの家柄を加味して離れている。まあ、最もそれは今後変えるつもりはない。
ある程度、距離を離しつつ主人公をぶつける。
そう。主人公とさえ……きっかけさえあればいい。そうすれば、あの表情もきっと笑顔になる。
「お兄様? どうかなさいましたか?」
「……いいや、なんでもない。少し余裕を持って来すぎたか」
「私としてはトカ……ペンドラゴン卿より速く着きたかったです」
「ルミナス……」
この子、なんでこんなにアリスを敵視してるの? 抵抗心というか敵対心というか……そんなに気に食わないことがあったのか。
ともかく、ここからだ。やっと原作が始まる。
必ず……彼女と主人公を結ばせてみせよう。それは、延いてはこの世界の平穏のため。
そして、ヒロインのために───。
二つ名考えているときが一番悩んで、悶え苦しみました。
ぶっちゃけ妹という設定はいらなかったかも。
続きを書くかは分かりません。