それでは、どうぞ
このような問題はクラスに潜在的に存在する不協和音のみに留まらない。
やはり、リィエル自身にも問題があるわけで。
ある時には、両手で書類の束を抱えているリィエルを尾行しているグレンに、ハーレイが自身をコケにしたとか言って決闘を吹っかけたハーレイに対して、斬りかかったり(大剣の剣圧で窓ガラス一斉に外へ吹き飛び、石造りの壁に亀裂が走り、次々に倒壊したり)、あわや大惨事になりかけたり。
その常識のなさと、感覚のズレっぷりから、リィエルはたまにとんでもないトラブルも起こしてしまい、ぐれんにとっては気の抜けない日々が続く。
けど、それでも、そんな慌ただしい日々がリィエルに与えるものはプラスかマイナスかと問われれば、やっぱり決まっていて……
リィエルにとっては見るもの聞くもの、すべて真新しい新鮮な日々。
時折、ちらりとリィエルが見せる、グレンが今まで見たこともないその顔色は……満更でもなさそうなものであった。
「ご苦労。もう下がってよい」
その日。帝国保安局情報調査室の室長、ボリス=アガプキンは部下から調査報告書を受け取るなり、部下を下がらせた。
ボリスの歳の頃は四十半ば、五十くらいだろうか。歳相応の皺の刻まれた肌。髪のところどころに白髪が混じっている。眼鏡をかけているその相貌は、青色の瞳も相まってどこか神経質そうで冷酷な印象を与えそうであった。
調査報告書を読むために、調度のよい、高級感ある椅子に腰かける。
だが、調査報告書を読むことなく、腰かけてじっとしている。
しばらくすると、ボリスは溜め息を吐き、向かって右側にあるクローゼットの元へ向かう。
そして。
「貴様ぁ!そこで何やっとるかぁ!?」
「うぉっ!?」
ばぁん!っと、勢いよく開けると、そこには三十くらいの口元の髭を整えた筋骨隆々した男が隠れていた。
「いやいや、お宅よりも一足先に来たんだが、誰もいなかったからな……ピッキングして先に入っていた。で、その報告書は?」
男――同じく帝国保安局情報調査室に所属するヤチェク=レイェフスキがクローゼットからのそのそ出るなり、執務机にある報告書をひょいっと取り上げる。
「……まったく、それは白金魔導研究所所長の使途不明の資金の流れに関する報告だ。上手く帳尻を合わせているようだがな」
不機嫌そうに溜め息を吐くボリス。だが、どうやらヤチェクを追い出す気はないらしい。
「はーん。で、その使途不明な資金の流れは?この後、特務分室の室長さんに渡して任せるんだろうが……もう掴んでいるんだろ?」
「……あの件の組織と繋がっている可能性があった。限りなくクロに近い可能性でな」
まったく目敏い男だと、椅子に腰かけたボリスが溜め息交じりに答える。
「それで、貴様は何の用だ?
今度はボリスがヤチェクに問う。ここからが本題だとばかしに。なにせ、誰もいない部屋に来て、クローゼットに隠れて部下が帰るまで気配を隠していたのだから。
「プレスコフが政府の手に陥ちた」
すると、ヤチェクは淡々と告げた。
「……サムソノフ将軍は?」
「戦死したよ。連中の軍門に下るよりかは、亡き皇帝に忠誠を誓ったまま地獄に落ちていった方がいいってことだろうよ」
「……内戦になってから、政府と独立派との間で孤立していたからな……彼をもってしても遅かれ早かれ陥ちていただろうよ」
ヤチェクとボリスが離しているのは、東部での内戦の状況。
ボリスは東セルフォード帝国連合の構成国で西部に位置していた旧ユークレイン大公国出身、ヤチェクは同じく帝国連合の構成国でレザリア王国と国境を接していた旧ルブリン=ピャエスト王国出身の東部人だ。
そして、二人ともサーシャと同じく国家保安委員会でボリスは第八総局、ヤチェクは第一総局にそれぞれ所属している人間だった。
この二人の故郷も、今や独立派、帝政派、革命政権の内戦の渦中にある。
東セルフォード帝国連合は、元々、旧教を国教とするレザリア王国に対抗するため、正教を国教とする東部諸国の王家、大公家達が連合を形成し、そこから王家間での婚姻を通してルシタニア大公が東部諸国を同君連合化して纏めた国である。
ユークレイン大公国、白ルシタニア公国、モラヴィア王国、ユレスコ王国、ルブリン=ピャエスト王国、ボスナ=スルビナ王国、スルビナ王国、ツルナゴラ公国、フルヴァツカ王国、カランタニア公国、北アルゲアス府主教領、ベルガリア王国、ラトガレ大公国、エースティ公国、リスアニア大公国、フィンランディア大公国の16ヶ国がルシタニア大公国に事実上、併合されてできた帝国連合は、革命前は専制的な体制だったため、起きなかった民族的問題が革命によって帝政が崩壊してしまった現在、噴出している。
帝政を廃止し、第一皇女以外の皇族を明確に殺害したことで権力を掌握した革命政権だが、全ての国民がこれに従ったわけではない。革命の手から逃れた古参の貴族らは地方に逃れ、帝政派として武装蜂起。名実共に帝国連合が崩壊してから一夜で革命政権と帝政派との間で内戦に突入する。
この状況を好機と見た旧東部諸国の独立派も武装蜂起。革命政権と帝政派と独立派の三つ巴の状況を呈し、泥沼化していった。
しかも、帝政派の中にも直系であり行方不明になっている皇女、アナスタシアを女帝に据えようとする勢力と、残存している貴族の中から新皇帝を擁立しようとする勢力に分裂しているし、独立派も併合前の君主制にするか共和制にするかで分裂している。
革命政権は分裂はしていないし大都市などを掌握しているが、旧帝国連合軍の多くの将兵が帝政派、独立派に付いてしまったため、決め手に欠けている有様である。
さらに、革命の火が自分達に飛びかかるのを恐れているレザリア王国があわよくば自身の傀儡政権にしようと新皇帝派を、レザリア王国と冷戦関係にあるアルザーノ帝国が王国の傀儡化を阻止するために正統派を軍事支援していたし、他の諸国も様々な思惑からそれぞれの派閥を支援するなど、帝国連合が支配していた領域はカオスの極みと化していた。
「他の帝政派――正統派の連中は『姫』を探すのに必死だ。『姫』さえ確保できれば正統派は大いに勢いがつく。新皇帝派が誰を皇帝に擁立するかで揉めに揉めている今となっては尚更、な」
「サーシャは?」
「サーシャは今、件の廃嫡王女様にご執心だ。まぁ、無理もないが」
ボリスが白金魔導研究所の調査報告書を取り上げる。
「そういえば、近々、アルザーノ帝国魔術学院の生徒達が『遠征学修』が行われるそうだな?」
「ああ。サーシャは軍事魔導研究所か白金魔導研究所のどちらかになるだろうと言っていたな」
ボリスは改めて調査報告書を見つめる。
サーシャが所属するクラスにはあの廃嫡王女がいたはず。もし、白金魔導研究所なら、天の智慧研究会が動く可能性はある。
ならば――
「サーシャには先に伝えとくか?」
「そうした方が得策だろうな」
「んじゃ、俺がサーシャに伝えときましょうかね」
話は終わりだと言わんばかりに、席を立ち退室しようとするヤチェク。
だが、扉の前に立つと、ボリスに振り返る。
「なぁ、室長」
「なんだ?」
「もし、『姫』が動いたら、どうする?」
何やら要領の得ない質問をするヤチェク。
「……何が言いたい?」
それに怪訝そうな顔で問い返すボリス。
「いや、『姫』が動いたら政府は大打撃を受ける。下手したら内戦が終わるだろうよ。だから政府は『姫』を血眼に探す。この国を脅してでも『姫』を探す。死亡宣告を宣言した今でも、な」
「…………」
押し黙るボリス。
「だから、その時が来たらどうするのか、と思ってね」
ヤチェクはそう言うと、答えを待つ。
すると。
「どうもこうも……母なる大地のためになるように動く。それだけだ」
ボリスがそう答えた。
「……そうか。まぁ、そうだよな」
ボリスの答えを吟味し、ニヤリと口の端をつり上げるヤチェク。
「じゃ、俺は先に失礼するわ」
そう言って、ヤチェクは頭を掻きながら退室するのであった。
「ふん……そうしろ」
ヤチェクを見届けることなく、ボリスは調査報告書に目を通すのであった。
「……どの道、賽は投げられたからな」
ボリスの意味深な呟きを聞く者はいなかった。
……所変わって。
アルザーノ帝国魔術学院、二年次生二組の教室にて。
「とまぁ、そういうわけで……」
放課後のホームルーム。
グレンはさも面倒臭そうに、教壇に立っていた。
「これから、今度、お前らが受講する『遠征学修』につていのガイダンスをするわけだが……ったく、なーにが『遠征学修』だよ?……どう考えてもこれ、クラスの皆で一緒に遊びに行く『お出かけ旅行』だろ……」
「もう、先生ったら!真面目にやってください!」
グレンのやる気なさげな態度に、即反応したシスティーナが席を立ってわめき立てる。
「だいたい、『遠征学修』は遊びでも旅行でもありません!アルザーノ帝国が運営する各地の魔導研究所に赴き、研究所見学と最新の魔術研究に関する講義を受講することを目的とした、れっきとした必修講座の一つなわけで――」
「はいはい、そうでしたそうでした。ご丁寧な解説ありがとうございます」
さっそく説教モードに入ったシスティーナに、グレンはうんざりしたように頭を掻いて項垂れた。
システィーナの言うとおり『遠征学修』とはそういう目的で学院が開設している講座であり、システィーナ達二年次生の必修単位の一つとなっている。だが、グレンの言うとおり、抗議と研究所見学以外には自由時間も多く、旅行という性質が見え隠れしているのも否定できない。とはいえ、普段、学院とフェジテに引きこもりがちな生徒達を、フェジテの外へ強制的に出して、見聞を深めさせる意味合いもある。
ちなみに『遠征学修』講座は、各クラスごとに開設され、その時期も行き先も各クラスごとにバラバラである。これは各クラスごとの授業進行状況や、受け入れ先となる魔導研究所の業務予定、受け入れ先の受け入れ可能人数などの調整も考えれば当然のことだ。二年次生全員が、一斉に一つの研究所に押しかけるわけにはいかないのである。
「先方も忙しいところを私達のために予定を開けてくれるんですから、先生も私達の引率者としての自覚をきちんと持ってですね――」
「はいはいはいはいはい、わかりました、わかりました!もう勘弁してくれ!?」
グレンがシスティーナの説教を受けている間にも、クラスのあちこちで今回の『遠征学修』について、生徒達は雑談に花を咲かせていた。
「ねぇ、ルミア。今回、行くとこってどこだっけ?」
「えーと、確か白金魔導研究所だよ。カンターレの軍事魔導研究所かどっちかになって、白金魔導研究所に決まったんだよ」
「あ、そこになったんだね。どちらも興味あったし、イテリアの魔導工学研究所とかも。東部とはどういう所が違うか見てみたいし」
学院側もクラスごとに大雑把に遠征先の希望調査をするものの、個々の要望に応える余裕はない。自分がどこの研究所へ『遠征学修』に行くことになるか……それはもう完全に運としか言いようがなかった。
必然的にサーシャとルミアの周りでも、やっぱりあっちが良かった、こっちが良かった……クラスのあちこちでそんな話が上がり始めた、その時である。
「ふっ……甘いな、そこの男子生徒諸君」
行く先に関する不満を耳ざとく聞きつけたグレンが、不敵な笑みを浮かべて言った。
「お前らは運が悪い、とか……別の所の方が良かった、とか……そんなこと思っている……だが、俺に言わせれば、お前らは幸運だ。間違いなく、絶対的に、圧倒的に幸運の女神の寵愛を受けている……ッ!」
「えー……?」
「冷静になってよく考えてみろ、白金魔導研究所が一体、どこにあるのかを……」
白金魔導研究所はその名の通り、白金術を研究する施設である。
白金術とは、白魔術と錬金術を利用して生命神秘に関する研究を行う複合術のことで、その研究実績の展開には、大量の綺麗で上質な水が欠かせない。
よって、地脈の関係で上質の水が容易に手に入る、サイネリア島にその白金魔導研究所は構えられているのだが……
「……はっ!サイネリア島はリゾートビーチとしても有名な……ッ!?」
「ま、まさか……ッ!?」
セシルは呆れて苦笑いし、サーシャはなんか嫌そうな顔をしていたが、カッシュやその他の男子生徒達は目を輝かせて立ち上がった。
「ふっ……ようやく気付いたか、お前達。そして、この『遠征学修』は自由時間が結構、多めに取られており、まだ少々シーズンには早いが、サイネリア島周辺は霊脈の関係で年中通して気温が高く、海水浴は充分に可能……さらに、うちのクラスにはやたらレベルの高い美少女が多い……あとはわかるな?」
「「「「せ、先生……ッ!」」」」
「みなまで言うな。黙って俺についてこい」
「「「「はい!」」」」
今、クラスの担任講師たるグレンと生徒達(ごく一部の男子限定)との間に、奇妙な共感と友情が誕生していた。
「馬鹿の巣か、このクラスは……」
「あはは……」
「……?」
システィーナは呆れてため息をつき、ルミアは苦笑い。
二人の後ろに腰かけるリィエルは不思議そうに、微かに首をかしげていた。
そして、サーシャは……。
「……氷で張りまくったかまくらに引きこもりたい……」
暑い所が大の苦手であるサーシャは、そう呟くのであった。