それではどうぞ
遠征学修。
アルザーノ帝国が運営する各地の魔導研究所に赴き、研究所見学と最新の魔術研究に関する講義を受講することを目的に開設された講座である。
二年次生二組が向かう先は、サイネリア島に構えられている白金魔導研究所。研究分野の関係上、サイネリア島は上質の水が容易に手に入る島であると同時にビーチリゾートとしても有名な島である。
少し早いが、この時期でも水着でビーチで楽しむことができるため男子生徒達もはもちろん、先日あんなに呆れていた女子生徒達もなんやかんやで水着を用意していた。
……サーシャを除いては。
サーシャにとってサイネリア島――特にビーチは一番行きたくない場所だからである。
サイネリア島は、ビーチリゾートとしても有名な島である。
つまり、それはどういうことかというと……
「……暑いのよ、あの島は……」
フェジテから発って、次の日の正午に、フェジテの南西にある港町シーホークからサイネリア島へと向かっているグレンと二組の生徒達一行。
香る磯の香り、抜けるような青空。
遥か遠く燦然と水平線が輝く、見渡す限りの広大な大海原。
大海原の中で揺れながら進む船の中、サーシャはぼんやりと水平線を眺めながらぼやいていた。
旧帝国連合の盟主的存在であったルシタニア出身のサーシャにとって、今見る風景は新鮮であった。
大陸の北部に位置しているルシタニアでは、ビーチなんてないし、そもそも冬になると凍ってしまい海の上を歩けてしまうほどに年中寒冷な気候に覆われている国である。
ルシタニアだけでなく、帝国連合領海が似たような状態だったため、年中港が使えるような温暖な海を求めて南に勢力を伸ばそうと軍を南に向け、勢力拡大を阻止したいアルザーノ帝国と敵対していた時期があったほどだ。
そういうわけで、冬は凍るような寒々しい海しか知らないサーシャにとって、眼下に広がる大海原は新鮮な気分にさせると共に、やはり出身が出身なのか、暑いところは行きたくないという、なんとも複雑な気分にさせてしまうのであった。
そして、サーシャの隣では――
「おげぇええぇええぇぇ……」
船べりの手すりに洗濯物がもたれかかっていた。しかもその洗濯物は、美しい海原を吐瀉物で穢しまくっていた。
「…………」
そんな洗濯物――グレンの姿を、サーシャはジト目で流し見。
「ちょっと、先生!私達の感慨を穢さないでくださいっ!」
今まで感慨にふけっていたシスティーナが、こめかみをぴくぴく震わせながらグレンへと、非難の声を上げる。
「うっさいわ!こればっかりは仕方ないだろぉがっ!?うぷっ……」
顔を青ざめさせ、げっそりとしたグレンが恨めしそうな顔で、システィーナに抗議を飛ばす。だが、すぐに口元を押さえ、また身を乗り出して海面を覗き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?先生……」
そんなグレンに身を寄せ、ルミアが心配そうにグレンの背中をさすった。
「……正直、大丈夫じゃねーです……泣きたい……うぅ、ちっくしょう……だから船は嫌いなんだ……誰だよ、こんなもん発明しやがったアホは……」
胃の中のものをあらかた出し尽くして、ようやく少し落ち着いたグレンが船べりの手すりにぐったりと背中を預けて、もたれかかりながらぼやいた。
「先生、これ、さっき船員の方にもらってきました」
「……リンゴか」
「はい、船酔いに良いそうですよ?よかったらどうですか?」
「……正直、食欲ないなぁ……」
グロッキーなグレンを甲斐甲斐しく世話するルミア。
「そういえば先輩って、軍時代にも船に乗っていた記憶ありませんもんね。大抵、空から現場に行っていましたし」
そんなグレンを見て、軍時代のグレンの行動を思い出すサーシャ。
すると、リィエルがシスティーナに話しかけている姿が目に入った。
見れば、心なしか焦りの表情でシスティーナに問いかけている。
もしかしてももしかしなくても、今のグレンの状態を彼女なりに心配しているのだろう。
しばらく、やりとりしていると――
「ちょっと、この船、沈めてくる」
「……は?」
なにやら、不吉なことを口走り、リィエルがスタスタと、甲板の一角に設置された船底へと続く階段を下りて行って……
「ちょ――ま、待ちなさぁいッ!?皆ッ!?リィエルを止めてぇええ――ッ!?」
やっぱり、船の上でも大騒ぎだった。
その後、サーシャがリィエルに指さすと、船の周辺を楽しそうに飛び回っていたビィエルがリィエルに向かって砲弾の如く突っ込むことで事なきを得るのであった。
シーホークを出航して数時間。
やがて、船はサイネリア島に到着する。
「ふぅん?意外と暑くないんだね。……って言っても、もう黄昏時なんだけど」
クラスの生徒達と共に、船のタラップから切石を隙間なく並べて形作られた船着場の上に降り立ったサーシャは、周囲を見渡した。
潮風が強い。雄大な潮騒の音。空にはウミネコの声。すでに時分は黄昏時、水平線に差し掛かった太陽が燃え上がり、世界を深い黄金色に染め上げている。
「…………」
「どうしたの?ぼーっとして」
そんな景色を初めて見たかのように立ち尽くしているサーシャに、システィーナが声をかける。
「……こんな綺麗な景色、初めて見た」
「サーシャ?」
「向こうだと、こういう景色は見られない。今なら、なおさら……」
自身の生まれ故郷であり、内戦で荒廃していく故郷を思ったのか、この時のサーシャの顔はどこか懐かしんでそうな、しかし、ほんの少しだけ悲しそうな顔をしていた。
と、その時である。
「先生、しっかり……」
「あぁー……うぅー……」
ルミアとリィエルに両脇を支えられたグレンが、ふらふらしながらタラップから船着場の上へと降り立った。そのグロッキーな姿に――
「もう……本当に浸らせてくれないっていうか、デリカシーないんだから……」
「う、うるせー……白猫め……お前にこの苦しみがわかるか……うぅ……」
グレンのそのあまりにも情けない姿に、先に下りていた周囲の生徒達もくすくすと苦笑いを零すしかない。
「大体な!生来、人は大地と共に生きる生物なんだ!人間は大地の子なんだ!大いなる大地から離れては人は生きていけないんだッ!土に根を下ろし、土と共に生き、そして、やがて土に還るのが人の定め……それこそが土が生み出す摂理の輪、生命の円環なんだッ!船などという薄っぺらい板切れに乗っかって大地を離れ、海に乗り出すなんて、人として、生命として根本的に間違っているんだぁ――ッ!」
「……船酔い一つで、なんかやけに壮大で大袈裟な話になるわね」
よくもまぁ、こんな屁理屈がぺらぺら出てくるなと感心する。
「ていうか、そんなに船が大嫌いなら、別の場所にすればよかったんじゃないですか?ほら、例えば、イテリアの軍事魔導研究所なら、移動は馬車ですし、俺としてもそっちの方がここよりも涼しいから大歓迎だったんですけど?」
それに、色々と研究内容を物色出来たし、と、口には出さないが思うサーシャ。
それはそうと、確かにサーシャの言うとおり、一ヶ月前、遠征学修の行き先に関する事前希望調査としてクラスで行き先候補の採決を取り、軍事魔導研究所と白金魔導研究所が同数の支持票で割れた時、最後の一押しの票を入れたのは、他でもないグレン自身だ。
呆れるサーシャに、グレンはかつてないほど真剣な顔でこう答えた。
「美少女達の水着姿はあらゆるものに優先する。決まっているだろう?」
おおぉ……と周囲の男子生徒達から感嘆の声が上がった。
「……はい?」
人間、馬鹿も突き抜けて極めると蔑みを超えて尊敬を集めるものだ。
苦笑いのルミア、呆れ顔のシスティーナとサーシャ、眠そうなリィエルをよそに、グレンは両袖に腕を通さず羽織ったローブをばさりと翻し、夕日に燃える水平線を愁いを含んだ遠い目で見つめた。
「たとえ、ここが三国間紛争の最前線だったとしても……俺はここを選んだよ」
潮風がローブをはためかすその背中は、無駄に格好良かった。
……本当に、心底、無駄だが。
「せ、先生……アンタ、漢だよ……」
「俺、先生に一生ついてきます……ッ!」
だが、そんなグレンの背中は、ごく一部の生徒達(主に男子)の涙腺を直撃したらしい。
まるで信仰に殉ずる愚直な求道者のようなグレンの姿に、感極まった一部の生徒達が熱い涙をはらはらと流していた。
「もう!本っ当に馬鹿ばっかりなんだから!ていうか、うちのクラスの男子、先生が来てから、なんか段々ノリがおかしなってきてない!?」
システィーナはそんなクラスメイト達に一抹の不安を覚えざるを得ない。
「ほら、先生!馬鹿なこと言ってないで、さっさと宿泊予定の旅籠へ行きますよ!」
すたすた、とシスティーナや生徒達はその場を移動し始める。
ここから宿泊予定の旅籠までは海岸沿いを道なりに一直線だ。迷う心配はない。
「水着姿を拝みたかった……まぁ、そういうことにしときますかね」
旅籠に向かいながら、そう呟くサーシャ。
グレンはあんなふざけたこと言っているが、本当の理由は軍の魔術に関わらせたくなかった、ということだろう(本人は否定するだろうが)。
「……いかにも、先輩らしい言い分だわ」
「え?何か言った?」
「……いや、暑いからさっさと旅籠に行きましょうや」
そう言って振り返ったシスティーナの先を越して、サーシャは一足先に旅籠に向かうのであった。
……サーシャ本人からしてみれば、暑いからさっさと旅籠に入って涼みたかったからなのであった。
サイネリア島波止場周辺にある観光客向けの観光街の一角に、今回の遠征学修中に魔術学院の生徒達が寝泊まりするその旅籠はある。
帝国暦の中でも『ワルトリア朝』と呼ばれる古き良き時代に流行した古式建築様式で建造されたその旅籠は、本館と別館の二つの邸宅からなっており、領地持ちの地方貴族が所領に建てるカントリー・ハウスのような壮麗さと、旧時代の懐かしさとを同時に兼ね備えていた。
その趣は、鋭角の屋根が特徴的な『サーサン朝』式――フェジテの建造物に主に用いられる新式の建築様式――とは異なり、アーチ型の各種意匠と尖塔、石柱などが特徴的となっている。ちなみに魔術学院校舎もこの『ワルトリア朝』式だ。
エントランス・ホールの高い天井から釣り下がる豪奢なシャンデリア、オーク材の螺旋階段の手すりに施された彫刻、廊下の壁に飾られた絵画に、金の燭台、敷かれた絨毯……
魔術学院校舎とはまた違った華麗なる内装は、もちろん、浴場もそれなりに華麗な内装なわけで――
「……はぁ、疲れたわ」
生徒達が食事を終え、交代で浴場を使用した後。
浴場には、一人の少女が湯に浸かっていた。
白く透き通った肌に、纏めている雪のように白い髪。アメジスト色の瞳に、目鼻立ちが端整に整っているなど、文句なしの美少女。
スタイルも、平均的な女性よりも身長が高い。胸もルミアよりも多少は小さいぐらいで、全体的に出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいるなど、モデル顔負けの体型。
そんな肢体を、少女は誰一人いない浴場で曝け出し、疲れを取っていた。
「~~♪」
彼女は魔術学院の生徒ではなく、入った後であれ、もし誰かが来たなら面倒なことになるのは間違いないのだが、少女はそんなのまるで気にしていない。なぜなら、ここには誰も来ないのだから。
鼻歌を歌いながら、少女は目の前に置いてある通信魔導器を持ち、起動する。
「お疲れ様~♪ヤチェク」
相手が出るなり、機嫌の第一声を発する少女。
『「姫」……だから――』
「今はお風呂よ?誰も来ないように人払いの結界を張っているから、大丈夫よ」
先日のフェジテの件もあり、またかと思いながら説教を始めるヤチェクを遮る少女――アナスタシア。
「今日、サイネリア島に着いたから、その報告♪」
『無事に着いたようでなによりです。で、そちらの予定はどうなっているので?「姫」』
「今日は何もないし、明日も何もないわ。天候などで旅程が遅れても大丈夫なように余裕を持たせていたらしいから。名目上は、島内散策による島の生態系と霊脈の調査になっているけど、事実上の自由時間ね」
『では、明後日からだと……?』
「そうなるわ。明後日は白金魔導研究所内の見学で、五日目が終日講義で終わり。六日目が自由時間で、七日目に帰るという予定になっているわ」
一体、どこから聞いたのか。魔術学院の生徒でもない彼女はグレンのクラスの生徒達が受講する『遠征学修』講座の主な日程を詳細にヤチェクに話していた。
「だから、動けるのは明後日だけだと思うから、それまでに自由に動けるようにしたいのだけれど……首尾はどう?」
『そこはご心配なく、『姫』。すでに所内を自由に動けるようにいたしましたので』
「さっすが♪仕事が早いわね♪やっぱり、優秀な部下は持っておくに限るわ~♪」
すでに仕事を済ませているヤチェクを褒め称えるアナスタシア。
「だったら、明日は実行するだけね。わかったわ、じゃ、帝国軍に傍受されて怪しまれる前に切るわ。また明日」
そう言って、アナスタシアは通信を切ろうとするが――
『「姫」』
それを、ヤチェクが止める。
『……わかっているとは思いますが、件の王女――』
「……エルミアナのことでしょ?……わかってるわ」
ヤチェクが何を言いたいのかを察したアナスタシアが、言葉を続ける。
「さすがに会いに行こうとは思わないし、会いに行けないわ。リィエルが護衛についているし、それに……”本命”が目を光らせているから」
『アルベルト=フレイザーのことですね?』
ん。と頷くアナスタシア。
「リィエルというどこをどう見ても、護衛に不適格な人間を彼女の側につけ、ザルだと思わせる。そこを突くようにして現れた敵を”本命”が狙撃する。まぁ、流石にリィエルだけだとあからさま過ぎるだろうから、サーシャをお目付け役として護衛任務に組み込んだというわけなんだけどね」
そう。リィエルのことを知っている人間からすれば理解不能な今回の護衛任務は、彼女とサーシャは囮でアルベルトが本命であった。
表向きとはいえ、ルミアは今や一般の民間人だ。
そんな民間人に軍が堂々と護衛をつけたら目立つし、なにより彼女も動きが不自由になる。
それに、これは敵を密かに対処するとともに、天の智慧研究会の尻尾を掴むということも期待しての作戦でもある――もっとも、こんな小細工が件の組織に通じるとは思えないが、やらないよりかはマシであるし、何より、それしか手の打ちようがないのが現状である。
だが、それでも戦力配分的には、特務分室のエース級が三人(一人は圧倒的に護衛任務に適してないが)。表向き市井の民草一人を護衛する戦力としては破格の処置だし、天の智慧研究会の人間ではないアナスタシアでさえも迂闊に従姉妹であるルミアには近寄ることなど不可能である。
「いくら私でも、近付いたら、頭を撃ち抜かれるわ。なにせ私は行方知らずの皇女様……私がアナスタシアだと言う事はできないし、言っても信じてもらえるかはわからない」
『…………』
アナスタシアも、相手は違えどルミアと似たような状況で、革命政権と新皇帝派、それに独立派の過激グループに狙われている身である。迂闊に自身を表に明かすことは自身を危険にさらすことになりかねない。
だから、ルミアに会うとしたら、本当に誰もいないし見てもいない、ルミアとアナスタシア二人きりの時が絶対条件になるのだ。
「だから、そこまでして会いに行くことはないわ。そこは安心して。それじゃ、切るわ」
そう言って、アナスタシアは通信を切った。
「……別に今日が最後って訳じゃないわ。生きている限り、またチャンスは巡ってくるわ。二人だけになる時間が、きっと……ね」
通信を切った後、肩まで湯に浸かりながら、アナスタシアはそう呟くのであった。
一方、旅籠の外では――
「……男ってバカね」
旅籠本館の屋上のテラスから、風呂上りから熱気を冷まそうと、涼を取りに来たシスティーナが頬杖をつきながらジト目で眺めていて――
「た、頼む……カッシュ……『
「アルフぅううううううぅわぁああああああああああああ――ッ!俺は一体――なんのために戦っているんだぁああああああああああ――ッ!?」
「はっはっは!どうした!?お前らの力はそんなもんか――って、おい!?ちょっと待て!?お前ら、そんな風に隊伍を組んでの面攻撃は反則――ふんぎゃあああああああああああああ――ッ!?あたたたた、痛い!?痛いって!?ビィエル!?ビィエル、助け――ぎゃぁああああ――ッ!?痛い!?バカヤロ――ッ!こっちじゃなくて――ひぎゃぁあああああああ――ッ!?」
林の中では、カッシュ達が女子生徒達が泊っている本館に侵入しようとして――そこから、なにかの茶番が始まり、なにか楽しいことをしていると勘違いしたビィエルが乱入するなど、カオスと化していたのであった。