赤い国からの魔術師   作:藤氏

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それでは、どうぞ。


アルザーノ帝国・サイネリア島・後編
Вісімнадцять(第十八話)


 

 

 

 今から一年半前のこと。

 

 シリェーブリャヌイグラードから南方に位置し、ルシタニアとエースティの国境に位置する古都プレスコフ。その市庁舎の応接間にて。

 

「……やはり行かれるのか。敵の懐に」

 

 上座の中央の席に腰かける高級将校が、向かい側に座っている男に言った。

 

「ええ、そうします」

 

 向かい側の男が決定事項だと言わんばかしに返す。

 

国家保安委員会(オルガン)は中央委員会閣僚附属機関です。極秘情報を取り扱っている組織でもあり、上手く入り込めば、そこからなにかしらの情報を得られるかもしれません。既に一人、オルガンに潜入しており、今は第一総局第三課課長に就いております。今なら全てではありませんが、機密情報の閲覧ができる権限もありますし、我々をスカウトする権限もあります」

 

「そこに、貴殿と姫が潜入し、内部から崩壊させると……ふむ」

 

 腕を組み背を深く預ける高級将校の顔は、不満げな顔を見せながらしかし、東、西、南からは赤軍が、北からはエースティからの独立派に包囲されている現状、それしか方法がないのも理解しているような顔だった。

 

 まぁ、帝政派の精神的支柱であり、帝国連合皇族の唯一の生き残りである彼女を敵の中枢機関に送り込むのだ。当然、この案が提示された時には猛反発が起きた。

 

 だが、この案が提示してきた人物は彼女――アナスタシア自身であることが男――ヤチェクからの発言でわかったことにより、大多数の人物が渋々ながら承知することになった。

 

 だから、ヤチェクにはアナスタシア絶大な忠誠を誓っている高級将校――アレクサンドル=サムソノフ騎兵大将が半ば納得しておらず、不服であるということもわかっていた。

 

「……それで、実は将軍にある物を託したいと姫から……」

 

 もう決定事項なのだから、これ以上の言葉は無用とヤチェクは判断し、本題に入るために足元に置いてあった一つのスーツケースをテーブルの上に置く。

 

「それは?」

 

「革命前に陛下が”ある人物の調べ物を”命じ、結果を纏めた報告書です」

 

「…………」

 

「オルガンに乗り込む以上、この文書を全部持って行くわけには参りません。この文書には革命政権の正体とこの革命の真実が書かれています。もし敵の手に渡れば、真実は永遠に闇に葬り去られます」

 

「して、この文書をどうしろと?」

 

「将軍は文書を開封してもらい、然る時にこの文書の内容をある人物に伝えてもらいたいのです」

 

「ある人物とは?」

 

「アルザーノ帝国女王アリシア七世」

 

「――ッ!」

 

 スーツケースを受け取った瞬間、明かされた宛名先を聞き、手を止めるサムソノフ将軍。

 

 なぜこの文書を異国の首脳に伝えなきゃいけないのか、一瞬、疑問に浮かんだが、この革命は東セルフォード帝国連合国内だけの問題ではなく、もっと大きな思惑が渦巻いているとすぐさま直感した。

 

「この革命は、国内の問題に非ず。特にアルザーノ帝国政府にはなんとしても耳に入れておかねばならない情報。陛下からのお言葉です」

 

 そして、これが亡き皇帝陛下からのお言葉である以上、サムソノフ将軍に断る理由なぞなかった。

 

「……了解した。陛下が心血注いでまで調査したこの文書、必ずアルザーノ帝国へ伝える」

 

「……感謝いたします。陛下もこれで報われるでしょう。全ては祖国のために(ヴソ・ドゥリヤ・ロディニィ)

 

全ては祖国のために(ヴソ・ドゥリヤ・ロディニィ)

 

 そして、ヤチェクは席を立ち、応接間から去ろうとする。

 

「将軍。わかっているとは思いますが、全てが上手くいけば、我々はこの内戦に勝利し、この母なる祖国を……いえ、世界を救うことができるでしょう。故に失敗は許されないということを、ゆめゆめお忘れなきよう」

 

 そう言い残して、応接間から去っていくのであった。

 

 

 

 

 

 そして、サーシャ達が遠征学修に出発する前。プレスコフは帝政派と革命政権・独立派との度重なる熾烈な攻防の末、赤軍によって陥落した。

 

 この戦いで、サムソノフ将軍はプレスコフを防衛していた東セルフォード帝国連合軍北西方面軍第三十軍団、ルシタニア大公国軍第十七師団と共に敵に突撃し、玉砕、全滅。

 

 玉砕直前、サムソノフ将軍はアルザーノ帝国政府上層部に例の文書を焼却処分した後、その内容を伝達しようと試みるのだが――

 

 ――その文書は、アリシア七世の元に届くことはなかった。

 

 

 

 

 北東沿岸部の街を発ったアナスタシアは、サイネリアとう中央部に向けて、鬱蒼と茂る樹海の中を疾走していた。

 

「まったく、あの子、なんて速さなのッ!ルミアを抱えているってのにッ!」

 

 旅籠からルミアを担いで飛び出したリィエルを追跡していたアナスタシアは、激しく起伏する樹海の木々の隙間を、ひらりひらりと身軽に走破していく。

 

 その様はまるで林立する樹木の間を駆け抜ける一陣の風のようだ。

 

 だが、リィエルはそれ以上に速く駆け抜けており、かなりの距離を開けられていた。

 

 まぁ、リィエルがどこに向かっているのかはある程度は目処がついているから、距離が開けられていても問題はないのだが、できればその前に決着をつけたかった。

 

「でないと、面倒なことになるっていうのに……上手くいかないものね」

 

 駆けながら、アナスタシアはぼやく。

 

「向かっている先は……白金魔導研究所。そこを少し外れた場所ね」

 

 駆けながら、ちらりと周囲を見渡す。

 

 鬱蒼と茂る樹木がどこまでも連なっており、その隙間を深淵に続くかのような闇が満たしている。微かにキリが出ているのか、空気は重く湿っぽい。いがらっぽい緑の匂いは、足を進める都度、どんどん濃く強くなっていく――

 

「あの情報――白金魔導研究所関連の資金の流れに微かな違和感があったあの情報を洗ったらバークス=ブラウモンが天の智慧研究会と密かに繋がっていた可能性があったらしいけど、これで確定ね」

 

 リィエルが向かった先にバークスがいるというのは、連れ去った方向からしてもわかる。

 

「その資金は、極秘に地下研究所を造っていた。何らかの実験を行うために。そして、ルミアはそこに連れ込まれる」

 

 その地下もある程度は目処がついていた。

 

 なにせ、バークスの研究分野は特殊な環境を必要としているのだ。

 

 それは、水。

 

 白金術は土地に通う霊脈もそうだが、特に水は必要不可欠で、自然と地下水路が必要になる。大規模な水路を用意できる場所、土地の高低差、そして霊脈の条件。それだけ揃えばこんな広大な樹木の中でも場所はかなり限られてくる。

 

 そして。

 

 樹海が尽き、一気に広がる視界の先には、周囲を深緑の樹木や山岳に囲まれた広大な湖があった。透き通った冷たい水を湛え、鏡のような水面に銀月が淡く映っている。日が高ければ、その湖畔を是非、釣竿や弁当を持って散策してみたい絶景だが、今はそれどころではない。

 

 その岸辺で、アナスタシアは一旦、足を止めた。

 

「こういう時に、ビィエルがいて助かったわ。方角的に南西方面、そこに地下水路の入り口があるはず。不自然な水の流れがあるはずだからそれを辿れば見つかるはず」

 

 そして、黒魔【エア・スクリーン】の呪文を唱える。

 

 アナスタシアの周囲に圧縮空気の膜が球体状に形成される。そのまま、二人が湖の中へ足を踏み入れると、周囲の水が球体状に彼女を避けていく。

 

「待ってて、ルミア。必ず助けるから」

 

 そう言って、空気の膜に守られたまま、湖の中へ姿を消した。

 

 

 

 

 

 しばらくの間、湖の底を無言で探索していたアナスタシアは、程なくして不自然な水の流れが行き来する横穴を発見する。

 

 確信と共に、その岩肌の横穴を発見する。

 

 真っ暗闇の中を、指先に灯す魔術の光を頼りに進んでいく。

 

 ……どれくらい歩いただろうか。

 

 やがて水中に不自然に開けた場所に出た。四方は明らかに人工的に石垣を並べて作られた壁。頭上を見上げれば、揺らめく水面が見え、淡い光が差しているようだ。

 

 アナスタシアは【エア・スクリーン】の魔術を調整して、水の底から浮上する。

 

 そして、水上に出たアナスタシアは傍にあった通路状の足場に飛び乗った。

 

 周囲を見渡すと、そこは貯水庫のような場所だった。アナスタシアが今やってきた、一際大きなプールを中心に、水路と水路を挟む通路が、大小様々なプールとプールを繋ぎ、延々と迷路のように複雑に絡み合っている。所々に水生系の樹木が林立し、あちこちにヒカリゴケが群生しているその様は、白金魔導研究所の風景と酷似していた。

 

「……ビンゴ」

 

 さて、これからどうするか。

 

 ビィエルは今、白金魔導研究所で待機しているから、とりあえず『目』となるものを用意して先行させようとするのだが……

 

「……その前に」

 

 アナスタシアは、左手を目の前の水路に向け、何か呪文を唱える。

 

 すると、目の前の水路が表面から凍り始め、やがて水中の中も凍結してしまった。

 

「悪いけど、あなた達に構っている時間はないの」

 

 実はこの水路の中には巨大な蟹が潜んでいたのだが、水上に出るまでもなく水中で凍らされ、息絶えたのであった。

 

「ふーむ、地下に着いたのはいいけど、出る場所が出る場所だったわね」

 

 そう言ってため息を吐くと。

 

 アナスタシアがいるこの区画のあちこちで水柱が上がった。

 

 蟹だけではない。巨大な烏賊、半魚人のような化け物、ゼリーの塊のような不定形生物……多種多様な怪物が次から次へと姿を現わし始める。そのどいつもこいつもが、どこか歪な姿の出来損ないだった。

 

「……うへぇ、キモ……」

 

 ぞぞぞぞ、と。生理的嫌悪を覚えながら、アナスタシアは自分ににじり寄ってくる怪物達を眺める。

 

 どこからどう見ても、自然にできた怪物ではなく、人工的に作られた怪物――キメラだった。そしてそのキメラたちは、自分を完全に餌と認識しているらしかった。

 

「アレかな?ほら、女の子は柔らかくて美味しい的な?って、私食用じゃないし、さっさと突破しましょうかね」

 

 一人でそう言いながら、氷の剣を錬成し、通路を駆け出した。

 

 

 

 

「……っく……ぁ……ぅあああ……あッ!?」

 

 地下研究室に少女の熱を帯びた苦悶の声が上がる。

 

 鎖付きの手枷で吊るされた少女――ルミアの身体を描かれたルーンの術式に沿って膨大な魔力が疾走しているのだ。それは激しい苦痛となって、ルミアを責め立てる。

 

 旅籠でシスティーナとグレン、リィエルの帰りを待っていたルミア。

 

 すると、ドアからではなく、窓から何者かが乱暴に蹴破って入ってきた。

 

 蹴破って入ってきたのは、リィエルだったのだが、彼女の姿は――大剣を錬成して血まみれの状態だった。

 

 身の危険を感じたルミアだが、逃げる隙をリィエルが与えるはずもなく剣圧で気絶。

 

 目を覚ましたら自分は鎖にで吊るされ、何もできない状態だった。

 

 それからは、リィエルの『兄』を名乗る男から、グレンは死んで誰も助けにこないと告げられたり。

 

 バークスが研究所見学で見せた好々爺然はどこへやら、野心と欲望をむき出しにしたバークスがエレノア共に姿を見せたり。

 

 今のルミアの状態は――恥辱的な状態であった。

 

 ベストやスカート等の衣類は強引に破かれ、真銀粉末が分散された染色液で、露になった手足や腹、胸元、頬といった柔肌に、様々なルーン文字や文様がびっじりと描かれてしまっている。辛うじて両肩に引っかかった衣服の残骸や下着が最後の一線――ルミアの女性としての尊厳を守っている状態だ。

 

 そして、ルミアは今、『Project:Revive Life』という、とある人物の死によって実現不可能になった魔術儀式の一部に組み込まれていた。そして、なぜかこの魔術儀式は順調に進捗していた。

 

「ふは、ふははははッ!いいぞ……いいぞぉ……ッ!?」

 

 だが、そんなルミアの苦痛などまるで意に介さず、バークスはモノリス型の魔導演算器に霊絡を通して送られてくる大量のデータの解析に夢中だった。

 

「成る!成るぞぉッ!『Project:Revive Life』は今日、ここに成る!このバークス=ブラウモンの手によってだ……ふはははははははははははは――ッ!」

 

 その中央には、氷晶石柱中に封じられた三つの素体が正三角形の頂点を位置取るような配置で据えられている。現在、その氷晶石柱の表面上を光のルーン文字が無数に疾走しており、中身がよく見えない状態ではあるが……辛うじて見える影から察するに、封じられた素体は、どうやら少女の姿をしているようであった。

 

 今、素体と『アルター・エーテル』、そして『アストラル・コード』。理論上合成不可能だった三つの統合が終了し、後は素体の各種細かな調整と意識覚醒を待つばかりだ。

 

 だが、ルミアは諦めていなかった。

 

 先生は絶対に生きている。実際にその死を自分で確かめない限り、私は信じない。

 

 と、思っていた、その時だ。

 

 遠くで、地鳴りのような音が突然、響き渡った。

 

「何事だッ!?」

 

 作業を止め、バークスが怒声を上げる。

 

 すると、この儀式部屋の入り口にエレノアの姿が現れた。

 

「今、遠見の魔術で確認しました……侵入者ですわ」

 

「何だと!?馬鹿な!どうしてここが割れた!?そんなはずは――」

 

「……はて?」

 

 するともう一度、遠見の魔術を確認すると……

 

「あらあらまぁ……これは予想外でしたわ」

 

 くすり、と、エレノアは嫣然と微笑んだ。

 

「まさか、帝国軍ではなく、旧帝国連合の人間が来るなんて……不意討ちを喰らわされましたわ」

 

 あまりの予想外の来客に苦々しく、それでもどこか愉悦の表情で、エレノアが呟いていた。

 

 因みに、頬にアルベルトが樹海でエレノアと交戦した際に付けた魔力信号の存在に気付いていたが、それを勝るぐらいに侵入者があまりにも予想外であった。

 

「そ、それは一体、どういうことだ!?エレノア殿ッ!」

 

「さぁ、どういうことでしょうか?とにかく敵戦力は一名。東セルフォード帝国連合第一皇女、アナスタシア=パーヴェルナ=ロマノヴァですわ」

 

「な、何ィいいいいいいいいいいいいいいいい――ッ!?」

 

 あまりにも予想だにしなかったその名に、バークスは目を剥き――

 

「…………え?」

 

 ルミアは自分の耳を疑う。

 

 今さっき、エレノアは何て言った?

 

 さっき、エレノアは侵入者の名をこう言った。

 

 ――アナスタシアと。

 

 しかも、東セルフォード帝国連合第一皇女、と……

 

 確かにそう聞こえた。

 

「……ナーシャ?」

 

 エレノアの口から突然出た、行方知れずの皇女――従姉妹の名に、ルミアは痛みなど忘れて目を瞬かせるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

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