それでは、どうぞ。
……。
…………。
……駆ける。
ひたすら、駆ける。
延々と続くと思われた通路もやがて終わりが見え。
どんどん、最後の扉の姿が目前に迫ってきて――
「――だらっしゃあぁああああ――ッ!」
アナスタシアは地下研究所、最奥の部屋の扉を乱暴に蹴り開けた。
「――?」
「え、ナーシャっ!?」
「――なっ!?」
現れたアナスタシアに、その部屋にいた者達の視線が一斉に集まる。
リィエル、ルミア、そして――青髪の青年。
「ナーシャ……本当にナーシャ、なの……?」
ルミアは未だ信じられないような目でアナスタシアを見つめる。
腰まで伸びていたが白い雪のような髪に、アメジスト色の瞳。
そして、彼女には叔母であるマリアベルの面影がどこかにある。
「本当に……ナーシャなんだ……生きて……いたんだね……」
彼女がアナスタシアだと確信したルミアは目を潤ませ、その名を呟いた。
「……久しぶりね、エルミアナ。本当は、もっとこう……違う場面で会えたら良かったんだけど……」
久しぶりの従姉妹の視線を受け、アナスタシアがそう返す。
なんかこんなところで再会しても正直、微妙である。
「……っ……ぐすっ……ナーシャ……よかった……本当に……無事で……」
東部での革命で行方不明になっていた従姉妹が……本物の従姉妹が今目の前にいることに、気丈なルミアも流石に安堵の涙を禁じ得なかった。
なにせ、五年も行方不明だったのだから。王室から追放された今も、アナスタシアのことは無事かどうか心配だったのだから。
「……さて」
一方、アナスタシアは正面奥に囚われているルミアの姿を改めて見る。鎖に縛められ、服を破かれ、年頃の少女に強いるにはあまりにも酷い、あられもないその姿。
ガラス円筒の少女……最悪の想像から比べれば、遥かにましだが――
「誰よ、女の子にこういう格好させるなんて……ていっても、貴方でしょう?私の従姉妹をこんな格好にして……ええ?この、変態」
それでもルミアのこの扱いは、アナスタシアの怒りに火を点けるのに充分過ぎた。
「何?今流行りの前衛芸術ってやつ?帝国では女性にこんな格好させるの?東部でもこんなのやらないわよ!」
「う……ぁあ……」
凄まじい形相で睨んでくるアナスタシアの姿に、青年は明らかに怖気ついていた。
「ええ、そうなの。ええ……だったら、私が直々に採点してあげるわ。じ つ りょ く こ う し で!ええ、この私のイケてるセンスを以て、採点してあげる。遠慮はいらないわよ?」
そして、アナスタシアはリィエルに向かってキンキン声を張り上げる。
「リィエル!貴女も黙って見てるんじゃないわよ!?護衛があんな目にあって、なんとも思わないの!?……その、つい、じっと眺めたい気持ちはわからなくもないけど……」
そう言うアナスタシアは、鎖に縛められたルミアのあられもしない姿を、ちらちらと見る。とくに胸の部分を。
「やだ、五年の間に、随分成長してるじゃない。いや、私もそれなりにあるけど」
「もう、ナーシャったら!」
だが、五年前の、あのやんちゃなアナスタシアの変わらぬ姿に、ルミアは抱いていた不安が晴れていくのを感じていた。後はグレンの生存が確認できれば――
「それと、エルミアナ。貴女の教師――グレン先生は生きているわ。安心なさい」
アナスタシアからのグレンが生きているという言葉に、ルミアの不安は完全に晴れていくのを感じた。
「さぁて、従姉妹にここまでやってくれたんですもの。覚悟はできているでしょうねぇ?」
ビキビキとこめかみに青筋を立てるアナスタシアに、青髪の青年は顔を青ざめさせて一歩一歩後ずさっていく。
「馬鹿な……なぜ、あなたがここに……バークスとエレノアはどこへ行ったんだッ!?まさか、やられたというのか!?」
「……バークスとエレノア?」
不意に出た二名の名前に、アナスタシアは訝しむように眉をひそめ、身構える。
(バークスはともかく、あの女まで出しゃばっていたなんて……でも、どこ行ったのかしら?ここまで行く間に姿なんて……あ)
そういえば、空気に同化するという東部の隠密魔術を使っていたんだっけ?それで気付かれなかったのかもしれない。
それでも、エレノアほどの外道魔術師が気付かないていうのも、奇妙な話なのだが、バークスがアナスタシアの存在に気付かなかったなんて、バークスは存外大した者でもなかったのだろう。
まぁ、そんなことは今は重要ではない。
この部屋の中に、エレノアとバークスらしき人物の姿がいないことを確認する。
今はこの青年を倒して、止める。
そう思って、一歩踏み出しかけた――その時。
「……それ以上、兄さんに近づかないで」
リィエルが錬成済みの大剣を構えて、アナスタシアの前に立ちはだかっていた。
「リィエル!?さ、流石は僕の妹だ!」
リィエルがアナスタシアに立ち向かったのを見た『兄』と呼ばれる青年は、すぐにその余裕を取り戻す。
(兄……そう、この人が……)
そんな『兄』とリィエルを交互に見るアナスタシア。
「例の素体の調整にはもう少し時間がかかる!それまでそいつを抑えるんだ!」
「……わかった」
その『兄』は、慌てて奥の儀式法陣へと駆け寄り、再び作業を開始する。
「……やっぱり、そうだったのね」
アナスタシアは、リィエルから視線を外さずに対峙する。
あの『兄』の背中を追いたいが、リィエルがこうして一刀一足の間合いにアナスタシアを捉えている以上、下手に動くことはできない。
(……それに、時間をかけてはいられない)
なぜなら、リィエルに背後から串刺しされて瀕死の重傷を負っていたグレンが回復し、アルベルト共に、地下研究所へ急行しているのだから。そして、もう到達してこちらに向かっているはず。
途中の合成魔獣はあらかた倒したから、そうそう時間はかからないはずだ。遅くても十分後にはここに着くだろう。
それまでに、決着をつけないと……いささか面倒なことになる。
だから。
「……ねぇ、リィエル」
アナスタシアは、剣を構えるのを止め、リィエルをじっと見つめる。
「……何?そもそも、なんでわたしの名前を知っているの?」
「今はそんなことは重要じゃないの。重要なのは……」
実を言うと、アナスタシアはリィエルの過去を知っていた。ここに突入する前にボリスから連絡が来たからだ。因みに、ヤチェクからもグレンとアルベルトの行動を聞かされていた。
「……貴女のお兄さんの名前」
「……?」
アナスタシアの意図が読めず、リィエルがほんの少しだけ首を傾げる。
「そう、貴女のお兄さんの名前……教えて欲しいわ」
「……貴女が何を言っているのかわからない。なんでそれを今、聞くの?」
「そうね……じゃあ、こうしましょう?もし貴女がお兄さんの名前を言ったら、私はこの一件から手を引く。ええ、エルミアナを見捨てて逃げるわ。もう何もしないし、邪魔もしない。どう?」
「…………」
リィエルはアナスタシアの意図を読みかねて、しばらくの間、アナスタシアのことをじっと見つめていた。だが、元よりリィエルは物事を深く思慮して行動するタイプではない。そして、それもアナスタシアは知っている。
「わかった。そんな簡単なことで、貴女がそうしてくれるなら」
アナスタシアの言うことを素直に真に受け、『兄』の名前を告げようとする。
「……私の兄さんの『名前』は……」
そう、普通ならばそれはとても簡単なことだ。物心ついた頃から共に支えあって生きてきた兄妹の名前を言うなど、リィエルに限らず誰にとっても造作もないことだ。
――普通なら。
「私の兄さんの『名前』は…………」
だが――リィエルは言葉に詰まった。
「……………………」
沈黙、戸惑い……そして、焦燥。
リィエルのその眠たげな能面を、様々な感情が色を変えながら移ろっていく。
「どうしたの?やけに引っ張るのね?そういうの、いらないからさっさと答えて」
ここぞとばかりに、アナスタシアがリィエルを挑発する。
「ええ、ちょっとちょっと、貴女、お兄さんが大好きなのでしょ?『名前』を忘れたとか、あり得ないことなんですけどぉ?」
「違う!私の兄さんの『名前』は……ッ!『名前』は……ッ!…………ッ!…………うっ……頭が……痛い……な、なんで……?」
微かに怒気を浮かべ、アナスタシアを睨みつけるリィエル。
だが、名前を言おうとしても、リィエルは口をぱくぱくさせるだけ。やがて表情を苦痛に歪め、頭を押さえて、脂汗を浮かべていく。
「まぁ、そうなるでしょうね……ねぇ、今どんな気分?」
アナスタシアはそんなリィエルに、淡々と言葉を連ねる。
「貴女は決して兄の名前を知らないわけでも、忘れているわけでもない。けど、名前を思い浮かべようとすると、どうしても出てこない。まるで霧の中に溶けていくようのその名前が霧散していく。変だと思って、よくよく記憶をさらってみると、その名前の部分だけがなぜか空白になっている。不自然にね。無理矢理その空白の中身を思い出そうとすると、今度は頭が痛くなる……大方、こんな状態じゃない?違う?」
「…………ッ!?な、なんで……?そんなこと……ッ!?」
リィエルがあからさまに動揺を浮かべた、その時だ。
「リィエル!そいつの言うことに耳を貸すんじゃない!」
リィエルの向こう側で、必死に魔導装置を操作しているその『兄』が叫んだ。
「に、兄さん……兄さんの『名前』は……『名前』は……なんだっけ?」
リィエルが背後の『兄』に縋るような視線を送る。
あろうことか、戦闘の天才リィエルが戦闘がこれから始まるというのに、敵であるアナスタシアを視界から外したのだ。
「そんなの今はどうでもいいじゃないか!僕は僕だ!君の唯一無二の兄!それでいいじゃないか!」
「で、でも……わたし……ッ!」
狼狽えるリィエルを前に、アナスタシアは不敵にほくそ笑んだ。
これがアナスタシアの狙い。
事前に調べたところによるとこのリィエルという少女、どんなに揺さぶろうが、動揺させようが、面と向かって敵を相対した以上、リィエルに不意を討つなど絶対に不可能だ。常にその意識は敵に対して払われている。
だが、あの『兄』が絡めば、話は違う。この情報はボリスから聞いたし、現に『兄』がしゃしゃり出てきた以上、完全にアナスタシアの思惑通りに事が運んでいた。
今、リィエルは『兄』へと注意が逸れている。逸らさずを得ない状況に仕向けた。
もし、『兄』が口を挟まなかったら……単なる時間稼ぎになって、勝機が訪れることはなかった。
だが、事は上手く運んでいた。このタイミングを無駄にする選択は、当然ない。
「しっ!」
アナスタシアは剣を突き型に構え、迷わず間合いを詰める。
氷の剣の鋭い切っ先が、余所見しているリィエルの心臓付近めがけて襲いかかってくる。
「――ッ!?」
だが、なんとリィエルはその不意討ちを、余所見している体勢から、咄嗟に宙を横転してかわしてのけた。これだから天才は恐ろしい。この予知に近い戦闘直感は、リィエルに匹敵する戦闘能力を持たない者しか到達しえない境地だろう。
しかし――これはアナスタシアにとっては想定内の展開だ。
いくらなんでも無理矢理な回避行動に、今、リィエルの体勢は大きく崩れている。
「≪―――――・~~~……ッ!」
アナスタシアはなにかの呪文を呟き、右足を軸に身体を右旋回。リィエルの急所に狙いをつけ、右足で床を蹴り一気に距離を詰める。
魔術と突撃の二択。下がれば魔術の、留まれば串刺し。
体勢が崩れているせいで、今のリィエルが取れる選択肢は多くない。
ゆえに――戦闘の天才リィエルは、前に出ることを瞬時に選択。
「いやぁあああああああ――ッ!」
腕と大剣を盾のように構え、正中線――体の急所を守ってリィエルが突進する。
リィエルの急所は全てくまなくガードされている。これではどんなにアナスタシアが勢いをつけても、氷でできている剣はリィエルの大剣により砕けてしまうだろう。
氷の剣を粉砕し、返す刀でアナスタシアを両断、それで終わり。
この一合で追い詰められたのはリィエルではなく、突っ込んできたアナスタシアだ。
そして――この展開も予想済み。
リィエルに向かって突進してくるアナスタシアは――接敵する手前で突然、氷となって砕け散った。
「――ッ!?」
この予想外の展開に、思わずリィエルに足が止まる。
(え?彼女はどこに――?)
と、リィエルが思った瞬間。
リィエルの背後から激しい衝撃が弾け、視界が激しく揺れて明滅した。
「あ、ぐっ――ッ!?」
その予想外の衝撃に、思わず身体がぐらりと傾いた。
(なにごと!?まさか――)
「はーい、正解はこちらでした~♪」
リィエルは背後からの少女の声で、事態を悟る。
さっきの突進してきたアナスタシアは、偽物だったのだ。
おそらく、この部屋に突入する前に、アナスタシアは偽物を用意して突入させ、本人は全員が偽物に気を取られている隙に、どこかに隠れ潜んでいたのである。
そして、突進してきた偽アナスタシアに気を取られているリィエルの背後から本物は膝蹴りをかました。
リィエルの防御はあくまで本物だと思い込んでいた偽物に対するガード。背後からの不意討ちまではフォローしきれていなかったのである。
リィエルはアナスタシアのことなど何一つ知らないし、『兄』、ルミアすらも欺いたのだから、この背後からの不意討ちは完全に予想外であった。
だが、この攻撃。もし運悪くリィエルのその常軌を逸した動物的直感で、回避されたらアナスタシアの勝機はなくなっていたことだろう。
「ぐぅ――うっ!」
背後に受けた一撃で、リィエルがぐらついたのは一瞬。
たかが一瞬、されど一瞬。
アナスタシアはこの一瞬の隙を見逃さず、リィエルをそのまま押し倒し、馬乗りになった。
「ぐ――っ!?けほっ!」
うつぶせに床へ叩きつけられたリィエルは、肺の空気を一気に押し出され、一瞬、呼吸困難に陥る。
だが、リィエルに焦りはない。
確かにこの体勢はリィエルに不利だが、全体的な力では彼女に勝っている。全身で押さえつけているから攻性呪文もこない。何を焦る必要はない――瞬時にそう踏んだリィエルは、ここで自分の手足が氷に包まれており――愕然とした。
「偽物には予め、貴女の動きを封じるようにしておいたの」
実は、砕け散った氷粒は、そのままリィエルの手足に付着し、瞬く間に氷の塊となって動きを封じていたのだ。
リィエルが、しまったと思った時には、もう遅い。
氷塊が地面にどんどん浸透していく。根を張るかのように浸透していく。
「まぁ、こんなもんでしょ。よしよし。我ながら上手くいったわ。やったね♪」
「くっ……うッ!」
自身の手足を完全に封じられたリィエルは、腕力にまかせて氷塊を破壊しようとするが――
「無駄よ。もうその氷塊は地面深くまで根付いているわ。私が解呪しない限り、貴女にできることはもう何もないわ」
アナスタシアが眼下で悶えるリィエルへ、淡々と告げる。
「止めた方がいいわよ?でないと今度は、氷が貴女の腕に圧迫を加えるから。もがけばもがくほどに、ね」
「……くっ……あッ!?い、痛い……ッ!腕が……痛い……ッ!」
氷がリィエルの腕を圧迫し始める。それでもアナスタシアから逃れようと、リィエルは必死に腕を動かす。だが、もうどうしようもない。
「はぁ、貴女ってどんでない女ね、リィエル」
そんなリィエルを、アナスタシアは呆れたように見下ろす。
「予め偽物を用意して、第三者からの介入を期待して、不意を討って、意表もついて、不意討ちまでして……ここまで手を打って止めなきゃいけないなんて、世界広しと言えど貴女だけよ?リィエル」
「≪だ、大地よ・我が言の葉に耳よ――≫」
「≪はい、ストップ≫」
それでも諦めずに呪文を唱えるリィエルの額に、アナスタシアは殺傷能力のない氷閃を放つ。
「あぐっ……」
アナスタシアの容赦ない攻性呪文は流石のリィエルにも効いたらしい。額に爆ぜた衝撃に一瞬、リィエルの意識が遠のき、唱えかけの呪文は失効された。
「ちょっと、大人しくしましょう?お話ししましょう?お話し。そう、貴女の過去のお話しとかを、ね。言うまでもなく、重要な話だから」
と、その時。
「リィエルに……ぼ、僕の妹に何をする気だ!?離れろッ!」
リィエルの劣勢を見て取った『兄』が金切り声を上げる。
「はぁ?貴方、うるさいわよ。少し、黙ってもらえる?ニセモノ」
だが、アナスタシアはそんな『兄』を蔑みが籠った視線で射竦めた。
「貴方がいまやってるそれ、『Project:Revive Life』でしょ?」
「なっ、なぜ、貴様にそれがわかる!?」
「『Project:Revive Life』……通称『Re=L計画』。貴方、この子の兄を標榜するくせに、なぜ
「な……、き、貴様……一体、どこまで……?」
驚愕に慄きながら、『兄』が後ずさる。
そして。
「……え?……『Project:Revive Life』?……『Re=L計画』?」
そのあまりの不自然さに、流石のリィエルも看過できなかった
「……な、なんで……わたしの名前が……?」
何か恐ろしい真実の予感に、リィエルが震えながらアナスタシアを見上げる。
「ねぇ……どういう……こと?」
「……『シオン』よ」
「え?」
アナスタシアの突然の呟きに、リィエルが戸惑う。
「貴女の記憶の中に住む兄の名前は『シオン』よ。二年前、天の智慧研究科に囲われている妹を逃そうと帝国宮廷魔導士団に亡命を打診して、結局、組織に裏切り者として粛清されった――稀代の天才錬金術師で……
そう呟いたアナスタシアは、突入前に連絡が入ったボリスの調査報告を回想するのであった。