それでは、どうぞ。
……そして。
残念なことに、グレン達のクラスの遠征学修は、結局中止の運びとなった。
なにしろ、白金魔導研究所所長、バークス=ブラウモンの突然の『失踪』。
政府上層部より突如下った研究所の一時的な稼働停止命令と、帝国宮廷魔導士団からの何の前触れもないサイネリア島内の調査探索隊――調査隊と銘打つにはどうも装備が物々しく物騒な一隊――の派遣。
それと同時に勧告された、島内の全観光客、全研究員への島からの退避命令。
最早、遠征学修どころの話ではなかったのである。
無論、全ての真実が人々に明かされたわけではない。
天の智慧研究会が裏で噛んでいたという事実は伏せられ、全ては研究所内で起きてしまった『不幸な事故』が原因であると説明された。それで納得できるにしろ、できないにしろ、今回の事件はそういう形で闇に葬られることになったのである。
だが、島内には、やはりそれなりに数多くの人間がいる。
一度に全員が本土へ帰還するのは不可能だ。現在、ひっきりなしに帝国本土とサイネリア島を旅客船が昼夜問わず往復しているが、全ての人間が島内から退避するにはまだまだ時間がかかり、乗船は順番待ちの状態だ。
しかし、幸運にも、それがグレン達のクラスの生徒達に一日の空白を作った。
特に予定のない、丸一日の自由時間である。
そんなわけで――
どこまでも青い空。燦々と輝く太陽。焼けた白い砂浜。
清らかな潮騒と共に、寄せては引き、引いては寄せ――千変万化する波の色。
サイネリア島のビーチに、水着姿の少年少女達の楽しげな声が踊っている。
「えい」
やる気ない跳躍とハエ叩きのような挙動で放たれた、リィエルの殺人スパイク。
どざぁーっと、空高く上がる砂柱。砂浜に大きく口を開けるクレーター。
「ぎゃああああああああああああ――ッ!?」
「どぉわぁああああああああああああああ――ッ!?」
その威力に木の葉のように蹴散らされて宙を舞う、哀れな男子生徒達……
「……勝った」
「うん、ナイスシュート!リィエル!」
いつものように眠たげに、ぼそりと呟くリィエル。
そのリィエルに、太陽のような笑顔のシスティーナが背後から抱きついた。
「システィーナのトスが良かった」
システィーナに抱きつかれたリィエルは、どこか胸を張って誇らしげだ。
「あはは、息ぴったりだったよ、二人とも。……でも、もうちょっと手加減してあげてね?リィエル」
そんなリィエルを、ルミアが苦笑いでたしなめる。
「くっそぉ……リィエルちゃん、強ぇ。ええい、くそ!このまま負けっぱなしでたまるか!皆!我こそはと思うやつは、気絶したカイとロッドの代わって俺に続けぇ!」
「が、頑張れ、カッシュ~!……死なない程度にね……」
砂まみれになって地面に這いつくばっていたカッシュが根性で立ち上がり、外野のセシルが曖昧に笑って声援を送る。
カッシュの発破に応じて、次は俺が、僕がと、次々とクラスの男子生徒達が名乗りを上げ、即席のビーチバレーコートに参戦する。
コートの外で観戦に徹していた女子生徒達が、命知らずで勇敢な男子生徒達へ、きゃいきゃい声援を送る。
そんな大騒ぎのクラスメイト達の下に。
「もう、男子ったら……リィエルにビーチバレーで勝てるわけありませんでしょうに」
「それよりも、私達、まだ辛うじて開いていた店舗から西瓜を買って来ましたわ」
「ね……皆で西瓜割り……しよう?」
呆れ顔のウェンディ、穏やかに微笑むテレサ、柄にもなく高揚しているリン……買い出し組の三人が、ちょうど戻ってきていた。
「お!いいねぇ、ナイスだぜ、ウェンディ!そろそろ喉も渇いてきた頃だったし、西瓜食った後で、リィエルちゃんにリベンジしてやるぜ!」
「……ん。受けて立つ」
そんな喧騒から少し離れた場所、ヤシの木陰にて。
やはり生徒達の中でただ一人、いつもの制服姿のギイブルが黙々と本を開いている。
そんなギイブルの下へカッシュか駆け寄っていき、何らかのやり取りの後、ギイブルはいかにも嫌そうに、面倒臭そうに、渋々本を閉じ、重い腰を上げていた。
楽しげな喧騒が絶えない、そんな賑やかな光景を前に。
「……成る程。これがお前の守りたかった光景が、グレン」
「さあな」
ビーチパラソルの下で寝そべるグレンへ、アルベルトが淡々と言葉を投げていた。
アルベルトの現在の格好は、簡素なシャツにサスペンダー付きのズボン、銀縁の丸眼鏡、そして白いローブを羽織っている。いかにも研究所の研究員といった風体だ。
「まぁ、こういう日常は掛け値なしに良いもんですからね。……少なくとも、外道魔術師と戦うよりかは」
そして、制服姿のサーシャが全身から冷気を放ちながら、アルベルトの問いに返す。
「確かに、この光景は掛け値無しに尊い。……今回ばかりは、俺はお前に謝罪せねばなるまいな。すまなかった」
「はっ、どうした?気持ち悪ぃな。らしくねーぞ?」
「……ふん」
不敵に笑うグレンの前で、アルベルトは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「しかし……お前達、どう思う?」
そして、アルベルトは少し声のトーンを落とし、グレンとサーシャに問う。
「どう思うって……そりゃー、ルミアとか、テレサあたりの水着姿は、やっぱ最高だなって思う。なぁ、サーシャ?」
「そうですね。俺はルミアの方が好みかな?なんか丁度いいというかですね。あぁ、でも、ルミアは好きな人いそうだし、叶わないかな……よよよ……」
「お?お前はルミアか?あいつモテるからな~。俺、実はあんまし年下にゃ興味ねーけど、何かに目覚めそうだ……あ、白猫はもういーや。あれは多分、将来性もゼロ――」
「誰 が 水 着 の 話 と 言 っ た……ッ!?」
冷淡ないつも通りの声色の奥底に、近寄りがたい危険な何かを滲ませながら、アルベルトがグレン達へ左手の指を突きつけていた。
「いいだろう。貴様らの【愚者の世界】、【シュトレラ2】と、俺の【ライトニング・ピアス】……どちらが速いか試してみるか?」
「じょ、ジョークよぉ、ジョーク!アルちゃん、ジョークだってばぁ……あは、あはは……」
「だ、だからその物騒な指を引っ込めましょう?ね?」
真っ青になって滝のように汗を流すグレンとサーシャ。
「こ、今回の一件で例の組織との戦いに進展があるか、だろ?そんなのお前も本当はわかってんだろ?何も進展しねえよ。自信を持って断言してやる」
舌打ちしながらアルベルトが指を引っ込める。
「しょせん、外陣……第一団≪門≫クラスに過ぎないライネルが、組織の深奥に繋がる情報なぞ持っているわけがない。お前が始末したバークスも一緒だ。あの程度の連中が情報持ってるくらいなら、組織との抗争が建国有史以来続くもんか。お前もそれをわかっているからバークスの野郎を始末したんだろ?」
「…………」
「出てくるとすりゃ、魔術師による世界支配を目論んでいるってことと……例によって例の如く謎の『禁忌教典』とやらに対する意味不明の執着だけさ」
アルベルトの片眉が釣り上がる。
禁忌教典……実はこの言葉、サーシャがこの間の魔術競技祭の騒動でエレノアから聞かされた時が初めての言葉ではない。
実は、帝国政府と天の智慧研究会との抗争においては、何かと出てくる言葉なのだ。
だが、その言葉の意味は現在に至るまで一切不明。それが文字通り、なんらかの書物を表すのか、別の何かの隠語なのか、一体何に使う物なのか……それすらわからない。
「ホントにわけがわからない連中ですよね……自分自身ですら『禁忌教典』とやらが、具体的になんなのかわからないのに、なんでそれをあんなに渇望するのでしょう?」
「呪いにも似た強烈なカリスマを励起させる暗示呪法かもしれん。組織の求心力を高め、外部の協力者を募り、それらを手駒として操り易くするためのな」
「なるほど。それで末端の構成員や外部協力者には肝心要な情報を教えず、いつでもトカゲの尻尾切りができるようにってか?……やれやれ、考えれば考えるほど吐き気のする組織だぜ……」
「重要な情報を知っているとしたら、エレノアがいたのですが……地下研究所で一人逃走している所を見つけて追いかけたのに、逃げられましたし……すみません」
「謝るこたぁねーよ。アルベルトだって、足止め喰らっちまったらしいからな。あの女は一筋縄ではいかねえよ」
ウンザリしたように、グレンが空を仰ぐ。
「それに、行方知らずの皇女が地下研究所に侵入して、ルミアとリィエルを助けたらしいからな。ルミアから聞いたところ、俺が部屋に入る直前に姿を消したらしいが」
そして、もう一つ。それは東セルフォード帝国連合第一皇女アナスタシアのことだ。
グレンとアルベルトが地下研究所に到達した時は、通路に合成魔獣の死体がごろごろ転がっていたし、グレンが最終の部屋に突入した時は三体のレプリカの死体と、気絶したライネル以外はルミアとリィエルしかおらず、アナスタシアは既に姿を消していた。
帝国宮廷魔導士団は逃亡したエレノアと姿を消した皇女を捜索しているが、恐らく両者とも見つからないだろう。
「通路に転がっていた合成魔獣も、その皇女が始末したと見てもいいしな……だが、どうやってこの事件を知ったんだ、その皇女は?宝石獣もあの皇女が始末したのかと思うと、ヤバくないですか?」
「……内部に殿下の協力者とかいた可能性が高そうですけどね。ほら、すくなからぬ東部人が帝国の省庁にいますし」
まぁ、そう考えるのが普通だろう。となると、一番疑わしいのは帝国保安局情報調査室室長ボリス=アガプキンかヤチェク=レイェフスキなのだろうが、彼らが皇女に情報を横流しした証拠はないため、咎めることはできなかった。
もちろん、彼らが皇女と繋がっている証拠もなかった。
天の智慧研究会に、五年前に崩壊した帝国連合の皇女。
「やれやれ、今度は五年前に革命で滅ぼされた国の皇女様か……はぁ、なんか面倒臭そうな展開になってきたな、アルベルト?……おい、アルベルト?お前、何、そんな怖ぇ顔してんだ?」
心底ウンザリしたグレンがふと、鋭い目で遠くを見据えるアルベルトを見上げる。
すると。
「ははは、中々有意義な時間でしたよ、グレンさん」
アルベルトの口調と態度が穏やかな好青年のものへと、ころりと変わっていた。
「……は?」
「貴方の術式解釈の切り口は斬新だ。また、いうか貴方と魔術論議ができる日を心待ちにしていますよ。それでは、私はこの辺で……」
紳士然とした口調でそう言い、アルベルトは踵を返して、すたすた歩き去っていく。
「……なんだ?」
「ああ、多分、こういうことかと」
グレンがぽかんとしていると、サーシャがこっちに向かって来る三人娘の存在に気付く。
「あ、いたいた、先生~ッ!サーシャ君~ッ!先生達も一緒に西瓜、どうですか~ッ!?」
アルベルトと入れ替わりに、ルミアとシスティーナがグレン下へ駆け寄ってくる。
そして、リィエルもそんな二人の後を、雛鳥のようにちょこちょこついて来ていた。
そんな三人の様子を見て、グレンは思わず頬を緩める。
「ふふ、先生……大分、お疲れみたいですね?大丈夫ですか?」
ルミアが気遣うように聞いてくる。
「はははっ、安心しろ。デカい剣で串刺しされた時より大分マシだ」
「先輩、デリカシーなさすぎでしょ……」
現に、あまりのデリカシーのない言い草に、後ろにいたリィエルがびくりと震える。
「ぅ……」
そして、少し涙目になってるし。
「……あれ?」
苦笑いでリィエルを見ていたサーシャが、ルミアの左手の小指に嵌めてあるピンキーリングの存在に気付く。
「ルミア、それ……」
「あ、この指輪?」
傍でシスティーナが人差し指を立ててグレンの前に立ちはだかっている中、ルミアは左手の小指に嵌めてある指輪をサーシャの前に見せる。
「この指輪は……ナーシャが置いていったもの……だと思うの」
「…………」
大事そうに眺めるルミア。
「……いつか、またどこかで会えるように、こうやって左手の小指に嵌めているの。そうすれば、願いが叶うって五年前にナーシャに言われて……」
「……会えると、いいね」
「……うん」
そう言って、ぎゅっと胸元で指輪を大事そうに持つルミア。
その時の、サーシャの顔はどこか安心していた顔をしていた。意味、分かっていて安心しているような顔、と言うべきかもしれない。
すると。
「うるさい!このバカばか馬鹿ッ!そういうことじゃないわよ!あ、あんなのノーカンッ!ノーカンなんだからッ!うう~~ッ!もう知らないっ!」
突然、ふかーッ!とシスティーナはグレンを威嚇すると踵を返して走り去ってしまった。
何?何を話していたの?お宅らは?
「ちょっと、システィ!?あの、先生、サーシャ君、リィエル。私、システィを見てきますから!」
ルミアが慌ててシスティーナを追って駆け出す。
そんな二人の様子を、グレンとサーシャはきょとんと見送った。
「一体、何の話しをしていたんです?先輩」
「いや、白猫が白魔儀【リヴァイヴァー】でアルベルトの儀式進行の補佐と魔力供給をやったらしくてな……その一件で礼を言おうとしたら、急に顔を真っ赤にして、走り去った。……今回ばっかは本気でわけわからん」
「……さいで」
ていうか、【リヴァイヴァー】の儀式進行の補佐と魔力供給をシスティーナ一人で賄った?
(彼女の魔力容量、どうなってんのよ……?)
そうサーシャが思っていると――
「ルミアとシスティーナとあのコウジョ?ナーシャ?を守る。そしてグレン、あなたの剣になる。グレンが望む道を切り開くために、グレンが守りたいものを守るために、わたしは剣を振ってみようと思う。よくわからないけど……多分、それが、わたしが大切に思うこと……かも。だから、そのために生きてみようと思う……だめ?」
いつも感情の読めない、眠たげなリィエルが――その時は薄く微笑んでいた。それをグレンは信じられないものを目の当たりにしたかのようにして、硬直していた。
グレンをじっと真っ直ぐ見つめてくるリィエルの目は――珍しく真摯で――少なくとも誰かに依存して、思考を放棄している人間の目ではないことはサーシャにもわかった。
「……物好きなやつ。勝手にしろよ」
「ん。勝手にする」
ため息をついて手に平をひらひらさせるグレン。
にこりと笑って、小首を傾げるリィエル。
「……そう。お前はもう『人間』なんだから」
ぼそりと呟くサーシャ。
そんな三人の下に、ルミアに宥められながらシスティーナが引っ張られてくる。システィーナはまだ顔を真っ赤にして、ぴーぴー何事かをわめいているようだ。
そんな光景に苦笑いしながら。
サーシャは、口元が無意識に緩むのを抑えきれなかった。