新章です。それでは、どうぞ。
kakskümmend viis(第二十五話)
「……どうしても、お前の力が必要なんだ……」
アルザーノ帝国魔術学院の前庭の隅の方に。
グレンの苦渋と懊悩に満ちた声が響き渡った。
「許されないことだとはわかっている……お前を巻き込んでしまうということもわかっている。だが、人の命がかかっているんだ……ッ!」
前庭の中央を行き交う生徒達の喧噪は、遠い。
そのせいか、グレンの淡々とした声は、妙に力が込もっているように聞こえた。
「頼む、リィエル!俺に力を……お前の力を貸してくれッ!」
殊勝にグレンが頭を下げる先には、青髪の小柄な少女がいた。
リィエル=レイフォード。先月、とある特殊な事情でサーシャと共に魔術学院に編入された生徒だ。
「………………」
リィエルはいつも通りの眠たげな無表情のまま、じっとグレンを見つめて……やがて、ぽつりと呟く。
「……大丈夫。わたしはグレンの剣。グレンのためにこの力を使うと決めた」
「リィエル……ッ!?いいのか!?」
「ん。わたしの力がグレンの役に立つのなら……」
微かに頷き、リィエルは地面に落ちていた拳大の石を拾い、小声で呪文を唱え始める。
その呪文に呼応するかのように、リィエルの手の中の石が、次第に黄金色の光を眩く放ち始める――
魔術。呪文を鍵句とした自己暗示からの深層意識改変によって、人と世界は等価で互いに影響を及ぼし合うという魔術理論に従い世界法則へ介入、様々な超常現象を引き起こす奇跡の業。
今、リィエルの起動した魔術により、ここにその奇跡が顕現する――その時だった。
だだだだっと、何者かがグレン達の下へ、勢いよく駆け寄って来て……そして。
「≪何考えてるのよ・この・お馬鹿≫――ッ!?」
駆け寄ってきた銀髪の少女――システィーナが叫ぶ。
そして、その叫び声に即興改変された黒魔【ゲイル・ブロウ】の呪文が、局所的に収束する突風を轟、と巻き起こし、グレンを吹き飛ばす。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!?」
まるで女のような悲鳴を上げながら、グレンの身体は空高く舞い踊り――
ばっしゃああああんっ!
やがて、前庭の端の池の中へと墜落し、盛大な水柱が上がった。
「ごぼぼぉっ!……や、やるな、白猫……」
ずぶ濡れの身体を、池からよろよろと引き上げるグレン。
「最近のお前の呪文即興改変力はマジで凄ぇな……先生は嬉しいぞ……げほぉっ……」
「……えっ?そ、それは……その、先生の教え方がいいから……じゃなくて!」
不意に褒められて思わず赤らめてしまった頬を冷まそうとばかりに、システィーナはぶんぶんと頭を振り、そして人差し指をびしりとグレンへ突きつける。
「リィエルに金を錬成させて、一体、何を企んでいるんですか!?」
見れば、傍らで棒立ちしているリィエルの手の平には、一塊の金がちょこんと載っていた。リィエルお得意の魔術――錬金術で、先ほどの石から錬成した物だ。
「売るんだよ!」
対するグレンは、何の臆面もなく、真顔でそんな最低最悪なことを言ってのける。
「だから、それは犯罪ですって!?リィエルを巻き込まないでください!」
「うっさいやかましい!
そして、いつものように侃々諤々、説教とみっともない言い訳合戦が始まる。
「あ、相変わらずだなぁ……二人とも」
「またですか。懲りないですなぁ、あの二人は」
そんな光景を、少し遅れてやって来た金髪の少女ルミアが曖昧に苦笑い、白髪の少年サーシャが呆れながら見守る。
なんで喧嘩してるの?とでも言いたげに、リィエルがルミアをちらりと見る。
そんな三人を置き去りに、システィーナとグレンの子供同士の喧嘩じみた説教合戦は、さらにヒートアップしていく。
「大体、先生が減給されるのはリィエルだけが原因じゃないでしょ!?魔術講師としての自覚のない、職務怠慢な常日頃の態度が――」
「へーんだ、うっさいわい――っとぉ!」
グレンは無駄に素早い動きで、ひょいとリィエルが手の平の上に載せている金塊を摘まみ上げ、そして踵を返して走り去ろうとする。
「あっ!?こら、待ちなさいッ!?ら、≪雷精の紫電よ≫――ッ!」
そんなグレンの背を追いかけながら、その背に攻性呪文を撃っていくシスティーナ。
システィーナの指先から飛ぶ、いくつもの電気線。
「ルミア……先輩、飢えているらしいから、今度弁当作っていたほうがいいような気が……」
「あはは……そうだね」
相変わらずの大騒ぎの二人を、呆れと苦笑いとそれぞれの表情で眺めるサーシャとルミア。
他の道行く生徒達も一瞬、ぎょっとするが……
……ああ、また、あの二人か。
……いつものことね。
……飽きないなぁ。
すぐにそんな感情が色濃く見える表情となり、呆れたようにその騒ぎを眺め始める。
最早、この学院ではすっかりお馴染みで、見慣れてしまったその光景。
……と、その時だ。
背後から迫ってくるシスティーナをあしらうことに集中するあまり、前方不注意だったグレン。ふと前を見れば、目の前には馬車が停留しており……
「あ、ヤベ……」
「せ、先生……ッ!?」
眺めていたサーシャとルミアも、馬車の存在に気付くが、グレンを止めるには距離が遠すぎて間に合わない。
「どぉわぁあああああ――ッ!?馬ぁああああああああ――ッ!?」
そして、グレンは馬車に繋がれた馬に顔面から衝突しそうになって尻餅をついていた。
その馬車は二頭立てのコーチ馬車であった。客室が妙に豪奢なしつらえで、学院では見かけない馬車である。どうやら学院に招かれた来賓の馬車であるようだ。
「あ、危ねぇ……」
あやうく衝突せずに済んだことに、サーシャはほっと胸をなで下ろす。
向こうでは、システィーナがグレンに追いつき、馬車の御者台に腰かける御者に、ぺこりと頭を下げていた。
「にしても……あの馬車って、見た感じ、貴族とか上流階級の人達が使う馬車だよね?」
「うん。あの馬車、学院では見かけないから来賓の方の馬車、なのかな?」
見かけない馬車を見て、サーシャとルミアが話していると。
「ははは……この学院に着いて早々、真っ先に君に会えるなんてね……」
馬車の客室の脇に据えられていた扉が開き、新たな第三者の声が響き渡る。
どうやら、さっき着いたばっかりのようだ。
「これには流石に、私も運命というものを信じてしまうかもしれない」
そして、客室の中から一人の男が姿を現し、優雅に地面へと降り立った。
グレンより少し年上の男だ。二十歳過ぎといったところだろう。
緩くウェーブのかかった柔らかな金髪、すらりとした長身。片眼鏡をかけた面立ちはいかにも貴族然と甘く整っており、気品に満ちあふれている。
「貴族だねぇ」
「貴族、だね」
グレン達の騒ぎを眺めていた女子生徒達の多くが、突然現れた目が覚めるような美男子の姿に、一様に顔を赤らめ、浮き足立っている中、サーシャとルミアはごく普通に男の見た目の感想を言う。
少なくとも、身に纏う旅装用スーツやインパネスコートの生地は最高級から見たら相当な資産家だし、立ち振る舞いから見ても貴族のそれに見える。
長旅を経てきたらしく、その男の手にはスーツケースが提げられていた。
「にしても、運命か……はっ!まさか、あの男の運命の相手って――グレン先輩!?」
「違うと思うよ!?」
合点がついたという顔で妙なことをのたまうサーシャに、ルミアが珍しく突っ込む。
「久しぶりですね、システィーナ。君は相変わらず元気がいい。……まぁ、そこが貴女という女性の魅力的なところでもあるのですが……」
当然、男はグレンにではなく、システィーナに対して言っているのであった。
「あ、貴方は――」
現れた男の姿を前に、システィーナの目が丸くなる。
男も優しげにシスティーナを見つめる。
まるで、それまでの空白の時を埋めるかのように、無言で見つめ合う二人。
そんな二人の間を穏やかな風が流れ、街路樹の梢を鳴らし、システィーナの銀髪を緩く揺らした。
「……えーと、あの人の言い方だと、システィーナの知り合い、なんだよね?ルミア、知ってる?」
「うーん。私は会ってないからわからないけど、システィの反応から見ると知り合い、なのかも……」
実際、サーシャとルミアの胸中は一連の騒ぎを遠巻きに眺めていた全ての傍観者も同じであった。
「そもそも、アンタ……誰?」
そして、完全にお邪魔虫に成り下がってしまった哀れなグレンが、空気の読めない問いかけをして、その場全員の胸中を代弁していた。
「……私ですか?」
すると、成り行きを見守る一同の中、その男はこう答えた。
「私はレオス……レオス=クライトス。この度、この学院に招かれた特別講師で……そうですね、有り体に言えば……そう、そこの娘――システィーナの婚約者、ですね」
一瞬の沈黙の後。
「「「「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ――ッ!?」」」」
学院内に、男女多数の素っ頓狂な叫びが響き渡るのであった。