それでは、どうぞ。
「だが、あの力はあまりにも人知を超えているッ!人が触れていいものじゃないッ!ゆえに資格がいる――あれに触れていいのは、絶対的に正しい人間だけだッ!もし邪悪の手に渡れば、世界は滅びるだろう!」
「そんな力……」
「ええ、そうです!考えるまでもない!恐らく今、貴女もそう思ったのでしょうが、私が押さえなければならない力だッ!あの力はッ!」
「…………」
「しかし、私は自問するんだ……果たして本当に、今の私にその資格があるのか?と」
「…………」
「なにしろ、私は目的を果たすための事を何も成していない。そんな私に『禁忌教典』を手にする資格があるのか?いや、断じて否だ!世界が認めても、私自身が認めない!」
「…………」
「ゆえに!私は貴女を殺し、自身の悲願を達成する一歩を踏み、『禁忌教典』を手にする資格を得るッ!そして、その力で、祖国を解放し、我々に仇なしたルシタニアとアルザーノ帝国を滅ぼし、世界を我々エースティ人の下の支配下に置くッ!」
「…………」
「わかりますかね、殿下ッ!?我々に害をなした悪、これから害をなすであろう悪は、真に支配すべきである我々の手によって裁かれ、滅殺されるのですッ!この我々がいる限り、この世界に『悪』という存在は一片たりとも許さないツ!この手で滅ぼしてやるッ!鏖だッ!」
そして、マルトラールは神々しさすら感じる力強い瞳で、アナスタシアを真っ直ぐ見据え――
堂々宣言する。
「これが我々の悲願と言わずして――何と言うッ!?」
イカれてる、気が触れている、狂ってる、頭がおかしい、壊れている……マルトラールを一言で言い表せば、結局、それだ。それしかない。
だが、それ以上に――恐ろしい。
マルトラ―ルが狂人であることは、もう疑いようがない。常人にはまったく理解できない境地に生きる『外れた』人間。これを狂人と呼ばずしてなんと言う?
そんな狂人が、常人を遥かに超える知性と力を持ち、狂人なりの悲願と信念をまっとうしようと、明確な目的意識と緻密な計画性をもって、実現不可能な無謀な目標へ真っ直ぐ邁進するのだ。しかも、自分がもっとドス黒い邪悪であることに気付いてすらいない。
このマルトラ―ルという男は救いようのない狂人でありながら……同時に、一種の聖者にも似た究極の求道者なのだ。それだけに、自身の行動に何の迷いも躊躇いもない。
こんな恐ろしいことが、他にあるか?――無い。
「……な、ナーシャ……貴女」
怖い。気丈なルミアですらもこの男は怖い。
単純な恐怖だけを論ずるなら、以前、ルミアが遭遇した外道魔術師……レイクやジンなど比較にならない。彼らの目的は誰しもが持ち得る人間の欲望の延長線上……要するに、まだ理解が及ぶ範疇だ。
だが、このマルトラ―ルに関してはルミアはもちろん、常人の理解はさっぱり及ばない。理解できない物に対して人が抱く原初的な恐怖を纏う彼が、とにかく怖い。
と、その時。
「……これでわかったでしょう?ルミア」
不意に、アナスタシアが溜め息混じりにそう言った。
「……ナーシャ……?」
ルミアがアナスタシアを見る。
そこには、ルミアを東部のゴタゴタに巻き込んでしまたことに、申し訳ない顔をしていた従姉妹の姿がそこにいた。
「……ごめんなさい。貴女を巻き込むつもりはなかったのに、結果的に巻き込んでしまった……でも、東部は今、こういう人間が湧いてくるほど混沌としているの……」
「………ッ!」
「だから力を持たないといけない……でないと、例え国を取り戻し、皇帝になったとしても……またバラバラになる……東部って、皇帝が力を持っていないと、たちまち内側から分裂してしまう国家なのよ……」
彼女の決意を垣間見たルミアは、何も言えなくなってしまう。
「だから……悪いけど、貴方達はここで死んでもらうわ」
そして、アナスタシアは静かに殺気が篭った目で――氷の剣の切っ先を、マルトラ―ルに向ける。
「やれやれ……まだ年若い少女なのに、もう蒙昧になってしまっているなんて……」
予想とは違い、抵抗の意志を見せたアナスタシアに、マルトラ―ルは肩を竦める。
「周りを見てください。ここはもう私達の部下で占められているのですよ?外にも私の部下達が、つまりはこの地区は既に私達の領域なのです。見つかった時点で貴女方の勝ち目なんて――」
「うるさい。黙れ。しゃべるな」
だが、アナスタシアはぴしゃりと切り捨てた。
「一体、誰に向かって物を言っているの?私は皇女よ?そこら辺の王族よりも遥かに高貴な血筋を持つ皇女よ?貴方ごときが偉そうに口を開かないでくれるかしら?」
すると、これまで基本、常に余裕を崩さなかったマルトラ―ルの表情に、初めて苛立ちのようなものが交じり始める。
「……せっかく、教養ある話ができるかと思ったのですが……性格まであのマリアベルという忌々しい女にそっくりなんですね……」
「そう。それがどうしたのかしら?」
「残念ですが、貴女はここで私に殺されるのです。そうすることで、私の悲願は――」
「ふん――バッカじゃないの?」
アナスタシアは鼻で笑って、言い捨てた。
さっきまでの激情とは裏腹に、アナスタシアはマルトラ―ルに容赦なく言いまくる。
「悲願?笑わせるわね。さっきから話を聞いてりゃ、被害者意識全開だし、逆恨みにも程があるし。ていうか、今までボケーっとしてて併合されたくせに、何今更悲劇のヒロインぶってるの?『禁忌教典』?そんなの貴方如きが手に入れられる代物じゃないわよ。お わ か り?」
そこまで言うか……と頬を引きつらせるルミアを尻目に、マルトラ―ルの表情がどんどん憤怒の色に満ちていく。
「貴女は……この私を……侮辱するのですかッ!?」
「……事実でしょ?逆切れしないでくれる?」
「気が変わった。貴女は殺す。苦しませずに殺そうと思いましたが……この世のありとあらゆる苦痛を味わわせながら、殺す……女で生まれたことを後悔させてやる……」
その、激しい憤怒が燃えた冷酷な眼差しはまるで悪魔のよう。
だが、そんなマルトラ―ルをアナスタシアは、ゴミを見るような蔑みの眼差しで見下す。
「はぁ~~~……本当のこと言われてキレるあたり……もう、貴方に勝ち目はないわね」
「……貴女は何言っているのですか?殿下」
アナスタシアのため息をする姿に、マルトラ―ルは訝しむように眉をひそめる。
「いや、言葉通りの意味よ?貴方達に勝ち目はない、これに深い意味はないわ」
そして、尊大に腕を組み、嘲笑するような目をマルトラ―ルに向ける。
「貴方ごときが、私を倒せるわけないじゃない」
「どういう……意味だ……ッ!?貴様ッ!」
わなわなと、マルトラ―ルが震え始めた。
「この小娘がッ!この私を侮辱し、悲願を否定するのかッ!やはり、貴様は滅びなければならないッ!こんな魔女を生かしていては、世界のためにならないッ!だから――」
そんなマルトラ―ルを完全無視して、アナスタシアが背後のルミアに告げる。
「ルミア。しばらく私達に付き合ってもらうわよ?」
「!」
「正直、ここからは戦闘無しで切り抜けるのは無理よ。しかも、数が多いし?貴女も殺されるから、貴女だけを逃がすという選択肢もないし?死なせてしまったら、先輩とシスティーナ達に何言われるかわかったものじゃないわ。だから、ここは覚悟を決めて、一緒に切り抜けないといけないの」
「…………」
「まぁ、だからといって貴女に戦えとは言わない。意図的ではないにしろ、東部だけの問題に貴女を巻き込んでしまったし、貴女は戦闘は苦手だし……だから、私の傍にいてくれないかしら?その代わり、貴女を無事に守りとおして見せるわ。約束する」
すると。
「もちろんだよ、ナーシャ。貴女も私も一緒に、皆の所に帰ろう?」
「…………」
そして、二人は力強く微笑みあって。
「頼りにしてるわよ……私の大切な従姉妹」
アナスタシアが前に出る。それに寄り添うように、ルミアはアナスタシアの後ろに。
二人で、マルトラ―ル率いる独立派と対峙する――多勢に無勢だがそんなの気にする様子もなく。
「アナスタシア=パーヴェルナ=ロマノヴァッ!エルミアナ=イェル=ケル=アルザーノッ!この魔女達め……ちぃ――ッ!」
マルトラ―ルが、わなわなと拳を震わせる。
「殺せ――ッ!この魔女達を殺せぇええええ――ッ!」
マルトラ―ルは後ろに付き従っている部下に、そう叫ぶ。
アナスタシアは、マルトラ―ルが言い終わらない内に――
「ヤチェクッ!」
すると。
アナスタシアが叫んだ瞬間、両側の壁が粉々に粉砕した。
粉砕した壁から複数の武装した集団が部屋になだれ込んでくる。
「
そう叫ぶと共に現れたのは――ヤチェクだった。
現れた瞬間、独立派の何人かが銃弾に倒れる。
そして、瞬く間に部屋という狭い空間の中で白兵戦が起きる。
「ルミアッ!飛び降りるわよッ!」
「え……ッ!?ちょ――ッ!?」
不意討ちを喰らい、注意が逸れた瞬間を見逃さなかったアナスタシアが、ルミアの腕を掴んで抱きかかえ――窓を破って飛び降りた。
地面に着地して、ルミアを下ろすと、外は独立派とアナスタシアの部下――つまり、帝政派の戦闘があちこちで起きている。東部語の怒声が飛び交う。
アナスタシアとマルトラ―ルが対峙している間に、ヤチェクとフェジテに至急派遣されたヴィンペル部隊が到着し、独立派に気付かれないように配置についていたのだ。
「さぁて……ここまでコケにされたんだからやり返さないとね……やられたらやり返す……倍返しだッ!」
「ねぇ、ナーシャッ!それよりもこれからどうするのッ!?」
戦場のド真ん中でドヤ顔でのたまうアナスタシアに、ルミアが袖を引っ張る。
「……ビィエルが上空で旋回しているから……こっちッ!」
空を見回して、ビィエルを見つけたアナスタシアは、ルミアの手を引っ張りビィエルが旋回している所に向かって駆け出す。
二人は、帝政派の援護を受けながら、広場から抜け出し、駆けるのであった。