新章です。それでは、どうぞ。
Сорак Чатыры(第四十四話)
ジャティスの天使の塵の事件と、マルトラ―ルの無差別テロ未遂事件の後。
サーシャは穏やかで、平和で、平凡で、ちょっと退屈な日々に……戻っていた。
ドラマチックな展開なんてありえないけど、それだけに尊い日常の世界。
そんな優しい時間を、しばらく享受できる。
従姉妹に身バレしたが、皆といる時は護衛として、二人だけの時は従姉妹として接することができる。
そんなことを、ぼんやりと考えていた……そんな矢先。
――その事件は起こった。
アルザーノ帝国魔術学院、二年次生二組の教室にて。
授業前、教壇では異様な雰囲気が醸し出されていた。
「……それで、ウチ達に何か言うことがあるんじゃないですか?」
ニコニコと微笑みながら、サーシャは目の前にいるグレンに問いかけていた。
微笑んでいるが、雰囲気は寒い。氷点下に達しているんじゃないかと思うくらいに寒い。
その寒さは、ルシタニアの奥地で猛威を振るい、ありとあらゆる生命を根こそぎ刈り取るかねない極寒の地の如しであった。
「え?ええ?な、なんのことかなぁ……?ボク、言いたい事なんて、あ、あああああるわけけけ……そ、それよりもさ、寒いなぁ……」
一方のグレンはしどろもどろにそう返すが、顔面中は脂汗がだらだらと垂らしまくっていた。
「え~?だって、先輩は学院側から今回の遺跡調査を依頼されたんでしょ?でも、これってぇ、普通は第三階梯以上を取得した四年次生か修士学生以上から募集して編成するはずなんですけどねぇ?なぁんでぇ、ウチらに限定しているんですかねぇ?」
さらに冷気を放ち、グレンの顔をニコニコ顔で覗き込むサーシャ。
気のせいだろうか、教室の気温がさらに下がっているような……生徒達はそう感じながら、サーシャから放たれる雰囲気の気圧されている。
「い、いやぁ……一応、一人前の魔術師と見なされる第三階梯を遺跡調査に動員すると、規定で雇用費が発生するからに決まって――じゃ、じゃじゃじゃなくてですねッ!ていうか、寒いッ!」
あからさまに、ぎくりとして、グレンが寒さに凍え、震えながらしどろもどろに答える。
「……た、『タウムの天文神殿』なんて、た、探索危険度F級だろ!?せ、せっかく安全な遺跡なんだから、さっきも言ったように、お前らに見聞を広めてもらいたくてでな!?」
いかにも、誤魔化したれ!と言わんばかりの雰囲気と理由だった。
「そ、そう!これは優しいグレン先生が、教師として、愛するお前達のためを思って開設する『遺跡探索調査実習』……そう、特別講座なのだっ!感謝せい!」
「≪嘘つくな・この・バカ先輩が≫ぁあああ――ッ!?」
苦しい言い訳と共に、白々しい高笑い声を上げるグレンの顔にめがけて、サーシャは【ショック・ボルト】を打ち込みまくる。
「ぎゃあああああああああああああああああ――ッ!?」
「本当は、魔術研究の定期報告論文を、まったく書いてなくて、クビになるのを逃れようとしているのと、どうせ金がないから人件費をケチってウチらから募集しようとしただけでしょうがぁ!」
顔面に電撃を叩きこんだグレンの胸ぐらを掴んでうがーっ!とまくし立てる。
なぜこのような事態になっているのか?
まず、グレンが颯爽と姿を現わした。
切れのある所作で教壇に立ったグレンは、なにやら熱弁を振るい始めた。
そして、『タウムの天文神殿』の遺跡調査に何人かを同行させようと言い始め、生徒達が反論しにくそうな言葉を並べる。
その後、サーシャが遅れて教室に入ってきた。
そして――現在に至る。以上。
そんな、グレンの核心をグッサリ突いてしまったサーシャの言葉を聞いて。
「く、くびですか!?」
さっと顔を青ざめさせたルミアが、がたんと立ち上がる。
「今の話、本当ですか!?先生、本当に論文を執筆されてなかったんですか!?」
その表情は今にも泣き出しそうで、見ていると心が痛むほどだ。
(や、やめて、ルミア……そんなに泣きそうな顔しないで……ッ!)
現に、ルミアのそんな顔を見たサーシャの冷気が段々と弱まっていた。
「あ、あっははははは――ッ!?な、な、なんのことだが、ボクにはサパーリ!?」
――あ、やっぱ書いてなかったのね、このままだとクビになるのね。
目を泳がせてキョドるグレンの姿に、生徒達の誰もが呆れながら、そう確信した。
「はぁ、自分の不始末を生徒に向けるなんて……しかも人件費削減のために……(医者でも送ろうかしら?)」
サーシャのため息と共に冷めた視線が、グレンに冷たく刺さる(そして、ぼそりと不穏なことを、素の状態――アナスタシアの時の口調で呟く)。
「な、何言っちゃってるの、サーシャ君!?よりにもよって教師という聖職者たるこのボクが、そんな教師の風上にも置けない下賤な真似すると思う!?トラスト・ミーッ!」
すっかり声が裏返った、説得力皆無なグレンの妄言が虚しく響く。
グレンの唐突な遺跡調査員募集の裏背景が見えてきた生徒達は、皆一様に顔を見合わせながら、どうしたものかと相談天国を形成し始めた。
「と、とにかくだ!遺跡探索調査なんて、お前ら生徒には結構、レアな体験だろ!?遺跡探索に限らず、魔術師ってのは案外フィールドワークが多いんだ!こういう野外に出る経験、積んでみて損はないと思うんだがな!?な!?な!?」
グレンが必死に捲くし立てていく。
サーシャが冷めた視線をグレンに向ける。
「た、確かに遺跡探索調査は本来、危険がつきものだ。襲い掛かってくる魔獣、荒ぶる大自然の驚異、予想だにしない古代の罠に守護者……遺跡探索で死人が出ることだって珍しいことじゃない。だから、決して参加を無理強いはしない!」
死人。その言葉に、ごくりと生徒達が息を呑む。
だが、サーシャはさらに冷たい視線を送る。観念性と圧をかける。
「だが、今回行くのは、あの『タウムの天文神殿』……繰り返すが探索危険度F級、超・初心者向けの遺跡だ!それを踏まえて、調査に行きたいというやつは――っていうか、あああああああああ――っ!もう!」
サーシャの圧力に根負けしたグレンが、ばっ!と、身を捻りながら天井高く跳躍し――
「どうか、この哀れでゴミくずな俺に力を貸してください、お願いします――ッ!」
月面宙返りからの両手両膝額五点着地。
見事な固有魔術【ムーンサルト・ジャンピング土下座】が起動していた。
情けないグレンの姿に、クラス中の生徒達があきれ果てていた……その時である。
「どうか、お顔を上げてください、先生」
何の迷いもなく、ルミアが立ち上がっていた。
「……その遺跡調査、私にお手伝いさせてください」
胸元で手を組み、穏やかな笑みを浮かべ、まっすぐグレンを見つめている。
その佇まいはまるで聖女。後光が差しているかのような、神々しさだ。
「う……」
ルミアのそんな揺るぎない姿に、システィーナは挙げかけていた手を所在なさげに机の下で彷徨わせ……
「……て、天使……?」
「て、天使様だわ……」
グレンは土下座の体勢のまま、呆けたようにルミアを見つめ。
サーシャも、思わずアナスタシアの口調が出ている中、まるで崇めるかのようにルミアを見つめていた。
(な、ナーシャ……『サーシャ君』のまま、口調がナーシャになってるよ……)
そんなサーシャ(中身はアナスタシア)に、ルミアは思わず辺りを見回すが、幸い誰もサーシャの口調に違和感を感じてはいなかった。
「ふっ……お前ならそう言ってくれると思ってたぜ……ま、わかってたがな!」
やがて、しゅぱっと、得意げな顔で立ち上がり、もうこの太々しい態度である。
「はい。先生が良い論文が駆けるように、私、頑張りますね!……と言っても、素人の私がお役に立てることがあるのかどうかわかりませんけど……」
「ろ、論文?なっ、なんっのことだか、俺、サパーリわかんねーけど!」
ひとしきりキョドると、グレンは真摯な笑みをルミアに向ける。
「……役に立たないなんて、んなこたぁねーよ?お前が得意としている法医呪文、野外に出るなら必須技能さ。つーか、ぶっちゃけ言うと、生徒で調査隊を組むなら、ルミア、お前はどうしても来て欲しかったくらいだ。あんがとな」
「先生……」
そんなグレンのいつになく素直な言葉に、ルミアは嬉しそうにはにかんだ。
(……あの子ったら、本当にお人好しなんだから)
そんなルミアの様子を、サーシャはため息を吐き、そして。
「じゃあ、俺も行きますよ」
「よくわからないけど……わたしも行く」
サーシャと、のそりと立ち上がった小柄な少女――リィエルの護衛二人組も続く。
「だって、わたしはグレンの剣だし。任せて。グレンとルミアはわたしが守る」
「まぁ、万が一にも何かあったら先輩とルミアだけじゃ不安ですし、一応露払い役はいるでしょ?」
いつものように眠たげな無表情で、何の感慨もなく、機械的にそう宣言するリィエルと仕方なくそう言うサーシャ(もっとも、ルミアが行くという時点でサーシャも自動的にそうなるのだが)。
「お、お前らなぁ……まぁ、いいや。前衛戦力としてのお前らは申し分ない……今回、その力はいらんとは思うが……ま、頼りにしてるぜ?二人とも」
「ん」
立て続けのルミアとサーシャとリィエルの参加表明に(任務の関係上、自動的にそうなる)、「ああ、やっぱりね……」「あの三人なら参加するだろうな……」という空気が、クラス中に漂い始めた。
そんな空気を他所に、サーシャはグレンの元からルミアの隣の席へ戻って着席し、そっとルミアに耳打ちする。
「……貴女って、本当にお人好しなんだから。お陰で私も行くことになったじゃない」
「そう言ってるけど、ナーシャだってかなりのお人好しだと思うよ?あれだけ先生を心配していたらしいから」
「……なわけないでしょ。ただ、軍時代からの付き合いが長いだけよ」
耳打ちで返してくるルミアの言葉に、サーシャ(アナスタシア)はそう言ってため息を吐く。
そして、ルミアは隣のシスティーナにそっと耳打ちする。
「ほら、システィも早く」
「う、うん……わかってる……けど……むむむ……」
「システィ?」
だが、システィーナはなぜか、不機嫌そうな、悔しそうな、複雑な表情で押し黙ってしまっており、一向に参加に名乗りを上げる気配を見せない。
そんな親友を前に、ルミアは不思議そうに小首を傾げ――
「あ……これ、あれだ……拗ねてらっしゃるわ」
システィーナの今の状態を察したサーシャは、そう言うのであった。