赤い国からの魔術師   作:藤氏

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それでは、どうぞ。


Пяцьдзясят(第五十話)

 

 

 

 

 ここは、一面銀と氷の世界。

 

 そこには時間も、道も建物も何もない。

 

 ただ、雪が積もり、氷が張っているだけで完結した、その世界――

 

 それを己の精神世界だと……夢と現実狭間、意識と無意識の境界に形作られた、自分の領地だということを……その幼さゆえか、はっきりと理解出来てはいなかったが、直感的に理解はしていたかもしれない。

 

 ただ、そうとはいえ、今までプレスコフ市庁舎のある部屋にいたはずの自分が、気付いたら辺り一面の銀世界と氷――控えめに言って殺伐した世界にいることに、とてつもない不安に襲われていた。

 

 確か、宮殿から脱出する際に持ち出されたルシタニア大公家が所有している槍を手に取るために、部屋の中にいて……簡潔な儀式みたいなことをして槍を手に取って……

 

 なのに、私はなんでここにいるのだろう?

 

 皆がいない、自分だけしかいないこの殺伐とした世界。

 

 すると。

 

『……ふーん』

 

 背後から男の声がした。

 

 振り返ると、そこには若い男がいた。外套に身を包み、フードを目深に被っているせいで顔ははっきりと見えないが、自分と同じ……というか、父、祖父と同じ白い髪が見え隠れしていた。

 

『突然、人間が現れたから何事かと思ったら……お前は……』

 

 どこからともなく現れた男が、少女を値踏みするかのように見る。

 

 表情がよくわからない男に、見られるのが怖いのか、少女は少し後ずさる。

 

『……お前に流れている血の半分は()のと……残り半分の血は……そうか。あいつはあれからも……そろそろだな』

 

 やがて、男がなにやら意味不明なことを呟き、少女へ対してにっと笑みを向けるのであった。

 

『……いいぜ、力を貸してやる』

 

 

 

 

 ――そこは精神世界。外界の時の流れとは切り離された世界。

 

 故に、その邂逅は――何の隙にもならない、ほんの阿頼耶の時の出来事。

 

 これは、まだ少女――アナスタシアが『サーシャ』として国家保安委員会に潜り込む前の話である。

 

 

 

 

「ほう……?このだだっ広い部屋が、『タウムの天文神殿』が誇る大天象儀場か……」

 

 遺跡調査開始から六日目。恐らく最終日となるだろうその日、一同はついに最深部――大天象儀場――へと辿り着いていた。

 

 綺麗に磨き抜かれた半球状の大部屋の中心に、謎の巨大な魔導装置が鎮座し、その傍らには黒い石板のようなモノリスが立っている。

 

 その魔導装置は一見、巨大な天秤のようだった。寸胴の本体部分には、剥き出しの歯車や謎の機械機構がごちゃごちゃ絡みあっている。その頂点に設置された斜めに傾くアームの両端には、切頂二十面体状にカットされた巨大な結晶体が取り付けてある。

 

 この魔導装置の正体は天象儀装置。これも古代魔術が生み出した一種の魔法遺産であり、光の魔術によってこの半球状の大部屋内に星空を投射する……という機能を持つ。

 

 それ以外のことについては、ひたすら謎だ。

 

 なにせ、この手の魔法遺産に定番の霊素皮膜処理が、この天象儀装置にもしっかり施してあり、分解して調査することはおろか、運び出すことすらできないのだ。

 

 はたして、この装置に何の意味があったのか?何のために作られたのか?

 

 未だ不明な、謎の魔導装置であった。

 

「この天象儀って、見たことないけど、結構すごいらしいよ?ルミア」

 

「へぇ、そうなの?サーシャ君」

 

 二人はいつも通りであった。むしろ、昨夜での温泉でのやり取りで距離が縮んだような、そんな感じになっていた。

 

 と、そんな時。

 

「あの……先生?せっかく、『タウムの天文神殿』にやって来たんだし、この天象儀装置で星空を見てみませんか?」

 

 大天象儀場に足を踏み入れるなり、システィーナがそんなことを言い始めた。

 

「はぁ?星空ぁ?面倒臭ぇなぁ……」

 

 そう言いながらも一瞬、システィーナに身構えるグレン。

 

(いや、貴方は昨晩、ルミア達に何したんですか?)

 

 昨晩の出来事を知らないサーシャが、そんなグレンにジト目で流し見る。

 

 とはいえ、昨晩のルミアの顔の赤らめっぷりからなんとなく想像はつくと言えばつくのだが。

 

 一方、グレンは今までの調査結果から論文の構想を練りたいため、システィーナの提案に渋るが、セリカが後で手伝うということで渋々ながらモノリスを操作していく。

 

「えーと……確か、こうだったかな……?くそ、古代語の文法、うぜぇ……」

 

 ぶつくさ言いながら論文で書かれている操作手順と書式に従い、魔導装置の機能を制御するモノリスの表面に指を走らせ、令呪を書き込んでいくグレン。

 

 古代人が誇る魔法――古代魔術。

 

 近代人には、その根本的な原理を分析・理解することはできない。どのような魔術的調査を行っても、近代魔術ではその古代魔術の魔術式が読み取れないからだ。

 

 だが、原理はわからずとも、その機能と操作法だけは、近代魔術でも判明している。

 

「……これで、よし……と」

 

 固唾を呑んで一同が見守る中、グレンはモノリスの表面に浮かび上がる、とある光の文字の一文を叩いた。

 

 すると、天象儀装置が低い駆動音を立てて起動し始め――

 

 ふっ……と、室内が塗り潰されたかのような深淵の闇に包まれ――

 

 次の瞬間、世界が――変わった。

 

「…………ッ!?」

 

 星雲が、流星が、圧倒的な臨場感と迫力をもって一同の頭上に顕現する。

 

 震える魂を捉える満天の星。美しき幻想宇宙空間。

 

 闇に大粒の銀砂を大量にまぶしたかのようなその光景に、誰もが言葉を失う。

 

 今、自分達が部屋の中にいるなど、到底信じられない。

 

 光の魔術による星空の投射?……否。

 

 その瞬間、一同は確かに、広大なる小宇宙の中に存在していたのだ――

 

「こ……古代人ってのは、超高度な魔法文明を築いておきながら、時々、こういうどーでも良いことを、すっげぇ大がかりにやるよなぁ……?なんでだ……?」

 

 星空を呆けたように見上げるグレンの減らず口も、その程度だ。

 

「さぁな?文化や意識の違いなのか……なんらかの宗教儀式的演出か、もしくは単なる娯楽か……その辺りが通説になってはいるらしいがな……」

 

 そう応じ、口を開いて忘我するグレンに代わり、セリカがモノリスを操作する。

 

 装置の動作が停止され、たちまち、元の姿を取り戻す大天象儀場。

 

「さーて、調査を開始しよう、皆の衆。何、天象儀なら後でいくらでも見れるさ」

 

 どこか物惜しげなグレンや生徒達を促しつつ、セリカの音頭で調査が開始された。

 

 そして、またいつも通り、床の紋様や碑文を写し取ったり、魔術で隠し部屋や魔力痕跡を探したり……そんな単調な作業が始まる。

 

 だが、この単調な作業も今日で終わり……そう思えばこそ、広い部屋のあちこちに散っていった生徒達の動きも、幾ばくかのメリハリのあるものとなっていた。

 

(にしても……妙だねぇ……)

 

 床の紋様を手でまさぐりながら、サーシャはこの遺跡調査を始めてから持っていた違和感について考え込む。

 

(この遺跡には霊素皮膜処理が施しされていて、破壊は不可能って教授は言っていたけど……この遺跡にそこまでする価値があるのかなぁ?)

 

 『タウムの天文神殿』等の、帝国内にある遺跡群とは数も少ないし趣が少々異なるが、東部諸国内にも古代文明らしき遺跡群はちらほらと存在する。

 

 その遺跡の中には『タウムの天文神殿』のように霊素皮膜処理が施され、分解や持ち出してからの調査が不可能になっている遺跡が存在しているのだが、全ての遺跡がそうではない。

 

 旧帝国連合の遺跡調査によれば、霊素皮膜処理が施されている遺跡は、古代文明時代の時に非常に重要な機能――主に軍事面としての機能を持っていた施設なのではないかという調査結果が出されていた。

 

 逆に言えば、霊素皮膜処理が施されておらず、野ざらしにされて廃墟同然になっていた遺跡群には重要な機能は見つからなかった。

 

 つまり、霊素皮膜処理が施されている『タウムの天文神殿』には軍事面であれ、その他であれ、なんらかの重要な機能を持っているはずなのだが……

 

(この遺跡には、それらしいものがない……現に、価値が低いと評価されているし、こうして調査しているのも、数年前の調査で浮上した仮説を提唱した魔術師があまりにも天才で学会とかが無視できるような代物ではなかっただけだし……)

 

 けど、何かあるはずなんだよなぁっと、サーシャは同時に思う。

 

 何せ、霊素皮膜処理が施されているのだから。特にあの天象儀装置には必ず何かがある。ただの天象儀装置に霊素皮膜処理が施されているというのはいくらなんでも過剰すぎる措置なのだから。

 

 だが、一体、あれが何の機能を持っているのかがわからない。その天才魔術師も、その他大勢の魔術師達も、この天象装置だけは何なのか、その正体を明かすことはできなかった。

 

 何かがある。何かがあるのだが、何なのかがわからない。『タウムの天文神殿』のことを一言で表すならば、この一言がぴったりなような気がした。

 

 サーシャがそんなことを考えていた……その時だった。

 

「ん――」

 

 それは本当に、唐突だった。

 

 きん、きん、きん――

 

 辺りに突如、魔力反響音が響き……一瞬、床の紋様をなぞるように蒼い光が走った。

 

「な――ッ!?」

 

 蒼い光を咄嗟によけ、サーシャが慌てて振り返る。

 

 すると、天象儀装置が駆動しているではないか――

 

 しかも、さっきまでとは明らかに違う動作で。

 

(な、なに、あの動き……ッ!?)

 

 あまりにも違う不思議な挙動で――

 

 何事かと呆気に取られるサーシャ、グレンや生徒達を尻目に、天象儀装置のアームが先ほどと同じように室内に星空を投射し――星空が徐々に加速しながら回転していき――やがて、全ての星々が狂ったように頭上を暴走回転し、銀線となって無数の同心円を描き――

 

 やがて、天象儀装置がゆっくりと動作を止め――星空が消えていき――

 

「……え?」

 

 大天象儀場の北側の空間――しかも、サーシャがいるところに、蒼い光で三次元的に投射された『扉』が出現していた。

 

 それは明らかに、離れた空間同士を繋ぐワープゲートの類だ。

 

 その虚空に出現した『扉』の奥は深の闇を湛え、その『扉』の向こう側が、一体、どこに続いているのかはまったく不明だ。

 

 そんなどこに行くのかわからない『扉』が出現したちょうどの地点に、サーシャがいて――

 

「え、ちょ――ッ!?」

 

 あまりにも突然のことに流石のサーシャも動けず、『扉』の中へ吸い込まれるように呑み込まれ、その向こう側へ――姿を消した。

 

「サーシャ!?」

 

「嘘ッ!?」

 

 あまりにも唐突に訪れた予想外の事態に、グレンとシスティーナ含めて呆気に取られる一同だが。

 

 さらに予想外の事態は続き……

 

「ば……ばか、な……どう、して……」

 

 顔色を真っ青にし、冷や汗がびっしり浮かび、いかにも気分が悪そうなセリカが、出現し、サーシャを呑み込んだ光の扉を、目が血走らんばかりの勢いで睨みつけていた。

 

「……ほ……星の……回、廊……?そうだ……≪()()()()≫だ……ッ!?」

 

 何か意味不明な事をぶつぶつ呟いているセリカ。

 

「……そんな、はずは……今さら……?でも、私は……確かに……ッ!」

 

 そんな意味不明になことを、まるで譫言のように呟き、セリカが立ち上がり。

 

「……そう、そうだ……私は……」

 

 ふらふらと、まるで炎の光に引き寄せられる羽虫のように、セリカが『扉』へと歩み寄り……

 

 そして。

 

 突然、何かに背を蹴られたかのように、セリカが猛然と駆けだした。

 

 虚空に開かれた、その謎の『扉』を目指して――

 

「アルフォネア教授!?」

 

「セリカ!?」

 

 予想外に次ぐ予想外に、一同は何も身動きが取れず。

 

 セリカはいきなり、その『扉』の中へ跳び込み、その向こう側へ姿を消した。

 

「馬鹿な――ッ!?セリカ!?お前、何やってんだ――ッ!?」

 

 サーシャのも予想外だが、セリカのこの行動は完全に予想外だ。まさか遺跡探索においては百戦錬磨のセリカが、そんなド素人以下のことをやらかすなんて――こうして目の当たりにしてもにわかに信じられなかった。

 

「おい、セリカッ!そこから先は、どこに通じているのか、まだ何もわからないんだぞッ!?いくらなんでも無謀すぎるッ!行くな、サーシャを連れて戻って来――」

 

 グレンが慌てて、後を追おうとするが――

 

 それは、時間切れだったらしく。

 

 再び、場に奇妙な魔力反響音が辺りに響き渡り――

 

「な――」

 

 グレンの目の前で――セリカとサーシャを呑み込んだまま――

 

 その『扉』は消えてしまった。

 

「……くそっ!サーシャッ!?セリカァアアアアアアアア――ッ!?」

 

 グレンが『扉』があった場所の床に飛びつき、拳で叩き、叫ぶ。

 

 絶句。

 

 誰も、何も言葉を発することは……できなくなってしまった。

 

 

 

 

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