元医者のアラサー女が銀魂世界にトリップして、元の世界に帰るまでの話 作:匿名希望くん
夕暮れに近くなった西日が、薄暗い部屋を照らす。
オレンジ色の日差しを照明がわりにして、チークを頬の高いところにサッと乗せる。
色のついた光のせいで、自分の頬が何色なのかさっぱり分からない。
まあ、付けたのだから何色かにはなってるだろう。
100円ショップで購入した卓上鏡を片付ける。
外の喧騒が微かに聞こえ、歌舞伎町の住人が本格的に活動を始めたことを知らせてくれた。
ピーッピピ。
ピーッピピ。
丸机に置かれた目覚まし時計がきっちり2回鳴く。
15時55分を指した針達を確認してから、テレビの電源を入れた。
『ニューーースゼローーー』
某ニュース番組をパクった綺麗なイントロが流れる。
15時55分から始まる5分間のニュース番組。
1日の出来事を端的かつ短時間で把握できるため、唯一テレビから得る情報源として重宝している。
化粧品を片付けて、身支度を整えながら結野アナの声に耳を傾ける。
『昨日未明。歌舞伎町〇〇交差点付近に、血液を全て抜かれた女性の遺体が発見されました。警察によりますと、同様の手口での殺人は3件目になり、いずれも同一犯の可能性が高いとのことです。また、警察は
血液を全て抜かれた死体。
争った形跡はなく、目立った外傷もないが、首筋には1つの噛み傷。
現場には、血液を抜かれて青白くなった死体と黒い羽が1枚残される。
そして、3人の被害者は絶世の美女——。
通称・ヴァンパイア事件と呼ばれ、最近歌舞伎町を騒がせている猟奇的殺人事件だ。
これだけの情報を並べ立てただけでも、人間の所業じゃないことだけは容易にわかる。
つまり天人の犯行だとする警察の見立ては、至極当たり前のことであり、それは他に手掛かりはありませんと宣伝しているようなものだった。
まるでスティーヴンキングの小説から飛び出してきたような妖しきヴァンパイア。
突如現れた怪物に、歌舞伎町に生きるうら若き乙女たちは恐怖で身を震わせているらしい。
まあ、私には関係のないことだ。
未だ解決の糸口が掴めないヴァンパイア事件について熱弁する結野アナを見て、今日の5分間は潰れるだろうと悟り、いつもより早くテレビを消す。
ようやく着慣れてきた着物の
「いってきます」
静かなワンルームに、挨拶のような呟きが吸われて消えていった。
歌舞伎町はなんでもありのカオスな町だと、外を歩くたびに思う。
大通りの道に出ると、お弁当屋さんがあり、その向こうには居酒屋、その隣にはパチンコ屋、さらにその隣にはピンクのお店、そして信じ難いことに保育所が隣接されている。
ダメな人間が住む町と言われたら大きく頷いてしまうだろう。
とりあえず寄せ集めたような混沌さは、店の並びだけでなく、歌舞伎町を闊歩する生き物たちにも起因する。
夜も始まっていないというのに道の端で酔いつぶれている男。
胸元は大きくはだけ、際どい格好で呼び込みをかける毛ダルマの(心は)女。
でかい図体を揺らし、肩をいからせて歩く虎人間。
ヌメリを帯びた液体を滴らせているイカ型のUMA。
5メートルと歩かぬうちに、それらの異様な者共を足早に追い越していく。
特にこの世界特有の天人とは実に不思議で興味深い生き物だと、足元の小人の群れを踏み潰さないように神経を尖らせながら思う。
天人とは、俗にいう宇宙人らしい。
はじめこそ度肝を抜かれ、あまりに常識外れな生態に恐怖し卒倒したものの、慣れてしまえば日常に紛れてしまった。
宇宙人といっても、威張り散らす嫌な虎人間もいれば、花を愛でる優しい怪物もいる。
種族ごとにどうというよりも、人間と同じように個体差があり、彼らなりの感情や論理を持ち合わせている事実は、私の脳に強烈な衝撃を与えた。
だからこそ『ヴァンパイア事件』に動揺し、むやみに天人を避け回るような女性たちの反応には首を傾けずにはいられない。
人間だろうが天人だろうが、悪人もいれば善人もいる。
身体はムキムキの筋肉マンに、ティラノサウルスの頭部を持つ天人。
たしかに凶暴そうで、いかにも危険に見える。
しかし、そんな天人を避けて通ったところで、隣を歩くイケメンが殺人犯でない保証はどこにもないのに。
大通りの往来に立ち止まる奇天烈な恐竜人間を、皆はあからさまに避けて歩く。
見えないバリアでも張っているかのように、彼の周りには綺麗なサークルが作られていた。
まだ犯してもいない罪で差別を受けるのはさぞ辛いことだろう。
私はスッと一息吸って、速度を緩めることなく彼のバリアを一直線に突っ切る。
ほら、なんともないじゃないか。
彼のそばを通っただけで何かが起こると思うのは、なんの根拠もない無知の恥を晒すことだ。
心の中で彼にエールを送りつつ、なんとなく満ち足りた気持ちで歩を進める。
「キャー! 誰か助けて! 筋肉ムキムキのティラノサウルスが、突然彼の頭を飲み込んだの!」
突如、後ろから聞こえてくる悲鳴。
金切り声の合間に、野性味を帯びた恐竜の雄叫びが聞こえる。
……天人は見かけによらないとはいえ、人間と同じ判断基準を持ち合わせているかは別問題らしい。
少なくとも、所構わず食事を始めるような礼儀のない天人には気を付けようと、背を追う悲鳴を聴きながら心に決めた。
「いやー、桜さんもココで働きはじめてもう1ヶ月だっけ⁉︎ 月日が経つのは早いもんですなーお妙さん」
「そうですねぇ。毎晩キャバクラ遊びして酔い潰れてる人にとってはさぞ早いでしょうねぇ」
「いやはや手厳しいですなぁ! 年の瀬ですから少々目をつぶってほしいものです。やはり日頃の鍛錬も、休息あってのものですからな。つ、つまり……その、お妙さんの笑顔が俺の原動力……みたいな⁉︎」
「すみませーん。ドンペリ1つお願いしまーす」
煌びやかなシャンデリアの下、夜の蝶があちらこちらと優美に飛び回る。
その楽園で、黒光りする隊服に身を包み、頬を蒸気させるゴリラ——真選組局長、近藤勲。
そのゴリラの熱烈な求愛行動を、お妙さんは華麗に受け流す。
菩薩のような慈愛の微笑みを綺麗な顔にたたえつつも、容赦のないドンペリコールは止まらない。
さすがスナック『スマイル』のNo. 1キャバ嬢だ。
「あら、桜さんもグラスが空いてるみたいね?」
ドンペリがなみなみと注がれたグラスを見て、お妙さんは柔らかな声色で言った。
その美しい佇まいに魅了されながらも、ふわふわとした心地で彼女の勘違いを正そうと、
「いえ、私はまだ——」
その瞬間、日向ぼっこをする猫のような山なりの眼が薄く開き、お妙さんの瞼の奥にある黒々とした瞳が現れた。
闇にドップリと沈んだ双眼は、「空気読めよオラ。今日こそゴリラすっからかんにして二度と面見なくて良い快適生活にするんじゃボケ」と語っていて、私は恐怖のあまりドンペリを一気にあおり、
「私も! ドンペリお願いしまーす!」
「あらあら。桜さんったら、元気がいいのね。ごめんなさいね、近藤さん。なんだか今日は飲みすぎちゃって」
「いやいや気にせんでください。しかし、お妙さんは本当に優しいですなぁ!」
呑気にガッハッハと笑う近藤さんを見て、『恋は盲目』という常套句が頭に浮かぶ。
お妙さんは、普段はよく気遣いのできる優しい女性だ。
しかし、たまにこうして大魔王でも竦みあがる殺気を放つことがある。
さらに私を焚きつけておきながら、まるで彼の懐具合を案じるような甘言を口にするしたたかさ。
一癖も二癖もある強気な女性だ。
いや、もはやそこに惚れたのだろうか。
急激なアルコールの摂取により、ひりついた喉をさすりながら近藤さんに話しかける。
「あの、真選組はキャバクラで遊んでていいんですか? 」
「いいの、いいの! たまには隊士たちにも羽伸ばさせねーと。これも局長の立派なお勤めですからね」
近藤さんは胸をはって言う。
今日のスナック『スマイル』は真選組の貸切で、数十人の隊士たちが飲めや歌えやの大忘年会をしている。
といっても、もともと近藤さんはお妙さんに会うために足繁く通っていて、少なくとも私が働き始めてからは皆勤賞だ。
いつになく騒がしい男たちの陽気な声を聞きながら、私は新しく注がれたドンペリをちびりと舐めて、さりげなく話を振る。
「例の殺人事件。また出たらしいじゃないですか」
「あー、ヴァンパイア事件だっけ? ったく、メディアも面白がって大層な名前付けちゃってさー。こっちは必死で捜査中だっつのに」
近藤さんは赤ら顔でぐいっと大ジョッキを傾ける。
「世間があんなに騒いでいる中、警察が飲み遊んでるなんて知れたら大バッシングですよ」
「だーいじょぶ、だいじょぶ! 俺らもともと評判わりーから。これ以上落ちようねーの」
近藤さんは茶目っ気たっぷりに私に笑いかけると、チラチラとお妙さんに視線を送って、
「それに吸血鬼が狙うのは絶世の美女だからね。つまり、この世で一番美しいお妙さんが狙われるのは必然。安心してください、お妙さん。あなたの勲が24時間バッチリ監視していますから!」
「あら、近藤さんったらお上手なんだから。堂々と宣言してんじゃねーぞ、ストーカーゴリラ」
「ぎゃぁぁぁああああ目がぁぁぁぁあああ!」
「近藤さん⁉︎」
お妙さんに容赦なく目潰しをされた近藤さんが転げ回る。
彼女が黒い笑みを浮かべ、若々しく透き通る白い手を頬にそえる。
「ごめんなさいね。ストーカーゴリラがあまりに怖くてつい……」
「ストーカーですと⁉︎ 今日のお妙さんの下着は、いつもよりちょっとセクシーな黒……。卑劣なストーカーめ。まさか黒の下着が好みとは。許しません。許しませんぞ!」
「テメーのことだろーが! どたまカチ割られてーのか!」
「近藤さん⁉︎」
ブチ切れたお妙さんが、近藤さんの胸ぐらを掴み上げ、灰皿で殴りかかる。
私は素早く自分のグラスを持つと、巻き込まれないように反射的に飛び退いた。
この1ヶ月何度となく繰り返された定番のやりとり。
酒を作るよりも、まず一番に身体に覚えこまされた。
私の場合、特に命に関わってくるので必死だ。
お妙さんの怒声に合わせて、近藤さんの身体が糸の切れた人形のようにガクガクと激しく揺さぶられると、トドメの巴投げで壁に叩きつけられる。
何かが爆発したとしか思えない破壊音が鳴り響き、その衝撃で壁が凹み、大きな亀裂が走った。
私はいつもの救急箱とミネラルウォーターを引っ掴み、血相を変えて近藤さんに駆け寄る。
「無事ですか⁉︎」
いや、無事なわけがない。
目潰し。
灰皿による頭部への殴打。
壁を破壊するほどの衝撃。
どう考えても重症だ。
命に関わる。
即死かもしれない。
頭からドクドクと血を流して伏せる彼を見て、サッと血の気が引く。
私は急いでペットボトルの蓋を開け、患部に向けて放流した。
鮮血が水に混じり、薄い朱色に変わりながら流れていく。
一気に跳ね上がった心拍数を全身で感じる。
その一つ一つの心音を数えて、宥めるように静かに深く息を吐いた。
瞳を閉じて、視界から赤を排除する。
この大事故に居合わせて、冷静でいられる人間がいるだろうか。
そして、この光景を見て、目を疑わない者がいるだろうか。
覚悟を決めて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
私の視線の先には、近藤さんが何事もなかったようにムクリと起き上がっていた。
何度見ても信じられない。
こいつらはバケモノだ。
その健全たる姿を見るたびに、そう実感するのだ。