元医者のアラサー女が銀魂世界にトリップして、元の世界に帰るまでの話   作:匿名希望くん

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十四話 計画通りにいかないことも逆に計画通り

 

歩みはそのままに、全身の神経を後方に集中させる。

近づいてくる不穏な足音が鼓膜を震わせる。

敵に背を向け続けるチキンレース。

もう少しだ。あともう少しだけ引きつける。

 

一刻も早く牙を剥きたい気持ちを抑えつけて、ゆるりとした歩みで暗がりをさらに奥へ進む。

飾り気のない木塀がまっすぐに続く。

その木塀に沿って、アクセントのようにぽつぽつと街灯が並んでいるが、そのほとんどは電球が切れてただの黒い棒に成り下がっていた。

一本の街灯だけが弱々しい光を灯して、虫たちの羨望を独り占めにしている。

そこから漏れた光がぼんわりと道に広がって不気味に飛びまわる虫たちの影をうつした。

足元で蠢く影たちを眺めながら、目印の街灯をくぐり抜ける。

ここまで来れば曲がり角はすぐそこだ。

男と対峙するとき、逃げ道を確保できる位置にいなければならない。

立ち位置にたどり着き、全ての条件を満たしたことを確信すると、私はついに足を止めた。

 

そうして震えた声をしぼる。

 

「誰ですか……?」

 

哀れっぽい、弱者の声に聞こえるだろうか。

敵意が声の調子に乗っていないといいのだが。

 

街灯の向こう側。

光の届かない向こうへ目を凝らす。

 

出てこい、卑怯者。

心の中で呼びかける。

 

すると、蛍光灯に照らされてキラリと光る刀身が先に姿を現した。

液体がその刀の反りを通って刃先を濡らし、地面にポタリポタリと赤黒いシミを残す。

廃刀令の世で、日本刀を腰にさげる人間は堅気ではない。

予想外に物騒なモノが登場してたじろぐと同時に、強烈な既視感におそわれた。

この暗がりに、光に照らされる血濡れた日本刀。

そして——

 

「……お、お久しぶりですね〜」

ついに光の下に現れた犯人の顔を見て、驚愕のあまり開いた口から軽口がこぼれる。

 

あの時の侍だ。

この世界に迷い込んだ私に、はじめて殺気というものを叩き込んだ張本人である。

たしか土方さんに斬られて捕まったものと思っていたが——。

 

しかし、それよりも私が驚いた理由は男の顔にある。

その顔は大火傷でも負ったかのように醜くひきつり、無数の刀傷が生々しく唇を引き裂いてめくれあがり、血走った双眼はちょうど飛び回っている虫たちのように黒目をビュンビュンと四方に絶え間なく散らしていた。

原型をとどめないほどの変貌ぶりにもかかわらず、あの侍だと一目でわかったのは既視感からくる直感の閃きのおかげでしかない。

男の身に何があったのかは知らないが、話や駆け引きの通じる状態じゃないことは明らかだ。

どうする。こんなバケモノは想定外だ。

身の毛もよだつ男の風貌を見張りながら、じりじりと後退する。

 

私が考えあぐねていると、男はふらつきながらもまた一歩進みでる。

右手には日本刀を握り、左手には何か大きいものを引きずっているようだが、暗がりの中に埋もれて正体がわからない。

背骨でも抜かれているかのようにぐにゃりと揺れていた男の身体が動きを止める。

そして何かを探して蠢いていた黒目が、私の姿を見咎めて収束した。

あまりのおぞましさに全身が粟立つ。

 

「ああ、おまぇは……。よく俺たとわあったな」

めくれあがった唇のせいでうまく話せないらしい。

本人は気付いていないのか不思議そうに自分の言葉に首をかしげた。

 

「いやー見違えましたよ! ちょっと見ないあいだにワイルドになっちゃって〜。アレですか。最近流行りのちょい悪系ですか」

ちょい悪系って流行ったのいつだよ。

自分のよくわからない発言にツッコミをいれつつ脳をフル回転させる。

 

「おまぇはあいかあらず口がへらない女た」

意識があるのか?

頭をぐらぐらとさせながらも、私を覚えている様子の男をみて思う。

それなら多少は話が通じるかもしれない。

 

私が口を開こうとすると、

「ちだ」

「……え?」

ぼそりと呟かれた男の言葉を聞き返す。

「血た! 血か! 血かないとおれあだめになる!」

 

咆哮に似た叫びをあげて男が左腕を振り上げる。

その手に掴まれていた荷物が、どさりと重力をもって街灯の下に投げ出された。

次の瞬間、侍は獣じみた動きでソレに覆いかぶさりグチャグチャと嫌な音を立ててむしゃぶりついた。

 

突然の奇行に圧倒され、私は呆然とその様子を眺める。

私の存在など忘れたかのように男は一心不乱に食っている。

 

食っている?

ナニを?

 

彼が興奮して頭を振るたびに液体が飛び散り、無機質に薄く照らされた地面を赤黒い斑点で汚した。

ちがうだろ。

液体だなんてトボけた言い方はやめろ。

男が再三叫んでいたじゃないか。

 

そうだ。血だ。血。血。

 

味を確かめるように単語を口の中で転がす。

——なんの血だ。一体なんの。

 

冷たい地面に無造作に投げ出された肉。

ビリビリに引き裂かれた桃色の着物は、待ちきれずに破いてしまった包み紙のようで、男は夢中になってその中身を食い散らかしていた。

飛び散る鮮血が肉の青白い肌をコントラストに照らす。

力なく横たわる細い腕は、首は、潰れて、ねじれて、めちゃくちゃに曲がって、まるで——

 

知覚した途端、むせ返るような血の臭いが鼻孔を犯す。

唐突な吐き気に襲われ、慌てて口元を手で抑えた。

だめだ。吐くな。吐けば気付かれる。

現実とは思えない恐ろしい光景に、けれど目をそらすこともまた同様に恐ろしく、私は浅ましくも自分の身の安全のために人間が食われる様をじっと見つめていた。

男が噛み付くたびに女の頭部が人形のようにガクガクと揺れて、その虚ろな瞳に冷たい街灯の光がチラチラと写りこんだ。

 

女は死んでいる。

首は3周ほどねじれていて絶命していることは間違いない。

そうだ。私にできることなどない。

私が助けられる人間などここにはいない。

 

音を立てないように静かに息を吐く。

胸が苦しい。心臓が痛い。

バケモノが獲物に夢中になっているうちに、逃げなければ。

そう思った瞬間、膝が笑っていうことを聞かず大きな音を立てて砂利を踏みしめた。

ちょっと待って。ちょっと待って。本当に待って泣きそう。

 

私の願いは届くはずもなく、首まで真っ赤な血に染まった男が、勢いよく振り向いた。

傍に投げ出されていた日本刀を右手に握り直し、ねじれて通常の3倍ほどに伸びてしまった女の首を左手で掴んで、男は流れるような動作でこちらに突進をしかける。

 

それを合図に、はじかれて私も駆け出す。

捕まったら死ぬ。

確実に死ぬ。

いや、考えるな! これは鬼ごっこ! 断じて鬼ごっこだ!

風になるんだ桜!

 

目の前の曲がり角に飛び込んで、事前に確認していたルートを駆け抜ける。

まるでこのあいだのやり直しだ。

しかし、丸腰だった前回とはちがう。

邪魔にならないよう着物の裾をたくしあげて、この時のためにこっそり履き替えていたスニーカーで思い切り地面を蹴りあげる。

 

相手がバケモノでも焦ることはない。

さすがに当初の予定通りブチのめすとは言えないが、この場を逃げきるだけの準備は十分に整えている。

肩越しに振り返ると思ったよりも遠くに男の姿が見える。

持っている荷物が大きすぎるのだ。

左手で引きずっている大きな餌が地面に削れて引っかかり、男の走りを鈍らせていた。

 

馬鹿め。

人を人とも思わぬ獣の脳みそでは、せっかく仕留めた獲物を置いていくという発想がないらしい。

男との距離はぐんぐんと開いていく。

変わり果てた人間の残骸がなおも痛めつけられている様は見るに耐えず、唇をかんで己の無力さを呪う。

 

ごめんなさい。私は逃げることしかできない。

心の中で彼女に謝罪の言葉を告げ、さらにバケモノを突き放そうと前を向く。

 

そのとき視界の端で男の不審な動きをとらえた。

なんだ……?

ふしぎに思って、男に視線を戻す。

 

すると突然男は勢いよく木塀に突進していき、あわやぶつかるかと思った瞬間、当たり前のように壁に足をかけてそのまま駆け上った。

男の足の裏に壁が吸い付いたかのように、軽やかに走り出しぐんぐんとスピードを上げる。

人間の成れの果ては壁に並行して垂れ下がり、邪魔な呪いを見事に無効化していた。

私はぽかんと口を開けて、バケモノが私の上空をすり抜けていくところを見送る。

そしてヤツは私の行く手を阻むように華麗に着地を決め、満足気に血みどろの歯茎を見せつけながらニヤついた。

その下卑た笑みに、ぞわりと鳥肌が立つ。

 

壁渡りってそんなのアリ⁉︎

こちらの世界に私の常識が通じないことをまた痛感する。

しかし、それなら私の予測が世界の非常識を超えればいいだけのこと——!

次に踏み出した1歩目で地面を踏みしめて方向転換。

右手にある木塀に向かって一直線に走る。

出来る限り勢いをつけて木塀の下部にスライディングで突っ込み、板張りを蹴破って、そのままの勢いで壁の内部へ滑りこむ。

その拍子にざらついた地面と棘のある木片に引っ掻きまわされて、顔面を守った両腕から血が噴き出た。

少しでもスピードを落とせば命取りになる。

スライディングの勢いを殺さないように一回転した後、素早く体勢を立て直して走り出す。

壁を越えた先は不法投棄の吹き溜まりになっていて、冷蔵庫や大型のタンスなどが障害物になっていた。

追跡者を撒くには絶好の立地だ。

事前に確認していた最短ルートを通って、障害物をぬうように進む。

振り返ると、木塀には女性がやっと通れるぐらいの穴ができていた。

成人男性が通れる幅ではない。

これで少しは時間が稼げるだろう。

ここで撒ければよし。

ダメでもこのゴミ山を越えれば繁華街に出られる。

あらかじめ壁の一部を蹴破れるように細工しておいて助かった。

多少怪我は負ったが上々の出来だろう。

 

見たか!

知性のかけらもない下衆め!

私を捕まえられるものならやってみるがいい!

勝利の捨て台詞を胸中で叫び、このまま繁華街に出ようと——

そのとき、しんと沈んでいた深夜の空気を引き裂くような爆発音が鳴り響いた。

音の源泉を思う暇もなく、衝撃波に背を突き飛ばされる。

咄嗟に頭を抱えてその場に倒れ込む。

ハッとして上空を見上げると、不法投棄された大量のゴミたちが宙を舞っていた。

大きなブラウン管テレビが鼻先をかすめて、すぐそばの地面に突き刺さる。

 

「血た! 血のニオイがスル……!」

 

粉々に吹き飛んだ木塀。

降り注ぐ木片とゴミの中で、バケモノが咆哮をあげた。

 

「アア……、ウマソウナチノニオイ!」

 

その美味そうなニオイってもしかしなくても私ですかねぇ。

両腕から流れ出る血液が皮膚をつたい落ちる感触。

恍惚な表情で酔いしれるバケモノを尻目に、私は一目散に走り出す。

 

「マテ。オレノチ! チ! チ!」

 

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