元医者のアラサー女が銀魂世界にトリップして、元の世界に帰るまでの話 作:匿名希望くん
悪役の見せ場を待っているほど私は優しくない。
振り返らず、最速を叩き出すことだけに集中して走る。
あとを追う獣の威圧が背中に重くのしかかり、足の動きが異常に鈍く感じる。
もっとだ! もっと早く動け!
夢の中にいるようなもどかしい感覚。
今にも腹を喰いつかれる恐怖に耐え、やっと到達した藪に飛びこむ。
そうして夜の街、歌舞伎町の中心部に転がり出た。
そこには見慣れた光景が広がっていた。
快楽を享受する人間や天人が混在し、相変わらずデタラメなこの世界の住人が目を丸くして、突如現れた満身創痍の私を見ている。
「誰か——!」
「ニガサヌ! チノ、チノ、チノカイラクヲ!」
助けての声をあげる前に、私の背後で奇声をあげながらバケモノが飛び出した。
誰かがヒュッと息を飲む気配があると、いっそうバカでかい声で叫ぶ。
「バケモノだ! 逃げろ!」
一瞬にしてパニックに陥る群衆。
ハチの巣をつついたような大騒ぎに、人々が逃げ惑う。
「ですよね! うん! 知ってた!」
人々にまぎれて逃げまどいながら、私はヤケクソで叫ぶ。
ほかの生物になど目もくれず、バケモノは一直線に私を目指して追ってくる。
元より助けてもらえるなんて楽観視してなかったけどさ!
もう少し何かしらの救済アイテムとかあってもいいんじゃないですかねぇ⁉︎
ここ銀魂でしょう⁉︎
ちょっぴり泣きそうになりながら、それでも足を止めることはできない。
ゼエゼエと切れ切れの息を整えることもできず、バケモノとの距離ばかりがぐんぐん縮まっていく。
くそ、このままじゃ追いつかれる!
劇的な打開策も浮かばない。
仕方なく当初の予定通りピンク色のネオンが眩しい風俗店に駆けこむ。
「逃げろ! 殺されるぞ!」
叫びながら店内に入ると、事の真っ最中だった客はギョッと目を剥き、嬢は怯えて叫び声をあげた。
お楽しみ中に本当に申し訳ない!
でもアレだから! 命の方が大事だから!
心の中で懺悔の言葉を唱えていると、奥から帯刀した黒服の男たちがゾロゾロと出てくる。
私はハッとして立ち止まる。
「逃げてください! 相手は人間ではありません!」
渋い顔をした頑強な男は「どけ」と短くいうと、丸太のような腕で私を押しのけた。
いずれの男たちも相当腕っ節に自信があるらしい。
ボディービルダー世界代表が集まったような暑苦しい威圧感がある。
私は壁際に退かされ、酸素不足に痛む腹部をおさえることしかできず、その逞しい背中たちを見送る。
待てよ。
これはチャンスかもしれない。
筋肉隆々の男たちは思っていたよりも頼りになりそうだ。
あんなバケモノに勝てるわけがないと直感的に感じたが、この世界の人間のタフさは常軌を逸する。
私から見れば全員バケモノみたいなものだ。
ならば、多勢に無勢。
こちらにも分があると考えるのが道理ではないか。
荒い息を整えながら算段をつけていると、店のガラス扉を盛大に蹴破ってバケモノが姿を現した。
「ドコダ! オレノチ!」
頭をぶんぶんと振り乱してヨダレを撒き散らす。
ボロ雑巾のようになった女の遺体を引きずり、異常な行動を繰り返すバケモノを前にしても、黒服のマッチョたちは怯む様子もない。
リーダーらしき黒服が進み出ると、バケモノの前に立ち塞がった。
眉ひとつ動かさず、その大きな手を伸ばしてヤツの首を掴み、そのまま片手で宙吊りにする。
バケモノは逃れようとジタバタ暴れる。が、黒服は微動だにしない。
凄まじい力で首はしめあげられ、こちらまでメキメキと骨の軋む音が聞こえると、バキリと嫌な音を立てた。
その音に合わせてバケモノはビクリと2度震える。
ヤツの両手から日本刀と女の死体が地面に転がる。
そして糸が切れた人形のようにぐったりとぶら下がった。
命が失われる様を冷酷に眺めていた男は、勝利を確信すると自慢げにこちらを振り返る。
腕を組んで鑑賞していた仲間たちは、当然のように薄ら笑いを浮かべた。
終わった……のか?
いささか呆気ない幕引きに拍子抜けする。
しかし、首を折られてはどんな生物も死ぬ。そう、死ぬはずだ。
リーダーの活躍を褒めそやして盛り上がる男たちを尻目に、私は漠然とした不安を拭えずにいた。
黒服の男は、バケモノの亡骸を高々と掲げた。
力の抜けきった身体。
生気を失った物体は振り子のように揺れる。
その瞼は死人のごとく大人しく下げられ、そうしていると普通の人間にしか見えない。
何かとんでもない殺害現場を目撃してしまった気がして、私の心をざわめかせた。
なんにせよ、死人に鞭を打つマネは許されない。
たとえそれが罪人で、さらに言えば人の血をすするバケモノだとしても。
私は黒服を諌めようと口を開こうとした。
しかし、その瞬間、突如としてバケモノの双眼が見開かれる。
あの無数のハエのような黒目がギョロリと黒服の男を睨みつけた。
私はほとんど脊髄反射的に叫ぶ。
「まだです!」
「何⁉︎」
黒服は信じられないとばかりに驚愕の表情をバケモノに向ける。
「そんなはずは——」
黒服の語尾が戸惑いに鈍り、しかし瞬時に行動にうつった。
「大人しく死ね!」
両手をバケモノの首にかけると太い腕に血管がくっきりと浮き出るほど強く締め上げる。
顔を真っ赤にして力を込める黒服。
にもかかわらず、バケモノは痛みを感じていない様子でただ不気味に敵を睨みつけ続けた。
「な、なんなんだコイツ……。なぜ死なない⁉︎」
理解を越える相手に、黒服は言葉の端々に恐怖をにじませる。
バケモノは垂れ下がっていた両腕をゆっくりと持ち上げ、己の首を絞めつける丸太のような豪腕にそっと触れた。
「ああああああああああ!」
たったそれだけで黒服は凄まじい叫び声をあげる。
大量の卵の殻を一斉に踏み潰したような音。
明らかに人体から出ないだろう音があたりに響き、黒服の両腕は握られた箇所を折線として、不自然に二の腕の途中で折れ曲がった。
バケモノの首を捉えていた両手がダラリと垂れ下がり、ヤツは優雅に地に足をつける。
「ああ、俺の腕が! 腕が!」
黒服は涙を浮かべて自分の腕を呆然と眺める。
「なぜだ……。お前は一体何者な——」
最後の言葉を待たず、バケモノは黒服のアゴを蹴り上げる。
一瞬にして、黒服は木製の天井に突き刺ささった。
天井から下半身だけがぶらりと垂れ、パラパラと木片が落ちる。
一部始終を静観し、呆気にとられていた黒服の仲間たちはようやく我に返る。
「き、貴様! よくも——ッ! 殺してやる!」
口々に暴言をわめきながら、一斉に剣を掲げる。
バケモノは構える様子もない。
丸腰。棒立ち。隙だらけのバケモノをぐるりと取り囲み、すでにボロボロに見える身体に、黒服たちは容赦なく数多の剣を突き立てた。
無事ですむはずもない。
当たり前に訪れるだろう死を、しかし、もはや私は信じることができなかった。
期待にこたえるように、バケモノは群がる煩わしいハエをまとめてなぎ払う。
一斉に血を吹き出しながら飛んでいく黒服たち。
あっという間に十数人の屈強な男たちは地に伏せ、そこにはバケモノが一匹。
返り血によってドス黒く汚れたバケモノはよろよろと数歩進み、
「……チガウ。コノチハチガウ」
歩くたびに、折れた首のせいでぶらぶらと頭が揺れる。
バケモノはまだ意識のある黒服たちに近寄る。
腰を抜かした黒服の残党は「ヒィッ」と言葉にならない悲鳴をあげた。
どう考えたって私がどうにかできる相手ではない。
しかし、ヤツをここに招いたのは私だ。
私のせいで人が死ぬ。
それだけは避けなければならない。
本当に嫌だ。
嫌だけど——私は観念して声をしぼりあげた。
「味の違いがわかるなんて美食家なんですねぇ〜」
なるべく余裕そうに。
くすぐるような調子で声をかけた。
取りこぼした獲物に向かっていたバケモノは歩みをとめて、その場でウロウロと二の足を踏む。
私を探しているのだ。
伸びきった頭部が身体を揺するたびにゆらゆらと動くせいで、視線が定まらず、探し物を見つけにくいのだろう。
腹部には数本の日本刀が深々と刺さっている。
間違いなくダメージは蓄積されている。
大丈夫。よちよち歩きのうちは怖くない。
人気のない場所に誘導して、うまくすれば逃げ切れる。
ちがう。逃げ切ってみせる。
こんなバケモノに殺されてたまるか!
そんな理不尽で無意味な死があってたまるか!
次の手を考えながら「鬼さんこちら」の要領で声をかけ続ける。
「どこ見てるんですか? 私はこっちですよ!」
呼び声に反応してバケモノの身体がこちらを向く。
揺れ続ける視界のせいでうまく歩けないのか、ふらつきながら近付いてくる。
距離を詰められないように同じ分だけ離れながら、私もゆっくりと窓際に移動し、そっと窓を開ける。
いいぞ。その調子だ。
窓のふちに足をかけて、
「何モタモタしてるの? ほら、あなたの大好きな血が逃げちゃうわよ!」
挑戦的に煽ってやると、バケモノはぴたりと歩みを止めた。
おもむろに両手で頭を掴むと、しっかり固定された頭がこちらを向いた。
そうしてヤツはニヤリと笑い、一足飛びで私に飛びかかる。
すんでのところで身をかわした。
窓から転がり出て、超スピードで走り出す。
振り返ると、バケモノが壁を破壊したところだった。
さながらチャンピオンベルトを掲げるレスラーのごとく、頭部を高々と掲げている。
やだ、すっごい頭イイーーーッ!
第二形態じゃないですかやだーーーッ!