元医者のアラサー女が銀魂世界にトリップして、元の世界に帰るまでの話 作:匿名希望くん
私は堂々たる足取りで原田さんの前に進み出る。
空には一面に暗雲が広がり、のしかかるような圧迫感がある。
にごった空をいただく決闘場で蹴り上げた砂埃が冷たい風に流れいった。
睨み合う両者——いよいよ始まる決闘に、群衆はワッと沸いた。
いけー!
医者崩れなんてぶっ殺せ!
やっちまえ!
原田隊長ォォオオオ!
今日も筋肉キレてるッスよ!
男たちの口汚い野次が飛び交う。
私はちらりと銀さんに目を配る。
スクーターにもたれるようにしていた彼は私の視線に気付くと、ひらひらと手を振った。
……大きな欠伸をしていたのが激しく気になる。
セコンドとして、白いタオルを投げる役割だけはきっちりこなしてほしい。
いけない。
集中しなければ……。
不安を打ち消してスッと深く息を吸い、腹に力を込める。
そして私は愛刀をすらりと抜いた。
原田さんも同様に刀を抜く。
睨み合う互いの刀身。
気付けば、群衆は先ほどとは打って変わってしんと静まり返っていた。
土方さんが声を張り上げる。
「これより原田右之助、山田サク太郎の決闘を行う! なお両者の強い希望により、真剣での勝負を認める。勝利条件は相手が負けを認めるか戦闘不能になった場合に限る。それでは——はじめ!」
いよいよ始まった大一番に緊張で汗ばむ手で、刀を握り直した。
しかし、さほど恐怖を感じてはいなかった。
なにせ先ほどまで坂田銀時という名の強制ジェットコースターに乗せられるわ、もう一人の私にガチで殺されかけるわ——とにかく大変な目にあったのだ。
そりゃ恐怖も枯渇するってもんだ。
だいたいもう一人の私って何?
今後彼女と絡む度に「もう一人の私!」とか呼びかけるの?
遊戯王でしか聞いたことないワードだよ厨二病待ったなしだよ勘弁してくださいよ。
こちとらアラサーだぞ遊戯王リアルタイムで見てんだぞ。
……いけない、思考がズレている——目の前の問題に集中しなければ。
私は深呼吸してなんとか気持ちを切り替える。
けれど、さほど気合を入れる必要もないのか……と途中で思い直した。
なぜなら100%勝てるからだ。
源外さんにもらったカラクリ——先の戦いでの威力は凄まじかった。
刀を合わせるだけで相手は電撃を受けて失神する。
とはいえ油断は禁物だ。
原田さんの刀を受けるのは危険すぎる。
理想は、私が打ち込んで原田さんが受け止める形。
そのためには布石がいるだろうが、そんなに難しい事ではない。
適当に挑発して私から打ち込むような流れを作ってやればいいのだ。
私はリラックスした気持ちで、意気揚々と口を開こうとした。
その時、小さな光が視界をちらついた。
その光源に目を向ける。
愛刀に取り付けられた小さなカラクリ——液晶板が点滅していたのだ。
嫌な予感が私の背筋を駆け抜けた。
ん? あれ? ……なにこれ。
私に見られているの知っているかのように、それは点滅をやめると、液晶画面を右から左に向かってアルファベットが流れた。
Low battery
そして、力尽きたように液晶の光が消えた。
……うん、ちょっと待って?
瞬時に視界の端でモジャモジャの毛玉が動くのが見えた。
「セコンドォォォォオオオオオオ!」と私は叫びながら、すかさず白髪頭を掴む。
「イテテテテ! んなにすんだテメーは!」
「何逃げようとしてんですか! どうしてくれんですか! Low batteryってアンタ……一回しか使ってないのに充電切れって何⁉︎ 100均の電池でも使ってんの? ロー100か? ローソンのやつか⁉︎」
「知らねーよ! もともとジーさんの紹介までが俺の仕事だからね。品質についてはあちらに文句言ってくれる?」
「一丁前にたらい回しにしてんじゃねーぞ! 役所かここは!」
銀さんは目をそらしながら、
「大丈夫だろ。なんとかなるって。いったん話し合ってみろよ。意外と話し合いで解決することもあるからな」
「決闘で話し合いってバカなの? あちらさんの血管めちゃくちゃ浮いてるんですけどやる気満々ですけど」
「大丈夫だ。お前ならできるって。信じてるからな。銀さんは桜ならできるって信じてるから」
そう言って銀さんは私の背中を思いっきり押して、原田さんの目の前に突き出した。
ふざけんなよ白髪頭ァァァァアアアアアアアアア!
心の中で銀さんに毒づく。
が、ここぞとばかりに原田さんがご立派な胸筋をピクピクさせながら近付いてくるのが見えて、私は言葉を失った。
——もうダメだ。
これはとにかく謝るしかない。
プライドや勝負よりも命の方が大事だ。
土下座でもなんでもして、いやその前に謝罪を——
「どうもすんませんでしたァァァァアアアア!」
「そうそう、まずは謝罪を……って……はい?」
原田さんはずんずん私に近付いたかと思うと、見事なスライディング土下座を決めた。
……一体何が起こったのだろう?
私を含め、その場にいる全員が凍りつく。
周囲の反応に構わず、原田さんは頭を地面に擦り付けながら叫ぶ。
「山田殿には大変失礼なことを致しました! 男、原田右之助……今までのご無礼を誠心誠意謝罪させて頂きます! 腹を切ります!」
「いやいやいや! 切らないで! 切られても困りますから!」
切腹しようとする原田さんを説得するが、男泣きに暮れる彼はまったく聞く耳を持たない。
呆然と見守っていた観衆も我にかえり「見損ないましたよ原田隊長!」「いや、山田の野郎が汚いマネしやがったに決まってる!」などと口々に野次を飛ばす。
すると、雑音を切り裂くような怒声が響いた。
土方さんだ。
「何やってる原田ァ! 真選組の隊長が決闘中に土下座とは……それ相応の理由があるんだろうなァ?」
まさに鶴の——いや、鬼の一声。
副長の怒声にピタリと群衆は静まる。
ギロリと睨まれて、原田さんは息を飲むと再び深々と頭を下げる。
「申し訳ございません! 知らなかったとはいえ……副長の大切なお方に傷をつけるような真似を……!」
「……大切なお方? 原田……テメー何を言ってやがる」
「見てしまったんです! 昨晩、副長と山田殿が二人で風呂場に消えていくところを——」
土方さんが咥えていたタバコを落とした。
「立ち聞きをするつもりはなかったのですが、まさか副長が良からぬ策略に嵌められるのではないかと胸騒ぎがし……失礼ながら風呂場を改めてさせていただきました」
わざわざ脱衣所まで入ってきた二人組の隊士を私は思い出していた。
そうかあれは原田さんだったのか。
原田さんは言いにくそうに口ごもりながら続ける。
「すると……その、副長と山田殿の声が聞こえてきて……。どちらが猫になるだの、どちらが上になるだのと——」
瞬間、空気が凍りついた。
誰も何の反応もできず、一瞬の静寂が訪れる。
その中で恐らく私一人だけが脳味噌をフル回転させていた。
——どちらが猫になる。
そういえば猫の鳴き真似をするかどうかで揉めたっけ。
——どちらが上になる。
そういえばロッカーに隠れるとき……どっちが四つん這いになるか上になるかで揉めたっけ。
原田さんは男泣きをして続ける。
「まさか副長に男色の気がおありとは露ほども知らず……! まさか山田殿と男女の——いえ、男男の関係とは! そんなことにも気付けず、副長の大切なお方に傷をつけようとするなんて……これが腹を切らずにいられましょうか!」
土方さんも含め、誰もショックから抜けられない。
その静けさに私は好機を見て、真っ先に動き出す。
怒りと羞恥にわなわなと唇を震わせる土方さんを押し除けて、私はここぞとばかりに怒鳴る。
「この無礼者め!」
重い沈黙を断ち切った怒号は、群衆の注目を一挙に集めた。
私は勢いのままに怒鳴り散らす。
「何を言うかと思えば! 真選組の副長ともあろうお方が男色だと⁉︎ それも僕が相手なんてバカなことを! 僕のことなんかトシさんが本気にするわけ——ッ! あ……」
自らの失言に気付き、私は耳まで朱に染めて口元を手で覆う。
周りから見れば、羞恥で赤面しているように見えるだろう。
が、見る人が見れば、笑いを堪えているのだとすぐにわかるはずだ。
トシさん……?
いまトシさんって言ったか……?
あっという間に隊士たちに広がる波——もう止めることはできない。
ちらりと土方さんに目をむけると、何本も青筋を浮かべ、まさしく鬼の形相で私を睨み付けていた。
「山田ァァァアアア! テメー覚えとけよ絶対コロス。あとで絶対コロス」と瞳孔の開いた瞳からテレパシーを送ってくる。
テレパシーまで受信できる仲になれたとは感慨深いと思いながら、私は恥じらいの微笑みを返した。
そろそろ土方さんの血管が切れないか心配である。
「ほらな? 意外と話し合いでなんとかなるもんだろーが」
銀さんがぽつりと呟く声が背後から聞こえた。