ハクのマロロへの評価は高いのか低いのかたまに分からなくなりますが、少なくとも食べ物や美術品に対するセンスは高く評価していることは確かだと思います。
ウコンに頼まれた雑用をいくつか片付け、時刻はもう夕刻というよりは薄明というほうが合う時間になっていた。帝都の外れまで使いに行くことはわかっていたから、今日の晩飯は元より外で食べる事にしていた。とりあえずは大通りに出て、そこから適当な裏路地にある店を見繕ってみるか。
「この時間にもなると、この通りも人が増えるな」
さすがは帝都というべきか、こんな狭い路地に所狭しと並ぶ飲食店にも客はしっかり入っていた。昼間は通行人が少ないから裏道に使う事もあるこの通りだが、夜になればこれだけ人がやってくるのだからなんとも不思議なものだ。
久しく夜分にこの通りを歩くことがなかったこともあって、通りには見慣れない店も少し増えていた。天下の帝都とはいえ、こういう飲食店の入れ替わりは意外と早いものなのだろうか。その中でもひときわ目を引いたのは、店の前にいくつも硝子瓶を並べたお店だ。表札は真新しく、店を開いてさほど時間が経っていないことは容易に想像できた。普通ならそんな店は当たり外れがひどく、入るのは中々の賭けになる。だが、今日はどういうわけか自然と足が向いていった。
「わざわざ硝子なんて珍しいものを使ってるな」
「いらっしゃい、とりあえずはささ、お手を」
「おっ、悪いな」
手拭きと一緒にお品書きが手渡される。ざっと見た限り、特に変わったものはないように思えるが、となればさっきの瓶は何だったのだろうか。それに内装は表札ほどに新しくない。居抜きで新しい店を出したと考えるべきか、それとも。そんなことを少し考えつつ、この辺りでは定番の酒とつまみを適当に頼むことにした。
「それじゃ、これとこれを」
「あいよ、冷で良いかい?」
「頼む」
しばらくして先に酒が出てくる。一緒に出てきたお通しの肴は煮干しと揚げ物、あとは青菜を和えたものだ。しっかりと汁を吸って、店内の明かりに照らされ光り輝いて見える。まずは一口、酒を飲む前に味を確かめてみる。
「……んむ、うまい。」
誰かがいるわけでもないのに、自然とそんな言葉が溢れる。煮干しの濃厚な香りをふんわりと包み込むような揚げの食感と、シャキシャキとした青菜の対比が素晴らしい。普段のルルティエが作ってくれる料理のような優しさと、それでいて酒飲み好みの味の濃さが両立して、絶妙な味わいだ。
「親父、こいつのおかわりをお願いしていいか?」
「あいよ」
気付けば酒に手を付けるより先に目の前のお通しがなくなっていた。いかんな、美味いからと食べすぎてしまった。おかわりがやってくる前に、頼んでおいた酒を口に含む。澄み切った酒は口に含むと甘みが強く、ふっと吐いた息には酒精が交じる。それなりに強めの酒だが、この飲みやすさがたまらない。さっきの汁の後味に残る魚介の旨味と混ざり合って、主食らしいものを口にしていないのにこの満足感だ。
「はいよ、あとは注文の品もこっちに」
おかわりと一緒に頼んでおいたつまみも出てくる。饅頭を小さくしたようなそれは、油の乗った肉を挽いて詰めていることもあって、箸で半分にすると一気に肉汁が溢れてくる。垂れそうな涎を飲み込みつつ、口の中に入れるとまた至福の時がやってくる。
「おぉ、ハク殿。ここで会うとはまた珍しいこともあるものでおじゃるな」
「マロロか、飯を食って帰ろうと思ったら面白そうな新しい店を見つけてな。マロロはよく来るのか?」
「マロはこの店の親父殿が営業していた頃からの付き合いでおじゃるから、跡継ぎがようやく店を継ぐ頃になったと聞いてすぐに駆けつけたでおじゃる」
なるほど、それでこの表札と内装の不釣り合いさも説明がつく。親の看板をそのまま背負いたくないという気持ちもよく分かる。それにマロの行きつけとあっては、後追いだが味の保証もされたようなものだ。親の散財に悩まされる彼の審美眼は確かなものであることは、誰も疑いようがない。ウコンたちと飲むときも、利き酒で賭けるたびマロにすべて持っていかれる事も結構ある。その位、確かな味覚を持つあいつが認めた店なら、俺の店選びは間違っていなかった。
「マロロさん、いらっしゃいませ。親父は裏にいますけど、呼びますか?」
「いや、いいでおじゃるよ。それではいつものを頼むでおじゃ。ハク殿はもう飲まれたでおじゃるか?」
「いつものじゃわからないぞ、何かおすすめがあるのか?」
「そうだったでおじゃるな。この店は若旦那が家を飛び出し外つ国で学び、体得した麦酒が名物でおじゃる」
そんな名前の酒、前に聞いたことがあるような気もするが確かな記憶ではない。確かに思い出してみれば、表の瓶にそんな文字が書かれてあったようにも思う。舶来品や、外の技術というのには目がないというのは何処でも同じものなのだろうか、なんてことを考えながらマロにもう少し聞いてみる。
「麦酒か……どんな酒なんだ?」
「味は普段飲む酒に比べて香ばしく、それでいて苦味は結構強めの大人な酒でおじゃる。それなのに酒精は弱く、さっぱりとした爽快感もあるからグイグイ行けちゃうでおじゃる」
「おいおい、飲みすぎて潰れるなよ」
マロの説明を聞いているだけでも美味そうな様子は伝わってくる。早速店主に俺の分も追加で頼んでみた。いつもの酒だけじゃなく、新しいものはやはり自分でも試してみないとな。
「それじゃ、乾杯」
「乾杯でおじゃ」
色付き硝子から木製の杯に注がれたそれは、琥珀色をしていてさらにはかなり泡立つ。注ぎ終わったときには杯の上になみなみと白い泡が立ち、しかもそれが消えることなくしっかりと形を保っている。手慣れた手付きで注ぐマロからもらい、そして乾杯。爽やかな炭酸が喉を突き刺すように刺激しながらも潤し、同時に口の中には穀物の豊かな香りが満ちてくる。
「へぇ、炭酸なのか。こりゃ暑い日にはピッタリだ」
「ムゼウの実から作った酒にも、こんな泡立つものがあると聞いたことがあるでおじゃるが、これはそれよりも泡が細かいでおじゃるなぁ」
まだ見ぬムゼウという果物とその酒も気になることには気になるが、今はそれより眼の前の麦酒を楽しもう。確かに酒精はかなり弱く、これならば飯と一緒にグイグイ飲んでも酔うことは少なそうだ。あの白楼閣の主ならこの店の瓶をすべて飲んでもまだ足りないなんて言い出しそうだな、なんてくだらないことを考えつつ、手近にあった肴に手を伸ばす。
溢れ出る肉汁の甘みと、この酒の苦味は間違いなくピッタリだ。そんな直感は思った通り的中した。普段の酒ではこってりし過ぎだと感じてしまうところが、この酒はそれを洗い流すように口の中を満たしてくれる。この店の名物なだけある。料理もきっと、これに合うものをうまく選んでいるのだろう。
「気に入ってもらえたでおじゃるか?」
「もちろん、こりゃ美味いな」
「ありがとうございます、ところで、お得意様であるマロロさんに試してもらいたい瓶がここにあるんですけど、いかがですか?」
「もちろんいただくでおじゃ、して、どんな味でおじゃるか?」
そう言って店主が持ち出した瓶は、さっきまでのものより色が薄めだ。瓶自体はさほど変わりがないように見えることから、この中身の色が薄いことが想像できた。同じ麦酒でも違うものがあるのか。これは楽しみだ。
「こっちは試しに作ってみたものでして、同じ麦酒でもこちらのほうが、香り高いと思います」
「へぇ、それじゃ味見させてもらうか」
杯に注がれた液体は、さっきのものと比較してかなり色が薄い。琥珀色だったさっきのものに対して、こちらは黄金とでも言うべきだろうか。注いだときの香りはさほど強いわけではなく、その点はさっきの酒と同じように見える。
「これは……まるで果物をそのまま食べたときのような味がするでおじゃる。もちろん麦酒の苦味は強いでおじゃるが、それよりもこの香りはまた良いものでおじゃるな」
「美味いな。これなら薄味のものにもよく合いそうだ」
さっきのが苦味強めでさっぱりとした飲み口だったのに対して、こちらはしっかりと香りが口の中に残る。魚を食べるときにリンタンを絞るようなもので、食べ物の味わいにまた深みを足してくれる。2つの違う味わいの麦酒、こんな店を見つけられるとは、なんたる僥倖だ。マロも俺が美味そうに飲むのを見て、満面の笑みを浮かべている。今日ばかりはマロに感謝しなきゃな。
「マロ、今日はありがとな」
「突然どうしたでおじゃるか。マロはただハク殿の飲みにお邪魔してるだけでおじゃる」
「こんな美味いものを知らないままだったら、もったいなかっただろ」
「ハク殿の喜びはマロの喜びでおじゃる。気にせず今日は飲むでおじゃるよ!」
次はウコンやサコン、酒に弱いから普段はあまり飲めないキウルなんか連れてきても悪くない。そんなことを考えつつ、マロロと飲み明かす一夜を楽しんだ。
昼間から酒が飲みたくなるような話を書いてみたかった。
多少お酒の知識がある人であればお気付きとは思いますが、店主が後から持ち出してきた麦酒のモデルはエールビールです。最近はプレモルの香るエールなんてあるから、意外と飲んだことも多いかもですね。