海の男の飲みっぷりを見たアトゥイの酒癖の悪さは、あれはあれで彼女らしくて好きでした
酒を飲むときだけは、頭に去来するモヤモヤを忘れられていい。難しいことを何も考えず、ただ心地よく過ごすことができる。記憶がないというのは、むしろ幸せな事だったんだと、今更ながら実感させられていた。もっとも、今はそんな過去の追憶に浸ることなど許してくれそうにない。目の前の少女はすでに2つ目の徳利をものの5分で飲み干し、呆れ顔の店主に3本目を注文しようとしていた。
「おにーさんもまだまだ飲むぇ、ささ、杯が乾かないうちに」
「だから、どうして俺を巻き込んでるんだよ」
「あやや、おにーさんいけずやぇ。ええ女が飲みに誘っているんやから、乗らないと男がすたるってものやぇ」
「自分で言うか……」
店主以上の呆れ顔でアトゥイを見ると、まだ顔は平常時のそれだ。素面でこれでは、後が思いやられる。せっかくクオンから臨時ボーナスを貰ったというのに、この一晩でどれだけ使い込む事になるやら。
気を取り直し、目の前の更に盛られた炒めものを見る。おそらくは動物の腸と葉物を甘辛く炒めたであろうそれは、見るからにこってりした味わいだろう。こういうのには爽やかな発泡系の酒が合う。あるいはこれは普通の飯として食べるのも悪くない。白米が恋しいところだが、間に合わせとしてはアマムを蒸したものがちょうど良さそうだ。
「すいません、これとこれを」
「ウチも頼むぇ」
「あいよ、注文入りやした!」
アトゥイは自分の杯から手を離すことなく、3本目の徳利を空っぽにして転がしていた。満足げな顔をしているが、そりゃ人の金で飲む酒ほど美味いものはない。実家があれだけ良いところのお嬢さんなら、こんな小市民の飲み屋なんかに入り浸る必要があるのかと思わないでもないが。
頼んでいた蒸しアマムと炒め物を口に放り込む。絡みつくようなドロッとしたソースと穀物が見事に合う。味の濃い食べ物にはこの淡白なぐらいのアマムが良い。ちゃっかり2人前頼んでおいたアトゥイもこれらが奏でるハーモニーを楽しんでいるようだ。
ちょうどそんな頃合いに、手元の酒が空っぽになってしまった。少しの逡巡の後、意を決し店主を呼ぶ。この帝都、宵越しの銭は持たぬとはよく言ったものだ。せっかく酒を飲みに来たんだから、懐事情を気にして美味いものをみすみす見逃すなんて真似はしたくない。
「おやっさん、このムゼウの酒ってのはどんなものなんだ?」
「ウチの大好物やぇ、おにーさんも飲むんけ?」
「そっちの方の酒なのか?」
「おや、ムゼウ酒が好きとは、お嬢ちゃん南の方の出身ですかい?」
出身どころか、そこの領主の娘だと聞いたらたまげそうだがな。確かにこの近所で頻繁に見る酒ではないし、アトゥイが好きな酒というならせっかくの機会だ。これは飲むしかない。杯に注がれたムゼウ酒は透き通っているが、それでいて少し色はついているように見える。軽く匂いを嗅ぐと、果実特有の爽やかな透き通るようなかぐわしさがある。
「あやや、やっぱりムゼウ酒を飲むのはウチの地方のヒトばかりやから、バレてまうなぁ」
「いやいや、最近じゃ都でムゼウ酒づくりに取り組み店も増えてますぜ」
街のはずれを歩いていた時に藤のような樹木を多く見かけた気がしたが、あれがムゼウの木か。酒のために個人栽培しているのだろう。アトゥイの故郷と気候は違うはずなのに、それでもここでムゼウ酒のために同じ作物を栽培するとは。ヒトの食に対する欲求というのはつくづく恐ろしい。
「そいじゃ、いただくで」
「おっと、俺も頂くぞ」
匂いとは裏腹に甘みはかなり抑えられ、むしろ渋みのほうが強く感じられる。果物から作った酒という先入観がそう感じさせたのだろうか。しかしただ苦いだけではない。口の中から鼻腔に抜ける香りは確かに爽やかなもぎたての果物を思わせる。程よい酸味が味を引き締め、ただ苦いだけではなく複雑な味覚を与えてくれているようだ。
口の中に広がる苦味になれてくると、今度は湿った土のような匂いと甘みがやって来る。豊かな土壌で育った果物だということがよく分かるような、そんな素朴で奥深い匂いにどことなく懐かしさすら覚えていた。アトゥイもまた、故郷の味を噛みしめるように味わい飲んでいた。
「やっぱりこの味やぇ、苦いだけじゃなく、しっかり酸味もあって最高や」
「気に入ってもらえて何より。それにお目が高いと見える」
「まぁ、そりゃな」
あの八柱将の娘なんて言うわけにはいかないが、そのアトゥイが味に太鼓判を押すだけの事はある。すっかり気を良くした店主は裏からなにか取ってこようとしていた。さっきのムゼウ酒とはまた違う、少し小ぶりなそれを手にし、硝子の杯をこちらに差し出す。
「お客さんにゃ、このとっておきのムゼウ酒を飲ませにゃならんなぁ」
「ふぁぁ……おにーさん最高やぇ、はじめて見るムゼウ酒はウチも楽しみや」
「初めてって、ムゼウ酒にも種類があるのか?」
「そうやぇ、でも、これは初めて飲むなぁ」
杯に注がれるところで、ようやくその特異性に気付いた。注ぐたび泡立ち、杯の上部で飛沫をあげるその様は、酒に限らずほとんどの飲み物でも見たことがない。いや、正しくはこの時代で、というべきなのだろうが。
「ささ、泡が消えないうちに」
「んっ……ええなぁ、爽やかなお酒も好きやぇ」
口の中をチクチクと刺激する炭酸が心地いい。さっきのムゼウ酒に比べれば渋みは抑えてあり、甘みが強く感じる。同じムゼウ酒だというのにここまで味付けが変わるものなのか。驚きのあまり、先に頼んでおいたグラスにもう一度口をつける。さっきの甘みとはまた違う、奥ゆかしさのある程よい甘みがまた口の中を満たしていった。
飲み比べるうちに、杯はすぐにからっぽになってしまう。裏からひょっこりと顔を出した店主は、さっきの酒をまた手にしてこちらにやってくる。そういえばこいつのお代がいくらか聞き忘れていたが、こんな旨い酒を前にして懐を気にするなど愚の骨頂。彼女が酔いつぶれるが先か、俺の懐が尽きるが先か、行けるとこまで飲み干してしまおう。