東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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プロローグ  
第1話 : 異変


 

 容赦なく追撃の雨が降り注いだ。

 その身体は突風に舞う小石のごとく空しく吹き飛び、何度も、何度も地面にたたきつけられている。

 溢れ出した血で全身を朱に染め、目の焦点はどこか空を切っているその姿からは、いつもの覇気など欠片も感じられない。

 

 だが、それでも少女は立っていた。

 

「もういい! もういいから……だから!!」

 

 妖怪は叫んだ。

 自分がまだ、こんなにも感情的に叫べるのかと不思議になるくらいに。

 だけど少女は振り返らず、ただゆっくりと口を開いて、

 

「それでも、私は……」

 

 それだけ呟いて、また立ち向かっていった。

 

 妖怪はもう何も言えなかった。

 何かを言える資格があるだなんて思えなかった。

 その運命に少女を縛り付けてしまったのは、他でもない自分なのだから。

 

 妖怪の喉から湧き上がりかけた、少女を呼ぶ声は再び静寂へと還っていく。

 そして、既に死に体の少女から発せられたとは思えないほど真っ直ぐな声が、辺りに微かに響いたような気がして、

 

「霊符、『夢想…」

 

 声は途切れた。

 その声を遮るように鳴り響いた鈍い音とともに、少女は遂に倒れて動かなくなった。

 もう、誰の目から見ても限界だった。

 

 それでも再びその影は、動かぬ少女に向かってゆっくりと迫っていく。

 

「やめて……」

 

 だが、その声はもう届かない。

 その身体はもう動かない。

 いくら泣き叫ぼうとも誰もやめてくれないし、一瞬たりとも待ってはくれない。

 

 妖怪はもう知っていた。

 

 世界は、ここで奇跡が起きるほど優しくできてなどいないことを。

 世界は、残酷さに満ち溢れていることを。

 

 もう、痛いほどに思い知っていたのだ。

 

 だからこそ、妖怪は意識を保つことすら辛いその身体を奮い立たせて決断する。

 容赦なく現実が目の前を真っ黒に染め上げようとも。

 誰が何を嘆こうとも。

 誰が何を願おうとも。

 たとえその先に待っているのが、深い、深い絶望だとわかっていたとしても。

 

 それでも、守りたいものがあるから。

 

 

 ――だから、せめて私は――

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第1話 : 異変

 

 

 

 

 

 幻想郷。

 

 それは忘れ去られた者たちの世界。

 幾多の種族がひしめき合いながらも調和を保ち続ける世界。

 そこは外の世界の住人から見れば、ただの日常すらも全てが新しい物語だった。

 

 それ故、外の世界から幻想郷に来た人間である東風谷早苗の胸は、いつも期待にあふれていた。

 外の世界のような退屈などない。 

 毎日が驚きとワクワクでいっぱいだった。

 

 そして、ただでさえ退屈のないその世界にとびっきりの変化、つまり『異変』が起きた時、彼女の目には一体何が映るのだろうか――

 

 

 

 

「……はぁぁ、どうしましょう」

 

 早苗は大きくため息をつき、守矢神社の廊下へ倒れこんだ。

 地底での異変から間もなく起こった新たな異変は彼女を発起させたが、始動から2日が経った今日も全く進展がないのだ。

 

「どうした早苗? お前がため息をつくなんて珍しいじゃないか」

「むーっ、何ですか神奈子様。 その言い方じゃ私がいつも何も考えてないお気楽娘みたいじゃないですか」

 

 そう答える早苗の表情は、いつもよりも不機嫌そうだった。

 

「まぁ、異変解決はお前の仕事ではないとはいえ、自分もやるといったのはお前だろう」

「それはそうなんですけど……」

「ため息をつきたくなるのもわかるが、やると言ったからには守矢神社の巫女がそんな体たらくでは困るな」

 

 ここ守矢神社は、外の世界で失った信仰を取り戻そうと最近幻想郷に引っ越してきた新たな神社である。

 そこに住まう軍神の八坂神奈子、土着神の洩矢諏訪子、その巫女である東風谷早苗の3人は、幻想郷に来て早々に博麗神社の巫女に宣戦布告をした。

 博麗の巫女は幻想郷で起こった異変を解決する、いわば幻想郷の中心ともいえる人物であるから、それを傘下に治めれば幻想郷を掌握して一気に信仰を集めることができると考えたのだ。

 しかし、現在の博麗の巫女である博麗霊夢は、幻想郷独自の勝負である『スペルカードルール』に則った決闘において他を寄せ付けない強さを見せる天才であり、守矢神社のメンバーは結局3人とも霊夢に完全敗北してしまい、幻想郷の信仰を独占する計画は夢に終わってしまった。

 

 それでも、早苗は諦めてはいなかった。

 その敗戦以来、早苗は勝手に霊夢をライバル視するようになり、同じ巫女なのだから自分も異変解決をすると言い始めた。

 元々負けず嫌いだった早苗は負けっぱなしで大人しくしていることが耐えられず、異変解決という霊夢のお株を奪うことで汚名返上をしようと思ったのである。

 そして間もなく、そんな早苗の対抗心を迎合するかのように、2つの異変が発生した。

 暇を持て余した天人による地震騒動や地底世界から間欠泉が湧き出てきた異変は、その解決を誰よりも先んじようとする早苗を奮起させた。

 だが、その2つの異変も……いや、全ての異変は霊夢によって解決されていた。

 異変が起きても、早苗が張り切って右往左往してる間に、いつの間にか霊夢は異変を解決してのんびりとお茶の時間に入っているのだ。

 

「はぁ。 まったく、いつになったらお前は一人前に……ん?」

 

 そこで突如、ブワッと守矢神社に強い風が吹いた。

 寒さを乗り超えてやっと生え始めた木の葉が空しく境内に舞い散り、整えられた地面を砂埃が覆う。

 

「おっす早苗、調子はどうだ?」

 

 そして、もう一人。

 

「ちなみに私はまだ手がかりナシだぜ」

 

 突然の爆風とともに現れたのは、白と黒の服を身に纏い、箒にまたがった怪しげな少女だった。

 

「もう! だからなんで貴方は普通に来れないんですか!!」

「おう、隣失礼するぜ」

 

 霧雨魔理沙。 彼女は普通の魔法使いを自称する人間である。

 落とした帽子の砂を払いながら、悪びれた様子もなく荒らした境内には目もくれず、魔理沙は早苗の隣に遠慮なく座りこんだ。

 

 この横暴な魔法使いもまた、霊夢をライバル視し、異変解決に乗り出そうとする一人である。

 魔理沙も早苗と同じく異変を解決したことはなかったが、それでもその活躍は幻想郷中に知れ渡っていた。

 

 早苗が幻想郷に来る少し前に起こった花の異変。

 その異変はいつも通り霊夢が解決したが、魔理沙はその異変で、スペルカードルールに則っているとはいえ、誰もが恐れる花の大妖怪、風見幽香を黒幕と勘違いして勝負を挑み、なんと勝ってしまったのだ。

 それ故、その異変では異変を解決した霊夢よりも、むしろ霧雨魔理沙の名が知れ渡ることとなった。

 

 つまり、幻想郷の異変解決を試みる3人の中で、早苗だけがまだ何もしていないのである。

 

「それで、今回の異変について結局早苗は何かつかめたのか?」

「……実は、まだほとんど何も見つかってないんですよぅ」

 

 そう答える早苗の声は随分と弱弱しかった。

 

「そうかー、これじゃ今回もまた霊夢に先を越されちまうかな。 実は今日の朝博麗神社に寄って来たんだが、霊夢はもう異変解決に行っちまった後だったぜ」

「ええええええ!?」

「多分あいつのことだから、そろそろ解決して神社でお茶でも飲んでるかもなー」

「そんなあ……」

 

 今回の異変こそは! と、奮闘していた早苗はガックリとうなだれた。

 

「まぁ、終わったことをくよくよしてもしょうがないし、私はちょっくら博麗神社に寄って宴会の準備の手伝いでもしてくるぜ」

「で、でもまだ霊夢さんが解決したとは限らないじゃないですか!!」

「私もそう思いたいけどなぁ。 でも、今まであいつが動き始めた日の内に解決しない異変はなかったし…」

 

 霊夢は気まぐれで時々動き出しの遅いこともあるが、ひとたび異変解決に乗り出せばその日のうちに全てを解決してしまう。

 恐らくは彼女のサポートをしているだろう妖怪の賢者、八雲紫の情報力が大きな要因を占めているのだろうが。

 

「やっぱり紫がついてるってのはズルいよな。 ちゃんと自分の力で何とかできないとな。 そう、私みたいに!」

「そ、そうですよね!」

 

 紫に勝るとも劣らないほどの力を持つ神が2人もついているにもかかわらず結果を出せていない早苗は、そう言いつつ冷や汗をかいていた。

 

「……まぁ、そうは言っても実際は霊夢が紫に頼らなくても大して結果は変わらないんだろうけどな。 結局は私たち自身の力不足って訳だ」

「そう、ですね……」

 

 ――どうして私はダメなんだろう。

 

 幻想郷に来る前は、早苗は自分の弱さに悩むことなんて決してなかった。

 たいていのことなら自分にもできると何事にも自信を持って取り組んできた早苗は、幻想郷に来てからは優秀すぎるライバルに囲まれ、次第に弱気になってきていた。

 

 だが、それは早苗にとってはむしろ嬉しいことだった。

 自分で何でも簡単にできてしまう世界ほどつまらないものは無いことを、早苗は外の世界で思い知っていたからだ。

 自分の思い通りにならない現実、それに立ち向かうことのできる喜びを感じられる機会を与えてくれた神奈子と諏訪子に、早苗はこの上なく感謝していた。

 だからこそ、その2人の名に恥じないような立派な巫女になろうと決めていた。

 

「……このままじゃダメですよね」

「ん?」

 

 早苗は一人ボソッとつぶやいた。

 ただ成り行きに任せるなんてことは自分には似合わないし、そんな退屈な時間の使い方はまっぴら御免だった。

 

「とにかく! まだ霊夢さんが異変を解決したと決まった訳じゃないんですから、私はもう少し頑張ります!」

 

 早苗はそう言うと勢いよく立ちあがった。

 

「どこに行くんだ?」

「とりあえず、私も霊夢さんの様子を見に博麗神社に行ってみます。 何かしら情報共有をできるかもしれないので」

「ああ、じゃあ行くか」

 

 もし霊夢がまだ異変を解決していなければ、自分にもまだ汚名返上のチャンスはあるのではないか。

 そんな淡い期待を抱きながら、早苗は博麗神社へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば早苗は結局、この異変についてどこまでつかんだんだ?」

「へ?」

 

 博麗神社へと続く長い階段を早苗が律儀にも歩いて登っている隣で、魔理沙は箒の上に寝そべるような体勢で飛びながら尋ねた。

 

「早苗もなんだかんだで少しくらい見つけたこともあるんだろ?」

「それが、実際のところ有益な情報はほとんどないんです。 わかったことといっても、何が起きてるかぐらいで……」

「そうか。 まあ、私も特に何も見つけられなかったしな。 ここまで進展がないと流石に何かの陰謀を感じるぜ」

「そうですよね。 確かに今回は何かこう、つかみどころのない異変でしたよね」

 

 

 ある日を境に、幻想郷の生態系が少しずつ狂い始めた。

 ただの動物や妖精が妖怪を襲い、弱い妖怪がより強い妖怪を襲う。

 そんな非日常が日常となってしまうほどに、幻想郷のパワーバランスに異常が発生してきたのだ。

 

 そして、ある事件をきっかけに、その異変は一気に幻想郷中に浸透することになる。

 

 天狗の住処の壊滅だった。

 幻想郷の最大勢力の一つである天狗社会が、何の前触れもないまま崩壊したのだ。

 運よく妖怪の山から出ていて難を逃れた者もいるが、当時住処にいた天狗は一人残らず消え去っていた。

 誰の仕業かもわからない。

 ただ、多くの者はこう考えた。

 今まで多くの妖怪たちを支配してきた天狗。

 それに恨みを持つ者が、その恨みを晴らせるほどの大きな「力」をこの異変の影響で得て犯行に至ったのだと。

 

 それ以来、異変の恐怖は一気に幻想郷中に広まっていった。

 天魔や大天狗といった、幻想郷の中でもトップクラスの力を持つ者たちすらも越える力が、自分の知らないところで生まれていくのだ。

 誰がいつ他を圧倒する力を手にするかもわからない。

 弱肉強食の概念さえも否定され、昨日まで自分が見下していた相手が次の日自分に牙をむくかもしれないという恐怖に誰もが怯えて暮らすようになっていった。

 

 

「でもさ。 まだ霊夢が解決してなければ……なんて軽い期待してるけど、本当にまだ解決してないとなるとちょっと厄介なことになるんじゃないのか?」

 

 魔理沙は少し真剣な表情で言った。

 早苗も今回の異変は早々の解決をみないと本当に危険なことは重々理解していた。

 

 そもそも力とは、知性や理性と共存するからこそ、その存在が許容されるのである。

 神も、月人も、鬼も、大きな力を持つ者は凡そ一定以上の知性、あるいは理性を持ち合わせている。

 理性や知性に欠けるにもかかわらず大きな力を持った、世間知らずの吸血鬼や向こう見ずの地獄烏も、それは理性的で知性を持った主人に護られているからこそ、それは力を持った個として存在しうる。

 つまり、大きな力を常に監視・抑制する内的、あるいは外的な要素というものが存在するからこそ、世界は調和を保つことができるのである。

 

 では、力のない者の行動には何の制約が課されているのか。

 大きな力を持たぬ者には知性があろうとなかろうと、その行動がそれほど深刻な事態を招くことはないが故に、現状ではその存在を軽視されることに何ら問題はない。

 しかし、例えばもしあの自由気ままで悪戯好きな氷の妖精が必要以上の力を持ってしまえばどうなるだろうか。

 自分の力の脅威もわからず、制御の仕方も知らず、それを抑制してくれる者もいない。

 そんな力が思うままに動けば、それだけで一つの異変となり得る。 

 何の前触れもなく幻想郷が氷河期に突入する、氷河異変なるものが日常的に起きかねないのだ。

 そんな存在が目の届かないところで増えていけばどうなるかは、想像に難くない。

 扱い切れない程の力を持つ者が人知れず増えてしまえば、それだけで幻想郷は大きな爆弾を無数に抱えることになるのである。

 

「そうですね……」

 

 楽観的に博麗神社に向かった2人だったが、冷静に異変のことを考えてみて複雑な気持ちになった。

 やっぱり今回こそは自分が異変を解決したい。

 でも、今回ばかりはもう霊夢が解決済みであってほしい。

 そんな期待と不安の入り混じった思考を巡らせながら二人が博麗神社への階段を登り切った時、既に日は暮れていた。

 辺りは静まり返り、2人の足音だけが響く。

 

「静か、ですね」

「ああ。 神社の明かりもついてないってことは、まさか…」

 

「我を呼び覚ます者は、誰だぁぁぁぁ?」

 

 そこに、ふと唸るような声が聞こえた。

 誰もいない、ただ霧がかかっているように見えるだけのそこから声が湧いてくる。

 それまでの不安も相まって、二人は緊張で一瞬足がすくみそうになる。

 

 だが、冷静に考えるとその霧こそが声の主であることを2人は知っていた。

 

「もう、何やってるんですか萃香さん」

「なんだ。 早苗と魔理沙か」

「なんだとはなんだ。 随分な挨拶だな、萃香」

 

 魔理沙はすっかり緊張を解いていつものように軽口をたたく。

 すると、博霊神社を包むようにして覆っていた霧が収束し、やがて二本の立派な角を生やした小さな鬼の姿が現れた。

 しばらく前から博麗神社に住みつくようになった、鬼の四天王として悪名高い伊吹萃香。

 霊夢に負けて以来牙を抜かれたのか、すっかり大人しくなってはいるが、『密と疎を操る能力』という巨大化することも分身することも霧のように霧散することもできる強力な能力を持ち、未だ多くの者から恐れられている超危険人物である。

 だが、魔理沙と早苗はそんなことを全く気にしていない、というよりも萃香が危険であると考えてすらいなかった。

 

「霊夢さんはまだ帰ってないんですか?」

「ああ。 せっかく驚かしてやろうと思ってたのにな。 まったく暇ったらないぞ」

「そーか。 まぁ、外で待つのもアレだし、私は中で待ってるぜ」

 

 もはや萃香の悪戯に慣れてしまっていた魔理沙は、何事もなかったように先へ進む。

 また勝手に入って……という顔をしている早苗を無視して、魔理沙は遠慮なくズカズカと神社の中に入っていった。

 魔理沙は当然のように辺りを物色しながら進んでいく。

 しかし目ぼしいものも見つからず早々に諦めて、図々しくも勝手に茶室に寝転んだ。

 

「ちぇっ。 相変わらず大したもの置いてないな」

「そりゃそうさ。 一日中神社でダラダラしてるだけの巫女のところに新しい物なんてある訳ないだろ」

「まぁいいや。 霊夢が帰って来るまでとりあえずお茶でも飲んでるか」

「そうだな。 おーい早苗、お茶」

「えー」

 

 魔理沙と萃香は、まるで自分の家であるかのようにくつろいでいる。

 外の世界の住人であるが故に中途半端に常識の残っている早苗は、こういうところではいつも流されて雑用を引き受ける羽目になってしまっている。

 

「それにしても遅いな。 朝には出かけてたはずなのに」

「そうだな……今日は紫も見かけてないし、2人で行ったのならもう戻ってきてもいい時間だと思うんだけど」

「お茶、入りましたよ」

「おう、早かったな……ん?」

 

 早苗がお茶を運んできたとき、突如として魔理沙たちの前の空間が歪み始めた。

 空間に亀裂が入り、その隙間から言葉にできない色をした異空間が現れる。

 まるで世界の崩壊を思わせるその光景を前に魔理沙は、

 

「やっと帰って来たか。 遅せーぞ、霊夢、紫」

 

 そんな、いつものような気の抜けた言葉を放つ。

 

 八雲紫。

 妖怪の賢者と呼ばれる彼女は、『境界を操る能力』を持っている。

 その能力は応用性が高く、様々な事に使うことができるのだ。

 ある事象と事象を隔てる境界を思うままに創り、操作し、破壊する。

 そして、この空「間」に存在する境界を軸に異空間を創り、そこを通じて遠方からの空間転移をするのは紫の最も使う能力の一つである。

 

 だが――

 

「……あれ? どうしたんでしょうか」

「なにやってんだ、紫は」

 

 いつもなら境界が開くとほぼ同時にそこから顔を出す紫が、今日は何故かなかなか出てこない。

 魔理沙は怪訝な表情を浮かべて境界の様子を伺う。

 

 ――また何か企んでんのか?

 

 何かあるとだいたい紫が問題を起こす。

 それが魔理沙が紫に抱く、おおよそのイメージだった。

 実際は特段そういう訳でもないのだが、謎の多い妖怪である紫は多くの者の中で問題児として捉えられていた。

 境界が開いてからまだほんの数秒であるが、魔理沙はイライラして頭を掻き始める。

 早苗も少し心配そうな顔をしながら境界を見つめていると、しばらくして隙間からやっと霊夢の姿が見え始めた。

 

「はぁ。 まったく、なにしてたんだ霊…」

 

 だが、魔理沙が放った声は、その境界から何かが落ちた短い音に遮られる。

 何が起こっているのか誰もわかっていない。

 ただ、言葉を失っていた。

 そして、早苗が運んできた湯呑が割れた音と共に我に返った3人の視界に映ったのは――

 

「霊夢っ!?」

 

 全身を血に染め、動かなくなった霊夢の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人里離れた異境の竹林。

 その中に、永遠亭と呼ばれる建造物がひっそりと存在する。

 どんな薬でも作れるといわれている賢者、八意永琳が住まうそこの明かりは、ここ数日一度たりとも消えたことはない。

 

「あぁぁぁぁ。 もう限界……」

 

 両手両足を投げ出し、長く伸びたその兎の耳が床に付くのではないかというほどだらしなく椅子に腰を掛けた鈴仙・優曇華院・イナバは、気力ない声でそう言った。

 

「師匠ー、もっと誰か雇うとか何とかしてくれないんですかぁ?」

「あら、そんなだらしない格好して暇そうね、うどんげ。 じゃあもっと仕事を増やしてあげるわ」

「それだけは勘弁してください……」

 

 永琳にそう言われ、うどんげは僅か10秒程度の休憩を終えて処方箋をまとめる作業に戻った。

 

「なんなら、貴方のために10日間くらい眠らなくても死なない薬を調合してあげてもいいけど」

「……いえ、それはもう師匠に一昨日飲まされました」

「あら、そうだったかしら?」

「そうだったです」

 

 最近起こっている異変で怪我人が続出している影響で、永琳の薬を欲しがる患者がかつてないほど増えている。

 そのため、永琳は一日中薬の調合に追われることになったが、うどんげは朝と昼に様々な場所に出向いて薬の配達・患者の症状確認、それが全て終わり次第、夜は処方箋やその他情報をまとめて永琳に渡すというハードスケジュールを、全て一人でこなすことになった。

 もし永遠亭の近くに住む因幡てゐが薬の材料を集める仕事を引き受けてくれなかったら、彼女は過労で死んでいてもおかしくなかっただろう。

 

「でも、念のためにもう一本どう?」

「いいです。 本当に副作用とかで死にます」

「あらあら、私の薬も今一つ信用されてないみたいで残念ね。 でも今のうちに飲んどかないと、この後もっと面倒な仕事がありそうよ」

「へ?」

 

 そう言うと永琳はおもむろに立ち上がり、窓を開けて結界を張った。

 次の瞬間、その結界に向かって何かが猛スピードで突っ込んできた。

 結界に阻まれて勢いをなくしたそれの首を、永琳が無造作に掴む。

 その掴まれたものを見て、うどんげはかつてない程大きなため息をついた。

 全身に白と黒の服を纏ったそいつは、うどんげの知る中で最も面倒事を起こす人間の一人だったからだ。

 

「あらいらっしゃい、永遠亭へようこそ。 でも、来るときはちゃんと入口から来なさいっていつも言って…」

「永琳!! 霊夢が……霊夢がっ!!」

 

 笑顔で自分の首を絞める永琳の言葉を遮って、魔理沙は泣きそうな顔で言った。

 永琳は魔理沙が抱きかかえるようにして連れてきた血まみれの霊夢を見て簡単な状況を把握すると、その後ろから迫ってくる2つの気配を察知して言った。

 

「はぁ、わかったわ。 じゃあ霊夢のことは診てあげるから、とりあえず――」

 

「魔理沙さん、霊夢さんは!?」

「霊夢は無へぶっ!?」

「――貴方は帰りなさい」

 

 魔理沙に追いついて早苗と萃香が到着したが、何故か萃香だけが謎の力で永遠亭の外へ吹き飛ばされてしまった。

 

「痛た……おい、なにすんだよ!!」

「だから、貴方は勝手にここに来ちゃダメって前にも言ったでしょう」

 

 そう言って永琳は萃香を永遠亭から追い出した。

 

 永琳の本来の仕事は薬師ではない。

 永遠亭の奥に住まう月の姫君、蓬莱山輝夜を護衛することこそが彼女の目的であり、薬師というのは幻想郷にうまく溶け込むための表の顔なのである。

 それ故、輝夜に危害を加えかねない者には永遠亭への出入りに規制をかけている。

 スペルカードルールがなければ幻想郷最強との呼び声さえもあり、好戦的な鬼の四天王として悪名高い萃香を永琳が警戒するのは当然のことなのである。

 

「ちぇっ。 そう心配しなくてもさぁ、私は別にもう輝夜になんて興味はないよ」

「貴方の言うことなんて、信用できないわ」

「……ふん、そうかい。 まぁ別にいいよ、霊夢を治してくれるんなら私は外にいるからさ」

 

 拗ねたような声でそう言って、萃香は永遠亭の外の壁に寄りかかるように座り込んだ。

 永琳はそれに対し、少し小馬鹿にしたような態度で言う。

 

「そう、お利口さんね」

「子ども扱いすんな!」

「師匠、準備できました」

「わかったわ」

「おい、聞いてんのか!」

 

 永琳が萃香と無駄口を叩いているうちに、既にうどんげは霊夢を寝台に乗せ、必要な道具を揃えていた。

 ひたすら萃香の不平が響く中、それが聞こえていないと思える程に永琳は集中して霊夢を観察する。

 そして、永琳は片手で霊夢の頭を触れながら何かを察し、もう片方の手で寝台の横にある液体に霊力を込めて調合し、そのまま霊夢の身体に浸透させた。

 

「多分、これで大丈夫ね」

 

 そう言って永琳は治療道具を置く。

 まだ霊夢の治療を始めてからほとんど時間は経っていないが、霊夢の血は止まり、顔色も少し良くなっているように見えた。

 永琳のもつ『あらゆる薬を作る能力』を用いれば、たとえ不治の病を治す薬でも、不老不死になれる薬でも、材料さえあればどんな薬でもつくれる。

 だから、この程度の疾患を治す薬を作ることなど造作もないのだ。

 しかし、あっという間の出来事に実際何が起こってるのか全然わからなかった魔理沙は少し疑問の声を上げる。

 

「おい、それだけで本当に霊夢は大丈夫なんだろうな!?」

「大丈夫よ。 ちょうど薬の材料のストックは十分あったからね」

「信用できないな。 そんなあり合わせの薬だけで本当にいいのか?」

 

 外から萃香の不満そうな声も聞こえてくる。

 必要以上に突っかかってくる萃香に、永琳は少し面倒そうに言う。

 

「別にここに連れてこなくても、普通の町医者に見せて問題ないような疾患よ」

「はあ?」

「確かに霊夢がこの傷を負ったのは間違いない。 でも、それが無理矢理何らかの力でほとんど治されていたわ。 ……これは単なる私の推測だけど、八雲紫の力でそれが治されたってところね。 気絶した直接の原因は多分頭部への打撲による脳震盪。 それと全身に結構なダメージがあるみたいだけど、あとは放っておいても明日か明後日には目を覚ますと思うわ。 まぁ、まともに動けるようになるまでは少なくとも1週間くらいかかると思うけどね」

「……そうか」

 

 紫が傷口という境界を閉じることくらい朝飯前であることは、2人にも容易にわかった。

 古くからの紫の知り合いである萃香は元より、魔理沙や早苗も紫の力については信用している。

 それ故に、霊夢はもう大丈夫だと理解し、ようやく落ち着くことができた。 

 だが、魔理沙が浮かべていたのは安堵の表情ではなかった。

 

「それにしても、紫は一体何やってんだよ」

「まぁ、紫にもいろいろあるんだろうさ」

 

 少しは紫のことを理解している萃香とは対照に、魔理沙は紫に対する不満を口にした。

 

 紫は幻想郷を管理する大妖怪、つまりは幻想郷を形成する博麗大結界を維持している博麗の巫女を管理することが役割の一つである。

 しかし、かなりの頻度で霊夢に会いに行く魔理沙は、そんな理由がなくとも紫が霊夢の傍にいることを知っていた。

 何かあるたびに、いつも突然霊夢の所に現れることを知っていた。

 だからこそ、魔理沙は許せなかった。

 

 ここに来るまでの間、いくつもの戦闘があった。

 異変の影響なのか、いつもならただ通り過ぎるだけの獣たちが血の匂いを嗅ぎつけて狂ったように手負いの霊夢に襲い掛かってきたのだ。

 幸い早苗や萃香がいたおかげで、何の問題もなく永遠亭に辿り着くことはできた。

 だが、すぐに駆けつけられる能力を持っているはずの紫は、なぜ霊夢を助けに来なかったのか。

 

「……もしかして、紫さんがこの異変に関わっていると考えていいのでしょうか」

 

 早苗がつぶやいた。

 そう考えると納得がいく、と魔理沙も思っていた。

 考えたくはないケースだが、異変解決に来た霊夢を傷つけて博麗神社に送り返したこと自体が紫の仕業なのではないかとさえも思った。

 だが、仮にそれが真実だとしても、魔理沙は紫が異変に関わっていることに怒っているのではなかった。

 

 幻想郷で使われているスペルカードルール。

 これはもともと紫の発案により使用されるようになり、その目的の一つは戦闘による被害を最小限にとどめることだった。

 だから、たとえ紫がこの異変に関わってるのだとしても、スペルカード戦が終わればそこで終わり。 

 その後の霊夢の身は最大限に気遣ってもいいはずなのだ。

 傷の手当てをしただろうことや、霊夢を博麗神社に送り届けたことについては感謝している。

 だが、霊夢が倒れていることを知っているはずの紫が、霊夢を放っておいていることが魔理沙には許せなかったのである。

 

「いつもいつも問題起こしやがって、まったくあいつは…」

「残念だが、それはお前の勝手な思い込みだ」

「うおっ!?」

 

 魔理沙の言葉を遮って、声が聞こえた。

 そこには、いつの間にか九本の大きな尻尾を揺らした一人の妖怪が立っていた。

 八雲藍。

 彼女は紫の式神であり、自身も九尾の妖狐という最上級クラスの妖怪である。

 辺りを見回すと、いつものようにその抑揚のない声で、藍は口を開く。

 

「やはりここにいたか」

「今日は随分とお客さんが多いのね。 今日は貴方がここに来るとは聞いていないのだけど…」

「突然の訪問をお許しいただきたい。 霊夢は、無事なのでしょうか?」

「しばらくは眠ってるだろうけど、命に別状はないわ。 貴方の主人のおかげでね」

「そうですか」

 

 淡々と用件を確認していく藍。

 しかし、魔理沙は今日の藍の様子にどこか違和感を感じていた。

 霊夢を見る藍の目は、どこか物悲しそうにも見えた。

 

「おい、藍! 霊夢がこんな状態だってのに紫は一体何してんだ!」

「それは……」

 

 そして、やはりその違和感は間違っていなかった。

 藍はいつも憎たらしいほどに自信に満ちた妖怪だった。

 幻想郷を司る大妖怪、八雲紫の式神として、これ以上ないほどの威厳を持っていた。

 しかし、今日は藍の振る舞いにも、言葉にも、いつものような覇気がまるで感じられなかったのだ。

 

「まぁ、その様子だと今回のことについてはお前も紫から何も聞かされてないんだろうな」

 

 魔理沙はただ立ち尽くす藍をからかうように言ったが、藍は何も答えなかった。

 

「……それで? 今日は貴方は霊夢の様子を見に来た、ということでいいのかしら?」

「いえ。 八意殿、今日は貴方に頼みがあって参りました」

「私に?」

 

 霊夢の様子を見に来たのだと思っていただけに、永琳は少し怪訝な表情を浮かべた。

 霊夢のことでないというのなら、突然の藍の来訪が事前に計画されていたものである可能性があるからだ。

 

「……それは、一体何の用かしら」

「貴方に、しばらくの間幻想郷の管理を一任したい」

「はあ!?」

 

 突拍子もない藍の依頼に答えたのはなぜか魔理沙だった。

 

「ちょっと待て、いきなりどういうことか訳が分からないぜ。 こっちにもわかるような説明を要求する!」

「魔理沙、私は今日はお前と話しに来たんじゃない、黙っててくれないか」

「ああん!?」

「それで八意殿、返事を聞かせていただきたいのですが…」

 

 逆上する魔理沙と、それを無視してあくまで淡々と事を進める藍。

 その光景はいつも通りのことで、別に珍しいものでもなかった。

 しかし、今日はいつもとは状況が違った。

 

「……珍しいわね、貴方がそんなに動転しているなんて」

「ああ!? 私が一体何してるって?」

「魔理沙のことじゃないわ。 貴方のことよ、八雲藍」

「私が、動転? それは一体どういうことでしょうか」

「どういうも何も、魔理沙の言う通りよ。 いきなりそんなこと言われても私は別に全知全能の神でも何でもないわ。 どういうことか説明してもらわないと私も判断のしようがない。 そんなことくらい、考えるまでもないでしょう?」

 

 永琳の言ってることは誰でもわかるような、もっともなことであった。

 今日の藍は、物事を誰よりも冷静に、理性的に進めるいつもの藍と同一人物とは思えなかった。

 

「……そうですね、その点は私が悪かったです。 改めます」

「そうだ、今回は私は悪くないぜ」

 

 魔理沙が何か言っていたが、そんなことは気にも止めずに藍は続けた。

 

「緊急事態が発生したので、大至急この幻想郷を任せられる人が必要なんです」

「大袈裟だな、緊急事態っていってもどーせ異変のことだろ? そんなの私たちがすぐ解決して…」

 

 魔理沙が茶化すようにまた何か言おうとしたが、藍の異変を感じて言い止まった。

 藍が、ただ何かをこらえているように見えて、魔理沙はいつものように藍に話しかけることに抵抗を感じたのだ。

 

「藍? 一体何が…」

「率直に言います」

 

 そして魔理沙の言葉を遮って、藍がその重い口を開けた。

 

 

 「紫様が、死にました」

 

 

 

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