東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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中編ノ壱 ~支柱~  
第14話 : 狂気


 

 気付くと、囲まれていた。

 得体の知れない黒を纏った猛獣たち。

 暗く淀んだ目に支配された妖怪たち。

 何度倒しても、また新たな敵が次々と襲ってくる。

 それも、弾幕を使わずに。

 

 ――ああ、血が騒ぐ。

 

 その拳を交わしあう。

 その腕を投げ飛ばす。

 その体を地に叩き付ける。

 その肉を引きちぎる。

 その骨を砕く。

 その胸を貫く。

 その首を飛ばす。

 

 「フフ、フフフフ」

 

 気付くと、笑っていた。

 恐怖すら感じない猛獣たちも、次第にその足が止まり始める。

 

 ――ああ、懐かしい感覚だ。

 

 スペルカードルールが始まって、どれだけの時間が経っただろう。

 平和な日常を過ごして、どれだけの時間が経っただろう。

 

 彼女は平和は嫌いではない。

 彼女はむしろ、平和を好む。

 だが、その身体に染みついた武は彼女を決して放しはしなかった。

 

 ――今、私は何を守っているのだろうか。

 

 その門の奥にある屋敷を守っているのか。

 そこにいる人たちを守っているのか。

 そこにある平穏を守っているのか。

 

 ――否。

 

 最初は1対1、1対3、そして次第に増えていく敵は、一度に10を超える数が同時に彼女に襲いかかっていく。

 だが、それはただの烏合の衆だった。

 一匹、また一匹と、猛獣たちは、妖怪たちは倒れていく。

 その足元には、弾幕戦では決して強いとはいえない彼女の力からは想像もできないほどの屍の山が築き上げられていた。

 そして彼女は再び恐怖を誘う笑みを浮かべて、

 

 ――私はただ、何人たりともここから先に通さないという誓いを貫くことで、自らの矜持を――

 

 

「――――――お邪魔するぜー」

 

 

 そこに一瞬響いた声が彼女の横をすり抜けて門の向こうへと消え、窓を突き破って紅魔館の中に入って行った。

 しばらくの沈黙。

 やがて、彼女はゆっくりと目線を上げ、

 

「……あーん魔理沙ー、せっかく私久々にいい感じだったのに―」

 

 若干涙目でそう言うが、そこにはもう魔理沙はいなかった。

 不機嫌な表情を浮かべながらも、美鈴は再び門の外にいる猛獣や妖怪たちと向かい合う。

 

 紅魔館の門番である紅美鈴は、『気を使う能力』をもち、武術を得意とする珍しい妖怪である。

 自らが持つ妖力はそれほど大きなものでもなければ、単純な力も妖怪としてはそれほど強いものでもない。

 それでも、美鈴は1対1の肉弾戦においては、格上の妖怪にも勝つことのできる技術を持っていた。

 

「あー、もういくらなんでも限界ですよー」

 

 しかし、それはあくまで個人の戦いにおいてである。

 いくら相手が弱くとも、その拳を、足を、自分より堅く大きな数十体もの相手に当て続ければ、その身体は次第にボロボロになってくる。

 

「めーりんさん、ファイトですっ!」

「そんなこと伝えるのに魔力使う余裕あったら手伝ってよ、こぁー!」

 

 美鈴が泣き言を漏らすが、返事はない。

 パチュリーもレミリアも咲夜も出かけてしまい、紅魔館に残っていたのは美鈴とパチュリーの使い魔の小悪魔だけだった。

 一応メイドの妖精たちもいることにはいるが、猛獣や妖怪の相手ができる戦闘能力は持っていない。

 そして、小悪魔は何を調べているのか、ずっと図書館に籠りっぱなしで美鈴を手伝おうとはしない。

 しばらく前に客人の魔法使いも来たが、

 

「……うぅー、流石にお客さんに門番の仕事なんてやらせたら後で怒られるよねー。 いや別に怒られないけども、お嬢様のあの無言で見下すような眼差しは地味に精神にチクチクくるんですよ、ええ」

 

 美鈴はただ一人ブツブツと独り言を漏らしていた。

 美鈴は基本的に紅魔館の門番として仕事を自分が請け負ってる以上、客人に仕事を押し付けづらいという妙な責任感がある。

 そのせいで、既に紅魔館の図書館にこもっていたアリスに協力を頼めないのだ。

 

「あ、でも魔理沙は客じゃなくて泥棒じゃん! 魔理沙―手伝えー!」

 

 駄々をこねる子供のような声で、美鈴は叫ぶ。

 声だけを聞くとそれは日常の一コマのようなほのぼのとした空気すら感じる。

 だが、手刀で刎ねた虎の首から返り血を浴びながらそんな気の抜けるような声を出す美鈴の姿は、それはそれでちょっとした恐怖だった。

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第14話 : 狂気

 

 

 

 

 

「運命、ねえ……」

 

 だだっ広い図書館で、さとりに壊されてしまった人形を直しながらアリスはそう呟いた。

 本棚の裏で新しい本を探しながら、小悪魔が不安そうな声で聞く。

 

「……あの、アリスさん。 私たち、こんなことしてる場合じゃないんじゃないですか?」

「こんなこと?」

「もう、ルーミアって妖怪は復活しちゃったんですよね?」

「そう言ったのは貴方じゃない。 それに、復活したのはルーミアじゃなくてそれに憑りついてる邪悪の方でしょ」

 

 霊力の供給以外は基本的に独立している式神とは違い、小悪魔は主人であるパチュリーと魔力で繋がっている使い魔であり、2人の間で情報を交信することができる。

 そのため、小悪魔は妖怪の山で起こっていたことをパチュリーを経由して知ることができたのだ。

 

「だったら、私たちはその邪悪の情報を集めるか、パチュリー様たちの助けに行った方がいいんじゃないですか?」

 

 だが、ルーミアと直接交戦中の今は、パチュリーには小悪魔と交信をする余裕などない。

 そのため、小悪魔には今のパチュリーの状況がわからず、少しでも助けになりたいという気持ちがはやるのである。

 そして、図書館に来たアリスに妖怪の山での出来事についてわかる範囲のことを伝えて協力を要請したところ、なぜかレミリアに関する情報を図書館で探すことになったのだ。

 疑問の表情を浮かべながらも、小悪魔は吸血鬼の記述や運命という概念についての記述、そしてレミリア自身の記録など、関連する物を探していた。

 

「それについては、どれだけ調べるより藍に聞いた方が早いことはわかるでしょ。 紫や藍が既存の記述の調べ残しなんてすると思う?」

「しない、ですね」

「だったら、それは時間の無駄にしかならないわ。 それに、あの3人の所に今さら私や貴方が行ったところで多分大した戦力にはなれないし、むしろ足手纏いになりかねないわ。 それなら、私たちは私たちのすべきことをした方がいいでしょ」

「それはそうですけど……でも、なんでお嬢様のことを?」

 

 レミリアは、現状では少なくともこちらの味方のようだった。

 それにもかかわらず今更レミリアのことを調べようとするアリスの狙いが、小悪魔にはわからなかった。

 

「……ねえ、小悪魔。 もし貴方が、幻想郷が滅ぶ運命を知ってたらどうする?」

「え?」

「貴方がレミリアと同じ立場だったらどうするかって聞いてんのよ」

「それは、えっと……そうならない方法を探します」

「そうならない方法、あると思う?」

「わからないですけど……でも、お嬢様の判断を考えると、少なくとも困難なことではあると…」

「私はそうは思わないわ」

 

 少し自信無さ気に応える小悪魔に、アリスはピシャリと言い切る。

 

「え……?」

「たとえば、もしレミリアがあらかじめ山の神に打診して地底の異変を回避していたら、それだけで今の運命は変わっていたんじゃないの?」

「あ、確かに……」

 

 レミリアは運命が変わらないと嘆いていたが、冷静に考えれば運命とは知らなければ変えることは不可能だが、知ってさえいれば変えることはそこまで難しくないものも多いはずなのである。

 たとえば、じゃんけんの運命について考えてみる。

 運命を知らない者が、運命の裏の裏の裏を数百回も読もうとした挙句に混乱して相手に目つぶしをくらわせる悲惨な結果になったとしても、運命を知る者から見れば、そいつは最初からあった「混乱して目つぶしを食らわせる」という運命の通りに踊らされているだけの哀れなピエロに過ぎない。

 だが、たとえば自分がじゃんけんで勝つ運命だと知っている者ならば、何かしらの手段で相手にパーを出すよう協力を求め、自分がグーを出せば、それだけで簡単に運命は変えられる。

 今回の異変についても、地底から怨霊が湧き出てきたことが原因で起こったため、レミリアがその運命を知っていたとすれば、怨霊を地上に出さないための行動を少しとるだけで、今の運命を未然に回避することができたはずなのである。

 要するに、『運命を知っている』ことと『運命を変えられる』ことはほぼ同義のなのだ。

 

「だから、レミリアの言っていた変えられない運命っていうのには矛盾があるのよ。 でも、レミリアはそんなこともわからないような馬鹿じゃないわ」

「……じゃあ、一体どういうことなんですか?」

「それは、私にもわからないわ。 でも多分、レミリアが今の今まで諦めざるを得なかった理由が何かしらあるはずなのよ」

「理由……ですか。 でも、今この状況でそれを調べたところで何になるっていうんですか?」

「そうね……でも、レミリアに運命を変えられない理由があったのか、変えたくない理由があったのか、変えてはいけない理由があったのか。 いずれにせよ、それを明らかにして解決すれば、少なくとも何かしらの対策は打てるんじゃない?」

「そう、なんですか?」

「それに、その理由がレミリアの能力の特殊性に起因するものなのか、感情的な問題なのか、ただの勘違いなのか……あるいは、レミリアがルーミアに加担せざるを得ない理由があるとすれば…」

 

「アリスっ!!」

 

 そこで、空気を読まずに図書館の扉を突き破って、箒に乗ったまま魔理沙が現れた。

 それとともに、示し合わせたかのようにアリスと小悪魔の表情が少し変わる。

 

「アリスっ、大変なんだ!!」

「知ってますよー、もうパチュリー様から聞きました。 ルーミアさんがヤバいらしいですね」

「え? ああ」

「それで、何のご用ですか、霧雨さん?」

「――っ!?」

 

 霧雨さん、などという口の聞き方をしたのは、小悪魔ではなくアリスだった。

 普段は使わない謎の丁寧語を使うアリス。

 そこで魔理沙は、地底でアリスと喧嘩別れしてしまったことを思い出す。

 

「あのなアリス、今はそんな場合じゃ…」

「気安く話しかけないでもらえますか?」

 

 ――ああ、こいつマジめんどくせえ!!

 

 魔理沙は頭を抱えながら何か言おうとするが、それを遮ってアリスも口を開く。

 

「アリ…」

「小悪魔ー。 そういえば私、しばらく前に誰かに地底で思いっきり蹴られたあげくめっちゃ睨まれたのよー」

「まあひどい! 一体どうしてそんなひどいことを!?」

「いや、それは…」

「それがね、気に入らない奴とケンカしそうになったら、横からいきなりよー?」

「それは、お前がさとりを貶したり消えろとか言ったりするから…」

「こーれはこれはルーミアさんに向かって消えろとか言ってた魔理沙さんチィーッス」

「っ!!」

 

 そこで小悪魔が早口で謎のツッコみをいれてくる。

 パチュリーを経由して妖怪の山での会話が丸聞こえだったのだろうことは、魔理沙にもわかっていた。

 

「それは……」

「それは?」

「あいつは……だって、あいつはっ!!」

 

 だが、冗長めいたアリスや小悪魔の態度とは対照的に、魔理沙には再び怒りの感情が溢れてきていた。

 にとりを、霊夢を、皆を傷つけた挙句、今この瞬間も幻想郷を滅ぼそうとしているルーミア。

 思い出しただけで殺意が湧いてくる相手。

 そんな相手に出会ったこと自体が始めての魔理沙には、その感情をどうしていいのかもわからなかった。

 

「あいつは、何?」

「……って違う違う、今はそんな話をしてる場合じゃないんだよ!」

 

 そこでやっと状況を思い出したのか、魔理沙が話を戻そうとする。

 だが、アリスはそれを遮って続ける。

 

「いいから答えなさい。 あいつは何だって?」

「だから、このままじゃマジで…」

「答えろ」

「っ!?」

 

 そこで、一人熱くなっていた魔理沙は背筋が凍る思いをした。

 いつものアリスと違う、寒気のするような声。

 魔理沙だけではない、小悪魔すらも気付けば背筋を伸ばして立ち上がっていた。

 

「何? あいつだけは別なの? 私に説教までしたくせに、ルーミアだけは許せない、消えるべき存在なの?」

「それは……」

「私の知ってるルーミアは、別に気にかけるほどの妖怪じゃない。 むしろ、今でも古明地さとりの方がよっぽど危険な奴だと思ってるわ」

「そんなことは…」

「それは、魔理沙が勝手にそう思ってるだけでしょ? 私が言うのは許せないくせに、自分が同じことをルーミアに言うのはいいの? それとも、魔理沙だけが正しいってことを、私に納得させられるような理由を提示できる?」

 

 魔理沙は、答えられなかった。

 初めて殺意というものを感じていた魔理沙は、どうしていいのかわからなかった。

 今のルーミアだけは、どうしても許せない。

 さとりとは違う。

 理由なんていらない、存在するだけで皆が不幸になる、そんな相手だと思っていた。

 だから、魔理沙には一つしか答えを出せなかった。

 

「じゃあ何だ、お前はこのまま幻想郷が滅んでもいいってのか?」

「……」

「紫も霊夢もにとりもみんな……みんなあいつのせいで今も不幸になってんだよ! あいつがいる限り、もう誰にも幸せな明日は…」

「もういいわ」

「え……?」

 

 だが次の瞬間、本当に魔理沙はもう喋れなくなった。

 そこにあったのは、地底の時よりもさらに冷たい、もう魔理沙への興味の全てを失ったかのようなアリスの眼差し。

 にとりやレミリアのような全てに絶望した目とは違う、自分だけに向けられているその冷たい目は、確実に魔理沙を追い詰めた。

 

「え、あの、アリス、私は……」

「続けましょう、小悪魔。 まだやることもあるでしょう」

「あ……はい、アリスさん」

「私は……」

 

 アリスはもう、ほんの一瞬すらも魔理沙に目を向けていなかった。

 そのまま振り返らずに図書館の奥に歩いて行く。

 誰よりも信頼していたはずのアリスに見捨てられた魔理沙は、言いようのない孤独感に襲われていた。

 

 ――わからねえよ。

 

 ――何がいけないんだよ。

 

 ――どうやって、あんなのと分かり合えっていうんだよ。

 

 そんな悪態を心の中でつきながら一人立ち尽くす魔理沙の前には、既にアリスも小悪魔もいなかった。

 もう、誰にも頼れない状況。

 霊夢はいない。

 にとりもいない。

 パチュリーは、魔理沙よりもレミリアのことを選んだ。

 そして……

 

「……ははっ。 懐かしいな、この感じ」

 

 魔理沙の目からは、気づくと涙がこぼれそうになっていた。

 アリスたちと出会う前、魔法使いになるために一人で実家から飛び出した時と同じ孤独。

 だけど、この孤独はその時とは違う。

 魔理沙はもう知ってしまっていた。

 誰かと一緒にいることの楽しさを。

 いざというときに頼れる誰かがいるという心強さを。

 全てを失ったことの喪失感は、知らなかった頃のそれとは比較にならなかった。

 それも――

 

「っ―――何だ!?」

 

 この、危機的な状況ではなおさらだった。

 

 突如として発生した、本棚が倒れるほどの揺れ。

 耳が痛くなるほどの轟音と、何かが崩れていく音。

 そこで異常事態が起こっていることは明白だった。

 

「アリっ…」

 

 だが、魔理沙がアリスを呼ぼうとした声は小さくなっていった。

 

 ――もし、この状況でもアリスが私の声に応えてくれなかったら……

 

 それが魔理沙には怖かった。

 目を背けたくなってしまった。

 

「……くそっ」

 

 魔理沙は箒を手に一人図書館を出ようとする。

 だが、扉が開かない。

 来るときに突き破ったはずの扉は図書館を覆う魔力で再生され、来た時以上に固く閉ざされていた。

 どれだけ力を入れても全く開かない扉に向けて、魔理沙はイライラしながらミニ八卦炉を構えて、

 

「開けよっ!!」

 

 勢いのままに魔法波を放った。

 それとともに図書館の扉は勢いよく吹き飛ぶ。

 その外には、見渡す限りただ瓦礫の山があるだけだった。

 

「……なんだよ、これ」

 

 そう呟いた魔理沙はただ呆然と立ち尽くしていた。

 地下だというのに月光が差している。

 地面は削れ、恐らく紅魔館の1階や2階にあっただろうものもバラバラになって地下と一体化していた。

 図書館は特殊な魔力で守られているため無事だったものの、修復不能な被害が紅魔館に出ていることは明白だった。

 そして次の瞬間、何かが瓦礫の中に突っ込み、辺りを砂煙が舞った。

 

「ぐっ……」

「美鈴っ!?」

 

 魔理沙の目に入ったのは、瓦礫の中で血まみれになっている美鈴の姿だった。

 魔理沙が叫ぶが、返事はない。

 少しずつ瓦礫を吹き飛ばし、名前を呼びながら急いで美鈴のもとへ駆け寄る魔理沙に、

 

「美鈴!! おい、しっかりしろ美…」

 

「ああ、やっと見つけたわ」

 

 後ろからそんな声がかけられた。

 その声が聞こえた瞬間、魔理沙の体が硬直する。

 

「……嘘、だろ?」

 

 本当に金縛りに遭ったかのように動けないのに、まるで痙攣を起こしているかのような全身の大きな震えだけは止まらない。

 魔理沙が僅かに動いた首と目線だけでゆっくりと振り返ると、そこには魔理沙の脳裏に深く焼きついている姿が映っていた。

 ただ、姿形だけは同じでも、そこにいるのは魔理沙の知っているそれとは違った。

 そこには、かつて感じた身も凍るような恐怖だけでなく、さっきルーミアに会った時と同じような、本能から湧き上がってくる恐怖があった。

 それは、目の前のそれが藍の言っていた支柱としての力を持っているだろうことを意味していた。

 

「なんでだよ」

 

 魔理沙は呆然と呟く。

 魔理沙には、信仰心などなかった。

 霊夢や早苗のような巫女とは友達感覚だし、神奈子たちのような神をありがたがることもなかった。

 だが、それでも――

 

「恨むよ、神様……」

 

 ただ、そう言わざるを得なかった。

 

 そこにあったのは、日光の全くない夜中にもかかわらず日傘を構えた一人の妖怪の姿。

 貫くような眼光を帯びた瞳で、まっすぐに魔理沙を見る幽香の姿だった。

 魔理沙は涙目になったまま、動けない。

 ただ、ゆっくりと向けられた日傘の先端が魔理沙を直線上に捉えて、

 

「ぐっ!?」

 

 魔理沙の頭が誰かに地面に叩き付けられると同時に、頭上を閃光が走った。

 魔理沙の後ろにあった瓦礫の山が爆ぜて跡形もなく消滅する。

 そんな状況を前に反応すらできなかった魔理沙に向かって、叱咤するような声がかけられる。

 

「バカ魔理沙、何ボーっとしてんの!」

「美鈴……?」

 

 ボロボロになった身体で、それでも美鈴は幽香の攻撃を察知して間一髪で魔理沙を助けていた。

 美鈴は一瞬で体勢を整えて幽香の方に向き直る。

 それを見た幽香が、また少し美鈴に関心を戻す。

 

「あら、まだ息があったの。 随分と頑丈なのね」

「あいにくと、それだけが取り柄なので」

「そ。 じゃあ、私の魔力が尽きるのと貴方が消し飛ぶの、どっちが早いか勝負してみる?」

「いやー、それはちょっと勘弁してほしいかなーと…」

 

 美鈴がそう言いかけたところで、幽香が一瞬で間合いを詰めて美鈴の腹部に突きを入れた。

 それはたとえ分厚い鋼鉄であっても粉々にできる威力を誇っていたが、美鈴はそれに合わせるように後ろへ跳んで威力を和らげる。

 それに追い打ちをかけるように幽香は美鈴の身体に何度もその腕を、足を叩き込むが、美鈴はそれを和らげ、逸らし、それでもダメなら自らの腕を犠牲にして致命傷を避ける。

 無傷とまでは言わないが、普通なら内臓が全て破裂し傷口や口から飛び出して絶命してもおかしくない攻撃を受けきってなお、美鈴は両の足を震わせながら未だ立っていた。

 

「あぐっ。 それは、ズルいですねぇ……パンチやキックじゃ何回耐えても魔力は減らないじゃないですか」

「ええ、そうね。 でも貴方みたいな妖怪は珍しいからつい肉弾戦を挑みたくなるのよ、ごめんなさいね」

「ははは……それは、武術家にとってはこの上ない褒め言葉ですよっ、と!」

 

 そして、今度は美鈴から仕掛ける。

 幽香を飛び越すほど高く舞い、後ろ足で渾身の蹴りを放つが、幽香はそれを片手で掴んだ。

 美鈴のように技術を使って威力を和らげたのではない。

 子供のパンチを手の平で受ける大人のように、ただ真っ直ぐ受け止めただけだった。

 だが、そこで終わるほど美鈴は凡庸ではない。

 掴まれた足を軸にして空中で回転し、そのままもう片方の足で捻りを入れた踵落としを放ったが……それを幽香は微動だにせずに額で受け止めていた。

 

「……うひゃぁ、マジっすか」

「ええ、マジよ」

 

 美鈴の放った渾身の一撃は、幽香の右手を微かに痺れさせ、その額に凝視すればわかる程度の痣をつけただけだった。

 幽香はそのまま掴んだ美鈴の足をヌンチャクのように無造作に振り回して投げつける。

 威力を分散できない地面に叩き付けずに、真横に投げ飛ばしたのは幽香のミスか、気まぐれか。

 美鈴は振り回されて方向感覚が狂ってる中で、それでも周囲にあるものに少しずつ身体を当てて威力を減衰していったが、やがて大きな一枚岩に叩き付けられて沈んでいった。

 

「さて、次は……」

 

 幽香が辺りを見渡すが、魔理沙はいなかった。

 魔理沙は岩にはりつけにされた美鈴のもとに逸早くかけつけ、抱きかかえようとしていたのだ。

 

「大丈夫か、美鈴!?」

「……う、ん。 いや、大丈夫、じゃ、ない、かな…」

 

 戦っていた美鈴の姿は、遠目から見ても既に限界だった。

 確かに美鈴の能力を使えば、全身に気を張り巡らせて打撃のダメージを抑えることも、身体を少しずつ治癒することもできる。

 だが、この状況ではそんな力はほんの気休め程度にしかなっていなかった。

 両の腕はグシャグシャに折れ、痙攣を起こしたような足でそれでも幽香に蹴りを入れる。

 そんな美鈴に、魔理沙は畏敬の念すら抱いていた。

 普段は昼寝ばかりのダメ門番のイメージだった美鈴のそんな姿を見て勇気づけられたのか、少しだけ冷静さを取り戻していた魔理沙は大急ぎで美鈴を箒に乗せて飛び立つ。

 だが、地下から飛び出した魔理沙たちを待っていたのは、

 

「なっ……」

「うわぁ……」

 

 暗闇の中に浮かぶ、数百の眼。

 狼のような猛獣から空中に浮かぶ妖怪まで、身体に漆黒の闇を纏ったそれらが群をなして紅魔館を取り囲むように留まっていた。

 

「あら、逃げるなんて随分と連れないのね」

 

 魔理沙は、全身から溢れ出す汗を止めることができない。

 今の自分に、目の前にいる数百匹の妖怪たちを同時に相手取ることなんて、とてもできるとは思わなかった。

 そして、背後にはその数百匹を軽く超える脅威が構えている。

 

「……さーて。 じゃあ、もう一踏ん張りしますか」

「え?」

 

 だが、そんな状況でなお美鈴は魔理沙の箒から降りておぼつかない足取りで地に立ち、再び身構えた。

 呆然とする魔理沙に、美鈴はいつものような気楽そうな声で問う。

 

「魔理沙ー。 あの妖怪一人と、あっちの集団の相手ならどっちがいい?」

「いや、でも…」

「遠慮しない遠慮しない。 ま、無理だって言うなら私が両方引き受けるからその間に逃げてくれればいいよ」

「はあ……?」

 

 美鈴は、この状況でもヘラヘラと笑っていた。

 レミリアのような吸血鬼とは違い、普通の妖怪に過ぎない美鈴の身体がこの短時間で治癒するはずがない。

 だが、数百体はおろか指で数えられる程度の数を相手取ることすら無茶なその身体で、その目だけは凛とした輝きを放っていた。

 それを見ていた幽香が、少しだけ笑みを浮かべて言う。

 

「へぇ、やっぱり貴方面白いわね。 隣のチビなんかよりも、よっぽど」

「ははは、もうそれ以上褒めても何も出ませんよ」

「そう。 でも、貴方なら少しくらいは私のイライラも解消してくれそうね」

「どうですかねー。 パチュリー様や咲夜さんにはむしろストレスの原因ってよく言われますけど」

 

 もう真っ直ぐに立つことすらできない、半分崩れたような姿勢で立つ美鈴は、それでも武術家としての誇りを捨てることはなかった。

 その姿は、誰よりも美しく咲き誇っていた。

 どんな逆境でも真っ直ぐに前を見据える美鈴を前に、魔理沙は既に諦めかけていた自分を恥じるように、決心して箒を構える。

 

「……ったく。 分業、できるほどの余裕なんて無いんだろ?」

「まぁ、そうなんだけどさ。 モチベ下がるからそういうこと言わないでよ」

「だから、一撃で終わらせる。 2人で幽香を倒してそのままトンズラこくぞ」

「えー。 私は一応紅魔館の門番だから、終わったらあっちの妖怪たちも片づけなきゃいけないんだけど」

「はあ?」

「これ以上紅魔館を滅茶苦茶にされたら、後で咲夜さんに半殺しにされるどころじゃなさそうだしね」

 

 笑顔のまま美鈴にナイフを突き立てていく咲夜の姿を想像するのは、そう難しいことではなかった。

 

「……ははは。 まったく、こんな時だけ真面目な奴めっ!!」

 

 そして、魔理沙が苦笑しながらそう言うとともに、間髪入れずに美鈴が幽香に向かって飛び出した。

 それとともに上空に飛び上がった魔理沙が、速攻でミニ八卦炉を構える。

 

「星符『ドラゴンメテオ』!!」

 

 美鈴がたどり着く前に、真上から幽香を魔理沙のマスタースパークが襲う。

 だが、幽香の指先から飛んだ細い閃光が衝突した瞬間、魔理沙の砲撃は全て弾け飛ぶように消えた。

 

「っ……だけど、読んでたぜっ!!」

 

 それは、確かに魔理沙の全力の一撃だった。

 だが、長時間の魔力の溜めが必要な本当の最終兵器さえも、ついさっきレミリアに片手で押し返されてしまった魔理沙には、それはわかっていたことだった。

 勇儀の時のようにゼロ距離で発射したのならまだしも、この距離でそれを放ったところで今の幽香にはまるで通じないだろうことは予想していた。

 だから、魔理沙はその最大の攻撃をただの目くらましに使った。

 自分の全力の魔法波を貫いて到達した閃光をそれでも回避し、幽香とは逆側に構えていたもう一つのミニ八卦炉の出力を全開にして、

 

「『ブレイジングスター』!!」

 

 箒に乗ったまま、マスタースパークを放った推進力で加速する。

 幽香が正面の美鈴に目を向けている間に、魔理沙は上空から挟み撃ちにしようとしたのだ。

 しかし、それを見ていた幽香は少しつまらなそうな顔をして、

 

「……くだらないわ」

「がっ…!?」

「ぐ……」

 

 突っ込んできた美鈴の腹部にカウンター気味に掌底を食らわせると、美鈴はそのまま崩れ落ちる。

 自分から突っ込んできていた美鈴には、その威力をほとんど和らげることができなかった。

 そして幽香は、上空から超スピードで迫っていた魔理沙が手に構えていたミニ八卦炉を弾き飛ばしつつも、まるで美鈴がしたように華麗にそのスピードを片手で和らげて吸収し、そのまま無造作に魔理沙の首を絞めていた。

 

「……何だよ、お前もそんなん、できんのかよ」

「当たり前でしょう? この妖怪みたいに完全に洗練しきったようなものじゃないけど、基本的な動きの一つよ」

「ははっ、そうかよ」

「それにしても、随分とつまらない選択をしたものね。 せめてあの烏合の衆に突っ込んでいけば少しくらいは生き残る可能性もあったでしょうに」

「それは、無理な、相談だぜ。 私はな、お前を、止められなきゃ、意味が、ないんだよ。 どうせお前も、ルーミアの、手駒の、支柱って奴、なんだろ?」

 

 魔理沙は詰まったような声で、それでもまだ微かに笑みを浮かべながら幽香を挑発する。

 しかし、手駒呼ばわりされた幽香はそれを怒るでもなく、ただ空虚な目をして言う。

 

「さあ、どうなんでしょうね」

「……はあ?」

 

 幽香の性格を考えると、てっきり否定して怒り狂うと思っていただけに、魔理沙は疑問の声を上げる。

 

「……正直、もう自分でもよくわからないのよ。 そんな現状が我慢できないと思いながらも、止められないの」

「っ……!!」

 

 魔理沙の首を絞める幽香の力が強まっていく。

 幽香の見開いた目がだんだんと狂気に侵され、何かの中毒者のように魔理沙を掴む腕が震え始める。

 自らの首を守っていた魔力の障壁が臨界値に近づき、徐々に魔理沙の顔色が真っ青になっていくが、幽香はそれに気づいているのか気付いていないのか、ただ俯いたまま言う。

 

「……疼くのよ。 何をしても、誰を倒しても、何度殺しても、この手の疼きが止まらないのよ!!」

「何、を……っ!!」

「魔理沙っ!!」

 

 そこで美鈴が幽香の死角から放った蹴りが幽香の腕の芯をとらえ、魔理沙を掴む腕が離される。

 だが、幽香はそれを気にしていなかった。

 ただ、震えるその手で強く握り過ぎた拳が、充血して赤く染まっていった。

 

「ゲホッ、ゲホッ、サンキュー、美鈴」

「はは、もう限界だけどね」

 

 そのまま美鈴は立っていられなくなって膝をついた。

 そして、一日中過酷な戦いを続けてきた魔理沙の身体にも、もう戦う余裕はなかった。

 人間である魔理沙には、身体の治癒などほとんどできない。

 とても一人で幽香を相手取ることなんてできる状態じゃなかった。

 それでも魔理沙は無理矢理立ち上がり、幽香に向かい合っていた。

 

「ふふふ、でもこれで少しはこの陰鬱な気分も晴れてくれるのかしらね」

 

 幽香は少しだけ薄ら笑いを浮かべ、その殺気を乗せたまま既に死に体の2人に近づいていく。

 普段の幽香ならば興味すら抱かず、その場に捨て置くような瀕死の人間と妖怪。

 だが、今の幽香がそんな判断をするようには見えなかった。

 絶体絶命の状況。

 たとえアリスや小悪魔が駆けつけたところで、どうにもならない絶望的状況。

 よほどのイレギュラーでもない限りは、もう魔理沙たちに打つ手はなかった。

 

「終わりよ。 さぁ、消えなさい!!」

「っ……」

 

「――はは、ぁははは」

 

 ……そう、よほどのイレギュラーでもない限りは。

 

「あははははははははははははははははははははははははははははははぁっ――」

 

「何だ!?」

 

 突如、聞いている方が気が狂いそうになるほどの甲高い笑い声が辺り一帯に響いた。

 それを発したのは魔理沙や美鈴ではない、幽香でも辺りを取り囲む妖怪たちでもない。

 ただ、紅魔館があった場所の上空に一つの小さな影が浮かんで、

 

「魔理沙っ!!」

 

 言葉にできない身の危険を感じた美鈴が、突然魔理沙を押し倒した。

 美鈴が魔理沙を押し倒す寸前、確かに幽香も何かを感じ取ったのか、身を低くして地面を駆けていた。

 だが、魔理沙が立っていた場所に特段変化があったようには見えなかった。

 ただ、それと同時に微弱な悲鳴が無数に集まったような音が一瞬聞こえた気がして魔理沙が振り返ると……そこにいた数百の妖怪たちの群れが、半数以上も弾け飛んで塵と化していた。

 

「なっ!? 一体何が……」

「魔理沙、顔を上げちゃダメ!」

 

 それは、美鈴の武術家としての勘だった。

 そもそも武術とは、究極的には身を守るための技術である。

 その達人である美鈴は、本能的な命の危機に対して誰よりも敏感だった。

 そして、その勘は間違っていなかった。

 空中に浮かんだその影が大きな鎌のようなものを振ったかに見えた次の瞬間、突如として発生した灼熱の海が紅魔館周辺の森を焼き尽くしていた。

 

「あはは、あはははははははは――」

 

 猛獣や妖怪たちが焦げて、溶けて、微かに聞こえる悲鳴が轟々と燃え盛る音と奇声に混じって消えていく。

 頭を伏せていた魔理沙にはその様子は見えないが、何か得体の知れないものを感じていた。

 ルーミアや幽香から感じる恐怖とは違う何か。

 それは、言うなれば無限の狂気。

 同じ世界に存在すること自体を疑うような、異質な存在。

 そして魔理沙が少しだけ目線を上げると、今度はその姿がはっきりとその目に映った。

 

 小さな子供のような姿。

 その背には枯れ枝に宝石を散りばめたような、翼と呼ぶにはあまりに奇妙な物体。

 子供のような見た目とはとても不釣り合いな、禍々しく見開かれた瞳。

 何よりも、甲高い奇声と共に止めどなく溢れ出ている狂気の混じった魔力の渦が、その異質さを際立たせていた。

 だが、それを見ていた幽香はその死角に回り込み、

 

「うるさいわ」

「ははははは、はっ……」

 

 日傘から放った魔力で少女の胴体を消し飛ばし、真っ二つに裂いていた。

 空高く浮かんでいた少女は、それに全く抵抗しなかった。

 

「何よ……随分とあっけないわね」

 

 それの出現に身構えた幽香だったが、そのあまりにあっけない幕切れに少し失望の声を漏らす。

 その少女は上半身と下半身が切り離されて落ちていきながらも、未だ耳障りな笑い声を放っている。

 だが、切り離された下半身が突如として燃え尽きると同時に、上半身から生えてくるように全身が瞬時に再生され、不自然なほどに方向を変えて、

 

「っ!!」

 

 狂気に満たされた笑みが幽香の目前に迫っていた。

 

 目を向けた時には既に振り上げられていたその爪が、幽香の頭部を捉える。

 その寸前で、幽香は手刀でその少女の肩ごと抉り取って回避した。

 しかし、その腕は瞬時に再生する。

 その隙に頭上に渦巻く魔力の奔流が幽香を飲み込む。

 それを回避して、幽香が今度は全力の突きで少女の顔面を弾き飛ばす。

 しかし、その頭部さえも瞬時に再生する。

 

「ぅぁあ、はは、あはははははは」

「何なのよ、こいつ――っ!!」

 

 それは、あまりに不気味な存在だった。

 そのあまりに稚拙な動き故に強敵というほどのものでもないが、ただの有象無象と一緒にするには強大すぎる。

 そんな力を持っているにもかかわらず何を考えているのか全くわからない狂った存在が、何度殺しても次の瞬間には再び目の前にいることは、名状しがたい恐怖であった。

 それを遠目で見ていた魔理沙が呟く。

 

「何なんだよ、あれ……」

「わからない。 私もけっこう紅魔館には長くいるつもりだけど、あんなの初めて見たよ…」

「……だけど、チャンスだ。 あの変なのが幽香を押さえてる間に、一旦退いて立て直すぞ」

 

 混乱に乗じて幽香を倒す、というのも一つの策だったが、魔理沙はその選択肢を捨てる。

 もしアレが自分に向かってきたらを考えると、理性が全くない分、むしろ幽香よりも厄介だった。

 そもそも敵か味方かわからず、仮に敵でないとしても何をするかわからない得体の知れない存在を計算に入れて動けるほど簡単な状況ではないことくらいは理解していた。

 だから、魔理沙は動けない美鈴を連れてこっそりと図書館へ向かう。

 それを見逃す幽香ではないが、今は魔理沙たちに構っていられる余裕はなかった。

 

「このっ……消えなさいっ!!」

「あ”はっ、……ぅああっ、あはっ」

 

 幽香は、ひたすら目の前のそれを破壊し続ける。

 首を刎ね、全身を切り刻み、貫いた胸に魔力を流し込んで暴発させ、強大な魔法波で全身を粉微塵にする。

 しかし、それでも少女は瞬時に元の姿に戻る。

 その傷口から飛び散った血飛沫はすぐに気化し、それに少しでも触れた物を溶かすほどに凶悪な猛毒と化す。

 どの部分を弾き飛ばしても、それとともに猛毒をまき散らしながら再生して襲いかかってくる少女を前に、流石の幽香からも笑みが消えていく。

 だが、自分と比較することすらできぬほど理解不能な狂気を目の前で見続けた幽香は、次第に自分自身の中にある狂気すらも忘れ冷静さを取り戻していった。

 

 ――これは……吸血鬼の再生力かしらね。 今日がちょうど満月ってのもあるでしょうけど、多分ただの魔力の溜め込み過ぎね。

 

「ぅあはっ……はは…」

 

 そして、冷静になりさえすれば、それは大した脅威ではなかった。

 その単調な動きに合わせて幽香が軽く腕を振るうだけで、少女の身体は勝手に弾け飛んでいく。

 いや、たとえ幽香が触れなくとも、少女が強く振った腕は空振って千切れ、必要以上に放出された自分自身の魔力に焼かれていく。

 その攻撃の直撃を避け、なるべく返り血を浴びない。

 ただそうしているだけで、目の前の少女は勝手に自壊していく。

 

 ――つまらないわ。 これなら、まださっきの武術使いの方が楽しめたわね。

 

 幽香は、すぐに目の前の少女から興味を失っていった。

 少女の攻撃を多少は警戒しながら、幽香は周囲を見回す。

 紅魔館周辺に配置していた妖怪たちは、一匹たりとも原形を保っていない。

 そして、さっきまで目の前にいたはずの魔理沙と美鈴もいつの間にかいない。

 だが、美鈴から溢れ出たであろう血の雫の跡が、確かに紅魔館の地下へと続いていた。

 

「……そこにいるのね」

 

 幽香は既に目の前の少女に目を向けてすらいなかった。

 ただ直感で攻撃を避け続けるだけで勝手に自滅していくそれには、もう興味を持っていなかった。

 だから、幽香はその手に持っていた傘を紅魔館の図書館に向けて、

 

「さぁ、出てきなさい!!」

 

 巨大な魔法波を放った。

 それは図書館など一撃で消し飛ばし、中にいる者ごと一瞬で灰にできるものだった。

 だが、それは目の前の少女が放出した魔力に相殺される。

 

「あはっ!!」

「……何?」

「ぅぁは、ははは」

 

 それは、偶然ではなかった。

 幽香が紅魔館に向かって放ったそれを、目の前の少女は確かに紅魔館の前に立ちふさがるかのように回り込んで受け止めたのだ。

 目の前にいるそれに理性があるのかどうかはわからない。

 ただ、確かに――

 

「ぅぅぅ、ぅああああああっ!!」

「――――っ!?」

 

 次にそれが叫び声とともに放った突きは、今までとは違い、確かな信念を幽香に感じさせた。

 そして、それは再びただの狂った化け物に戻っていく。

 結局それが何を考えているのか、何なのかは全く分からない。

 だが、幽香は微かに笑みを浮かべて言う。

 

「……そう、いいわ。 かかってきなさい」

「あはっ、はははっ!!!」

 

 それに呼応するかのように少女は再び魔力を溢れさせて幽香に向かって飛ぶ。

 幽香はもう、目を逸らしたりはしない。

 再び少女と幽香は正面からその魔力をぶつけ合う。

 

「はは、っあ”っ!?」

「力の差をわかりやすく思い知らせてあげる。 たとえ正面からでも、貴方を跡形も残さぬほどに消し飛ばすのくらい簡単ってことをね」

 

 そして、幽香は両の腕に溜めた魔力を弾状にして目の前の少女に向かって放つ。

 それに合わせるように少女から魔力が溢れ出すが、その全ては掻き消されて少女は全身を消し飛ばされる。

 …再生する。

 少女は今度は魔力だけでなく、血液という毒を纏った腕を幽香に振り上げる。

 幽香はその拳を迎え撃つように斜め上から魔力を纏った拳を重ね、少女の全身ごとスクラップのように叩き潰す。

 ……再生する。

 

 ただ、そんなことをずっと繰り返す。

 10回、20回、いや、もう何十回繰り返したかわからない。

 

「はは、あはは……」

 

 少女は次第に立ち上がることすらも困難なほどに弱っていった。

 魔力が尽きなくとも、その身体は無茶な再生に耐えられるほどの余裕を残してはいなかった。

 もう、幽香に向けた攻撃に殺傷力すらなくなりつつあった。

 魔理沙の魔法波と同じ程度か、それ以下の威力でひたすら幽香に向かい続け、そして……遂に倒れ込んだ。

 

「は、は…」

「……やっと、終わりね」

 

 少女は倒れたまま目を見開き、全身を震わせたまま動かず、それでも止まることなき狂気の混じった魔力を放出し続けていた。

 もう、放っておいても勝手に消滅するだろう存在。

 流石の幽香も、もはやそれに手を出し続ける気にはなれなかった。

 

「じゃあね。 小さな吸血鬼さん」

 

 そう言い残した幽香がその横を通り過ぎようとして……再び少女が腕を立てた。

 まるで骨だけで立とうとしているかのように震える腕と足で、確かに立ち上がろうとしていた。

 その少女に、幽香は少しだけ畏怖の念を抱く。

 

「なんで、貴方はそこまで……」

 

 少女は、あくまでも紅魔館を守るように背にしていた。

 紅魔館への流れ弾をあえて自らの身で受けて消し飛ばされ続け、それでもそこに立っていた。

 もう、その少女からは脅威は感じられない。

 もう、その少女からは強い狂気も感じられない。

 もう、その少女からは数分先を生きられる生気すらも感じない。

 

 だが、確かにその見開いた狂気の瞳に宿った微かな光だけは、幽香を射抜くように灯っていた。

 

 

 

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