東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第2話 : それぞれの道

 

 

「……え?」

 

 突然のことに、誰一人として状況を把握しきれていなかった。

 紫が死んだ? 何をバカな事を言ってるんだこいつは?

 ただ、皆が一様にそんな顔をしていた。

 そして誰も二の句が継げないまま、藍は話を進める。

 

「霊夢が倒れ、紫様がいない今、代わりに博麗大結界を維持できる人が必要です。 そこで、貴方に協力を依頼したく参上した次第です」

「ちょっと待てよ、紫が死んだって……そんな訳ないじゃねーか! だって、紫の式神のお前がまだいることがその証拠だろ!?」

「私は紫様からの霊力供給がなくても少しの間なら動ける。 今はまだ大丈夫だが、恐らく私も明日には消えているだろう」

「消えっ…!? いや、ちょっと待ってくれ、私にはちょっとどういうことか、その……」

 

 式神は主人からの魔力や霊力の供給によって活動しているため、主人に何か異変が起きれば式神はそれをすぐに察知することができる。

 そして、主人からの供給が途切れれば当然に式神はその力を失う。

 それを頭では理解していても、そんなことをただ淡々と告げていく藍を前に、魔理沙は明らかに狼狽していた。

 いや、魔理沙だけではない。

 早苗も、そもそも藍の言ったことの意味がわかっていないかのように固まっていた。

 

 紫は人間などとは比較にならないほど長い寿命を持つ。

 しかし、普通に考えればわかることだが、紫も妖怪である以上、いつかは必ず死に直面する。

 それでも魔理沙や早苗には、あの紫が、人間である自分が生きている間に死ぬなんてことはあり得ないという根拠のない、しかし絶対的な思い込みがあった。

 だから、素直に藍の言葉を受け止めることができなかった。

 

「そうか、わかった!!」

 

 突然、魔理沙が引きつったような笑みを浮かべながら叫んだ。

 

「お前も紫とグルなんだろ? 紫が動きやすくなるように、そう言えって頼まれたんだろ?」

「……」

「じゃなきゃおかしいだろ、だって、あいつは……」

「……」

「あいつは……」

 

 藍は何も答えなかった。

 そして、魔理沙たちとは違い、紫にもいずれ死が訪れることを覚悟していた萃香ですらも、それを素直に受け止めることはできなかった。

 しかし、紫同様に藍とも長い付き合いであるが故に、萃香は知っていた。

 藍が、そんなことを冗談で口にするような妖怪ではないことを。

 

「えっと、いろいろ聞きたいこともあるんだけど、まず最初にいい?」

「何でしょうか」

「八雲紫はこの異変を解決に行った結果、敗れて死んだ。 そう考えて問題ないかしら」

「すみません。 私は同行していなかったので、何が起こっていたかまではわかりませんが……一緒に行った霊夢が倒れているのならば、そういうことなのだと私も予想しています」

「そう……わかったわ。 じゃあ、とりあえず八雲紫が死んだという話は一旦置いておきましょう。 もう一つ聞いておきたいことがあるわ」

 

 それだけ確認すると、永琳は紫の死という事態を何事もないことのように流して話を変える。

 混乱している魔理沙たちを放っておいて、永琳は落ち着いて会話を進めた。

 

「私に博麗大結界を維持してほしいってことみたいだけど、私には彼女のような能力はないわ。 わかってはいると思うけど、私の能力はただ薬を作ることだけよ」

「知っています。 ですが、事態は深刻な状況になっているので、貴方に頼むしかないのです」

 

 博麗大結界とは、外の世界と幻想郷を隔てる結界のことである。

 普段は博麗の巫女が代々管理し、博麗の巫女が死ぬとまた紫が新しい巫女を探し、その引継ぎまでの間を紫が管理している。

 だが、博麗の巫女と紫が2人とも結界を張れなければ、博麗大結界は消えてしまい、外の世界と幻想郷が繋がってしまう。

 そうなれば、文明の進んだ外の世界の兵器が簡単に幻想郷に流入し、存在しないとされる妖怪たちが外の世界に行くことが可能な、非常に危険な状態になってしまう。

 そうなる前に、何とかする必要があったのだ。

 

「でも、そんな役を私に頼むのはお門違いでなくて?」

「自分に何かあった時は貴方を頼るようにと、紫様から言われていましたので。 それに、私もこんな大役を任せられるだろう人が他に思い当りません」

 

 藍は、永琳がそれを引き受けることを確信しているかのようにまっすぐに永琳を見ていた。

 

「……そう。 それはまた、随分と買いかぶられたものね」

 

 永琳はとぼけるように言うが、同時に内心では少し動揺していた。

 確かに永琳には、紫のような強力な能力などなくても、たいていのことは自分でこなせるという自負はあった。

 幻想郷を自分なりに知り、博麗大結界の生成くらいならその場しのぎになら容易にできると思っていた。

 だが、それを表に出したことはない。

 自分は幻想郷では、あくまで表向きはただの薬のスペシャリストとしての立場を確立できていると思っていた。

 それにもかかわらず、紫が下したこの判断は、隠し通していたつもりの永琳の力量を既に測り終えていたという証拠なのである。

 紫のことは認めていた。 

 それでもなお、自分の方が優れていることを疑う余地は欠片もないと思っていた。

 それ故、永琳は紫に実質自分を見透かされていたという事実が、内心不快だった。

 

「……まぁ、考えておくわ。 とりあえず応急措置程度には何とかしておいてあげる」

「はあ!? 何でお前がそんな…」

「ありがとうございます」

 

 博麗大結界をそんな軽いノリで引き受ける永琳に魔理沙が疑問の声を上げたが、藍は当然のような顔をして、特段驚く様子もなかった。

 そして、その反応が紫の予定調和の中で動かされているかのようで、また永琳を不快にさせる。

 

「……そうそう、うどんげ。 そこの3人はもうお帰りよ。 送ってあげなさい」

「そこの3人って…私たちのことか!? ちょっと待てよ! まだ話は…

 

「帰りなさい」

 

 突如、背筋が凍りついた。

 永琳から発せられたその冷たい視線は、魔理沙と早苗だけでなく、外にいる萃香までも戦慄させた。

 

「な、なんだよ……そんな風に言われたって、納得するまで私は帰らないぜ」

「そうですよ! 私たちにも詳しい話をちゃんとしてください!」

 

 それでも、魔理沙と早苗がそんなことを言われて大人しく引っ込む訳がない。

 むしろ、そう言われて前より反抗的にすらなっているようにも見えた。

 だが、永琳はそもそも魔理沙や早苗のことなど見ていなかった。

 ただ目を瞑って言う。

 

「聞こえなかった? うどんげ、そちらの3人がお帰りよ」

「…はいはい、聞こえてますよ師匠」

 

 そして、声が止んだ。

 

 いつの間にか魔理沙と早苗はすっかり大人しくなっていた。

 その目の焦点は合わず、動かなくなっている。

 2人の正面にいるのは、眼を赤く染めたうどんげの姿だった。

 『狂気を操る能力』を持つうどんげの瞳を見たものは、一種の幻覚を見てしまうのである。

 幻覚を見て動けなくなってしまった2人に、うどんげはゆっくりと近づいて抱え上げた。

 

「では、私はこの2人を人間の里あたりにでも置いてきます」

「よろしくね」

 

 そう言うと、うどんげはすぐに永遠亭から走り去っていった。

 

「ほら、貴方も帰りなさい。 霊夢のことはちゃんと診といてあげるから」

「……気に入らないな」

 

 外にいる萃香の表情は見えないが、それでもその声が明らかに苛立ちを含んでいることだけはわかる。

 

「あいつらを、信用してないのか?」

「あの2人のことは、一応信用はしているわ。 ただ、信頼するには足りないけどね」

 

 確かに永琳の言うことは正しいのかもしれない。

 あの2人がもしここにいれば、ここで集められるだけの情報を集めようとするだろう。

 霊夢をこんな状態にし、紫を殺した犯人がいるかもしれないのだ。

 仇討ちという訳ではないが、この異変を解決しに行こうとすることは目に見えていた。

 

 しかし、それは簡単に許すべきではない。

 

 今や幻想郷のほぼ全土に広まっているスペルカードルール。

 「美しさと思念に勝る物は無し」という理念のもとに存在するそれのおかげで、力ずくの殺し合いは幻想郷から徐々に廃れ、人間と妖怪が対等に戦うことすら可能となった。

 だが、それは全ての者に浸透している訳ではない。

 それを理解して受け入れようという知性のない者、プライドのない者、そもそもルールに納得しない者など、未だにスペルカードルールに則らない者が多いのもまた事実である。

 そして今回、過度に傷つくことを避けるスペルカードルールがあるにもかかわらず、妖怪としての高い生存能力を持つはずの紫は死に、霊夢は倒れている。

 つまり、スペルカードルールを無視する相手である可能性が高いのだ。

 しかもその相手は、幻想郷を統括してきた大妖怪である紫が、スペルカードルールなら幻想郷最強だと誰もが認め、博麗の巫女として史上類を見ないほどの高評価を受けている霊夢が敗北した相手だった。

 人間であり、異変解決を成し遂げたことすらないあの2人が請け負うにはあまりにも荷が重く、霊夢の二の舞になるであろうことは、萃香もよく理解していた。

 

 だが、それを理解しているからこそ、萃香は悔しかった。

 

「そうかい……まぁ、あいつらをあまりナメないこった」

「あら? 今の貴方はもう少しくらいは理性的に物事を考えられると思っていたのだけれど」

 

 永琳は、少しだけ萃香を挑発するかのように、小さく嘲笑して言った。

 だが、萃香は振り向くことすらなく、永琳の言葉を遮るように不機嫌な声で返す。

 

「ああ、わかってるよ。 あいつらだけじゃ放っとけば犬死にするだろうな」

「だったら」

「だけど、あいつらは一人じゃないんだ。 自分一人で何でもできると思ってるような奴らと違ってな」

 

 永琳は、少し冷めたような表情でそれを聞いていた。

 2人の態度は、どう見ても互いに友好的に接しようとするものではなかった。

 

「……そう、まあいいわ。 じゃあ、あの2人のおもりは貴方に任せたからよろしくね」

「………」

 

 萃香はそれに答えなかった。

 ただ、おもりという言葉に苛立ちを覚えながら消えるようにその場を去った。

 その苛立ちが本当に永琳に向けられたものなのか、それは萃香自身にもはっきりとはわからなかった。

 ただ、走りながら一人思う。

 

 ――あいつも結局、周り奴のことなんて足手まといくらいにしか思ってないんだろうな。

 

 

 そして、部屋には永琳と藍だけが残される。

 その重々しい空気の流れを変えるように、藍が先に口を開いた。

 

「……すみません」

「あら、別に私は謝られるようなことをした覚えはないわ」

「いえ、余計な気を遣わせてしまいました」

 

 藍は少し、不自然な笑顔を浮かべていた。

 

「それは、魔理沙や守矢の巫女のこと?」

 

 藍は何を言う訳でもなく、少し頷いた。

 しかし、それを無視するかのように永琳は少し間をおいて、

 

「それとも、貴方のこと?」

 

 少しだけ、意地悪そうにそう言った。 

 藍はハッとしたように、少しだけ下に逸らしていた目線を上げた。

 

「私の……それは、どういう?」

「ここには貴方が敬うご主人も、護ってあげる式神も、手本になって見せるべき魔理沙たちもいない。 いるのは、ただの町医者が一人だけよ。 霊夢もすぐには目を覚まさないだろうしね」

「だから、貴方は何が言いたい」

 

 そう言いながらも、藍は永琳の言いたいことはなんとなくわかっていた。

 

「誰も見ていないの。 だから……」

 

 永琳はそっと藍の頭を撫でながら、

 

「貴方はもう、無理しなくてもいいのよ」

 

 そう言った。

 永琳のその目は、優しさに溢れたというよりも、まるで藍を値踏みするかのようなそれだった。

 しかし、それでもその言葉は藍の心に鳴り響いていた。

 それは、自分の中のどこかが、誰かに言ってもらいたかった言葉だったから。

 

「……何を言ってるかわかりません」

 

 だが、そう言われても藍は何も変わらない。 

 変えてはいけないと決めていた。

 自分は幻想郷を司る大妖怪、八雲紫の式神なのだから――

 

「私は、無理などしていませんから」

 

 だから、誰よりも強くあろうと思っていた。

 だから、誰かに弱さを見せてはいけないんだと思っていた。

 だから、人前で泣いたりなんて絶対にしてはならないと誓っていた。

 

「私は……」

 

 藍は溢れそうになった涙を、それでも拭うことはなかった。

 ただ、自分の目の前にいる相手をしっかり見据えて、

 

「紫様がいないのなら、私が霊夢を、幻想郷を護らなくてはいけない。 ただそれだけです」

 

 はっきりと、そう言った。

 少しだけその目は潤んでいるようにも見える。

 しかし、その視線はほんの少しの弱さも迷いも感じさせない程に強く、まっすぐに永琳の目だけを見ていた。

 

「……そう。 なら、私から言うことはなさそうね。 ちょっと余計なお世話だったかしら」

「いえ、ありがとうございました」

 

 藍のその反応を見て永琳が少し微笑む。

 その微笑みが何を意味するのか、藍にはわからなかった。

 だが、元々自分のものさしで測れるような相手ではないと理解していた藍は、できるだけ気丈に、自然に振る舞うことだけ気を付けていた。

 

「私が知っていることは、ここにまとめておきました」

 

 だから、必要以上に多くのことは語らない。

 至らぬ自分が余計なことまで口走る前に、立ち去ろうとしていた。

 藍は口で説明せず、ただ分厚いレポートを永琳に手渡す。

 

「ええ。 確かに受け取ったわ」

「では私はこれで失礼します。 霊夢と博麗大結界の件、よろしくお願いします」

 

 そして、それだけ言い残して藍は颯爽と永遠亭から出て行った。

 最期の一瞬まで、ほんの少しの弱みも見せることはなしに。

 

「……まったく、相変わらず嫌になるくらい優秀な式神ね。 貴方にもあのくらいの強さが欲しいものだけど」

「いやー、多分それは無理でしょう」

 

 いつの間にか戻っていたうどんげは、少し冗談めかして答えた。

 

「そもそも、私がこんな場面に出くわすことなんて一生ないでしょうからね」

「……そうね」

 

 なぜなら、うどんげと藍には絶対的な違いがあったからだ。

 藍には確率が低いとはいっても、主人が寿命のある存在である以上、今回のように主人に先立たれてしまうことがあり得る。

 しかし、うどんげにはそれが絶対と言っていいほどない。

 蓬莱の薬の効果によって不老不死となった永琳に先立たれてしまうことなどあり得ないのだ。

 

「それにしても、随分と早かったわね」

「途中であの鬼が2人を引き取ってくれたので」

「……それならいいわ。 それで、うどんげ」

「なんですか?」

「貴方はこれから、この異変の調査をしてくれるかしら」

 

 来た! その一言を待っていた! と言わんばかりに、うどんげの耳がぴょこんと跳ねる。

 異変調査も、それはそれは大変な仕事ではあろうが、今自分がやっている仕事よりは楽だろうと思ったからだ。

 

「ですが師匠。 私に他の仕事が残っていては、真面目な私はそちらに気をとられて異変調査が疎かになってしまいます」

「はぁ……かなり嬉しそうに見えるのが気になるけど、いいわ。 これからは異変調査に専念してちょうだい」

「はい、わかりました!」

 

 お為ごかしのようなやりとりを経て、うどんげは自分の仕事を投げ出す免罪符を得た。

 とはいえ、うどんげが元々請け負っていた仕事も重要な案件であるため、異変調査に行くとなればそれを代わってくれる人を探すことになるのだが、永遠亭に住む他のイナバ(兎)たちはあまり高い知能を持っておらず、自分の仕事を代わってもらうのには少し荷が重い。

 だから、てゐにもっと多くの仕事を押し付けるのもいいな、輝夜にこれまでのツケが回ってくのもそれはそれで面白いのではないかと、うどんげはこれからのことに思考を巡らせた。

 これまでの疲れが嘘であるかのように身が軽くなったうどんげは、あからさまと言っていいほどに嬉しそうだった。

 

「随分とやる気みたいね。 ちょっと心配だから、異変調査に行くにあたってこれからどうするつもりなのか、確認しといてもいい?」

「そうですね。 今までに起こった事件の……特に妖怪の山の周辺調査と、まだ怪しい部分のある藍さんの動きの監視あたりですかね」

「ふむ、悪くはないわね。 じゃあ調査については任せるわ。 詳細が分かり次第私に報告しなさい」

「はい、師匠! では、私はまずこれから、私の元の仕事を代わってくれる人を探しに…」

 

 と、意気揚々と自分の代理探しに行こうとするうどんげに向かって、永琳は、

 

「それはいいわ。 貴方の分の仕事程度なら私がやっておくから、早く異変調査に行ってらっしゃい」

 

 そう言った。 

 永琳は何の悪気もなくそう言ったつもりだったのだろう。

 だが、さっきまでのうどんげのウキウキ気分は、その一言だけで全て吹き飛んでしまった。

 

「……? どうしたの?」

「あ、いえ、何でもないです。 では行ってきます」

 

 そう言って、うどんげは逃げるように永遠亭から走り去った。

 

「……なによ、それ」

 

 永琳も、薬の調合に追われているうえに博霊大結界の生成まで引き受けてしまって忙しいどころの話ではないはずだった。

 それなのに、永琳はそれに加えてうどんげの仕事を請け負ったとしても簡単にこなせると言ったのだ。

 

 ――私が必死にやっていたことなんて、本当は片手間で済むってこと?

 

 ――私なんて、いてもいなくても変わらないってこと?

 

 ――この異変の忙しさの中で、師匠の役に立てていると初めて思えたから、どんな過酷な仕事にも耐えられたのに。

 

 ――結局は、私は本当は必要とされてなんていなかったって、そういうことなの?

 

 うどんげには、ただそんなことしか考えられなかった。

 

 紫と藍のように永遠の忠誠を誓い合うことのできる妖怪とは違い、うどんげは永琳の永遠に続く人生の中のほんの一瞬の存在に過ぎない。

 そんなことは、わかっていた。 

 わかっていても、それでもいつか自分が少しでも永琳に必要としてもらえる日が来ると信じて、今までずっと頑張ってきた。

 そして、そんな日は多分来ないんだろうと気付いてしまった。

 

「ああ、そうだよね……」

 

 迷いの竹林の長い道を駆け抜けながら、うどんげは泣きそうになっていた。

 

「私は本当の意味であいつのようにはなれないんだよね」

 

 うどんげは不謹慎と思ってはいても、主人の死に出くわした藍のことを心の底から羨ましいと思った。

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第2話 : それぞれの道

 

 

 

 

 

「そうか、紫が……」

 

 守矢神社上空の雲一つない空をただ見上げながら、神奈子は呟く。

 その顔からは、その感情は読み取れない。

 

「はい。 藍さんがそう言ってたので、恐らくは」

「それで、お前は詳しいことも聞けずにおめおめと帰ってきたわけだ」

「実は、気づいたらなぜか朝になっていまして……」

 

 色々情報を引き出せる場にいながらも、結局早苗が得られた情報は紫が死んだということだけなのだ。

 この子はまた大事なところで今一つ足りなかったな、と神奈子は小さくため息をついた。

 しかし、逆にそこがかわいいのだという親心に少しニヤけそうになるくらいには、余裕を持って話を聞いていた。

 

 そして、同時に早苗からの自分への眼差しがいつもと少し違うことに気付いてはいた。

 

「それで早苗。 何か私に言いたいことでもあるのか?」

 

 なかなか話を切り出さない早苗に、神奈子は真面目な口調でそう言った。

 早苗は露骨に神奈子から目を逸らす。

 

「いえ、その、私は何も……」

 

 早苗は、言いたいことがあるなら言うはずだった。

 ましてやそれが神奈子や諏訪子に対してなら、隠し事などしない。

 それ故、神奈子には早苗が言いたいことが想像できた。

 

「私を、疑っているのか?」

 

 早苗は、俯いたまま動かなかった。

 ただ、目線を下げたままゆっくりと口を開く。

 

「私は何度も会ったことがあるので、紫さんのことを知っています。 本気になれば太刀打ちできる人なんてほとんどいないような、大妖怪だったってこともわかります。 この幻想郷に彼女を、しかも霊夢さんと同時に相手にできる人なんて、数えるくらいしかいないと……私は思います」

「なるほどな。 それでお前は私が怪しいのではないか、私が異変の首謀者なんではないか、と?」

「……」

 

 その無言は、肯定しているのと同義だった。

 普段の早苗だったら、声を上げて否定している状況だからだ。

 

「だが、昨日私はお前が博麗神社に行くまで一緒にいただろう?」

「私は日中は異変調査に行ってましたし、魔理沙さんと一緒にここを出てから博麗神社に着くまでの間も、随分と時間がありました。 それに…」

 

 それでも、早苗は核心の部分を声に出して言うことができない。

 それは、自分の中の何かが許さなかった。

 自己嫌悪で強く握りしめたその手は、充血して微かに震えていた。 

 

「………ぷっ」

「え?」

「あはははははははははははは」

 

 だが、そんな重苦しい雰囲気の中で、神奈子が突然笑い出した。

 

「なっ……!? 神奈子様、私は真剣に…!!」

「いや、すまない。 だがいいんだ、お前はそれでいいんだ! そうか、お前も遂に私を疑うことを覚えたか」

 

 神奈子は、自分が疑われていることがむしろ嬉しかった。

 ずっと自分たちに遠慮気味だった早苗が、初めて自分のことを疑っているのだ。

 こんな日がくるのをどれだけ待ったことだろうかと言わんばかりに、神奈子は愉快そうな笑みを浮かべていた。

 

「あの、違いますよね? やっぱり神奈子様がそんなことする訳…」

「だから!!」

 

 神奈子はいつになく本気だった。

 こんなタイミングを逃したら早苗の次の成長期がいつ来るのかもわからないからだ。

 

「お前が幻想郷の異変を解決しようとする一人の人間として、私を一個人として信じるのなら別にいい。 だが、お前が守矢神社の巫女として、その神である私を信じようというのなら、それは許さん」

「え……?」

「くだらん身内贔屓などするな。 お前はただ、お前の思うように動けばいい」

 

 早苗は自分が何と言うのが正しいのかわからず動揺していた。

 実際に早苗は神奈子のことを疑っていた。

 面と向かって言えなくても、疑うのに十分すぎる理由もあった。

 それにもかかわらず、何も言えずにいた。

 今まで自分が最も信頼してきた相手を疑うということに、ただ自己嫌悪を感じるばかりで、何を信じたらいいのかすらわからなくなっていたのだから。

 

 だが、神奈子は自分の思うように動けと言った。

 その真剣な眼差しを感じ、早苗は悟る。

 自分が何を信じ、どう行動するのかに正しい答えなど存在しないのだと。

 

「……そう、ですね。 わかりました、神奈子様!」

「よし。 では、わかってくれたところで、私も少し弁明させてもらおうかな」

「はい! それで神奈子様、実際のところどうなんですか?」

 

 突然人が変わったようにシリアスな雰囲気が消し飛び、いつもの早苗に戻っていた。

 まるでどこぞの新聞記者を思わせる変なインタビューのような聞きかたをする早苗を見て、神奈子はまた笑いそうになった。

 

「まぁ、とりあえずお前が信用するにしろしないにしろ、私は紫に手を出してなどいない、とだけ言っておこう」

「本当ですか!?」

「ああ。 確かに私は軍神として幻想郷でも、まぁ、たいていの奴よりは強いとは自負しているよ。 だけどな……」

 

 神奈子は、さっきまでとは違って少し寂しそうな目をして言った。

 

「もしあいつと……紫と本気で殺し合ったりしたら、たとえ勝てたとしても今頃私は五体満足でお前と話してなんかいない。 そのくらいには、あいつを評価しているつもりだよ。 ましてや博霊の巫女と一緒ならなおさらな」

「……ですが、もし神奈子様が諏訪子様と一緒だったとしたら?」

 

 それも早苗が神奈子を疑う理由の内の一つだった。

 あの2人を一人で相手取るなんてことができる人なんていないだろう、と早苗は思っていた。

 だとしたら、強力な力を持つ2人以上。 

 そう考えた時に、早苗が真っ先に思い浮かべたのは神奈子と諏訪子だった。

 その力を信じているからこそ、神奈子と諏訪子が怪しいのではないか、という思いに早苗は至ってしまったのだ。

 

「くっくっく、なるほどなぁ、そういうことか。 まぁ、確かに諏訪子と一緒なら、可能かもな」

 

 笑ってはいけないとは思いつつも、神奈子はこらえることができなかった。

 

「で、でも、私は神奈子様と諏訪子様を信じます! いえ、信じるために動こうと思います」

「ほう……?」

「大切な人が犯人かもしれないなら、自分がボロボロになるまでその人が犯人でない証拠を探せ。 外の世界で有名な探偵さんの言葉です!」

「はっ、そうか。 それなら私は、お前が私たちの無実を証明してくれることを楽しみに待っているとしよう」

 

 そう答えると、神奈子は立ち上がった。

 

「では、私はしばらく神社の奥の方で大人しくしていようかな。 それと、お前が信頼できる者を見張りにでもつけてもらおうか」

「えっ? 見張りだなんて……あ、いえ、そうですね。 ではそうさせてもらいます」

 

 早苗はそこまでして神奈子と諏訪子を疑いたくはなかったが、信じているからこそ、その対応が必要なのだと判断した。

 そして神奈子は、遂に早苗が巣立つ日が来たのかと、嬉しいような寂しいような複雑な心境で早苗を見ていた。

 

「それで、お前はこれからどうするつもりだ?」

「そうですね……とりあえず私は紫さんに会いに行ってみます」

「はあ? 何を言ってるんだ、紫はもう死んだんだろう? それに会いに行くって…っ!? お前まさか…」

「はい! ちょっと彼岸に行ってみたいと思います」

 

 紫の能力のおかげで、しばらく前までは現世と冥界との境界が曖昧になっていたため、生きたまま冥界に行くことも可能だった。

 しかし、紫がいない今、死者に会うには彼岸を通って行くしか方法はない。

 彼岸とは、三途の川の先にある、死者の霊魂が閻魔に裁かれるのを待つ場所。

 当然、生者が立ち入ることなど絶対に許されない場所なのである。

 

「待て、ちょっと待て……あのな、早苗。 彼岸っていうのはそう簡単に行っていい場所ではな…」

「ふっふっふ、甘いですよ神奈子さま。 私は気付いたのです。 そう、幻想郷では常識にとらわれてはいけないということに!!」

「お、おうう……」

 

 そういえば暴走した早苗は話を聞かないんだったな、と神奈子は思い出す。

 そして、早苗が本当に巣立ってしまっていいのか、自分たちが見張ってなくて大丈夫なのだろうかと不安になった。

 

「……まあいい。 お前が変なことを言い出すのはいつものことだからな」

「何ですかそれ!?」

「それで、お前はもしかして一人で動くつもりなのか?」

「あ、安心してください! 私は既に、心強い仲間たちを……あ、ちょうど来たみたいです」

「……はぁ、あいつか」

 

 ため息をついた神奈子の前に、突風が吹き荒れる。

 風というよりは、小さな竜巻のようだった。

 

「ふう。 どうもこんにちは、清く正しい射命丸です」

 

 そして、お決まりのセリフと共に取材スタイルの烏天狗がどこからともなく降ってきた。

 

「いやぁ。 八坂様、この度はまことにご愁傷様でした」

「ご愁傷様って……いや、別に紫はウチの神社の関係者でもなんでも…」

「わかります。 わかりますよ。 信頼する紫さんに先立たれておよよおよよと泣き腫らす毎日……ですが、その悲しみを振り切って異変解決に乗り出そうという東風谷早苗さん! 今の心境を一言でどうぞっ!!」

「えっ!? あの、えーっと…」

 

 突然マイクを向けられた早苗は、どうしていいのかわからず狼狽えている。

 それを見ていた神奈子は、あからさまに面倒だと言わんばかりの顔をして言う。

 

「あー、わかってはいたが再確認。 なんて失礼かつ面倒くさい奴だ」

「あややややや? 八坂様、それは褒め言葉ととらせていただいても?」

「心底どっちでもいい」

 

 『文々。新聞』の記者である射命丸文は、決して会話の主導権を譲らないという謎のポリシーの下にひたすら喋り続けていた。

 また面倒くさい奴を連れてきて……と神奈子は頭を抱えたくなったが、この異変で住処をやられた被害者であるにも関わらず、こんなテンションを維持できる文はある意味では評価できた。

 

 最近まで妖怪の山には2つの大きな勢力が存在していた。

 元々妖怪の山に住んでいた天狗や河童たち、妖怪の階級社会。

 そして、新たに妖怪の山に移転してきた守矢神社。

 2つの勢力はそれほど仲の良い関係ではなかったが、異変の影響で天狗の住処が壊滅し、そのトップである天魔や大天狗らがまとめて不在となったため、天狗社会の復興が済むまでの間、階級社会である天狗や河童の勢力で混乱が起きないように、運よく難を逃れた者たちの保護の意味も含めて一時的に神奈子が妖怪の山全体の指揮をとることになった。

 それに納得しない者もいたが、文のように守矢神社に友好的な者も割と多いようだ。

 

「と、いう訳で私は早苗さんに同行させてもらうことになったんですが、今回は早苗さん初の異変解決の独占取材ということでいいんですか?」

「えっと、実は私と射命丸さん以外にも、もう一人いるんです」

「おおっとおおぉぉ、ここでまた新事実発覚! 謎のヴェールに包まれた3人目の正体とはいかに!?」

「ちょっと本当にウザいぞこいつ」

 

 久々の大規模な異変で一人謎のテンションになっている文に、神奈子のイライラは最高潮に達しようとしていた。

 だが、この烏天狗の実力は一応神奈子も認めるところではあり、異変解決の友にはふさわしいのでこの場合は良しとしていた。

 

「おーい、早苗―」

 

 そこに、声が響く。

 

「あ、よかった。 ちゃんと萃香さんも来てくれたみたいですね」

「……萃香、さん?」

 

 すると、さっきまでマシンガンのようにしゃべり続けていた文が、突然静かになった。

 というよりも少し、いや、かなり震え始めた。 

 そして――

 

「あ、あやややややややや、早苗さん、私ちょーっと用事を思い出しちゃいましたー……なので、失礼しますっ!!」

 

 と、言い残して飛び立とうとしたが、しかし足がもつれてコケてしまう。

 よく見ると、足がもつれたというよりも、霧のようなものに足をとられてしまっているようだった。

 

「いやぁ、いきなり逃げることはないんじゃないかねえ?」

 

 そう言って突然現れた萃香を目の前にして、文は口をぱくぱくさせながら立ち上がると、背筋をぴーんと伸ばして礼儀正しそうに言った。

 

「は、初めまして、私、烏天狗の射命丸文と申します!」

「ああ知ってるよ、お前んとこの新聞は面白いからな。 伊吹萃香だ、よろしく」

「え? あ、ああ、そ、そうですよね、宜しくお願いします」

 

 友好的な態度の萃香とは対照に、文は緊張のせいか、いつものような営業トークをできていなかった。

 

「それで、今日は伊吹様はどうしてこちらに……?」

「ああ。 実は早苗の異変解決に同行することになったんだが…」

「そ、それは大変ですね! では私は邪魔にならない内に帰って…」

「実は射命丸さんも私たちと一緒に行くことになったんですよ」

 

 ――さ、早苗さん空気読んでえええええ!!

 

 そんな風に言いたげな面持ちで文は早苗を見た。

 

「そうか、なるほどねえ。 それじゃよろしく頼むよ」

「あ、あははははははは、はい、よろしくお願いします、伊吹様……」

 

 誰がどう見ても、文が萃香を苦手に思っているのは明白だった。

 いや、萃香というよりも、昔の怖ーい上司であった鬼を恐れているだけの話だが。

 

「せっかくこれから一緒に行くってのに伊吹様だなんて他人行儀だし、萃香でいいよ」

「い、いえいえいえいえいえいえ!! そんな、恐れ多いです! 私は、その…」

「……そっか。 まぁ、そうだよな」

 

 文のその反応に、萃香は少し寂しいような、申し訳なさげな表情になった。

 そして、文は少し混乱していた。 

 萃香から感じる印象は、自分の知っている鬼とはずいぶん違うようだったからだ。

 

 ずっと前のことになるが、妖怪の山を鬼が支配していた頃は、もっと殺伐とした雰囲気が漂っていた。

 異常な身体能力を持つ鬼によって、天狗や河童を中心とした妖怪たちはずっと虐げられ、支配されてきた。

 それからしばらくして妖怪の山から鬼がいなくなるのだが、幼少期に鬼に支配されて育った文にとっては、鬼はただの恐怖の対象でしかなかった。

 特に、鬼の四天王である伊吹萃香の名前は、噂でしか聞いたことがなかったが、凶暴で高圧的なイメージしかもっていなかった。

 そのため、今まで萃香と対面することはできる限り避けてきたのだが、実際に話してみると萃香は自分の知っている鬼とは違うのではないかと思えた。

 

「お前が鬼をどう思っているかは、なんとなくわかるよ。 そして、そうなったのは私たちが悪いってことも」

「……」

「私たちが妖怪の山を支配してた頃のことが許してもらえるとは思わない。 その頃のことは水に流してくれ、というのもムシのいい話だとは思う。 でも、それでも私は今からでもお前たちと仲良くしたいんだ」

「……」

 

 文は久々に自分を恥じた。

 こんな簡単なことだったというのに、何故今まで向き合おうとしなかったのか。

 しかも、萃香は自分のことを知っていると言ったのだ。

 鬼の実力者が、会ったこともないただの烏天狗の一人が書いた新聞なんかを読んでくれていると、その新聞の記者である文のことを知っていると、そう言ったのだ。

 鬼のことは恐れていたが、鬼が嘘をつかないことも知っていた。

 つまり萃香は山を去ってから長い時間が経ってなお、自分のような一天狗のことを個人として見ていてくれたということなのである。

 そんな鬼がいることを、自分は知ろうとすらしなかったのだ。

 

「は、ははは。 そっか、私もバカだなぁ」

 

 これでは真実を伝える新聞記者として失格だな、と文は自虐的に笑ったあと、いつもの営業スマイルで

 

「そうですね、私も貴方と仲良くさせてほしいです」

「本当か!?」

「はい! 先程は不躾な態度をとってしまい失礼しました、改めてご紹介させていただきます。 この度は早苗さんの異変解決に同行させていただくことになりました、『文々。新聞』記者の射命丸文と申します。 これからよろしくお願いします、萃香さん!」

「あ、ああ、よろしくな、文!」

 

 文は、もし許されるのであれば萃香を鬼ではなく、妖怪の山、いや、幻想郷の一員として、仲間として付き合っていけたらいいなと思った。

 そしてもし仲良くなれたのなら、いつか椛たち天狗仲間にも紹介できたらいいな、と。

 

「ふふふ。 じゃあ、萃香さんと射命丸さんが仲良くなれたところで、そろそろ行きましょう」

「ああ。 ってよりも早苗はこれからどこへ行く気なんだ?」

「ちょっと紫さんに直接話を聞きに彼岸に行きたいと思います」

「彼岸!?」

 

 射命丸は再び声を上げた。

 

「どうしました?」

「あはは、いやー、もう何でもいいです。 早苗さんといればネタに困ることはなさそうですね」

「まあ、早苗がとっぴなことを始めるのはいつものことだからな」

「むーっ、何ですかそれ」

 

 萃香にまでそんな風に思われてたのか、と早苗は少しショックだった。

 

「あ、それと射命丸さん。 椛さんに少し頼みがあるんですが、取り次いでもらってもいいですか?」

「椛に? 別にいいですけど、どうしたんですか?」

「いえ、今回の件で少し、その、神奈子様と諏訪子様に見張りをつける必要があるかなぁと……」

 

 それを聞いて、文は驚いた顔をした。

 そして、少しヒソヒソ声で早苗に問う。

 

「早苗さん、もしかしておふたりのことを疑って…?」

「……はい。 一応それなりの対策も必要かと」

「監視って、あの2人をか? それは、早苗も思い切ったことをするなぁ」

 

 文や萃香は、早苗はなんだかんだで最終的には神奈子と諏訪子の言いなりになるのだと思っていたため、その提案が少し意外だった。

 

「ってか、椛って意外と守矢神社でも評価高いんですよねー。 私なんて来ただけで嫌な顔されたのに」

「それは自業自得、と言っておきたいと思います」

「なんだ、文はダメな奴認定されてるのか?」

「いえいえいえいえ、私は清廉潔白な新聞記者として皆さんからの信頼を…」

 

 さっきまであれほど距離感があった2人も、この短時間でこんな会話を交わせるようになっていた。

 こんなふうにすぐに人と打ち解けられるのもこの天狗の魅力の一つであろう。

 

「……まあ、別にいいですよ。 それなら私はとりあえず椛に頼んで来ます。 すぐ追いつくと思うので、先に行っててください」

「え? そ、そうですか、わかりました! じゃあお願いしますね、また山の麓で会いましょう」

「はい、行ってきます」

 

 そう言って、文はすぐに飛び去って見えなくなった。

 幻想郷最速と呼び声の高い文ならすぐに追いつくだろうと、早苗と萃香は言われた通り先に山を下りることにした。

 

 

「……行った?」

「ああ」

 

 3人を見送った神奈子の頭上。 

 身を隠すように、神社の屋根裏から蛙の目が早苗たちを覗いている。

 蛙の目というよりも、そんな感じの目が付いた帽子を被った守矢神社のもう一人の神、洩矢諏訪子が気配を消して天井に張り付いていたのだ。

 

「いやぁ、早苗もちょっとだけ大人になったみたいで嬉しいよ」

「まぁ、まだ不安なところだらけだけどな」

「だね」

 

 諏訪子は話しながら天井を軽く蹴り、音も立てない程鮮やかに回転して神奈子の後ろに着地した。

 

「それで、アレはちゃんと順調に進んでいるのか?」

「うーん、早苗に気付かれないようにだと、なかなか厳しいね」

「仕方ないだろう、私たちの罪だ。 早苗にまで背負わせることはできないだろう? それに、もしあの子が知ったら絶対に私たちを止めるはずだ」

「……そうだね」

 

 神奈子の少し強がっているような声色を聞いて、諏訪子も無理に笑って言う。

 

「まぁ、それでも意外と鋭いところもある子だから気を付けないとね。 あとは射命丸が上手いことやってくれるといいんだけど」

「ん? あいつを同行させるよう仕向けたのはお前だったのか」

「別に仕向けたってほどのことじゃないんだけどね。 一応信頼できる協力者としてけっこう深いところまで話してあるよ」

「信頼? あいつをか?」

「まあねー。 私は神奈子よりは射命丸のこと評価してるつもりだからね」

 

 文の話を通じて少し和やかなムードにもなるが、それでもピリピリした空気は消えることはなかった。

 神奈子と諏訪子は一度たりとも視線すら交わさず、ただ言葉だけを交わしていく。

 

「まあいい。 では、とりあえず早苗たちが妖怪の山を出たら計画を進めるとしよう」

「うん。 じゃあ、表向きのことは神奈子に任せたよ」

「わかった。 健闘を祈る」

 

 そう言うと、諏訪子が姿を消す。

 神奈子は少しだけためらった様子だったが、やがて行動を開始した。

 

 そして間もなく、守矢神社を謎の結界が覆う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 湖の先に一軒だけある大きな屋敷、紅魔館。

 その地下には数えきれないほどの本が蓄えられた図書館が存在する。

 本のページをめくる音さえも鳴り響くほどに静かな場所だったはずのそこは、今やそんな面影は跡形もなかった。

 

「……それで、魔理沙はまずパチュリーを頼ろうと思ったという訳ね」

「いや、だからそういう訳じゃなくて、ほら、お前もよくここに来るじゃん。 だから図書館に来れば都合よく2人に会えるんじゃないかなー、なんて」

「へぇー、なるほどねー、そうなんだー」

 

 魔理沙は、まるで浮気がバレた男のように一人言い訳を続ける。

 自分の帽子を手汗で濡らすほどに頭を掻きながら必死に思考を巡らす魔理沙の前では、一人の少女が腕を組みながら不機嫌な顔をしていた。

 

「そ、そうなんだよ。 だから機嫌直してくれよ、アリス」

「別に私は機嫌悪くなんてないけどね、別に」

「だからそう言わずに、な? ほら、パチュリーも何か言ってやってくれよ」

「……」

「ああ、もう……」

 

 魔法の森に住む人形使いのアリス・マーガトロイドと魔理沙のこんなやりとりを聞くのにもう慣れてしまった図書館の主、パチュリー・ノーレッジは、まるで2人とも最初からいなかったかのように読書にふけっていた。

 この大図書館は最近まで自分だけの城と言っていいような場所だったが、紅霧異変以来魔理沙が本を借りに、それにつられるかのようにアリスが本を読みに来るようになった。

 もっとも、許可もなく本を持っていく魔理沙の場合は借りるというよりも盗むと言った方が近い気もするが……そんな騒がしい2人が来るようになってから、今までのように落ち着いて本を読めるほどに慣れるまではけっこうな時間がかかった。

 

「ふふふ、仲が良さそうでいいことじゃないですか」

「仲がいい、ねえ……うるさいから、いちゃつくなら外でいちゃついて欲しいわ」

「私としてはパチュリー様もあんな活発な子に育って欲しいと心から…」

「はいはい」

 

 自分の使い魔のくせにまるで母親のような口ぶりで紅茶を運んできた小悪魔を華麗にスルーしながら、パチュリーは紅茶に口をつけた。

 

「それで、魔理沙は結局私とパチュリーのどっちを選ぶのよ?」

「いや、どっちをっていうよりも2人ともに協力してほしいんだが…」

「はあああああ!? 信っじらんない、二股かけようっていうの!?」

「だからさっきから何言ってんだお前は……」

 

 そこで、2人の会話を遮るように、本を閉じる音が図書館に響き渡った。

 

「それで、そろそろ夫婦漫才は終わった?」

「いやだわパチュリー、夫婦だなんて…!!」

「誰が夫婦だ誰が!」

 

 仲がいいのか何なのかよくわからない3人の掛け合いを見て、小悪魔はまたほほえましい表情になる。

 

「はぁ……頼むから真面目に考えてくれよ……」

 

 しかし、魔理沙はこんな状況でちゃんと対応しきれるほど大人ではなかった。

 異変のことで既に頭がパンクしそうになっている魔理沙を見て、パチュリーはやれやれ、とため息をついて言う。

 

「ほら、アリスはちょっと調子に乗りすぎよ。 魔理沙はまだ子供なんだから」

「だって、面白いんだもの」

 

 アリスはさっきまでの不機嫌が嘘だったかのように、あっけらかんと答える。

 

「面白……っ!? おいアリス、私は真面目に…」

「わかってるわよ。 紫と霊夢がやられたんでしょ? 今回はいつもよりも状況は深刻みたいね」

 

 一人激昂している魔理沙を後目に、アリスが右手の指を動かすとともに小さな人形たちがいくつもの本を持ってアリスに近づいてきた。

 さっきまでのふざけた態度とはうってかわって冷静になったアリスの指の動きに合わせるように、人形は本を開いて並べる。

 

「紫が何者なのかなんてことは詳しくは私も知らないけど、簡単に言うと幻想郷の管理者みたいなものでしょ? その紫がこの異変解決に動くまで数日かかった。 まぁ、霊夢の動き出しに合わせていたのかもしれないけどね」

「え? あ、ああ」

 

 アリスは多くの本に目を通しながら話を進めていく。

 さっきまでアリスにツッコみをしていただけだった魔理沙は、まだ真面目な話に頭を切り替えられていないようだった。

 

「そして紫は、情報収集にそれほどの時間を要した上に敗れた。 つまりは、妖怪の賢者とまで呼ばれる実力者である紫と、異変解決のスペシャリストである霊夢の想定を上回る程の相手だった、ってことでしょ?」

「……つまり、お前は何が言いたいんだ?」

「今回は私たちの手におえるような異変じゃないってことね。 今日明日にでも目が覚めるなら、霊夢が起きるのを待った方がいいと思うわ」

「なっ!?」

 

 魔理沙は何か言い返そうとしたが、しかし何も言い返せなかった。

 その提案に言い返せるほどの実力が自分にはないことくらいは、理解していたからだ。

 

「っ……」

「まあ、そこで冷静に自分を見つめられるならまだ大丈夫ね」

「そうね。 ムキになって言い返すだけだった頃よりは成長したわ」

 

 そう言って、必要な情報を読み終えたのか、パチュリーは立ち上がった。

 

「どうしたの?」

「どうしたって、異変調査に向かうにきまってるでしょ?」

「はあ!? 今、私たちの手には負えないって説明したばかりでしょ?」

 

 話を聞いていたのかと言わんばかりにアリスがパチュリーに疑問の声を上げた。

 パチュリーは落ち着いた表情のまま、淡々とそれに答える。

 

「私たちだけで異変を解決することについては、多分そうね。 それは間違ってないわ。 だけど、調査くらいならできるでしょ? 聞いた感じ、この異変をこれ以上放置してたらどうなるかわからないわ」

「でも、調査っていっても……魔理沙も守矢の巫女も2日かけてほぼ手がかりナシだったのよ?」

 

 魔理沙も早苗も、異変の影響で幻想郷のパワーバランスが崩れてきていることや天狗の住処が崩壊したことは知っているが、そんなことはもう幻想郷の誰もが知っているレベルにまで広まっている。

 だが、魔理沙も早苗も異変解決に乗り出せるだけの実力は十分に持っているはずであり、その2人が2日かけてそれ以上の新しい情報を何一つ掴めないというのは今までの異変からは考えられないことなのである。

 

 実は、そうなっている原因は、この異変のもう一つの側面にあった。

 異変の影響で力をつけた者の多くが、いつの間にか行方知れずとなっているのだ。

 それ故、魔理沙も早苗も、ほとんど異変にかかわらない者や喋れる程度の軽傷しか負ってない者からの話しか聞けず、調査の過程で掴むことができたのは、他愛のない噂やどうでもいい知識の域を出ない情報ばかりだった。

 手がかりを探そうにも、異変に関わった者が次々と神隠しにあっていくために、うまく異変調査を進めることができないのである。

 

「まぁ、確かに私やパチュリーが手伝えばもう少し何か見つかりそうな気もするけど……流石に私たちには荷が重すぎるんじゃない?」

「そうね。 私もアリスも八雲紫ほど優秀って訳でもないし、魔理沙もまだまだ霊夢には及ばない。 私たちだけで異変の黒幕を見つけて倒そうって言ったって、それは厳しいと思うけど」

「けど?」

「あの2人で解決できなかったことを見ると、今回の異変は幻想郷の存続自体が危ないような規模かもしれない。 だとすれば、私たちにできる範囲のことだけでもしておいた方がいい気もするわ」

 

 本来ならば、幻想郷でもトップクラスの勢力を誇っていた天狗社会が謎の崩壊をしたというだけで、十分な異変と言っていいはずのものだった。

 しかも今回はそれに加えて、幻想郷の生態系の崩壊、幻想郷の管理者である紫の死、博麗の巫女の不在という問題も抱えた異常事態だった。

 そんな規模の異変を放っておくなど、まるで隣の家が燃えているというのにのんびりと寝室でテレビでも見ているかのような危機感のなさであろう。

 

「でも、やれることっていっても何をすればいいんだ? 私は一応、幻想郷中を飛び回ってみたんだぜ? 天狗の住処のあたりはちょっと入らせてもらえなかったけど、今度はそこにでも忍び込むのか?」

「……怪しい場所筆頭の妖怪の山すら調べ切ってないのね。 ま、どうせ魔理沙は何も考えずに適当に動き回ってただけなんだろうけど、ちょっとくらいは頭を使いなさい」

「頭をって……そんなの、何の手がかりもなかったからしょうがないだろ!」

「そうかしら?」

 

 パチュリーの何か心当たりがあるかのような口ぶりに、すかさず魔理沙が突っ込む。

 

「何か考えがあんのか、パチュリー!?」

「偶然かもしれないけど、多分魔理沙が行ってなくて今回の異変に関係あるかもしれない場所があるわ」

 

 パチュリーは相変わらず淡々と話を進める。

 アリスはそれを、少し嫌そうな目をしながら黙って聞いていた。

 

「それは?」

「……そもそもだけど、今回の異変、早すぎると思わない?」

「異変が早い?」

「今回の異変の兆候が見られたのはこの前の異変が終わってから1週間も経たないうちよ」

「……まさか、地底か?」

 

 魔理沙が恐る恐るパチュリーに聞く。

 

「そうよ。 地底での異変が、今回の異変と何らかの繋がりがあるかもしれない。 八雲紫の手が回らない場所、という意味でも有力な候補だと思うし」

「でも、地底への入口は…」

「閉じられていたわ。 昨日までは、ね」

「そうか! 今なら…!!」

 

 地底への入り口は、地上の住人が安易に地底へ入らないように紫が結界を張っていた。

 しかし紫亡き今、その結界は消えている、もしくは弱まっていることが考えられる。

 その話を聞いて、アリスはまるでわかっていてその話を魔理沙にはしたくなかったかのように露骨に嫌な顔をしていた。

 

「地底ねぇ……私はできれば行きたくないけど」

「そんなの私もよ」

「じゃあなんで魔理沙にそんなこと言ったのよ」

「あら、私は可能性を一つ提示しただけだけど」

「そんなの、魔理沙が聞いたら…」

 

「じゃあ私は地底に行くぜ! 2人とも来てくれるよな?」

 

「……って言うに決まってるじゃない」

 

 そもそも、魔理沙は地底に行ったことがない。

 いつもならば異変が起きれば霊夢よりも早く真っ先に現場に急行しようとする魔理沙だが、なぜか前回の異変では霊夢の動き出しが早く、魔理沙が気付いた時には解決し終わっていたからだ。

 それ故、魔理沙は行ったことのない地底への興味が元々かなりあったのだ。

 既に魔理沙はノリノリになっている。

 頭を抱えてため息をつくアリスに、パチュリーは言い訳をするように言う。

 

「まぁ、確かにあんな面倒くさそうなところ普段なら絶対行かないだろうけど。 私としては一番怪しいと思うし、地上と地底の関係を保ってる八雲紫がいない今なら地底に行くのも簡単なんじゃないかと」

「……で、本音は?」

 

 アリスが横目でパチュリーを睨む。

 

「……さっき読んでた本の舞台が地底だったから、せっかくだし一度くらい地底を見てみようかと」 

「ああ、もう。 どうせそんなことだろうと思ったわよ。 っていうかそんな行動力あるならたまには自分から外に出なさいよ」

「私は気が向いた時しか動かないのよ」

 

 一人異変解決に燃えている魔理沙、ただ地底に興味があるだけのパチュリーに、あまり乗り気じゃないアリス。

 いまいち気持ちがバラバラであるが、どうやら方向性は決まったようだった。

 

「あら、3人してどこへお出かけ?」

 

 そこへ、メイドを連れた小さな少女が現れた。

 歩き方から姿勢まで完璧な佇まいの紅魔館メイド長、十六夜咲夜。

 そして、その隣にいる一見10歳にも満たないように見えるその少女は、実は500歳を超える吸血鬼にして紅魔館当主のレミリア・スカーレットである。

 

「……珍しいわね。 レミィがこんな朝から図書館に来るなんて」

「別に用があって来た訳じゃないわ。 いつも以上に五月蠅く感じたから、紅魔館の主として見回りに来ただけよ」

 

 レミリアはパチュリーにそっけない返事をし、隣で騒いでいた魔理沙たちに目を向けた。

 魔理沙はいつものように片手を上げて軽いノリで言う。

 

「よっ、久しぶりだなレミリア、咲夜。 ちょっと異変を解決してくるから、パチュリーを一泊二日のレンタルで頼む」

「レンタルって、私は別にレミィの持ち物じゃ…」

「いいわ。 勝手になさい」

「おい、待て」

 

 そこに、パチュリーの口から出たとは思えないツッコみが聞こえた。

 だが、それすらも聞こえていないかのようにレミリアは続ける。

 

「今ならセットで咲夜もついてくるけど、どうかしら」

「あー、咲夜はいいや」

「そう、残念ね」

「おーい、話聞いてますか―?」

 

 自分たちといる時よりも軽いノリのパチュリーを見て、魔理沙は少しだけレミリアに嫉妬する。

 しかし、気持ち楽しげに見えるパチュリーとは対照に、こんなふざけたやり取りをしながらもレミリアは全くの無表情だった。

 いや、そもそも魔理沙は自分よりも子供にすら見えるこの吸血鬼が笑ったところなど、今まで一度も見たことがなかった。

 

「ああもう。 咲夜の教育がなってないからレミィがこんな横暴に育つのよ」

「ふふふ。 まぁ、お嬢様は生まれついてのカリスマの権化ですから」

「はぁぁ……あまり甘やかすのもレミィのためにならないから、たまには主人に厳しく接することもメイド長の役目よ」

「なるほど、そういう考え方もできますね。 ではそのお言葉、心のほんの隅っこの方に放置しておきます」

「いや、だからちゃんと話聞いてよ」

 

 パチュリーがいろいろと不平を言うが、レミリアの傍にいる咲夜に全て笑って受け流されてしまう。

 それはいつものことではあるが、周りからその様子を見ていると、まるで咲夜がレミリアの元気を奪っているかのようにすら見えた。

 

「じゃあ、私たちはそろそろ行ってくるぜ」

「今日はどちらまで?」

「とりあえず地底に行ってこようかなーと」

「地底、ですか…… … ……そしたらこれを」

 

 話をしている一瞬の間に、咲夜は小さなバッグを持っていた。

 おそらくは彼女の『時を操る程度の能力』を使って時間を止めて、待ち時間をとらせないように用意してくれたのだろう。

 中身はどうやら地下探索用のライトや非常食などの簡単な持ち物のようだった。

 

「おお、さすが紅魔館のメイド長だぜ」

「お誉めにあずかり、光栄です」

「一瞬たりとも待たせないとは、完璧な仕事ね。 ……やっぱりパチュリーの代わりに貸してもらおうかしら」

 

 アリスが少し冗長めいた口調でパチュリーに目を向ける。

 

「ああ! パチュリー様が長年の引きこもり生活から脱却し、自分から外へ出る日が来るなんて!!」

「……うるさいわよ小悪魔」

 

 一方でそのパチュリーは、パチュリーの自主的な行動に感極まって目を輝かせている自らの使い魔を、面倒そうに相手している。

 そして、それに耐えきれなくなったのか、パチュリーが一人先に歩き始めた。

 

「もう、時間の無駄だしそろそろ行きましょう」

「ええ、そうね」

「よし、んじゃ行ってくるぜー」

「いってらっしゃいませ」

 

 こうして紅魔館メンバーたちに見送られ、3人は紅魔館を出発した。

 その姿が見えなくなるまで深くお辞儀を続けている咲夜は、久々にパチュリーがいなくなったことで寂しがるかという淡い期待を抱きながら片目でレミリアを見ていた。

 しかし、わかってはいたことだが、その期待が報われるまもなく3人は行ってしまった。

 

「……ではお嬢様、私は朝食の準備に取り掛かります」

「そうね、お願い」

「咲夜さん、私久々にビーフシチューが食べたいです」

「あっ、こぁばっかりずるい! 咲夜さん、私今日はハンバーグが食べたいです」

「朝食からそんなに重いものを……って美鈴、いつから起きてたの?」

 

 呆れる咲夜をよそに、いつの間にか現れた紅魔館の門番である紅美鈴は、寝起きのその体でスキップしながら食堂へ向かった。

 そんなこんなで紅魔館では今日も賑やかな一日が始まる。

 パチュリーはいないが、それ以外はいつも通りの日常。

 だが、レミリアだけは虚ろな目で3人の行った方向をいつまでも見ていた。

 

「……どうしましたか? やっぱり寂しいのですか、お嬢様?」

「なんでもないわ。 私は少し部屋に戻ってるから、食事ができたら呼んでちょうだい」

 

 そう言ってレミリアは一人歩き始める。

 それにすぐ反応できなかったのは、咲夜が驚いていたからだ。

 レミリアが少し、ほんの少しだけ悲しそうな顔をしていたから。

 それは咲夜以外の誰も気付かない程のわずかな変化。

 しかし、レミリアが感情を表に出したところを見たことのない咲夜にとって、それは呆気にとられてしまうには十分なものであった。

 

「お嬢様……?」

 

 そして、咲夜の呼びかけに気付く間もなく、レミリアは一人自分の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 無駄と言っていいほど広い寝室。

 他に誰もいない部屋のベッドに横たわり、レミリアは呟く。

 

「……異変解決、ね」

 

 小さく呟いたはずの声は、その静けさ故に鮮明に聞こえる。

 それを聞くものなど、他にいない。

 それでも、必要以上にレミリア自身の耳には響く。

 

「まぁ、せいぜい足掻くといいわ」

 

 それは誰に言ってる訳でもなかった。 

 ただ、レミリアは誰にも見せたことのないような悲しい顔で、まるで自分自身を責めるかのように言った。

 

 

「どうせこの運命は、誰にも変えることなどできないのだから――」

 

 

 

 

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