東方理想郷 ~ Unknowable Games. 作:まこと13
ルート分岐
『母さんを、説得する』を選択。
化物は、世界を食らい尽くそうとしていた。
全てを奪い、消すだけの無限の力の暴走。
妖怪たちはそれを止めようと、必死で戦い続けた。
全身が血にまみれ、致命傷と言うべき傷を負ってなお、それに抗い続けていた。
「宝具『陰陽鬼神玉』」
「魔眼『ラプラスの魔』」
天空を覆うほどに巨大化していく白と黒の球体は、回転とともに電子を帯びて内なる霊力を増幅させていく。
その軌道からの逃げ場の一切を塞ぐように向けられた数多の眼が、追撃をかけようとその動きを追う。
それは、たとえ最高位の妖怪ですらも避ける術なく追い込まれるはずの、完璧な連携技。
だが、その標的となっていた化物の力はあまりに強大すぎた。
化物はあろうことかその陰陽玉に自ら手を伸ばして回転を止め、眩いほどの光とともにそのまま破裂させた。
同時に、その光で目のくらんだ妖怪を貫くように、化物から白き閃光が伸びる。
「紫っ!!」
地面に付くほど長く白い髪をした少女が、胸を貫かれて紙切れのように力なく宙に舞った妖怪の身体を受け止める。
それを追うように、化物は地を蹴っていた。
化物が狙うのは、もうまともに動くこともできない妖怪の命。
鋭く紅く吊り上がったその目が導くのは、「死」という完全な終焉の形のみ。
命のやり取りというものに慣れ切っていた少女は、次の瞬間に訪れるだろう妖怪の死を瞬時に悟った。
「ぐっ……」
だから、少女は自らの身を捨てて妖怪を庇った。
自分の右肩を引き裂かれてほんの一瞬表情を歪めた少女は、それでも妖怪を抱きかかえ、口に咥えたお札を真っ直ぐ吹き出すように飛ばして宣言する。
「夢符『封魔陣』!」
少女が飛ばしたお札は化物を取り囲むように結界を創造し、体勢を立て直す時間を稼ぐ。
その間に傷口を抑えながら再び立ち上がった妖怪が手を振りかざすと、化物を取り囲むように境界の狭間が無数に開く。
僅かに怯んだ化物から距離をとった少女は、疲れを一気に飛ばすように大きく深呼吸をして言った。
「紫、まだいけるか?」
「っ……ちょっと、厳しいかしらね」
「くそっ……せめてあと、閻魔か藍のどっちかにでも協力を頼めないのか」
「駄目よ、2人には残る2つの脅威を止めてもらってるもの。 あの白沢や橙の手に負える相手じゃないし、私たちで何とかするしかないわ」
「ちっ、しょうがないか。 それにしても……」
少女は、複雑な表情で化物を見る。
そこにいる化物は、巨大で異形な怪物などではない。
見た目だけなら、ほんの6~7歳ほどに見える小さな人間の女の子。
それでも、世界で指折りの実力者であるはずの2人を同時に追い詰めるその力は、あまりに危険だった。
だが、少女がその化物を見る目は、憎いものを見る目ではなかった。
「来るぞ!!」
そして、化物は数秒で結界と境界を破壊して再び牙を剥く。
神社の本殿だけは妖怪の能力によってそこから隔離されていたものの、高台にあったはずの景色が既に平地と変わらぬほどに沈み込んでいた。
博麗大結界さえも無残に砕け、このままでは幻想郷が崩壊するのも時間の問題だった。
世界の存続をかけるほどの、死闘。
たとえ死に瀕する重傷を負っていようと、幻想郷を管理する妖怪の賢者と博麗の巫女がそこから逃げる訳にはいかなかった。
だが、少女がその相棒である妖怪に少しだけ目を向けると、
「ちッ!!」
少女は、一瞬だけ意識の飛びそうになっていた妖怪を思いっきり蹴り飛ばし、自身もその反動で逆に跳ぶ。
「ボーっとしてんな、紫!!」
すると、その2人がさっきまでいた場所を、何かが通過するように飲み込んだ。
世界を分割するようにまっすぐに伸びた白き光は、2人の連携を一瞬奪う。
だが、その勢いで逆に跳んだ少女は、手の指いっぱいに霊力を込めた札を挟み、虚空に投げつけていた。
それに合わせるように出現した境界が、異空間を通じてその札を化物の周囲に届ける。
妖怪は地面を滑りながら意識を取り戻し、とっさに少女の行動をサポートしたのだ。
それでも、化物はそれをもろともせずに、霊術で焼ける自らの身体を気にもかけず少女に向かって手を伸ばす。
「がっ――――!?」
化物の指先から放たれたのは、得体の知れない力の塊。
無数の弾丸に全身を貫かれんばかりの衝撃を受け、少女は虚しく地面を跳ねるように吹き飛んでいく。
その傷は人間にとっては致命傷どころではない、即死は免れない殺意の跡だった。
いや、その傷に限らない。
その少女が今までに負っていたダメージは、胸を貫かれて出血の止まらない妖怪よりも、遥かに手遅れであるはずのものだった。
瞳孔すら開ききった生気の感じられないその姿は、傍目からはもはやただの屍にしか見えない。
だが、それでも少女は自らの足で立っていた。
「っ……もういい! もういいから……だから!!」
妖怪は、地に伏したまま叫んだ。
その少女が既に限界を遥かに超えていることは、一目見ただけでわかる。
妖怪である自分でさえもうまともに動けないというのに、人間がそれ以上の傷を負っているのだから。
それでも、少女は振り返らずに、
「嫌だ。 それでも、私は絶対……」
その死に体の身体からは考えられないほど強い口調でそれだけ言って、一人で立ち向かっていった。
妖怪はもう、何も言えなかった。
その少女が、どんな過去を生きてきたのかを知っているから。
少女は、その化物に自分を重ね合わせている。
望まずして化物と呼ばれ、孤独に身を宿した人間。
その運命を救ってあげたいと思うのは、当然だからだ。
「――…」
妖怪は、その名を呼ぶことができなかった。
自分ではもう止められないことが、わかっているから。
その強く真っ直ぐな声を妨げることなど、できないから。
だが、その声は途切れた。
突如として鳴り響いた鈍い音と共に、少女は膝をつく。
背後から頭を割られたような夥しい出血で、少女の意識は消え入ろうとしていた。
それでも再び化物は、少女に向かって迫っていく。
「お願い、もうやめて……」
妖怪は懇願するように言う。
だが、それは化物に向かってではない。
「……夢想、封…」
妖怪のその言葉は、死んでいるようにしか見えない身体で立ち上がろうとし、諦めずに再びその霊力を練り始めた少女に向けられていた。
限界を超えるほどに死してなお、その少女が決して止まらないだろうことを妖怪は知っていた。
――もう、いいでしょ? どうして、貴方はそこまで……
それでも、妖怪はもう、諦めたかった。
諦めるための手段を、既に持っていたから。
妖怪はただ諦めるための機会が……言い訳が欲しいだけだった。
これは、自分のせいで起きてしまった出来事だから。
少女が諦めていないのに自分が投げ出すことに、ただ負い目を感じていただけなのだ。
「……ダメよ。 もう限界」
だが、どれだけ逃げようとも、目を逸らそうとも、現実は思うままに進んでなどくれない。
たとえ何かを犠牲にしてでも、誰かを裏切ってでも、成さねばならないことがあるから。
妖怪は無言のまま、周囲一帯に張り巡らせた結界を開放する。
「っ!! 待って。 もう、少しだけ…」
朦朧とする意識の中それに気づいた少女は、焦ったように妖怪を止めようとした。
だが、妖怪は止まらなかった。
どれだけ時間を引き延ばそうとも、その化物が止まることはないからだ。
だから、妖怪は自らの切り札を使って、ここで終わらせると決めていた。
そのまま2人に向かって突っ込んだ化物は、突如として何かに絡め取られるように動きを止める。
誰にも止めることのできないように見えた化物は、とても声とは思えないほど悲痛な叫び声を上げる。
「■■■、■■■■■!?」
「……ごめんね」
妖怪は呟くようにそう言って、その結界を更に練り上げる。
化物の力と、その力の宿主の魂の境界を取り払って、一つにするための結界。
それは宿主の魂を永遠に苦悩の中に閉じ込める、悪魔の所業だった。
それが謝って済むようなことだとは思ってはいない。
だが、どれだけ非情と思われようとも、妖怪はそれを曲げるつもりはなかった。
目的のためには、他の何もかもを捨ててもいいと決めたのだから。
その代償に、たとえその子の未来が真っ黒に染まろうとも。
どれほどの嘆きを生もうとも。
どれほどの願いが潰えようとも。
その先に残されるのが、深い、深い絶望だけだとわかっていたとしても。
それでも、守るべき世界があるから。
――だから、せめて私は――
東方理想郷 ~ Unknowable Games.
第29話 : 博麗の巫女
「……また、夢か」
日が沈んで間もない宵の刻。
まだ幼き霊夢は博麗神社の布団で目を覚ました。
なぜか鮮明に思い出せる、たった今見た夢の登場人物。
戦っていた妖怪は恐らく、妖怪の賢者である八雲紫。
もう一人の少女は恐らく、霊夢の母である博麗の巫女。
そして、残り一人の化物の正体も、霊夢はなんとなくわかっていた。
「……何よ。 最初から言ってくれればよかったのに」
だが、そんな夢を見た後で霊夢が思ったのはほんの些細なことだった。
自分の育ての親である博麗の巫女の髪は、茶髪のはずだった。
それにもかかわらず夢に出てくる巫女は、白く長い髪をしていた。
だが、それが別人だとは思わない。
元々白髪だったということは聞かされていないが、いわゆる「おしゃれ」のために茶髪に染めたという話は聞いていたからだ。
「別に、隠さなくても綺麗な髪だと思うんだけどな」
霊夢は、ボソリと呟いた。
だが、自分で言っておきながらも、わかっていた。
ただでさえその異常な力故に恐れられた巫女が、目立たぬようにそれを隠そうとするのに不思議なことなどないのだ。
そして、それが恐らく霊夢の母親として自然に接するための手段だったのだろうことも、わかっていた。
そんなことで、嫌いになるはずがないのに。
「ま、それも含めてこれから言ってあげればいっか」
そう言って、霊夢は何かに気付いたように寝たふりを始める。
部屋の襖が開く。
床の軋む音さえも立たぬほど静かで洗練されたその足取りは、霊夢の横で少し止まる。
そのまま、囁くような小声で言う。
「ちゃんと、寝てるか?」
「……」
「……じゃあ、ちょっと行ってくるよ。 霊夢」
そして、そのまま巫女は音もなく部屋を後にした。
だが、霊夢は微かな気配を逃さなかった。
既に懐に忍ばせていた装備とともに、こっそりと起き上がる。
「さーて。 尾行開始、っと」
そして、霊夢は自分の直感を頼りに暗い森の中に飛び込んだ。
霊夢は、巫女の行き先が気になった。
巫女はこれから、霊夢の中に眠っている力を引き剥がすために外に出るという。
その力は、500年ほど前に紫が博麗大結界に封印したという邪神の力であり、暇を持て余した霊夢がそれを勝手に神降ろししてしまったが故に霊夢と結び付いて離れなくなった力である。
それは人間であるはずの巫女が生きている間に関われる歴史であるはずがなく、それまではただの捨て子、赤の他人だった霊夢と結びついたのにも、巫女に直接の関係はないはずだった。
それでも、勝手なことをして邪神の力を復活させた霊夢を自分の子として育て上げ、これからその力さえも引き剥がしてもう一度普通の親子として暮らそうと言ってくれた。
「でも、ちょっと異常よね」
それは元々が赤の他人であった相手にとれるような行動ではないはずだった。
そこには、巫女が自分を助けた理由が、何かある。
だが、霊夢はそれを知ってどうしたい訳でもない。
ただ自分の母のことをもっと知りたいだけだった。
それがたとえ利己的な理由によるものだとしても、どんなことでも受け入れると決めていた。
「……ここって、まさか」
霊夢は、呆然と立ち止まる。
巫女が向かったのは、人間の里ではなかった。
そこを避けるように通り過ぎて着いたのは、とある竹林。
迷いの竹林と呼ばれるそこは、一度迷い込めば帰れない魔境と恐れられている。
だが、巫女は何の躊躇もなくそこに入っていった。
霊夢は一度躊躇った後、それでも巫女に続いて入ろうとして、
「ダメよ霊夢。 そこは入っちゃいけないって教わらなかった?」
それを遮る声が聞こえてきた。
そこにあったのは、不機嫌そうな表情で境界から顔を覗かせる、紫の姿だった。
「……いつからつけてたの?」
「最初からよ。 今日こそあの子の秘密を探ろうと思ってね」
「え?」
今日こそ、ということは紫は今までに何度も巫女の行先を調べようとしていたのだろう。
そして、失敗している。
だが、『境界を操る能力』を使えばどんな場所にでも簡単に行けるはずの紫が尾行に失敗することなど、霊夢には想像もできなかった。
「そんなの、紫ならこっそり探れば何とでもなるんじゃないの?」
「そうなんだけど……なぜかいつも、途中であの子を見失っちゃうのよね。 特殊な結界でも張ってるのかしら」
結界ならば、その生成能力において右に出る者のない『境界を操る能力』を持つ紫が、破れないはずがない。
そう思った霊夢だったが、紫が嘘をついているようには見えなかった。
紫が、本当に困った表情をしていたから。
巫女が普通の人間ではない異常な力を持っていることは何となく知っていたが、結界の生成において紫を超えるなどとは思っていなかった。
「……母さんって、本当に何者なの?」
「さあ。 そんなの私が一番聞きたいわ」
「でも、何か知ってたから紫は母さんを博麗の巫女に選んだんじゃないの?」
「うーん。 まぁ、その辺は直感よ。 偶然でも博麗の巫女に相応しい力を持ってる相手を見つけたら、声をかけるようにしてたからね」
「うわぁ。 本当に適当ね、あんた」
「あら? 今さらじゃない、そんなの」
「そうね」
それは、いつもと同じような適当な会話。
紫は昨日の出来事について何も触れなかった。
昨日、霊夢が起こした惨劇。
霊夢が、誤って魔理沙を殺しかけたこと。
瀕死の魔理沙を助けるために、幽香に挑んだこと。
追い詰められた霊夢の中に眠る邪神の力が暴走して、妖怪の山の一部を消し去ってしまったこと。
それらの出来事が全て、霊夢に恐怖を与えて邪神の力を表出させるための紫の演出だったということ。
だが、それがたとえあらかじめ計画されていた出来事だとしても、実際には見逃せるような軽微なものではない、数千や数万人以上の犠牲者が出ているはずだった。
そんな重要な話を何もしてこない紫に、霊夢は耐え切れなくなって聞く。
「紫。 昨日のことだけど」
「事実よ、あの子が言ったことは。 あの子に、私が霊夢に近づくのを禁止されたってことも」
「……いや、今会ってるじゃない」
「私がそんな、誰かに縛られるような命令を黙って聞くと思う?」
「ああ。 聞くわけないわよね」
紫は少しおどけたようにそう言う。
普通なら冗談では済まない、許されない行為。
だが、霊夢は既に紫を許していた。
紫のことを、信じていた。
それが、紫の自分勝手な欲望による行動ではないことくらい、なんとなくわかっていたからだ。
「止まって」
突然、紫が霊夢を制止する。
霊夢には、そこに何があるようにも思えない。
それでも、紫は真剣に見開いた目で辺りを見回していた。
「……この辺りよ。 私がいつも、そして今日もあの子を見失ったのは」
「見失う?」
「ええ。 いきなり神隠しにでも遭ったかのように消えるの。 だから、ここに何かしらの境界があると思ったんだけど…」
「うーん……私には何もあるように思えないけど」
「それは私も同じよ。 でも、霊夢ならもしかしたら何か見つけられるんじゃないかと思ってね」
霊夢はその類の力には敏感な方だった。
博麗大結界に封印された邪神を自分で見つけられる程度には、直感も働いた。
だが、その直感がいけなかった。
何かがあると思った訳ではない。
ただ、おもむろに目の前の空間に向かって手をかざすとともに、
「そんなこと、いきなり言われても――――えっ……!?」
世界が反転した。
何が起こったかを把握する前に、霊夢は何かに酔ったように歪む世界の中にいた。
「うっ…紫、何を……」
霊夢は言葉にできない気味の悪さを感じていた。
最初は、霊夢はそれがまた紫の仕業なのだと思っていた。
だが、そこに紫はいなかった。
そこはさっきまでと同じ竹林だったにもかかわらず、まるで異次元の世界に迷い込んだかのような奇妙な感覚があった。
「……紫? ちょっと、どこに行ったのよ、返事しなさいよ!」
どれだけ声を上げても紫の返事はない。
その気配を感じることは、できなかった。
いや、そもそもその空間から生命の息吹を感じることは、全くできなかった。
「紫! 早く出てきなさいよ! ねえ紫ってば!!」
次第に、霊夢は焦ってきていた。
紫が急にいなくなっても、霊夢がここまで取り乱したことは最近ではほとんどなかった。
だが、今の霊夢にそんな余裕はなかった。
その空間から、得体の知れない恐怖を感じ取っていたからだ。
「っ―――!?」
そして、突如として後ろから霊夢の頬を何かが掠めた。
大した傷を負った訳でもなければ、それほどの痛みを感じていた訳でもない。
それでも、霊夢は足が竦んでいた。
それが飛んできた方向に、振り向くことができなかった。
「何……これ?」
それは、超スピードで飛び、その空気摩擦で燃え尽きてしまった指の、骨の残骸。
それすらも、やがて煙を上げて無に還る。
呆然とそれを見ていた霊夢を襲ったのは、今まで一度として感じたことのないほどの寒気だった。
初めて格上の妖怪と戦った時。
本気の幽香に蹂躙されていた時。
そんな時に味わった身も凍るほどの恐怖ですら、今感じているものとは比較すべくもない。
そこにあるのは、ただ殺気だけ。
相手を殺すためだけの、確かな殺意。
ただ一つの命を奪うため、という表現では表せないほどの、無限の死を感じていた。
「『パゼストバイフェニックス』」
突如として、そんな言葉が響き渡った。
それは、聞き慣れたはずの霊夢の母の声。
だが、静かな殺気の込められたその声が、霊夢には母の声だとは信じられなかった。
そして、いつも優しく霊夢に笑いかけていたその表情は――
「母さ……っ!?」
憎しみに染まり、景色を焼き尽くしていた。
微かに視界の端に映った巫女の姿を、霊夢は追うことができなかった。
その身を火の鳥と一体化し、自らの血肉を犠牲にしながらも目に映る全てを殺す狂気の姿。
幽香を目の前にした時以上の、直視することすらできない死の恐怖が霊夢を襲っていた。
「……紫」
気付くと、霊夢は呟いていた。
そこにいない紫の姿を、必死に探していた。
「藍っ! 橙っ! 先生っ! 魔理沙っ! 誰か、誰でもいいから来てよ!」
その空間に一人でいることが、怖かった。
何が起こっているかもわからない、その時間から解放されたかった。
だが、誰一人としてその声に答える者はいなかった。
ただ、近づいてきた何かに向かって、最後に霊夢が思いっきり叫んだ声は、
「ねえっ、どういうことか説明してよ、母さん!!」
「っ!? 霊…」
辺りを覆う殺気を、僅かに散らした。
だが、その油断は一瞬で戦況を塗り替える。
巫女の身に沿うように飛んでいた火の鳥は、突如として風に溶けたように消えていく。
それとともに、無色の虹が巫女の身体を貫いて、
「ぐっ―――!?」
「え……? 母さん!?」
それでも、巫女はその残照から霊夢を守るように軌道を変えて着地する。
そのわき腹から溢れ出る夥しい出血は、明らかな致命傷を表していた。
放っておけばたとえ妖怪であっても死を免れないだろう巫女の傷は、霊夢から冷静な思考を吹き飛ばしていた。
だが、巫女はそんな自分の身体を気遣うこともなく、霊夢に背を向けたまま叫ぶ。
「どうして……どうして来たんだ霊夢!」
「だ、だって、母さんが…」
「くそっ。 ここは紫でさえ来れるはずがないのに、なのに―――」
そこで、巫女は何かに気付いたように呆然と空を見上げた。
その一方で、霊夢は一歩も動くことも声を出すこともできなかった。
突如として現れた何者かから感じる静かな狂気を畏れるように、目線を上げることすらできなかった。
「……そういうことかよ」
「……」
「畜生。 それが、お前のやり方かよっ!!」
その相手が、微かに笑った気がした。
巫女は、逃げるように霊夢を抱えて一瞬で地を蹴る。
周囲を取り囲む火の鳥は、霊夢が今まで感じたことのないほど強大な力に覆われていた。
だが、それすらもあっけなく断ち切られたかと思えば、すぐに辺りを新たな炎が焼き尽くす。
今の霊夢には、対処するどころか目で追うことすらとてもできない攻防。
霊夢は、ただ巫女の胸元に顔をうずめたまま震えるばかりで、何もできない。
故に、ただのお荷物でしかない霊夢を抱えながら飛ぶ巫女は、次第に追い詰められていった。
「ぐっ!?」
そして、巫女は背中から得体の知れない光に焼かれ、地面を滑るように墜落する。
その寸前に、霊夢だけを暗闇に隠すように放り投げながら。
だが、既に死に体となった巫女の首を、それでも何者かが折るように片手で持ち上げて絞め上げる。
それを見かねた霊夢が、飛び起きて叫ぶ。
「母さんっ!!」
その声は、骨が砕かれたような音に遮られた。
薄暗い景色のせいで姿の見えないその相手は、既に四体の動かなくなった巫女の首を、それでも最後の命の灯まで消さんほど強く絞めていく。
「大丈夫、だから……私は大丈夫だから、逃げろ、霊、夢……」
巫女は、最後の力を振り絞ってそう言う。
抗うことができずに苦悶の表情を浮かべながらも、それでも霊夢の身を案じる。
それを、霊夢は直視することができなかった。
――母さんが死んじゃう。
――やめて、母さんが死んじゃう!!
その声は、出ない。
呼吸すら上手くできない震えの中で、懸命に叫ぼうとする。
それでも、声は出ない。
ただ、同時に霊夢の中で何かが暴れようとしていた。
自らの身を襲う恐怖以上に、目の前で死にかけている母を放っておけないという気持ちが全身を駆け巡り、その奥底にある何かを自然と呼び起こしていた。
「……はなせ」
霊夢は呟く。
無言のまま巫女の首を絞めるそいつに、直視できなくとも殺気だけを向ける。
「っ!! 待て、やめろ、霊…」
それに気付いた巫女は、霊夢を止めようと声を上げようとする。
だが、その声を遮ろうとするかのように、そいつは巫女の首を絞める力を更に強めた。
その口元は、霊夢を見ながら挑発するかのような笑みを浮かべていた。
そして、霊夢に見せつけるように、巫女の首を折ろうと力を込めて、
「母さんを……放せええええええええええっ!!」
何かが霊夢の身体の奥底から飛び出すような感覚とともに、世界が反転した。
その空間にあった何もかもが白く染まって、目の前にあった全てを消し飛ばしていた。
それとともに得体の知れない異空間は消え去り、次の瞬間辺りに戻ったのはいつも通りの夜。
ただ一つ、竹林の中心にできた、まるで巨大な隕石が落ちたようなクレーターを除いて。
「……え?」
その中心で、霊夢は我に返った。
霊夢には、その数秒の記憶がなかった。
気付いた時には、いつの間にか自分の周りには何もなかった。
竹林も、大地も、塵の欠片すらも。
ただ見渡す限りの無が、その視界を埋め尽くしていた。
「母さん……?」
答えるものは、何もなかった。
ただ、無我夢中で伸ばした手が握りしめていたのは、焦げ落ちた布の欠片。
巫女がつけていたはずの赤と白のリボンの破片だけが、その手に握られていて…
「あ、ぁ……」
その出来事を理解するまで、時間がかかった。
――母さんが。
――大好きだったのに。 大切な、大切なたった一人の母さんだったのに。
「私が、殺し…」
そして、溢れ出る感情を抑えられないままに、
「ぃゃぁあっ、嫌ああああああああっ!!」
霊夢の泣き叫ぶ声だけが、ただ夜の闇に虚しく鳴り響いていた。