東方理想郷 ~ Unknowable Games. 作:まこと13
東方理想郷 ~ Unknowable Games.
第5話 : 地底世界
地底。
それは幻想郷の地下に広がる世界。
地上で忌み嫌われた妖怪たちが巣食うそこには、地底の住人の代表と八雲紫の合議により、本来地上の妖怪の侵入は固く禁じられていた。
「おい、いつになったら着くんだ?」
「ああもう、うるさいわね。 黙ってついてこれないの?」
「……」
しかし、紫がいない今、地底への侵入を阻止する結界はなくなっていた。
そのため、魔理沙たちは容易に地底に入ることができたが――
「それにしても……パチュリー、あんた一体何しに来たの?」
「しょうがないじゃない。 思った以上に空気が悪いし歩きにくいのよ」
「……」
元々喘息持ちだったパチュリーは、地底に入ってわずか3分足らずで体調を悪くした。
そして、長年の運動不足のツケも溜まって動けなくなってしまい、今はアリスの操作する人形たちに運ばれている。
「あーあ、こんなことなら来なきゃよかったわ」
「あんたが地底を薦めたんでしょうが」
「気が変わったのよ」
「……本当に、レミリアのこと文句言えるような立場じゃないでしょあんた」
「……」
パチュリーと一緒に外出するのは初めてだったが、こんな時でもマイペースを崩さないパチュリーを見てアリスは呆れ果てる。
「それよりも、さ。 さっきからついてきてるあの猫は何だ?」
「ん?」
「……あー、やっと気づいてくれたよ」
そこで、魔理沙の反応を待ってましたと言わんばかりに、物陰に佇んでいた猫が突然跳び上がる。
その猫は空中で華麗に数回転したかと思ったら、着地と同時に人型になっていた。
「じゃじゃーん。 お姉さんたちどうしたんだいこんなところで」
「何だお前は? 地底の番人か何かか?」
自分の精いっぱいのパフォーマンスを経て、お燐こと火焔豹燐は得意気に姿を現した。
随分と印象的な登場の仕方だったが、魔理沙たちの反応は薄い。
「あ、いや、そういう訳でもないけど…ちょっと気になっただけさ。 ほら、地上の妖怪は地底には来れないことになってるからね」
「ところがどっこい、私は地上の人間だぜ」
「あー、それはまあ別にどっちでもいいんだけどさ。 いや、人間はちょっとマズイかな」
「なんでだ?」
「地底にはいろんなヤバい妖怪がいて、中には病気を操る妖怪とかもいるからね。 普通の人間なんかじゃ下手すりゃすぐあの世行きだよ」
「ああ、それなら私は風邪ひいたことないし大丈夫だぜ」
魔理沙は空気を読まずに屁理屈をこねる。
だが、その反応が意外とお燐には好感触だった。
「……ぷっ、面白いお姉さんだねえ。 でも、地底に来ちゃいけないことくらい知ってるでしょ? ってよりも八雲紫がそれを許さないはずなんだけど…」
「それが、その紫が死んじまったんだよ」
「はい?」
この反応から判断すると、やはり地底の住人は紫の死を知らないようだった。
「まあ、信じらんねえかもしれないが、これは本当のことだぜ」
「……ああ、別に疑ってる訳じゃないよ。 そいつが何者だろうが、ただの妖怪ってことには変わりないからね。 死んだと言われても別に驚かないけどさ…」
「ん? 思ったより反応薄いんだな」
「いやあ、悔しいよ。 それほどの奴の死体ならあたいが運んでやりたかったのに」
「はぁ……」
『死体を持ち去る程度の能力』を持つお燐にとっては、紫が死んだことの驚きよりも、その死の瞬間に立ち会えなかったことの悔しさの方が大きいようだ。
そんなお燐の様子を見てると、確かに地底では地上と違って紫は特段重要人物として扱われてはいないように見えた。
「それで、お姉さんたちはわざわざそのことを地底に伝えに?」
「そういう訳じゃないんだが」
「ああ、そのことなら私が説明するわ」
そう言ってアリスが話に割り込み、話し始める。
地上で、天狗の住処が壊滅するほどの異変が起こっていること。
紫と霊夢さえもが、その異変を手におえなかったということ。
今までの異変とは違い、その調査が全く進まないこと。
そして、その異変が今後幻想郷の存在を脅かすほどに深刻化する可能性があること。
その異変の内容についてアリスは知っていることを詳しく話したが、なぜか地底を調査しに来たとは言わなかった。
「なるほどねぇー。 地上はそんなことになっていると」
「だから、私たちはこの際地底にも協力を仰ぎたいの」
「でも、それは…」
「地底と地上の関係については知ってるわ。 地上人と手を組むのは抵抗があるかもしれない」
地底の妖怪は地上で忌み嫌われたり、迫害を受けてきた妖怪ばかりである。
そのため、地上に出ることは地底の妖怪にとっては苦痛であり、地上の妖怪にとっても地底の妖怪は忌まわしい存在であったため、今までその領域が互いに不可侵になっていたのだ。
「でも、そうも言ってられない状況になってる。 たとえ今は大丈夫でも、いずれこの地底にもその脅威が襲い掛かってくるわ」
「……なるほどねえ。 それで、お姉さんたちはこれからどうしようと」
「地底の実力者である、鬼に協力を仰ぎたいと思ってるわ」
「へえ。 わざわざ地底の鬼に会いに行こうってのかい?」
「ええ」
アリスは全く動じる様子もなく、話を進める。
その存在を知っていれば、誰もが恐れおののくはずの鬼に会うことに何のためらいもないアリスに、お燐は少し不審な目を向ける。
「……だけど、やめておいた方がいいよ。 鬼はお姉さんたちが思ってる程生易しい存在じゃないからさ」
「そうか? 萃香なんて普通に話しやすいけどなー」
「多分萃香はちょっと別物なんでしょ」
「萃香……? それって、もしかして伊吹萃香のことかい!?」
「そうだけど」
お燐が少し驚いた顔をする。
「まあ実際のところ、私は萃香とは3勝7敗で圧倒的に負け越してるからなぁ。 あんなのが何人もいると思うと少し気が滅入るが…」
「3勝って……あの鬼の四天王を相手に!?」
「四天王? なんだ、萃香ってそんなにすごい奴なのか」
地底で話したら一目置かれるどころじゃないようなことを、魔理沙は平然と言う。
普通なら信じられないような話にしばらくお燐は目を丸くしていたが、やがて笑って言う。
「……はははははは、いいよ、やっぱりお姉さん面白いよ。 わかった、地底のことならあたいがいろいろ取り次いであげるよ」
「本当か!?」
お燐は人間が鬼に勝てる訳ないと思っていたが、少し前にスペルカードルールに則ってるとはいえ、たった一人で自分や旧都にいる鬼たちをあっさり倒してのけた巫女のことを思い出す。
だからといって魔理沙の話を信じてはいなかったが、そんなことを何の気なしに言う魔理沙に興味を持った。
「ああ! ただし、その前にちょっとさとり様に会ってもらおうかな」
「っ!?」
「さとり?」
「あたいのご主人様さ。 地底じゃ荒くれ者の鬼より先にまずはさとり様に認めてもらう方がいいだろうからね」
「そうなのか」
「そうさ。 まあ、裏のある奴にとっちゃ鬼なんかよりもよっぽど大変な相手かもしれないけどね」
「へえー。 じゃあ、よろしく頼むよ」
「ああ。 それじゃ案内するよ、ついてきておくれ」
そう言うと、お燐は先導して進み始める。
魔理沙はそれに続くように軽やかに進んでいく。
しかし、アリスとパチュリーの顔色はあまり優れなかった。
「……ねえ、パチュリー。 さとりって、もしかして古明地さとりのことじゃないの?」
「多分、そうね。 あーあ、一番会いたくない奴に最初に会いに行くことになるとは…」
「どうした、2人とも?」
「なんでもないわ」
「そーか」
暗く長い道を進みながらも、アリスはパチュリーを運んでいるうえに何かを相談しているため、自然とその足取りは遅れてしまう。
しかし、魔理沙はそんなことも気づかず、ワクワクしながらお燐についていく。
そのせいで、いつの間にか魔理沙たちとアリスたちとの距離が開いてしまっていた。
「いやー、最初に話の分かる奴に会えてよかったよ。 えっと、えっと、」
「ああ、あたいは火焔猫燐。 お燐って呼んでおくれ」
「お、おう、お燐」
「それにしてもお姉さん、なかなか身軽だねえ。 あたいは猫だってのに、こう簡単にあたいの動きについてこられちゃ自信を失っちまうよ」
「ふっふっふ。 私の名は霧雨魔理沙。 スピードだけなら文を除けば……そうだ、ちくしょう文さえ…文さえいなければ!!」
「ど、どうしたんだい!?」
しばらく前まで自称幻想郷最速を名乗っていた魔理沙は、いつの間にかその名を文に奪われていたことを思い出す。
しかし、すぐに我に返って話を戻した。
「あ、いや、何でもないよ。 ところで、お燐の主人のさとりってのはどんな奴なんだ?」
「内緒だよ」
「教えてくれよケチー」
「はっはっは。 そーれーはー、会ってからのお楽しみさ」
魔理沙はすこし不満そうに言うが、お燐は決してさとりのことを言わなかった。
『心を読む程度の能力』という、忌み嫌われる能力の代表と言うべき力の持ち主であるさとりについては多くは語らない。
さとりのことを知った者の多くは、会うのを拒否してくることをお燐はよく知っているからだ。
「さて、多分そろそろ…」
「おっ! 光だ」
「あ、ちょっと、お姉さん!」
長い道の先に、魔理沙は遂に出口を感じる。
さっきまでついてきていただけの魔理沙が、お燐を追い抜いて走り出す。
そしてその狭く暗い道を抜けると……そこには地下とは思えない程明るい街並みが視界いっぱいに広がっていた。
「何だこれ、何だこれえええええ!?」
噂でしか聞いたことのない地底都市を生で見た魔理沙は、興奮を隠しきれなかった。
「驚いた、本当に地下にこんなでかい町があるとは……なあ、アリス、パチュリー!!」
振り返ると、そこには既にアリスとパチュリーの姿はなかった。
「あれ?」
「連れの2人なら、だいぶ前から離れちまったよ」
「……あちゃー、しまったなぁ。 なあお燐、ここまでって一本道じゃないよな?」
「ああ。 結構分かれ道もあるけど」
「まったくあいつらは。 しょうがないから少し戻って……ん、何だこれ?」
魔理沙がポケットに潜んでいた小さな人形を見つける。
その人形は一枚の手紙を抱えており、そこにはこう書いてあった。
『私たちは少し情報収集などをしています。
地底の地図についてはあらかじめパチュリーが地底全土を調べていたので大丈夫です。
なので、地霊殿の調査は魔理沙に任せるわ。
旧都の方で落ち合いましょう。 じゃあよろしくね。
あなたの愛しのアリスより』
「………はぁ」
――何があなたの愛しのだ。
魔理沙はまたため息をつく。
この手紙をアリスがどんな顔で書いていたのか、魔理沙には容易に想像できた。
「アレだろ? どうせまた私が一人取り残されて困ってるのを見て楽しもうってんだろ?」
「どうしたんだい?」
「……いや、あの2人は別のところを調査するから地霊殿は私に任せたってさ。 ところで、地霊殿って何だ?」
「ああ」
地霊殿のことを知ってるのなら当然さとりのことも知っているのだろう。
だから、アリスとパチュリーはさとりに会う前に逃げたのだと、お燐はすぐにわかった。
「あたいたちがこれから行く場所さ」
「ふーん。 まあいいや、あの2人なら多分大丈夫だろ。 後で旧都ってとこで落ち合えばいい」
「うん? 地霊殿は旧都の中心にある館で、この辺一帯を旧都っていうんだけど」
「…………はああああああああ!?」
魔理沙はガックリと膝を落とす。
この状況でここまでするか普通、と。
「やられた……そんなんどこで落ち合うかわかんねえじゃんかよ」
「ま、まあまあ、多分それはなんとかなると思うよ。 だって…」
「何だい、お燐。 そいつは」
突然聞こえてきた声に、魔理沙たちが振り向く。
そこにはいつの間にか、何人もの妖怪を引き連れ、頭に立派な角を生やした妖怪が立っていた。
「まあ、こんな風に、地上の人間なんかがいたら目立っちまうからね」
「地上の人間? また何でこんなところに」
「おっ久しぶりですね、勇儀さん。 このお姉さんはさとり様の客人でね、ちょいとこれから地霊殿に行くのさ」
「お、おう。 霧雨魔理沙だ、よろしくな!」
魔理沙はいつもの軽いノリで自己紹介をする。
だが、その軽い態度が気に入らないのか、ガラの悪い妖怪たちが声を荒げて魔理沙を睨む。
「あん!? てめえ勇儀さんに向かって何様のつもりだ?」
「待ちな! いいよ、魔理沙か。 名乗られたからには名乗り返さないとねえ。 私は山の四天王の一人、星熊勇儀。 まあ最近は山になんて行ってないけどねえ」
「四天王って……もしかして萃香と同じやつか?」
萃香のことを呼び捨てにする魔理沙に驚き、辺りが少しざわめく。
その騒ぎを聞きつけて、辺りには多くの見物人が集まってきていた。
「なんだ、お前も萃香を知ってるのかい?」
「お前も、ってのはどういうことだ?」
「ああ、少し前ここに博麗の巫女らしき奴が来たのさ。 名前も名乗っちゃくれなかったが、そいつのことが忘れらんなくてね」
「なんだ、もしかしてお前も霊夢にやられたのか?」
その言葉に、お燐はビックリしたように魔理沙に注意する。
「ちょっ、バカ、何て事を…」
「ああん!? ケンカ売っとんのかワレ!?」
「ぶっ殺すぞコラァ!!」
妖怪たちがメンチを切りながら魔理沙を取り囲む。
しかしそれに全くビビる様子もなく、魔理沙はただそこにいる妖怪たちの頭であろう勇儀だけを見据えている。
「……くっくっく、愉快な奴だねえ。 ああそうさ、言い訳するつもりもない。 私はそいつに負けたよ」
「そうか、やっぱりな。 まあ、霊夢がスペルカードルールで負ける訳ないしな」
悪気はないのだろうが、魔理沙は挑発するような言葉を次々と吐いていく。
勇儀を取り囲む妖怪たちからの殺気が一気に魔理沙に向けられる。
「ああ、もう知らないぞあたいは」
「え?」
魔理沙にはお燐の言葉が意に介さないようだった。
今にも飛び掛って来そうな妖怪たちを抑え、勇儀が口を開く。
「まあ待ちな、お前たち。 ……おい、お前もあの巫女の知り合いってことはちょっとはやるんだろう? どうだい、私と少し遊んで行かないかい?」
「遊ぶ?」
「ああ。 お前たちの得意なスペルカードルールでな」
「え? あ、ちょっと待ってくれ、私は…」
「ルールは簡単。 その決闘中に私が持っている杯から少しでも酒をこぼさせたらお前の勝ちだ」
「……は?」
勇儀は取り巻きの妖怪が持っていた大きな盃をおもむろに受け取り、そこになみなみと酒を注ぎ始めた。
そしてそれを片手に持ったまま魔理沙と向かい合う。
それを見て、今度は魔理沙が露骨に不機嫌そうな顔になった。
勇儀は当然のようにその酒に口をつけ、妖怪たちは魔理沙を小バカにしたような顔つきで言う。
「なに、ただのハンデさ。 ワンサイドになっちゃ面白くないだろう?」
「そうだ、勇儀さんとタイマン張ろうなんざ100年早いんだよ小娘が!!」
「なるほどね……」
そう言うと、魔理沙は背中にしょっていた箒をおもむろに上方へ投げ、一回転させる。
そのまま、その柄の先を人差し指に立てて乗せた。
それを見た勇儀は、怪訝な表情を浮かべて言う。
「……おい、何のつもりだ?」
「ワンサイドになっちゃ面白くないんだろ? だったら、ハンデだ。 スペルカード戦中にこの箒を私の指から落としたらお前の勝ちな」
誰一人として魔理沙が何を言っているのかわかっていなかった。
しかし、次の瞬間気付く。 こいつは鬼の四天王をバカにしているのだと。
その一言に勇儀の取り巻きたちの怒りが最高潮に達する。
お燐はそれを見て、焦るように魔理沙に言う。
「バカ、早く謝んないと取り返しのつかないことになっちまうよ!」
「……謝る? どっちが?」
しかし、魔理沙は動じない。
むしろ、その声はいつもよりも落ち着いていた。
「バカにしやがって!!」
「ふざけんなよテメエ、今ここで消したるわ!」
「待て、お前たち!」
「いや、勇儀さんが出るまでもねえ。 覚悟せえや小娘が!!」
そして、遂にキレた取り巻き数人が腕を振りかぶり、一斉に魔理沙に飛びかかった。
しかし次の瞬間、そこに一陣の風が吹く。
いや、風ではない。
気付かれぬほど鮮やかに妖怪たちの背後に回っていた魔理沙の移動が、妖怪たちにはそう感じられたのだ。
一斉に魔理沙に殴りかかった妖怪たちは何が起こったかもわからないまま、いつの間にか下方から飛び出してきた色とりどりの弾幕に顎を綺麗に打ち抜かれて崩れ落ちていった。
そして、それを背後から見据える魔理沙の人差し指には、彼女の背丈ほどもある箒が未だ静かに立っていた。
「バカにしてんのは、どっちだよ」
辺りが静まり返る。
周囲の妖怪より頭一つ分以上小さい身長と深くかぶった帽子のせいでその目を見ることができないにもかかわらず、その場にいる誰もが魔理沙から強く鋭い視線を感じていた。
「私の名は霧雨魔理沙。 幻想郷最強と言われている博麗霊夢のライバルだ。 それを相手にハンデだ? ふざけんのもいいかげんにしろよ」
決して種族としても、その力も強くはないはずの魔理沙の気迫に、妖怪たちが気圧される。
しかし、ただの人間にしか見えない魔理沙に、勇儀の前で屈辱を受けた取り巻きの妖怪たちがフラフラと立ち上がり、また魔理沙に敵意を向ける。
「……てめえ、もう許さねえ。 こっちが手加減してやったってのにツケ上がりやがって」
「そうだ、スペルカードなんて関係ねえ。 俺たちが本気になりゃたかが人間なんざ…」
「――黙れ」
突如、勇儀が妖怪たちを睨むようにそう言い放った。
さっきまでの陽気な声から一転した低い声が辺り一帯に響き渡り、その気迫だけで魔理沙は一歩後ずさってしまう。
「見苦しいぞ」
「で……ですが、勇儀さ…」
「何度も言わせるな」
勇儀が言うと共に、妖怪たちが一斉に黙り硬直する。
そして、勇儀は手に持っていたその杯を後ろに放り投げた。
その盃が割れることも、秘蔵の酒を捨てることも気にせず、勇儀は魔理沙に向かって真剣な表情で膝をついて頭を下げた。
「勇儀さん!?」
「今までの非礼、詫びよう。 すまなかった」
「……まぁ、別にいいよ」
勇儀が謝る姿を見て、お燐は開いた口が塞がらなかった。
お燐だけではない。 ただの人間に頭を下げる勇儀の姿に、辺り一帯が騒然となった。
「あ、あの、勇儀さん! あたいこれからこのお姉さんを地霊殿に連れて行かなきゃならないんだけど…」
「それは、ちょっと待ってくれないか?」
「は、はい……」
勇儀の真剣な表情にお燐がたじろぐ。
「今度はあんな無礼なことなんてしない。 あの巫女のライバルと言われるその力、見せてもらおうか。 鬼の四天王が一人、力の勇儀。 全力を持って応えよう!」
勇儀が力を込めると共に、辺りの空気が一変した。
辺りに潜んでいた動物たちが、本能的に一斉に勇儀のいない方向へと弾けるように逃げ出す。
その気迫だけで、周囲の建物がミシミシと悲鳴を上げているようにすら感じる。
気付くと、さっきまで全く恐れる様子のなかった魔理沙も震えそうになっている。
しかし、そんな中でも魔理沙はあくまで冷静に箒を持ち直して言った。
「すまないが、私は地霊殿に急用があってね。 だから今は行かなければならない」
「なに?」
「だけど、もう一度。 今度はさっきみたいなくだらないことは無しでやろうっていうのなら、帰りにもう一度ここに寄らせてもらうよ」
「……本当だろうな?」
「ああ」
勇儀と魔理沙は静かに視線を交わす。
そして、勇儀はゆっくりと力を抜き、納得して言った。
「……わかった。 ではお前が戻ってくるまで、私はここで待っていよう」
「そうか。 じゃあお燐、案内の続き頼むよ」
「え? あ、ああ、わかったよ」
勇儀たちにそう言い残して、魔理沙はお燐を連れて足早に地霊殿へと向かった。
呆気にとられていた妖怪たちは、それを追うことすらできなかった。
地霊殿への道中、魔理沙は全く口を開かない。
第一印象とはあまりに違う魔理沙のその雰囲気に、お燐は少し困惑していた。
しかし、しばらくは無言だったお燐も、沈黙に耐え切れずにやがて口を開く。
「い、いやー、しっかしあたい驚いたよ。 お姉さんあの勇儀さん相手に一歩も退かないなんて……」
「……」
「あたいなんか見てるだけで寿命が縮んだよ」
「……」
「ねえ、それにしても、お姉さんこんなに寡黙な人だったっけ?」
「……なぁ、お燐」
「うん?」
「………どうしよう」
そう言う魔理沙は、なぜか涙目だった。
「なっ!? どうしたんだい、お姉さん」
「いや、だってあの鬼マジで怖いよ! なに? 萃香と同じような感じじゃないの? なんであんなのと本当の決闘みたいなことになってんの!?」
「一体何があったのさ!? さっきまであんなに頼もしかったのに…」
「そんなの、あんな三下相手なら別にいいよ! だけどあの勇儀って奴超怖いし、できればもう会わない方向で…」
「で、でも、さっきもう一度行くって言ったじゃないか! 鬼は嘘が大嫌いなんだ、そんなのすっぽかしたら…」
「だって、あの場じゃそう言わなきゃ殺されるかもしんないだろ!? なんで霊夢はあんなのと決闘なんかできんだよ!!」
突然弱気になった魔理沙の様子を見て、お燐は少し呆れてしまう。
魔理沙のスペルカード戦の実力自体は誰もが認めていた。
その異常な成長速度から、いつか霊夢すら超えるのではないかとさえ言われるレベルに達していた。
しかし、残念ながら魔理沙には強大すぎる相手を目の前にして向かっていく勇気がないのだ。
すっかり友達感覚で慣れてしまった霊夢や萃香たちについては問題ないが、たいていの異変の黒幕なんかには向かっていけない。
幽香に勝った時も、実は自分から向かっていったのではなく、あの戦闘狂に追い詰められて死に物狂いで戦っていたら、気づいたらルール上は勝っていただけなのである。
「……まあ、でもいいよ。 あたいもお姉さんはそのくらいの人の方が付き合いやすいし」
「そんなもんか?」
「いやー、だって見た感じお姉さんかなり強いでしょ? なのにそれを笠に着ないでこんな風にできるのも…」
「あー……実はな、あれは別に私だけの力じゃないんだよ」
「へ?」
「ってか、もうそろそろ出てきてくれよ2人とも」
そこに、どこからともなくアリスとパチュリーが顔を出した。
「はぁ……まったく、着いて早々問題起こさないでよ」
「しょうがないだろ。 ってか、勝手にいなくなったお前らが悪いんだからな!」
「あんたが勝手に先走って鬼にケンカ売っただけじゃない」
「うっ……それを言われると」
そう言ってアリスとパチュリーは何事もなかったかのように合流する。
「お姉さんたち、いつから……?」
「え? 魔理沙があの手紙見つけたあたりからだけど」
「早えよ!!」
「魔理沙が「はああああああああ!?」とか言いながら膝を崩すところとか笑ったわー」
「……いい性格してるね、お姉さん」
お燐が呆れ顔でそう言う。
魔理沙はいつものように頭を抱える。
パチュリーはすっかり地底への興味を失って、アリスの人形に運ばれながらもただ黙々と本を読んでいる。
こんな未開の地でピンチになっても3人はいつも通りだった。
「……まぁ、とりあえずそういうことだ。 箒のハッタリはアリスにうまいこと箒を操ってもらってたんだけど、実は私は箒無しだとそこまで速く動けなくてさ、あの時の華麗な移動術は少しだけパチュリーの魔法でごまかしてたんだ」
「な、なるほどねえ」
お燐はそのタネを聞いて、ガッカリというよりむしろ感心した。
あんな状況で何の打ち合わせもなしにそんな行動をとれた2人と、それを信じて一瞬も疑わなかった魔理沙の信頼関係など一朝一夕でできるものではないからだ。
こんな変な3人でも、そのチームとしての力は恐ろしいとお燐は思った。
しかも、お燐の知る所ではないが、さらに恐ろしいのはこの3人が組んで戦ったのは実はこれが初めてだったということだ。
「そういうことね……と、合流したばかりなんだけど、私たちはちょっとここで一回抜けるわ」
「え? どうしたんだよ」
「ちょっと理由があってね、私とパチュリーは地霊殿には入れないのよ」
「なんでだ?」
アリスがお燐に目くばせをする。
お燐にとっては少し癪なことだったが、なんとなく言いたいことはわかった。
要するに、アリスとパチュリーはさとりに会いたくないのだ。
「……実はね、地上の妖怪はここに入っちゃいけないんだよ」
「そうなのか?」
「ああ。 でもお姉さんは地上の人間だから大丈夫だけどね」
「ふーん、そんなもんか」
この説明でとりあえず魔理沙は納得したようだった。
そして、アリスとパチュリーは当然のように再び魔理沙と別れようとする。
「それじゃあね」
「ちょっ、待てよ! 今度はちゃんと集合場所決めて行けよ! さっきみたいにどこで合流するかわかんないと…」
「じゃあ、旧都入口の茶屋前にしましょう」
「ああ、あそこな……って、それさっきの勇儀って奴が待ってるところじゃねーか!」
「そうよ」
アリスは当然のように答える。
「そうよって、お前は私を殺す気か!!」
「まぁ、これは別に冗談でもなんでもないわ。 私たちが地底に来た理由、覚えてる?」
「え?」
アリスはお燐に対して、地底に来たのは地底の住人に協力を仰ぐためだと言った。
しかし、魔理沙たちは元々異変調査のために地底へ来たのだ。
だから、アリスが本当は何が言いたいのか、魔理沙にはよくわからなかった。
「さっきの勇儀ってのは鬼の四天王、つまり地底を取り仕切ってるような奴の一人だと思うから、私たちは本来あいつに用があって来たようなものでしょう?」
「あ、ああ」
「だったら、結局話を付けなきゃいけない相手って訳。 だから、ちゃんと来るのよ?」
「でも……って、おい! 待てよアリス…」
そう言い残して、いつの間にかアリスとパチュリーはいなくなっていた。
「あー、大変だねえ、お姉さんも」
「……ああ、わかってくれるか?」
「でも、とりあえず気持ちを切り替えることだね。 さとり様の相手は、ある意味で勇儀さんよりも大変だから」
「え?」
そう言っている内に、2人は大きな屋敷の前に着く。
魔理沙は紅魔館で慣れているため大きな屋敷に入ること自体に抵抗はなかったが、実際に勇儀に会ってしまった魔理沙は、さとりの相手がその勇儀よりも大変だというお燐の言葉が今になって気にかかる。
「あのさ、勇儀より大変ってのは…」
「まぁ、会えばわかると思うけど、とりあえず一つだけ言っとくよ。 さとり様の前で嘘は言わない方がいい。 意味がない上にただ信用をなくすだけだから」
「わかったけど、どうして…」
「さとり様は相手の心を読める。 お姉さんが思ったことなんてさとり様には全部筒抜けってことさ」
「いっ!?」
本来なら、お燐はそのことは実際にさとりに会うまで言わないが、今回は違った。
これまでの魔理沙の様子を見て、好感が持てるし信頼できる、というよりもなんだかんだで逃げることはないだろうと判断できたからだ。
だから、少しくらい魔理沙にも心の準備ができるようにと考えた、お燐なりの気遣いだった。
「じゃあ行くよ」
「ま、待って…ちょっと、心の準備が…」
だが、それを聞いた魔理沙は混乱し、焦りが絶頂に達する。
そして、そうこうしている間に地霊殿の扉が開いた。
紅魔館のようにメイドの出迎えがある訳でもなく、誰もいない広い廊下を魔理沙とお燐だけで進んでいく。
その道中、魔理沙はただひたすら「無心、無心、無心、無心」と心の中で唱え続けていた。
何故そんなことをしたのかはわからないが、実際アリスはお燐に対して嘘をついていたのである。
それがバレたらどうなるのか、不安でいっぱいなままだった。
そして、奥の部屋の前に着く。
「入っていいわ」
ノックをした訳でもないのにそんな声が聞こえてきて、魔理沙は緊張で唾をのむ。
「し、失礼します!」
普段なら絶対に言わないような言葉を口にしながら、魔理沙は扉を開いた。
そこには、机と少量の本以外ほとんど何もない殺風景な広い部屋に一人佇む小柄な少女と、植物の蔓のように少女にまとわりついている不気味な瞳があった。
「さっとりっ様あああっ!!」
「ご苦労様、お燐」
お燐は部屋に着くなりさとりの胸に跳びつく。
魔理沙はどんな屈強な妖怪が出てくるのかと気を張っていただけに、地底の他の妖怪たちと比べるとあまりに華奢なさとりの姿を見て唖然としている。
そんな魔理沙には目も向けず、さとりはただお燐の頭を撫でながらぽつりと呟いた。
「大丈夫よ。 これでも私にはここら一帯の管理を任されるくらいの力はあるわ。 貴方程度なら今すぐ挽肉にしてあげることも容易いくらいにね」
その一言を聞いた瞬間、魔理沙は凍りついた。
「こんな子供が本当にあの地底の妖怪をまとめられるのか?」などという気の迷いを瞬時に読み取られていたのだ。
「……ははは、まいった。 確かにあの勇儀って奴より怖えかもな」
「もう、さとり様。 そうやってすぐ相手を脅しちゃダメですよ」
「いいじゃない。 地上からの来客なんてめったにないんだから、私も少しくらい楽しみたいわ」
魔理沙には既に、心の中で「無心」などと唱える余裕もなかった。
妖怪たちに囲まれても少しもビビらなかった魔理沙の頬から、汗が流れ落ちる。
「……それで、今日は何の用かしら」
「そ、そんなこと、お前には言わなくてもわかるんじゃないのか?」
魔理沙は今、用件のことを必死に考えないようにしていた。
嘘がバレるのを防ぐ目的もあるが、考えなくてもさとりが自分の深層心理を読めるのか、その能力の範囲を試すつもりだったが…
「ええ、わかるわ。 でもね、私が今、貴方に質問をしているのよ?」
「あ……」
さとりが見透かすような視線で魔理沙に言う。
「質問に質問で返さないでくれるかしら?」
そして、さとりが睨み殺すように放った一言で、魔理沙は完全にパニックに陥った。
「あ、わ、私たちは、その、地上の異変を解決したくて…」
「私を利用しに来た、と?」
「えっ…!? ち、ちちち違います! あの、協力を、利用とかじゃなくて、頼みに、」
たった二言三言交わしただけなのに、魔理沙は既に全身汗だくになっている。
無意識のうちに普段絶対使わないような敬語が交じったような言葉遣いになる。
それどころか、声は震え、涙目になってきていた。
「……で?」
その魔理沙に追い討ちをかけるように、さとりが見下して言う。
次第に魔理沙は自分が何を言うつもりで、何を言おうとしたのかすらもわからなくなっていった。
「だから、私は、その…」
「あー、もう見てられないわね」
「え……?」
そこに突如、新しい声が響く。
魔理沙の背後には、いつの間にかアリスの人形が一体浮かんでいた。
その人形はひとりでに動いて、さとりの前に立つ。
「こんな姿で失礼、初めまして。 私はアリス・マーガトロイド。 地上の魔法使いよ」
「あら、初めましてなのに姿を現さないなんて随分と礼儀知らずなのね」
「私は貴方の力を知ってるからね。 魅力的な女には守りたい秘密の一つや二つくらいあるのが普通じゃなくて?」
「そうね、よくわかってるじゃない」
魔理沙は、さとりの興味がアリスに向いてようやく少しホッとする。
「でも、私は貴方みたいな冷静な人より、こっちのかわいい魔法使いさんの相手の方が好きよ」
「いっ!?」
「ウチの子をあまりいじめないでくれるかしら。 まだまだ未熟なんだから」
「アリス! 私は…」
「あら魔理沙、どうしたのそんなに汗かいちゃって。 たった10分くらい私に会えないのがそんなに寂しかった?」
アリスは、蛇ににらまれた蛙のように動けなくなっている魔理沙をからかうように言う。
「う、うるさいな! 今の私にそんなこと言ってる余裕は…」
「余裕は、本当にない? あんたには心を読まれて何か困ることでもあるの?」
「え? だって…」
「冷静になりなさい。 子供のくせに古明地さとりを相手に心理戦をして勝てる訳がないでしょ。 少しは身の程を知ることね」
アリスが魔理沙に説教する。
ようやく魔理沙も少しだけ落ち着いて、アリスの話に耳を傾け始めた。
「じゃ、じゃあ私にどうしろっていうんだよ!」
「心が読まれようが何しようが、あんたはいつも通りにしてればいいのよ」
「あ……?」
アリスとのいつものようなやり取りを経て、やっとのことで魔理沙が正気に戻る。
よくよく考えるとそもそも地底には協力も求めに来たのだから、嘘だなんていうほどのことでもない。
それに心理戦なんて、そんなまどろっこしいものは自分には合わないことはわかっていたはずだった。
それなのに、自分は一体今まで何をやっていたんだと魔理沙は自省する。
そして、吹っ切れたように何も気にせずに話し始めた。
「……あー、そうだな。 すまないね、心を読むとか勇儀って奴よりヤバいとか言われてちょっと混乱してたみたいだ」
「もう落ち着いちゃったの? つまらないわね」
「そう。 それでいいのよ、じゃあ後は任せたわ」
「って、ちょっと待てよ、アリス!?」
アリスの人形が力を失って倒れる。
ここにはもう、アリスはいなかった。
「……ちぇっ、なんて勝手な奴だ」
そんなことはずっと前からわかっていたが、魔理沙は少し嬉しそうにそう呟く。
その表情は、いつものようなニヤケ顔に戻っていた。
「それで、もう大丈夫なの?」
「ああ。 お前は古明地さとりっていうのか」
「ええ」
「なら、私も自己紹介しないとな。 私は霧雨魔理沙。 地上で起きてる異変を解決するために…」
「断るわ」
「えっ?」
さとりの顔に笑みが戻る。
そして、再び魔理沙に不安の表情が現れ始めた。