東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第8話 : 悪

 

 早苗が出かけて静かになった守矢神社。

 既に日も傾きかけた頃にそこにいたのは神奈子と、守矢神社の屋根の上から妖怪の山一帯を見渡している白狼天狗の犬走椛。

 そして、妖怪がもう一人。

 

「それで、博麗の巫女の容体はどうなんだ?」

「命に別状はないそうですが、まだしばらくは動けないようです」

「そうか……」

 

 黄金色に輝いていたその九本の尻尾は、既に色を失い始めている。

 それでも藍は、ただ黙々と守矢神社の奥に複雑な魔方陣を張り続ける。

 その手際は神奈子ですら目を見張るほどのものであった。

 しかし、それでも…

 

「だが、紫が退場してしまった以上、やはり代わりに…」

「……」

「……すまん、無神経だった」

「いえ、大丈夫です」

 

 重々しい空気が流れる。

 藍は話しながらも手を止めることなくひたすら作業を進めていく。

 

「神奈子、こっちはだいたい終わったよ」

「ああ、お疲れ諏訪子。 どうだった?」

「大体の奴は、おおよそ理解してくれたよ」

 

 そこに、どこからともなく諏訪子が現れる。

 諏訪子が来ても一瞬たりとも手を止めずに一人作業を進める藍を見て、諏訪子は少し心配そうに言う。

 

「それにしても…大丈夫? 貴方、全然休んでないんでしょ」

「……私に休んでる時間などありません。 どうせ今日限りの命なのですから」

「代わりに私が貴方を新しく式神にしてあげてもいいけど…」

「……」

「まあ、貴方がそんなこと許すわけないよね」

「すみません、気持ちだけ頂いておきます」

 

 藍にはもう、紫以外を主と思うことはできなかった。

 そんなことを聞いたら紫は喜ぶだろうか、呆れるだろうか、からかうだろうか、そんなことはわからない。

 ただ、すぐに気持ちの整理をつけられるほど簡単な問題でもなかった。

 

「何者っ!?」

 

 そこに突如、守矢神社の上から声が響いた。

 それに呼応するように草陰で何かが動いたが、それはすぐに身を翻して逃げて行った。

 

「どうした、椛?」

「侵入者です。 バカな、私に気付かれずにこんな近くまで……」

 

 椛は信じられないと言わんばかりに頭を抱える。

 

「逃げるってことは、部外者か…マズイな」

「すみません、私はすぐに追います!」

「私も行ってくる!」

 

 そう言うと諏訪子は椛と共に、その影を追った。

 神奈子は焦っているようにも見えたが、実際はそれほど心配していなかった。

 なぜなら、そこに椛がいたからだ。

 数多くの天狗の中で、「見張り」の能力の一点に限るのならば彼女が最も優秀であると誰もが口をそろえて言う。

 それが諏訪子と一緒にいるのなら捕まえられないものなどないと、神奈子は思っていた。

 

「どっちに行ったの?」

「方向はこっちであっています」

「よし、じゃあこのまま…」

「ただ、気を付けてください。 こいつ、速……なっ!?」

「どうした!?」

 

 椛の持つ『千里先まで見通す能力』。

 それはその気になれば妖怪の山の中くらいならどこにいても標的を監視できる能力で、今まで狙ったものの行方を見失ったことは一度もなかった。

 しかし――

 

「こいつ……5人、10人……そんなっ、何故こんなに……!?」

 

 椛は目を疑った。

 確かにまだ標的は見失っていない。

 しかし、その標的は椛の視界を埋め尽くさんばかりに無限に数を増殖させていた。

 

「バカな、こんな!?」

「落ち着いて、椛!」

 

 そして、椛は次の瞬間足を止める。

 加速の勢いが余って行き過ぎてしまった諏訪子は椛の場所まで戻り、少し不安な表情で椛に聞く。

 

「何があったの?」

「……あり得ない」

 

 椛の視界からは、無数に映っていたはずの標的が、いつの間にか全て消えていた。

 今その眼に映っているのは、いつも通りの妖怪の山だけ。

 まるで夢を見ていたかのような出来事に、椛は動揺を隠せない。

 そして、椛は初めて何の成果も上げずに配置に戻ることになった。

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第8話 : 悪

 

 

 

 

 

「捕えたか?」

 

 椛と諏訪子が守矢神社に戻ると、神奈子が気楽に問う。

 

「申し訳、ありません。 完全に見失いました…」

「なっ…」

 

 その報告を聞いて、神奈子は驚いていた。

 椛の口からそんな言葉を聞くとは思ってもみなかったからだ。

 

「……そうか」

 

 神奈子はため息をついた。

 椛は本当に信じられないという顔をしている。

 そのまま申し訳なさで切腹でもしてしまいそうな雰囲気すら出していた。

 

「まあ、取り逃がしてしまったものは仕方ない。 それで、侵入者はどんな奴だった?」

「その、兎のような風貌の…」

「っ!!」

 

 藍は瞬時にその侵入者に思い当った。

 

「心当たりがあるのか?」

「ええ、多分永遠亭の従者です。 これは……拙いですね」

 

 藍は顔をしかめてそう言う。

 

 永遠亭の鈴仙・優曇華院・イナバ。

 確かにそいつの『狂気を操る能力』、いや、正しくは『波長を操る能力』とでも言うべきそれは、椛の能力には天敵であった。

 自身の波長を短くして、そもそも相手から認識されにくくする。

 そして、たとえ相手に見つかったとしても、相手に幻覚を見せて逃げ切る。

 その能力は諜報活動においてこれ以上ないと言っていいものであり、たとえ椛であっても、それを捕らえることは容易ではないのだ。

 

「永遠亭というと……確か、お前が博麗大結界を張ってもらっているという」

「はい。 月の頭脳と呼ばれる八意永琳。 もし、彼女に本気で探られたら……」

「私もたまに頭のキレる奴だという話は聞くが、そいつはただの薬師じゃないのか? そこまで危ない奴だとは思わないが」

「それはあくまで彼女の表の顔です。 実際は紫様ですらが、知略においても戦闘においても、たとえ私と2人がかりで挑んだとしてもまず敵わないだろうと明言するほどの人です」

「それは……」

 

 紫はその昔、強力な妖怪を集めて月に戦争を仕掛けたことがある。

 第一次月面戦争と呼ばれたその戦いでは、月社会の誇る近代兵器の力や月人自体が持つ圧倒的な力を前に、紫率いる妖怪軍団は大敗を喫してしまった。

 それ以来月人の恐ろしさを思い知っていた紫は、月人である永琳のことを秘密裏に調べ、実は永琳が月の頭脳と呼ばれ、かつてはその中枢を担っていた人材であることを知った。

 他にも本能的に永琳を恐れる情報や出来事もあったのだが……とにかく、紫は永琳を幻想郷で最も警戒すべき人物と位置付けていた。

 藍も今回は、永琳に博麗大結界の維持という決して断れない大役を押し付けることで、その行動を縛っているつもりだったが…

 

「彼女たちについて、まだ少し認識が甘かったようです」

「だが、こうなってしまった以上、仕方がないだろう。 そいつを仲間に引き込むというのは?」

「この計画は穴が多い分、彼女には受け入れてもらえないと思います」

 

 藍と紫は、今進めている計画の存在自体を決して永琳に知られないようにしてきた。

 永琳は常に全てを自分で計算し、自分の考えに基づいて行動するため、味方につけたところで藍たちの思い通りには動いてもらえるとは考え辛い。

 そして、もし計画の詳細を話してしまえば、恐らく永琳は話した以上の情報を自ら収集し、すぐにそれに対する最善の対応を自分でするだろうことが予想できる。

 実際、永琳は輝夜を守るためならどんなことでもするのだ。

 そうなることだけは、避けなければならない。

 藍には、絶対に永琳に気付かれてはいけない秘密があった。

 

「彼女にこの計画のことを教えるのは、リスクがあまりにも高いんです」

「そうか」

 

 藍は少し含みのある言い方をするが、神奈子はそこに突っ込まない。

 紫と藍は、互いの不可侵であるべき部分を認めてくれる相手でなければ深く関わろうとしないことを、神奈子は知っているからだ。

 神奈子は元々大雑把な部分があり、紫や藍に秘密が多いことを容認しているからこそ協力することができた。

 だが、恐らく永琳はそうはいかない。

 

「だが、そうは言ってもその従者に既に知られてしまったのだろう?」

「……はい」

「だとしたら、我々がとるべき手段は……」

 

 だからといって、放っておける相手でもない。

 一時的とはいえ妖怪の山のトップである身として、神奈子は決断しなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 うどんげは早くも迷いの竹林に着いていた。

 迷い込めばまず脱出はできない迷宮を、わき目も振らずに走っていた。

 

「よし、これならきっと師匠も…!!」

 

 予想外の収穫に、気が急いている。

 そもそも妖怪の山には、天狗の住処の状況を確かめるために寄っただけだった。

 それにもかかわらず、監視対象の藍と山の神との会談という重大な現場に出くわした。

 永琳の予想を超えるかもしれない収穫を短時間で手に入れたのだ。

 だから、

 

「っと、うわあああああああっ!?」

「オーイエーッ! かかったなっ!!」

 

 こんな罠に引っかかってしまうほど浮かれてしまうのもしょうがないのだ。

 永遠亭の近くに住む悪戯好きな妖怪兎、因幡てゐの逆さ吊りトラップに見事にかかってしまったうどんげは、少し恥じるように冷静さを取り戻して言う。

 

「……あ、うん。 とりあえず、降ろして」

「なんだよ鈴仙、リアクション薄いな」

 

 そう言って、てゐはトラップの糸を緩める。

 うどんげはそのまま両手で華麗に地面に着地するつもりだったが……

 

「うわああっ!?」

「よっしゃあああああ!!」

 

 今度はそのまま逆さ吊りトラップの下にある落とし穴にかかってしまう。

 久々に成功した連続トラップに、てゐのテンションが最高潮になる。

 

「……てゐ。 こんなことできるほど暇ならもう少し仕事手伝ってくれてもよかったじゃない」

 

 思いの外深かったその落とし穴から顔を出し、うどんげが言う。

 

「いや、お師匠様に頼まれたんだけど」

「はあ!? なんで師匠が…」

 

 そこまで言ったところで、うどんげは永琳が自分の代わりに町に出向いたり博麗大結界を張りに行ったりしていることを思い出す。

 基本的に永琳とうどんげが同時に永遠亭を空けることはほとんどないため、自分の留守中てゐに永遠亭近辺の見張りを頼んだのだろう。

 だが、恐らくこの落とし穴が無許可だろうことは、うどんげにはすぐにわかった。

 

「それで鈴仙、こんなトラップに連続でかかるなんて珍しいじゃないか。 何かあったのか?」

「ああ、とりあえず異変の調査が一段落ついたから師匠に報告に来たんだけど…」

 

 地面に綺麗にあけられた穴や冷静に見れば至る所にあるのがわかるトラップを見ながら、うどんげは大きくため息をつく。

 どうせこのトラップの発動後に荒れた道を修繕することになるのは、自分であるからだ。

 

「へー、それはよかったね。 んで、結局このはた迷惑な異変の犯人は誰だったんだい?」

「まだ詳細はわからないんだけど、山の神様たちが何かしてるみたい。 ただ、藍さんがそこにいたことも、ちょっと小耳にはさんだ破邪計画ってのも気になるし」

 

 まだ確証がない分、うどんげは悩むように言う。

 途中で見つかって逃げてきてしまったため、計画の詳しい内容まではわからなかったのだ。

 

「破邪…? よくわからないけど、黒幕が分かったならとりあえず早くお師匠様のところに行った方がいいんじゃない? お師匠様には、鈴仙が今日中に戻ってきたのなら博麗神社に来るよう伝えろって言われたんだけど」

「そう、わかったわ。 じゃあてゐ、留守番を…」

 

「あら鈴仙、おかえりなさい」

 

 真面目な顔に切り替えかけたうどんげに、少し気の抜けたような声がかけられる。

 うどんげとてゐが慌てて振り向くと、そこには地面に付くのではないかと思うほど長い黒髪をした一人の少女が立っていた。

 

「って、姫様じゃないですか。 こんなところまで来てどうしたんですかい」

「いやそのね、せっかく久々に永琳もいないことだし、ちょっとお出かけしようかなーと」

「はぁ」

 

 永遠亭の奥に住む姫君の蓬莱山輝夜は、ちょっとした悪戯を企む子供のような顔で2人の前に顔を出した。

 輝夜は永遠亭から出ることはあまりなく、外で見かけること自体が珍しいが、時々永琳の目を盗んで気まぐれに出歩いているのだ。

 別に輝夜を永遠亭に閉じ込めている訳でもないが、異変の影響で危ないことも考えて永琳に輝夜の護衛を頼まれている今は、その勝手な行動を許さないのがてゐの仕事だった。

 

「ダメですよ姫様ー。 私はお師匠様から姫様を守るように言われてるんですよ。 だから外に出させたら私が怒られちゃいますよー」

「相変わらず永琳はお堅いわねー。 ねえ、鈴仙からも永琳に何とか言っといてよ」

「でも、師匠も姫様のことを思ってのことですから……」

「えー、いけずー、つまんなーい」

「……」

 

 うどんげはその感情を表には出さずとも、少し面倒そうに輝夜の相手をしていた。

 永琳がその生涯をかけて護衛をしている輝夜のことを、うどんげはそこまで価値のある存在ではないと思っていた。

 幻想郷に逃げてくる前も月でただの傀儡の姫君として扱われていただけとされる輝夜を、なぜ永琳がそこまで守ろうとするのかがわからなかった。

 要するに、気に入らなかった。

 

 ――まったく。 どうせ師匠がいなくちゃ何もできないんだから、こんな時くらい邪魔しないでほしいよ。

 

 別に輝夜は頭が悪いわけでも仕事ができないわけでもない。

 ただ、月の姫君としてのプライドがあるのか、ただ面倒くさいだけなのか、表立った仕事をしたがらないのだ。

 永遠亭のことを全て永琳一人に投げ、こんな異変の時でも一人だけ何もせずにただ勝手なことをしているだけの輝夜を、うどんげは内心では疎んでいた。

 だが、その半分はただの嫉妬だった。

 どんなに頑張っても永琳に必要とすらしてもらえない自分と違って、何もしないくせに当然のように永琳に慕われている輝夜が、単純に羨ましかった。

 いろいろとそんなことを考えていたうどんげだったが、こんなところで油を売っていたらせっかく早々に終わらせた仕事の報告が遅れてしまうことに気付いて焦り出す。

 

「そ、そうだ、そんなことより早く行かないと…」

「れいせーん」

「……何ですか?」

 

 焦るうどんげとは対照に、輝夜はまるで平時のようなのんびりさでうどんげの頭を撫でながら言う。

 

「行ってらっしゃい」

「……行ってきます。 くれぐれも勝手に外に出たりしないようにお願いしますね」

「はいはい」

 

 うどんげが少しだけ視線を逸らすと、その先ではてゐが何事もなかったように次のトラップ準備の道具を持ち始めていた。

 それに気づいたうどんげは、誰がこれを片づける思ってるんだ…という目をてゐに向けながら走り出した。

 もっとも、てゐには本来自分がやらなくてはいけない仕事をいくつか請け負ってもらっている以上、あまり文句を言える立場にはないのだが。

 

 そして、うどんげは博麗神社に向かいながら頭の中で情報を整理する。

 結局何が起こっているのか詳しくはわからないが、藍たちのこと以外にもそれなりの成果は得ていた。

 だが、平然とした態度でてゐに話しかけていたうどんげだったが、内心は今も怖がっていた。

 もし自分が十分だと思っていた成果が、もし永琳に認めてもらえるだけのものではなかったら。

 ただの自己満足に過ぎないものだったとしたら。

 自分が結局はいてもいなくても変わらない存在だったと思い知らされたら。

 そしたら自分は立ち直ることができるのか、不安だった。

 

 そして、あれこれ考えているうちに博麗神社にたどり着く。

 既に日はほとんど沈んでいた。

 境内の上空には巨大な結界が張られている。

 

「うわぁ……」

 

 博麗大結界を目に見える形で見たのは初めてだったが、複雑な術式が絡み合い、世界間を隔てて存在するそれは、とてもうどんげの理解できるような代物ではなかった。

 それは応急処置どころか、むしろ元の博麗大結界よりも強固なものにすら見えた。

 自分では決して手の届かないであろうそれを間近で見たうどんげは、言葉を失う。

 

「あら、うどんげ。 随分と早かったのね」

 

 呆然とその結界に目をとられていたうどんげに、どこからか声がかけられた。

 その方向に目を向けると、永琳が博麗神社内から顔を出していた。

 異変調査が恐らく明日くらいまでかかると思っていた永琳は、完全に日が沈みきる前に戻ってきたうどんげに少しだけ感心したような目を向ける。

 

「あ、師匠。 異変の調査が一段落しました」

 

 そんな永琳の視線に気付いたうどんげが、境内に近づいていく。

 だが、取り繕ってはいるものの、内心は緊張でいっぱいだった。

 時間の流れが遅くなっているようにすら思える。

 たった2,30メートルほどの距離を歩いているのが、永遠にも感じられた。

 だが、そんな中、ふと永琳が小さく笑い出した。

 

「な、何ですか、師匠?」

「うどんげ……耳が3本あるわよ」

 

 そう言われてうどんげが自分の頭を触ると、頭の頂点に何かがあるのがわかった。

 それは、取り外し可能な小さな玩具の耳だった。

 そして、うどんげは迷いの竹林の去り際に輝夜に頭を撫でられたことを思い出す。

 恐らくその時に付けられたのだろうことはすぐにわかった。

 

「……本っ当にあの人はあああああっ!!」

「まったく、随分と注意力散漫ね」

 

 成果の報告の前に、変な所で呆れられてしまった。

 その瞬間うどんげは輝夜に殺意が湧いたが……それを通じて少しだけ自分の心が楽になっているのを感じた。

 その耳をつけた輝夜の行動がただの悪戯だったのか、内心緊張で一杯だったうどんげを思ってのことだったのかはわからない。

 だが、確かにそれに救われたのも事実だった。

 だからその時、うどんげはほんの少しだけ心の中で輝夜に礼を言った。

 

「まあいいわ。 それじゃあ、報告を聞こうかしら」

「はい――」

 

 そして、うどんげは自分の知っている情報を全て永琳に話す。

 人間の里では凶暴化した近隣の野生動物や、普段は人間の里には現れないはずの妖精や妖怪による被害が深刻で、特に夜に大きな被害が出ているということ。

 種族に関係なく様々な者が襲われ、その加害者のほとんどは理性を失い、すぐに行方不明になっていること。

 壊滅したはずの天狗の住処の周辺はあまり荒れておらず、そんな出来事があったとは思えないほど形を保っていたこと。

 神奈子と諏訪子が、残された妖怪の山のメンバーだけではなく、藍や紫とも協力して破邪計画なるものを策定していること。

 また、守矢神社付近に何らかの結界を張り、現在もその規模を拡大中だということ。

 永琳は黙って聞いた後、やっぱり、と言わんばかりに頷く。

 

「なるほど、やっぱり八雲紫が一枚噛んでるのね」

「そうみたいです。 会話の内容からすると一応妖怪の山でも紫さんは死んでいることになってるみたいですが……正直、それも少し怪しくなってきましたね」

「そうね。 ……それにしても、破邪計画、ねえ」

「やっぱりこの異変はその計画のせいなんでしょうか」

「いいえ、多分それは違うと思うわ」

 

 永琳にそう言われ、うどんげは少し疑問の表情を浮かべる。

 自分が持ってきた情報から判断すれば、その計画が異変の元凶であると思うのが当然なはずだからだ。

 

「どういうことですか?」

「確かに貴方の持ってきた情報から考えれば、怪しいのは八雲紫と守矢神社の面々ね。 だけど、八雲紫には今回の異変の元凶足り得ない理由が一つだけあるわ」

「それは……?」

「彼女が、この幻想郷を誰よりも愛しているということよ」

 

 それだけは、謎の多い紫に関して、ただ一つ誰もが首を揃えて同意することである。

 今回の異変は、既に幻想郷の存在自体を危機に陥れかねないほどのものになりつつある。

 ならば、紫がそんな異変に加担するはずがないと考えられるのだ。

 

「だから、その計画が異変の原因になっているのではなく、むしろ異変を解決するために計画を進めていると考えることもできるんじゃないかしら」

「な、なるほど。 ……でもそしたら、結局異変の黒幕の手がかりは無しってことですか」

 

 うどんげは恐る恐る永琳に尋ねる。

 まる一日かけてやっと掴んだと思った有力な情報が、結局役に立たなかったのかと不安になったのだ。

 しかし、永琳は少し微笑んでうどんげに返す。

 

「いえ、手がかりにならないという訳でもないわ」

「え?」

「そもそも山の面々に対するこれからの振る舞い方も変えることができるし、何より……破邪計画。 その名が聞けたってだけで十分よ」

 

 必要以上に弱気になっていたうどんげだが、予想外に褒められたことで少し驚いていた。

 だが、それに何の意味があるのかはわかっていなかった。

 

「師匠は知ってるんですか、その破邪計画っていうのを」

「知らないわ。 ……だけど、一つだけ思い当たることがあるの」

 

 永琳の表情が少し真剣になり、勿体つけるかのように言う。

 それを見て不安になったのか、うどんげが少し急かすように聞いた。

 

「それは?」

「……うどんげ、貴方は『絶対悪』の存在を信じるかしら」

「え? いきなり何ですか」

「いいから、答えなさい」

「そうですね……ってか、信じるもなにも、本当に悪い奴がいたらそいつが絶対悪なんじゃないんですか?」

 

 うどんげには質問の意図がよくわからなかった。

 鬼の存在を信じるか。

 幽霊を信じるか。

 それは幻想郷では特段珍しいものではないが、そういった架空の存在か否かわからないものについて信じるかと聞かれているのならわかる。

 だが、悪の存在というものを信じる、信じないの二択で聞かれることの意味が理解できなかった。

 

「そうね。 じゃあ、本当に悪い奴って何?」

「え?」

「世界征服を企む奴? 意味もなく誰かを殺そうとする奴? でも、それは誰の目から見ても全てが絶対的な悪と言えるかしら」

「それは…」

 

 たとえば「人類の皆殺し」を企む者ですら、人間に虐げられる動物たちからすれば、まるで女神のような救いの存在だろう。

 たとえば「世界を滅ぼす」ことが悪になるのなら、着実に温暖化などを進め、地球環境を破壊している外の世界の人間は全て絶対的な悪となってしまうが、そうではないことは容易に理解できるだろう。

 誰にどんなに悪だと思われる行動であっても、視点や、行為の程度を変えるだけで、それは悪であるとすら思われないものになる。

 ただ単純に、実質的に世界を支配して規律を作っている、知性を持つ存在の多数派が悪だと考えた者が「相対的に」悪と呼ばれているだけなのである。

 つまり「絶対的な」悪とは定義など存在しない、ただの概念に過ぎないのだ。

 

「うーん……」

「難しく考えなくてもいいわ。 結局何が言いたいかっていうと、絶対悪というものは明確に存在するとは考えられていないってことよ。 昔は悪魔だとか邪神だとかそういったものが絶対悪とされた頃もあるけれど、実際はそれすらも絶対悪ではないのはわかる?」

「はぁ」

「今でも宗教的にそういった邪神のようなものを信じている人はいるかもしれないけど、外の世界のほとんどの人は具体的に存在はしないと思っているわ。 となると、今やもうその存在を認識できない、「忘れられた」存在であると言えるんじゃないかしら」

「忘れるってよりも、そもそも…っ!? って、まさか…」

 

 幻想郷は人々に忘れられた存在が住まう場所。

 外の世界で実在しないものとされて人々の記憶から消えていったとき、その存在は幻想郷に迷い込む。

 幻想郷の住人の多くは外の世界の幻想の中の存在であり、永琳が護衛している輝夜も、外の世界で有名なお伽噺の登場人物なのである。

 

「……でも、よく考えると絶対悪なんてものは具現化することはないんですよね」

「ええ」

「だったら、いくら幻想郷がそういう場所だからといって、存在し得ないんじゃないですか?」

 

 幻想の世界でなら架空と考えられている存在であっても形を成せる。

 例えばレミリアは吸血鬼として存在できるし、神奈子たちも神として存在することができるのだ。

 だが、絶対悪なるものが絶対悪として存在することはできない。

 邪神や悪魔として存在することはできても、絶対悪そのものは具体的な存在としてあるものではなく、そもそも信じる信じないでは測れないただの概念に過ぎないからだ。

 それは、幻想の世界の中ですら定義さえままならない虚の存在なのである。

 

「そうね。 ……だけど、もし仮にその絶対悪っていうのがいるとしたら、貴方はその存在をどうすべきだと思う?」

「え? それは……正直よくわからないですね。 実際にどんな奴であるか想像もつきませんから」

「それはそうでしょうね。 だけど、もし仮にそんなものが存在するとしたら、ほとんどの者は当然にそれを消そうとするはずよ」

「ああ、確かに……」

 

 それは、どの世界であっても当然に行われる排除である。

 生物は自分と相いれないものを、平穏を脅かすものを拒むのだ。

 ましてや、本当に絶対悪などというものが存在するとすれば、少なくとも世界にロクなことが起きないだろうと予想し、誰もがそれを排除しようと考えるだろう。

 

「そして、八雲紫はセオリー通りそれを人知れず封印した」

「えっ!?」

「と、いう話が昔あったのよ。 まあ、実際は何の信憑性もない虚構の話だけどね」

「な、なんだ、驚かさないでくださいよ」

 

 降って湧いたような話をされて驚いたうどんげだが、そう聞いてホッと胸をなでおろした。

 だが、真剣な眼差しのまま永琳は続ける。

 

「……だけど、今はそれが虚構の話だと片づけられる状況にはなくなっている。 もしかすると破邪計画っていうのは、封印したはずのそれを消滅させようっていう計画だとも考えられるわ」

「でも、だとすると何で紫さんたちは今更そんなことを?」

「そうね……たとえば封印したはずのそれが復活して、今の異変を起こしている元凶になってるとか?」

「……ってことは、既にそれの封印が解けていて、今も幻想郷にいるってことですか?」

「まぁ、私の勝手な憶測だけどね。 だけど、彼女が幻想郷でも名の知れた有力な神様や妖怪の山全体すらも巻き込むほどの計画に着手していることを考えると、少なくとも深刻な状況にあることだけは確かだと思うわ」

 

 うどんげは唾をのんだ。

 絶対悪などという得体の知れない存在が、永琳によって肯定されようとしているのだ。

 

「……まぁどっちにしろ、これは本人たちから直接話を聞く必要がありそうね」

 

 そして、永琳は神社の床に座ったまま鳥居の方を見て言う。

 

「そうでしょう、そこの貴方?」

 

 うどんげが振り返ると、そこには大きな一つの影が浮いていた。

 いや、正確には一つではない。 

 そこら中に漂う黒い何かが、その中心にいる人物を囲むように一か所に集まっているのだ。

 

「……ああ、やはり貴方は厄介だわ。 できれば最後まで蚊帳の外にいて欲しかったのだけど」

「っ!?」

 

 うどんげが身構える。

 突然現れたそいつからは、殺気のようなものが感じられた。

 

「……あら、あまり好意的な来客じゃないみたいね。 せっかく私が博麗大結界を維持してあげているのに、神様にそんな態度とられちゃたまらないわ」

「神様…!?」

「まあ、神とはいっても守矢神社にいるような2人とは違ってこいつはそんなに強力なものじゃないわ。 鍵山雛。 ただ厄を集めるだけの低級神よ」

「あら、随分と舐められたものね」

 

 雛は不快感をあらわにするわけでもなく、ただ微笑みながら2人を見ていた。

 永琳の話を聞いて少し安心したのか、うどんげは前に出て言う。

 

「それなら、ここは師匠が出るまでもないでしょう。 どうしてもかかってくるというのなら、私が相手をします」

「あら、ずいぶんと可愛らしい子ね。 でもやめておいた方がいいわ。 所詮世界を知らない…」

「御託はいいわ。 やるの、やらないの?」

「……お好きにどうぞ」

 

 雛はただ不気味にそう言う。

 そして一枚のスペルカードを構え、うどんげが宣言した。

 

「スペルカード宣言、幻爆『近眼花火(マインドスターマイン)』」

 

 うどんげからいくつものミサイル状の弾幕が発射され、その標準が雛に向いた。

 雛は神とはいえ、『厄をため込む程度の能力』で厄を集め続けるだけの、あまり戦闘能力を持たない低級神である。

 だから、月の民であるうどんげの弾幕は、たとえ威力の抑えられたものであったとしても普段の雛にとって十分驚異となる難易度の弾幕であるはずなのだ。

 だが、雛は笑って、

 

「だから言おうとしたのよ。 子供と――」

 

 そう呟いた。

 突如、うどんげの首のすぐ横を一筋の閃光が貫く。

 それは雛ではなく、永琳から放たれていた。

 

「って、うわわわわわ師匠!? 一体何を…」

「あら、随分と過保護ね」

「……やっぱり、そういうつもり?」

「え?」

 

 永琳が雛を睨んで言う。

 うどんげが振り返ると、雛が纏っている厄がいつの間に背後に回り込み、弾け飛んでいた。

 もし永琳が介入しなければ、うどんげは気付くこともないままそれに飲み込まれていただろう。

 

「これは……!? ちょっとあんた、スペルカードルールは…」

「必要ないでしょう? だって、私は別に勝負で勝敗を決めたい訳じゃない。 ただ邪魔者を消したい、それだけよ」

「なっ……」

 

 そう言って雛は腕を振り上げる。

 それに呼応するかのように、禍々しい黒をした厄が辺りから溢れ出し、雛の右手に集まっていく。

 そして、その厄の塊は雛の等身の3倍以上はあるだろう程に膨れ上がっていった。

 

 スペルカードルールはそもそも、「相手に負けを認めさせる、諦めさせる」ことを目的とした勝負を可能にするものである。

 それ故、勝敗に意味がある場合でないと使うことが難しい。

 勝敗がそのまま命に関わることや、本当に命を懸けてでも止めたいことならば、いくらスペルカードルールで負けたところで基本的に諦めることはない。

 つまり、ルールもプライドもなく命がけで行われる殺し合いの代替品にはなり得ないのだ。

 

「師匠、これは…」

「まぁ、あっちがいいというのなら別にいいんじゃないの?」

「……あー、そうですね。 わかりました!」

 

 うどんげは元気よく返事をしてその足に力を込めると、雛に向かって一気に駆け抜けた。

 それをしっかりと目で捉えながら、雛はうどんげに向かってその右手に溜めた厄を発射する。

 

「こんなもの……――っ!?」

 

 スペルカード戦の弾幕のように攻略の余地が残されているものとは違い、マシンガンのように発射されたその厄の雨には避ける隙間が存在しない。

 そのため、うどんげは受け流すようにそれに軽く触れる。

 しかし、少しでも触れた厄はその場に留まってうどんげの全身を侵食し、蝕んでいった。

 

「なっ、これは……?」

「ふふふ、これだけの厄よ。 きっと貴方は少なくとも100年は絶望の中で苦しみながら生きることになるわ」

 

 雛が纏う厄が与えるのは、身体へのダメージではない。

 それは、幻想郷中の災厄をすべて集めた無限の負の記憶。

 一欠片だけで一つの生命を破滅させるほどの絶望、嘆き、憎悪、怒り。 

 負の感情の何もかもを凝縮してその精神を蝕んでいく。

 

「ああ、あああああああ?」

「さあ、苦しみなさい! そうしていつか生まれる貴方の新しい厄も、全て私が受け止めてあげるわ」

 

 うどんげは膝から崩れ落ち、目を見開いたまま全身を震わせている。

 もがき苦しむうどんげを、雛は恍惚とした表情で見つめていた。

 しかし、そんな雛に向かってどこからともなく声が聞こえてくる。

 

「……それはそれはご丁寧な説明をどーも」

「え?」

「でも、子供なのはそっちでしたね」

 

 次の瞬間、雛の右手に溜まった厄の塊は全て弾け飛んでいた。

 そして、気付くと雛の視線の先には誰もいなかった。 

 ただ、弾け飛ぶ厄の影から声だけが聞こえてくる。

 

「スペルカードルールを無視するなんて馬鹿なことをしたわね。 私たちが本気になれば、貴方程度の低級神じゃ相手にもならないわ」

 

 永琳は神社の床に座りながら笑ってそう言う。

 飛び散っている厄の影から突然現れたうどんげは、そのまま雛の体に後ろ跳び蹴りを食らわせる。 

 そして、雛は何が起こったのかもわからないような呆然とした表情のまま吹き飛び、地面を何度もはね返って転がっていった。

 

 避ける隙間などあるはずのなかったその厄の弾の雨は、うどんげには全て見えていた。 

 だが、うどんげはそれを正面から見ていたのではない。 

 油断して話している間には既に、雛はうどんげの能力によって幻覚を見せられ、厄の弾は全てが何もない方向へと飛んで行っただけなのである。 

 

「貴方がスペルカードルールを無視したので、私もこの眼を自由に使わせてもらいました。 貴方が悠長に私を見ながらその厄を集め始めた時には既に幻の中。 その時にもう勝負は決していたんですよ」

「……」

「まあ、一応神様ということなので少し手加減はしておきました。 このまま大人しくしてなさい」

 

 うどんげは右手で銃の形を作ったまま構えている。

 十分な手ごたえがあり、普通ならもう起き上がってくることはないはずだった。

 だから、それでもう終わりだと思っていた。

 

 だが、雛は気味の悪い笑いを浮かべて、

 

「ああ、残念。 穢れがないと言われる月の民の厄というのにも興味があったのだけれど……」

「ちっ、まだ動けて…」

「やっぱり、私の力だけじゃ無理みたいね」

「っ!?」

 

 その目を見開いたまま不自然な方向に関節を曲げて、雛は起き上がる。

 そして、うどんげが驚いて一歩下がった隙に、雛は上空に飛び上がった。

 その周りに纏った厄は、さっきまでとは違う得体の知れない力を漂わせている。

 

「っ……うどんげ!!」

「大丈夫です!」

 

 今度は厄を集めているというよりも、それは雛の全身から溢れ出ているように見える。

 それを見て、その攻撃の直下にいるうどんげよりも、離れて見ている永琳の方が明らかに狼狽えていた。

 なぜなら、雛のその力が突然異質なものに変貌し、信じられない程強大になっていたからだ。

 この異変で大きな力を得た生物がいることくらいは知っていた。

 その力に限界があることも知っていたはずだが、これはまるで――

 

「学習しない奴め!」

 

 そんなことには気づかずに、うどんげは今度は両手を構えて弾幕の連撃を放った。

 しかし、その弾幕はいとも簡単に降り注ぐ厄にかき消される。

 

「え……」

 

 かき消されるなんてものではない。 

 木々も地面も、空気ですらも、それは少しでも触れた物を侵食して飲み込んでいるように見えた。

 うどんげの周りを隙間なく厄が覆い隠す。

 

「くそっ!」

 

 うどんげはそのまま全力で弾幕を放ち続ける。

 だが、それは全て消えていく。

 全て飲み込まれていく。

 

「そんな…」

 

 うどんげは何が起こっているかもわからないまま、ただ呆然としていた。

 そして、うどんげが為す術もなくその厄に飲み込まれた……かに思えたその時、厄の壁に覆われたはずの世界に一筋の星が流れたように見えた。

 それにかき消されるように、うどんげを取り囲んでいた厄が全て弾け飛ぶ。

 

「――少し、下がってなさい」

「っ!!」

 

 うどんげはその星の流れてきた方向を見ると、反射的に必要以上後ろに跳び下がった。

 ふと目に入った永琳のその目は、自分が今までに見たことのないほど鋭い眼光を帯びている。

 いつの間にか永琳の手には弓が握られているが、そこに矢は存在していない。

 そして、うどんげは自分の上を流れた星が永琳の放った矢だったことに気付く。

 

「ふふふ、やっぱりその子だけじゃ不安? でも…こうなったらもう、貴方が出てきても無駄よ!」

 

 雛が再びあちこちから現れる厄を直接永琳に飛ばす。

 だが、その全ては永琳にたどり着く前にはじけ飛ぶ。

 

「え……!?」

 

 永琳はその場を一歩も動いていない。

 それにもかかわらず、向かってくる厄を全て的確に撃ち落としていた。

 だが、永琳は弓を構えてすらいない。

 永琳は自らが纏う霊力を、その場で無数の矢と化して発射しているのだ。

 そして、

 

「少しだけ、眠ってなさい――」

 

 厄を撃ち落としていた無数の霊力の矢がそのまま雛を襲った。

 大気を切り裂き、並の者ならその余波だけで消し飛びかねない霊力の刃。

 だが、それは雛には届かなかった。

 雛を取り囲むように存在する厄が、その全てを飲み込んでしまう。

 

「そんなっ!?」

「残念だけど、そんなものは私には通じないわ」

「……あら、それはどうかしら?」

 

 そう言って、永琳は今度は手に持ったその弓を構える。

 それと同時に、博麗神社に大きな衝撃波が発生した。

 

「っ!!」

「わわっ、わああああああっ!?」

 

 その戦いを間近で見ようとしていたうどんげは、吹き飛ばされるように慌ててその場から逃げた。

 

 恐らくは霊力を大きな矢の形にして、手に持ったその弓で飛ばしているであろう永琳の攻撃。

 しかし、永琳には矢を構え、引き、放つという動作が存在しないようにすら見える。

 それほどの早業だった。 

 蚊の入り込む隙間すらないような霊力の嵐をただ雛に叩き込み続ける。

 それは、空間そのものが全てを分解する刃であるのではないかとさえ感じられるような怒涛の霊撃だった。

 

 そして、やがてその猛攻が止む。

 

「って、危ないじゃないですか師匠!」

「だから、下がってなさいって言ったでしょう」

「いや、言ってましたけど……」

 

 地形変動を起こすほどに放たれ続けた矢を防ぐ術は存在しない。

 後方にあった本殿はなんとか形を保っているものの余波でボロボロになり、石碑から鳥居まで、永琳の前にあったものは全て跡形もなく消滅していた。

 それを見て、ここまでやる必要があったのかとうどんげは不安になる。

 

「まぁ、でもこれは霊夢の目が覚めた後何を言われるのか怖いわね」

「ははは、そうですね」

 

 そして、2人とも少し軽口を叩く。

 そのくらいには、緊張を解いてしまった。

 しかし次の瞬間、永琳の足元から突如として厄が再び溢れ出し、それが一気に弾け飛んだ。

 

「っ!!」

 

 永琳は反射的に跳び上がり、足元で爆発した厄から間一髪逃れるものの、右腕を捕えられてしまう。

 何かが触れた感触を知覚し、永琳は一瞬も躊躇わずに自分の右腕を切り捨てた。

 

「師匠!?」

 

 切り落とされた腕が、厄の中に飲み込まれて……そして、消えた。

 そして、砂煙が晴れるとともに声が響く。

 

「残念……片腕を失っちゃ、もうおしまいみたいね」

「そんなバカな!?」

 

 うどんげは思わず叫んだ。

 跡形もなく消えていたはずの正面の景色。

 だが、砂煙の隙間から見えた雛は、あれだけの猛攻を受けてなお、その身体どころか纏った厄さえも全く健在であった。

 雛はただ、薄ら笑いを浮かべたまま勝った気分でいる。

 

「はぁ、そうね……」

 

 永琳はため息をつきながら、左手に残された弓をそのまま足下に広がる厄の中に投げ捨てた。

 

「なっ……師匠!?」

「あら、もう諦めたのかしら?」

 

 雛が油断したその瞬間、永琳は残された左手をかざして言う。

 

「……馬鹿ね」

 

 すると、突如として雛の上空が明るくなる。

 だがそれは、今発生した光ではなかった。

 弓を構える前、様子見で放っていた無数の連撃で外れた……いや、わざと外した矢の残照が、雛の上空に光の塊として凝縮されていたのだ。

 

「っ!?」

 

 そして次の瞬間、博麗神社上空に太陽ができたのではないかと思うほどまぶしい光の柱が雛を飲み込んだ。

 神社の境内が、雛の立っている場所以外、数メートル下に沈み込む。

 だが、それでも雛の周辺の大地だけは辛うじてその形を保ち続けていた。

 流石の雛の表情も歪むが……その光さえも、間一髪雛を覆う厄が完全に防ぎきっていた。

 ホッとしたように今度こそ勝ち誇った雛の顔は、

 

「ふふ、惜しかっ…」

 

 次の瞬間、凍りつく。

 上方に集中していた雛は、既に自分の懐まで近づいている永琳に反応できなかった。

 そして、今の永琳の左手に集う霊力は、さっきまでの比ではない。

 

 ――まさか……今まで苦戦してたように見えたのは全部ブラフだったっていうの!?

 

 そんな考えが頭をよぎり、雛は焦りで反応がさらに一瞬遅れてしまう。

 全ての厄を上方に回してしまっていた雛は、瞬間的に前方が無防備だった。

 

「惜しかったわね、小娘」

 

 そして、永琳がそう言って笑うと、全開の霊力を乗せた拳を雛に叩き込んだ。

 雛は全身を折りたたまれるかのようにその身体を曲げ、衝撃波をまき散らしながら沈降した地面を抉るように吹き飛んでいく。

 そして神社の階段を突き破って飛び出し、そのまま麓まで転げ落ちていってピクリとも動かなくなった。

 

「ふぅ。 終わったわ」

 

 永琳は当然といわんばかりに背伸びをし、神社へと戻る。

 

「……ははは、やっぱり師匠は強いや」

「そう思うのなら、貴方ももう少し研鑽をつみなさい」

 

 そう言われても、うどんげはただ苦笑することしかできなかった。

 年季が違いすぎる。

 たかだか数百年生きただけのうどんげとは違い、先史時代から月の社会を創り上げて己を磨き続けていた永琳の力は、もはや一介の妖怪が考えうるレベルなど遥かに超越していた。

 だが、余裕そうな表情を浮かべていた永琳が、ふいに不機嫌そうに呟く。

 

「それにしても……これは、多分また八雲紫に一杯食わされたわね」

「え? ちょっ、ちょっと待ってください、どういうことですか!?」

「あ、いえ、こっちの話よ。 別に八雲紫がアレを差し向けたって訳じゃないと思うから安心していいわ」

 

 なぜか永琳はうどんげを見て少しだけ照れるような、気まずそうな顔をしていた。

 突然出てきた紫の名前に混乱していたうどんげだったが、滅多に見ない、というよりも見たこともないほどレアな永琳の表情の方に既に気持ちが向いてしまっていた。

 思い切って少しからかってみようかとも思ったうどんげだが、流石にそんな大それたことをする勇気はなく、片腕がなくなってしまった永琳を見て露骨に話を逸らして言う。

 

「師匠、戦闘中に腕を切り離すなんて……」

「ああ、アレに直接触れたからね。 念のためよ」

「アレ…?」

「気付かなかった? 貴方が一撃を入れた後から、あいつが纏ってるものがただの厄じゃない、全く違う何かに変わったわ。 それが何なのか分からない以上、当然の処置でしょう」

「でも…」

「別にいいじゃない。 こんなのは死ねばすぐ元に戻るのだから、後で一度死んでおくわ」

 

 永琳はさらっと恐ろしいことを言う。

 蓬莱の薬の力で不老不死になった永琳は、死ぬと同時に全身が元の健康体に戻って生き返るのだ。

 

「まぁ、それはそれとして……これはかなり厄介よ。 ただ異変の影響って言葉で片付けられるほど甘い問題じゃないわ」

「え?」

「あれは、あんな低級紳が簡単に手にできるような次元の力じゃないわ。 腕一本の犠牲だけで済んだのが幸運だったってレベルのね。 もしあんなのが何人もいたら、流石に私もお手上げよ」

「は、ははは、大げさですよ師匠」

 

 そう言いながらも、うどんげは冷や汗が止まらない。

 最初の攻防では自分が圧倒していたはず相手に、次の瞬間まるで歯が立たなくなったのだ。

 そして、本気になった永琳ですらが片腕を持っていかれる程の苦戦を強いられた。

 この異変が異質だというのは話には聞いていたが、実際に目の当たりにすると急に不安になってきていた。

 

「そ、それより、さっきの相手は大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。 念のため飛ばし際に毒も打ち込んでおいたし、あれなら多分1か月くらいは意識すら戻らないはずだけど」

「あ、いや、そういうことじゃなくて…」

 

 そう言って、うどんげは神社への階段を覗き込む。

 

「何をする気?」

「いや、一応神様なんですよね、アレ。 師匠の全力を受けたんだったら回収して死なないようにちゃんと手当てしとかないと。 それに、彼女の体に何が起きてるのかも調べた方がいいかと思って」

「そうね」

 

 うどんげは無防備に博麗神社の階段を下っていく。

 しかし、雛の姿は見当たらない。

 

「……あれ?」

 

 うどんげは不思議そうに麓を見渡すが、そこには何もいない。

 

 いつの間にか雛はうどんげの上空にいた。

 だが、雛は何も喋らない。

 ただ不自然な恰好のまま、何かに操られるかのように浮かんでいた。

 

「っ!!」

 

 雛から、得体の知れない黒い何かが再びうどんげに向かって溢れだす。

 永琳はそれを逸早く察知して叫ぶ。

 

「どきなさい、うどんげ!!」

 

 しかし、まだうどんげはそれに気づいていない。

 そして永琳は判断する。

 

 ――間に合わない。

 

「っ…!!」

 

 その瞬間、うどんげの身体が突如として宙を舞う。

 永琳は自分の発したその声が届くよりも速くうどんげの場所まで走り、うどんげを突き飛ばしたのだ。

 そのまま階段を転げ落ちたうどんげが着地して顔を上げた時、永琳は既にその黒に浸食されていた。

 

「師匠!?」

「これ、は……?」

 

 永琳がもがく。

 これが本当に雛の纏う厄ならば、ただの精神攻撃のはずだった。

 それならば、たとえどんな拷問より強力なものだったとしても、永琳は耐え抜く自信があった。

 だが、永琳は身動きがとれないまま全身が蝕まれていくのを感じる。

 その力に抵抗できないことを察知する。

 そして今度は既にほぼ全身を侵食されていた。

 この相手に、右腕の時と同じように半身以上を切り捨てて戦うような余裕などないことくらいは永琳も理解していた。

 

 そのまま見る見るうちに全身が黒く染まっていく永琳を見て、うどんげは思わず走り出す。

 

「師匠、今助けに…」

「っ、来ないで!!」

 

 永琳が叫ぶ。

 初めて聞く、永琳の焦るような叫びに、うどんげの足が止まる。

 そして、永琳はただ何かを悟ったように静かに自分の帽子を脱ぎ、うどんげに向かって投げつけた。

 

「え?」

「うどんげ……」

 

 永琳の帽子がうどんげのもとに落ちてくる。

 そして、永琳は今まで一度も向けたことのないような、優しい目をして――

 

「後のことは、頼んだわよ」

「し…」

 

 それだけ言い残して、次の瞬間永琳は飲み込まれるように消え去った。

 そこにはもう、何も残っていなかった。

 

「師匠? ……え?」

 

 直前に受け取った永琳の帽子だけを抱えたまま、うどんげは立ち尽くす。

 死んだのならすぐに生き返ってくるはずの永琳は、全く姿を現す様子はない。

 

「うそ……なんで。 だって、師匠が、そんなわけ…」

 

 しかし、雛の攻撃は止まらない。

 一人残されたうどんげに向かって、再び黒い何かが降ってくる。

 だが、それすらも目に入らないほど、うどんげの目はまだ何かに期待していた。

 

「違う、師匠は…」

 

 それでも、永琳のことを信じていた。

 それでも、永琳はすぐに戻ってくるのだと思い込んでいた。

 それでも、永琳が――

 

 

  ――後のことは、頼んだわよ。

 

 

「――――――ぁぁぁああああああああああ!!」

 

 うどんげの目が赤く染まる。

 その光は黒く染まったその世界を一瞬だけ照らし、そして……

 

 ……うどんげは、一目散にその場を逃げ出した。

 

 感情のままに向かっていくことが許されるのなら、向かって行きたかった。

 だけど、それはできなかった。

 永琳に生かされたから。

 永琳に任されたから。

 ただ、その最期の言葉が頭に響き続けて…

 

「っ―――――――」

 

 うどんげはただ、自分の無力さが許せなかった。

 何もできない、自分の無力さが許せない。

 そんな自己嫌悪から、唇を噛み切るほど歯を食いしばって耐えながら走っていた。

 

 どこを目指す訳でもなく、その目を赤く光らせたままただがむしゃらに走り続ける。

 やがてその光は夜の闇に消えていった。

 

 

 

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