2010年7月29日
秋葉原 ブラウン管工房
昨日、鳳凰院と別れてから何事もなく今日を迎えた。世界からは人は消えて居ないし、時間は何事もなかったように進んでいる。
今朝、テレビのニュースで流れていたラジ館に突き刺さった人工衛星の存在だけがこの世界に突如として現れた異物だ。
私は今日も秋葉原に足を運んでいる。昨日彼が言っていた研究所を見るために。
昨日の今日だが、早い方がいいだろう。
ネットで調べて出てきた未来ガジェット研究所のHPを頼りに私は秋葉原の路地を歩く。そして、古びた2階建てのビルの前で立ち止まった。
『ブラウン管工房』
ふむ、ブラウン管か。薄型液晶テレビがほぼ主流になりつつある今、こんな店は需要あるのだろうか。マニアが買いに来るとか?しかし、閑古鳥が鳴いている気もするが・・・。店主がブラウン管に強い思い入れでもあるのだろうか。
だとしたら、実にいい趣味だな。
古い物、昔からある物ははそこにあるだけで人類の営みの歴史を教えてくれる。物は喋ることはできないが、存在そのものが証明するのだ。過去の記憶を。
私はブラウン管工房の2階に視線を向ける。何やら騒がしい声が聞こえてくる。
『フーッハッハッハッハ!!!これぞッ!シュタインズゲート の選択!』
鳳凰院の声が辺り一帯に響く。どうやらここで間違い無いようだ。
店の脇にある2階へと続く階段を登ろうと階段の前に立ったその時、ふと視線を感じて振り向いた。
「おう、兄ちゃん。岡部の知り合いか?」
そこには筋骨隆々の大柄な男が店の前に立ち、腕を組んでいた。着ているエプロンにはでかでかと『I♡CRT』と描かれてある。
日本人・・・か?
「岡部?いえ、知りません。貴方は、このブラウン管工房の?」
「おっ!お前ブラウン管に興味があるのか?」
「まあ、しかし・・・」
「そうかそうか!まあ、ちょっと見てけや!ブラウン管好きに免じてちょいと安くしてやんよ!」
質問に答える間も無くその丸太のような腕を私の首に回し、ブラウン管工房へ引っ張った。抵抗する間も無く、いや、抵抗などできるはずもなく蛇に睨まれた蛙のようになった私はされるがまま店内に入った。
「どうだ!中々の品揃えだろう?秋葉原でもウチほどブラウン管が充実してる店はねぇからな!」
「そうですね。こんなに種類があるとは知りませんでした。」
店長はブラウン管を一つずつ説明しながら私を店の奥へと連行する。そう、連行だ。私は今正に、死刑宣告を受けた死刑囚が処刑台へ連れて行かれている心境だ。
そして一際大きなブラウン管テレビの前に立ち、バンバンとそれを叩いた。
「これはウチ一番の目玉商品だ。42インチ型ブラウン管。どうだ?心躍るだろう?」
たしかにここまで大きい画面は見たことないかもしれない。今でこそ大型電気量販店のテレビコーナーにはこれよりも、もっと大きい画面はあるが全て薄型だ。しかし、この重厚感は見る人が見れば興奮するのだろう。私はしない。
「売り物なんですか、これは?貴方の持ち物ではなく?」
彼はスキンヘッドの頭をボリボリ掻きながらばつが悪そうに
「いや、売りモンだよ。本当は俺が買い取りてえんだが・・・何せたけーんだよコイツ。」
「まあ、この大きさならそこそこしそうですね。画質も良いですし・・・というか、目玉なら何故店頭に置いておかないんですか。」
わかってないな、と言わんばかりに呆れた顔で首を振る。
「ウチのブラウン管ちゃん達はブラウン管が好きな人に買っていって貰いたいんだ。店先で足を止めてもらってな?中に入ると堂々とコイツがここに鎮座されている訳さ。それでコイツに惚れねえ奴はブラウン管愛が足りねえ!そんな奴にコイツは売れねえ!分かるよな?兄ちゃん!」
何言ってんだこのオッサン。
「なるほど、客も商品を選ぶが、店も客を選ぶという事ですね。」
売る気ないなとは言葉には出さないが、心の中でそう思いながら、テレビに映る映像を見た
店長はその見事に鍛えられた肩を落としながら呟く。
「まあ、そうは言ってもよ、現実は厳しいモンだよな。アナログも見れなくなるっつうし・・・薄型とかいうチャラチャラしたヤツも出てくるし。けどよ、」
薄型液晶テレビをチャラチャラしたヤツとは・・・完全に『最近の若い者は・・・』と文句を言う人間と同じだ。ブラウン管テレビを撫でながら笑う店長のなんとも言えない哀愁が気まずい。
「俺はな、兄ちゃん、惚れちまってんだよ。これに。」
「ま、まあ、その情熱はこのブラウン管達にも伝わってますよ。ブラウン管が好きな人間にもね。」
ガバッと私を見る強面の男の目には涙がうっすらと浮かんでいた。そして、私の肩を掴んんだ。
「ブラウン管が好きなヤツに悪い人間はいねえ!」
私は色々な意味で死を覚悟した。
「ミスターブラウン!粗悪品を掴ませるとはどう言う事だッ?!って・・・客を捕まえて何をやっているのだ?」
「あん?天王寺さんと呼べって言ってんだろうが。ったく、オメーもう壊したのか。」
危なかった。ナイスタイミングだ鳳凰院。
「こんな不良品を渡す貴方が悪いのだ。ミスターブラウン。」
「ブラウン管への愛が足りねーんだよ。作業代1000円な。この兄ちゃんを見習え。」
そこで彼が私の方を見た。その表情が驚きに変わる。
「貴様は昨日の・・・何故ここにいる?」
「君が言ったんじゃないか。『いつでも来ると良い』とね。」
「オカリンオカリン、知り合い?」
鳳凰院の後ろから少女が顔を覗かせる。高校生くらいだろうか。
「ああ昨日、コイツは俺と同様に機関から・・・」
「もしかして人工衛星の?」
彼女は私の方に手を差し出して来た。握手だ。私もそれに習い、握手に応える。
「椎名まゆりです!あなたはオカリンのお友達?」
「よろしく。私は橘京一。オカリンと言う男は知らないが、そこの白衣の男は昨日ラジ館で偶然知り合った仲だ。」
ニコニコと笑顔で私を見ながらこの子は握手した私の手をブンブンと振っている。
「オカリンはオカリンだよー?本名はね、岡部倫太郎っていうのです。」
おかべりんたろう。なるほど、だからオカリンなのか。
「違うぞまゆりよ!岡部倫太郎は世を忍ぶ仮の名・・・我が真名は狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真だッ!!」
「まゆりちゃん、コイツの相手しない方が良いよ?」
呆れる店長に彼女はどこ吹く風だ。これが日常なのだろう。
「でも、まゆしぃはオカリンの人質なので。」
「人質ねえ。」
そう言いながら店長はブラウン管を見始めるが、じっくり見る間も無くすぐに原因が分かったようだ。
「なんだ、ここもいかれてやがる。修理代2000円な。
「なっ!?横暴だぞ!」
テレビの修理代に慌てふためく狂気のマッドサイエンティストか。これでは世界の支配構造とやらは変えられそうもない。
「大家にそんな口きいて良いと思ってんのか。家賃上乗せすっぞ。」
「ま、まゆりよっ!オペレーションは遂行された!次の任務に移ろうではないか!フ、フフフ、フーッハッハッハッハ!」
鳳凰院は高笑いをしながら白衣を翻してブラウン管工房から立ち去る。その後を追って椎名まゆりも店から出た。出口の直前こちらを振り返ると、彼女は満面の笑みだった。
「店長さん、またなのです!橘さんも!」
店長と私は顔を見合わせて笑った。
「なんであんな子が岡部の隣にいるのかさっぱりわかんねえ。兄ちゃんもそう思うだろ?」
「私はあの二人の関係性をあまり知りませんから。椎名さんは今日が初対面ですしね。」
店長は慣れた手つきでブラウン管を直していく。
「お前さん、橘とか言ったな。上に用事があるんだろ?なら先に言えや。てっきりウチの客かと思ったじゃねぇか。今、岡部は居ねえが、橋田なら居るだろうよ。」
「橋田?」
未来ガジェット研究所の研究員だろうか。
「岡部以上に弛んでるヤツさ。毎回毎回、綯を変な目で見やがって・・・。今度会ったらただじゃおかねえ。」
彼の語気が段々と荒くなる。鳳凰院のようにクセの強いやつの周りにはなかなかクセの強いやつが集まるようだ。面白い。
「では、私はそのラボへ行ってみます。またブラウン管の話聞かせてください。それでは。」
「おう!いつでも大歓迎だぜ!」
暗いブラウン管工房の店内にサムズアップした店長の笑顔が浮かび上がる。キラリと光る店長の歯。なんと恐ろしいことか。
店を出て、『未来ガジェット研究所』と書かれてあるポストを横目に階段を登った。そして戸惑うこと無く、研究所の中に足を踏み入れる。
「オカリンオカリン、キンキンに冷えたダイエットコーラ買ってきてくれた?暑すぎて溶けそうだお・・・誰ぞ?」
樽がいた。