2010年8月3日
「実験は成功したようだな、鳳凰院。」
『K・・・なのか?』
電話越しの鳳凰院の声はあの日、ラジ館前で初めて会った時の様だった。何が起きているのかわからないというような焦りを含んだ声だ。
以前、鳳凰員から過去へ送れるメールの実験をすると連絡があったが今日がその日だったのだろう。自室にいた私は何の前触れも無く急な目眩に襲われた。
『今どこに居る?』
「さあな、私もわからない。先程まで家に居たはずなんだが・・・何処かのホテルみたいだな。」
私は今、身に覚えのない場所から鳳凰院に電話をかけている。幸いな事に彼の番号は覚えていた。窓から覗くと見慣れない景色。しかも夜だ。先程まで昼だった筈・・・。時間まで変わった?
しかし、私は彼に自身の行動だけが変わるメールを送れと提案したはずだが、何故か私まで過去の行動が変わってしまったようだ。過去を変えるということの弊害なのだろうか。バタフライエフェクトとでも言うのか?
『まゆりやダルがお前の事を覚えていないようだ。やはり俺達だけが過去が変わる前と変わった後の記憶を両方持ち合わせて居ると言う事なんだろう。』
「私の携帯から君の名前が消えていたよ。この数日やり取りしたメールも。この世界では君と会っていないということだろうね。」
『世界線理論・・・ジョン・タイターは正しかったということか?』
今、ネットで騒がれている未来からタイムマシンによってやって来た人物。私や鳳凰院の記憶が正しければ10年前に現れているはずだが、この世界ではやはり違うらしい。タイターが言っていた世界線理論が証明されたと言ってもいいだろう。
過去を変えると世界線が変わり、未来での結末が変わる。通常人類にはその世界線移動の際、記憶がその世界線と辻褄があうように書き換わる。だから、人工衛星がラジ館に激突した世界ではドクター中鉢の研究発表会が中止となり、牧瀬紅莉栖は刺されず、椎名まゆりはドクター中鉢の発表会に行ってない記憶しか持っていない事になっている。
それが世界の正しい在り方だとするならば、記憶を持ち続ける私達は果たして何なのだろう。
『それにしても貴様が存在すらしていない世界に変わったのかと思ったぞ。』
「君はまだ良い方だ。私なんか家にいたと思ったら全く知らない部屋にいるんだから。何の前触れもなくだ。今度過去を変える時があれば一言連絡してくれ。」
突如として急激な目眩に襲われる感覚は何度体験しても慣れることはないだろう。事前に目眩が来ると分かっていれば少しはこちらも心構えが出来るというものだ。
『わかった。Dメールを送るときは貴様に一報を入れてやる。しかし、俺は過去の自分にロト6の当選番号を教えただけなんだが何故こんなに過去が変わったのだ?』
「さあ?検討もつかないよ。この世界線での行動を私は一切覚えていないんだから。君もそうだろう?で、結局宝くじは当たったのかい?」
『ラボは特に変わったところはなさそうだ。備品も増えていないし、ラボメンに少し聞いてみよう。』
そう言って鳳凰院がその場にいるラボメンに宝くじの事を聞いて回るが思った回答は得られないようだ。
『・・・皆知らないらしい。となると俺は宝くじを買っていない?』
「そうかもしれないね。それか、君はその番号で買ったけれど当たらなかったとか。または番号を間違って買ってしまったとか。いろいろ理由はありそうだ。」
『俺は助手のようなドジっ子属性は持ち合わせておらん!』
鳳凰院の啖呵と共に電話越しに女性の抗議の声が聞こえてくる。ああ、彼が言っていた新しいラボメンか。
ヴィクトル・コンドリア大学 脳科学専攻 牧瀬紅莉栖。弱冠17歳にして論文がサイエンスに掲載された若き天才。
そんな彼女が日本の一般男子大学生と共に雑貨ビルでサークル活動をしているとは誰が想像できるだろう。鳳凰院によると彼女はダルにも劣らないネットオタクらしい。
そして彼女はあの日ラジ館で刺されていたのを、鳳凰院が目撃している。
『すまないな、小娘が煩くて。』
「いや、大丈夫。今度、新しいラボメンを紹介してくれ。」
『ああ、いいだろう。・・・それなら今からラボに来ないか?』
「会うには構わないが。今は夜だぞ?明日でいいんじゃないだろうか。」
『ハア?何を言っている?まだ10時だぞ。寝ぼけているんじゃないのか?』
ふと時計を見た。
『02:58』
私は急いで自分の荷物を床へばらまいた。そして目に入った紙切れを手に取って呟く。
「鳳凰院、私はラボに行けない。」
『どうした?!何があった!』
おかしいとは思っていた。さっき起きたばかりなのに寝る前のように体が疲れきっていた。鳳凰院が居るラボと私が居るホテルの時間が違う。外は夜。だがラボは今、昼だ。ああ頭がおかしくなりそうだ。
そして思わず笑いが漏れた。
「海外だよ。鳳凰院・・・私は今フランスだ。」