8月3日
フランス郊外
鳳凰院に電話した後、私は中々寝付けず、自分の荷物を漁っていた。持て余した時間を使ってこの国でどこに行こうとしていたのか確認する。
まず目に入ったのは一枚のメモ。
『大型ハドロン衝突型加速器 LHC』
単語のみだが、これが目的地である事は分かった。LHCといえば一つの街よりも巨大な実験装置だ。鳳凰院がここに居たら嬉々として高笑いをしていただろう。
しかし、私はどうやってフランスに来たのだろう。一介の大学生である私に海外へ行けるような資金はない。精々が国内旅行だ。纏まった金が臨時で入ったのだろうか。先程財布を見たら結構な金額が入っていた。
それにしても今まで私が過ごした記憶が当てにならないというものは不便だ。記憶喪失と言っても過言ではないこの感覚に幾度となく溜息を吐いた。
しかし過去が変わるという事は未来が変わるという事。しかもそれを私や鳳凰院は知覚できる。それに加えて過去を変えることができる道具もすでに揃っている。使い方によっては鳳凰院が常日頃言っているような世界の支配構造を変革することが出来る・・・。
ここから世界はどう変わって行くのか見ものだ。自称タイムトラベラーのジョン・タイターは言っていた。
『2036年には世界はSERNによってディストピアにされている。だからそんな未来を変えるために過去へ来た。』
面白いじゃないか。タイムトラベル?過去改変?ディストピア?最悪の結末を回避できる可能性はいくらでもある。事実、私と鳳凰院はそんな未来ではないジョン・タイターの話を知っている。まあ、2000年に現れたジョン・タイターの未来も碌な事はなかったが。
今はまだ実験段階だ。過去にメールを送れるというだけで私たち自身が過去へは行くことができない。だが、焦っても仕方ない。遠くない未来に可能になるのだろう。ジョン・タイターが本物だと仮定するならばだ。
たしかLHCを所有、稼働させているのはフランスの研究機関であるSERNだ。記憶に新しいのはカーブラックホールの生成に失敗したと発表があった事か。そう言えばダルもメールでSERNのハッキングを成功したと言っていた。
鳳凰院も思い切った指示をするものだと私は呆れていたが、タイムトラベルの鍵がSERNに有るのだとしたら必要な事なのかもしれない。
鳳凰院が言うにはハッキングしたサーバーにはとても言うことのできない内容がそこにあったらしい。その話を聞こうと、そろそろラボに顔を出そうとした時にメールの実証実験でそれも叶わなくなってしまった。
さて、私は折角フランスにいるんだ。どこへ行こうか。無難に観光か?それともメモにあったSERNの研究所の見学に行くか?
現地の地図を眺めながらこれからの行動をどうするか思案しているとふと携帯が鳴った。
画面を見て頭に疑問が浮かぶ。あまり連絡をして来ないアイツから何だろうか。
『あっ、もしもし京一兄さん?』
「珍しいなお前から連絡とは。」
携帯越しから聞こえてくるのは女の子かと聞き間違えるような声。喋り方。だが声の主は歴とした男だ。漆原るか。秋葉原のとある神社の一人息子で私とは従兄弟の関係になる。
『初めての海外旅行、楽しんでますか?』
「何が何だか分からん。急にどうした?神社のことか?」
『いえ、兄さんが買った宝くじの番号を教えてくれた人にお礼をしようと思って。何がいいかなって電話したんです。』
ここ数週間、何度も衝撃を受けたがここでもきた。宝くじの番号を教えてくれた?宝くじを私が買った?偶然か?
「るか、確認だが・・・私は自分で買った宝くじの当選金額でフランスまで来たんだな?」
『そうです。1週間前にたまたま兄さんが買ったロト6の宝くじに僕が教えてもらった番号を使ったら当たったんです。それで当たったお金は兄さんが僕に半額預けたんじゃないですか。』
「番号を教えてくれた人は知り合いか?」
『もう、この前言いましたよ。岡部倫太郎さんという方です。僕の同級生の幼馴染のお兄さんです。』
鳳凰院・・・お前、研究所の資金の足しにしろと言ったのに何故他人に教えている。そのおかげで私の行動の予測が狂ってしまった。
日本に帰ったら覚えておけ。
しかし、まさか鳳凰院がるかと知り合いだとは思っても見なかった。・・・知り合いなら話は早いな。
「お前に預けておいた宝くじの当選金はその岡部さんとやらに渡しておけ。ああ、全部じゃなくていい。元はその人が教えてくれなければ当たらなかったんだ。まあ、買ったのは私だがな。その彼に最低限のお礼は必要だろう。」
『兄さん?なんか怒ってます?』
何故過去の私がフランスへ来ようと思ったのか、何故宝くじを買ったのか動機は未だに分からないが私が今この場にいる原因は鳳凰院だ。奴がるかに番号を教えさえしなければ私は日本にいたはずだ。
「るか、これからラボに行くんだろう?彼に伝言を頼む。」
鳳凰院への伝言を伝える。
『分かりました。あれ?兄さん、僕ラボのこと話しました?』
私はるかの疑問に答える事なく電話を切った。