ソレが現れたのは突然だった。吸血鬼を封印から解き、“ユエ”という新しい名を与えた直後、僕らの真上にいきなり
「危ない‼」
「え?きゃっ!」
気配を感じた瞬間、僕はユエを抱えてその場から飛び退いた。
直後、上からソレが落ちてきた。床に置きっぱなしだった槍はソレの下敷きとなってしまった。
「ど、どうしたの…ハジメ?」
「動くな、敵だ!」
土煙が収まり、見えてきたソレは巨大なサソリだった。四本の腕に巨大なハサミ、二本の尻尾と一般的なサソリではなかったが。
この部屋の最後の仕掛けといったところだろうか。ユエを生きて逃がさないための最終駆除装置。
「いや・・・この部屋にいる者全てを、かな?」
にじり寄って来るサソリモドキに対し臨戦態勢とる。サソリもこちらに向かい攻める機会を伺っている。
「「………………………」」
互いに互いを捉えて動かない。重たい緊張感が漂う。
先に動いたのはサソリモドキの方だった。奴は片方の尻尾の針から紫の液体を噴射してきた。
「結!……なっ⁉」
結界で奴が放った液体を防いだのだが、着弾したところがジュワーという音と共に溶かされていく。慌てて結界を解き、ユエを抱えて後退する。
だがそう易々と後退させてくれず、すぐさまサソリモドキは距離を詰めてきた。
しかし直進してくるだけなら問題無い。
「包囲!定礎!…結!」
サソリモドキが通過するであろう場所を予測して位置指定する。案の定サソリモドキは直進してきたため、そのまま結界で囲い込む。
「キシャァァァ!!」
結界の中でハサミを振り回すサソリモドキだが、結界を壊せるほどのパワーは持っていないようだ。
「滅!」
ボシュッという音が響いた。いつもの様に結界で押しつぶし、いつもの様に滅した。
滅したはずだった。
だが、無傷のサソリモドキがそこにいた。
「なっ⁉」
この迷宮に来て、いやこの世界に来て初めて滅することができなかった。
このサソリモドキの鎧甲はこれまでのどの魔物よりも固いらしい。
一瞬の動揺を見逃さず、サソリモドキはもう一本の尻尾から巨大な針を射出してきた。しかもその針は途中で破裂し、散弾となって僕らを襲う。
「くっ、結!」
周りを結界で囲み針の散弾を防ぐが、数が多すぎる。散弾を防いでいる間にサソリモドキに肉迫されてしまう。
サソリモドキは物理的に結界を壊そうと、四本の腕を器用に使って結界の至る所を殴打してくる。
「キィシャァァァァ!」
一発一発の威力は大したことないが、これほど連打を続けられると結界を解いて後退する隙が無い。
「くっ!この……結!」
咄嗟にサソリモドキの側面に位置指定しそのまま結界で横方向に吹き飛ばす。
部屋の壁に打ち付けられ、ドゴォンという音が部屋中に響くがサソリモドキに大してダメージは無いだろう。
「キィ…シャァァァ‼」
壁際で起き上がろうとしているサソリモドキ。再度滅しようと術を発動する。
「結!滅!……結!滅!…………硬いな。あれじゃ結界で貫くのも無理そうだ」
しかし何度やっても結果は同じだった。サソリモドキの鎧甲には傷一つつかない。
おまけにこちらの攻撃に嫌気が差したのか、随分とこちらを睨んでいる。
「キエェェェ‼」
直後、サソリモドキの腕が伸長して襲い掛かってきた。まさか腕が伸びるとは思わず、結界を張るのが遅れてしまう。
「おわっ⁉」
「きゃっ!」
サソリモドキの射程より僅かに外にいたのか、伸長した腕は僕らの手前の地面に激突した。
だがその余波で僕とユエは吹き飛ばされてしまう。
おまけに吹き飛ばされた時にユエを掴み損ねてしまい、ユエとの距離を離されてしまう。
「生きてるか?ユエ!」
「な、なんとか」
ユエが無事なのを確認しサソリモドキに目線を戻すと、奴は既にユエに向かって走り出していた。やはり最優先の抹殺対象はユエらしい。
「まずい、ユエ!逃げろ!」
「えっ?」
ユエの反応が完全に遅れた。仮に遅れていなかったとしても、まだ全快していないユエでは避けることはできないだろう。
急いで彼女のもとへ走るが、この位置からではサソリモドキの伸長する腕の方が先にユエに届いてしまう。
「キシャァァァア‼」
「させるか!」
サソリモドキの凶刃がユエに当たる直前に、左手から出した5本の念糸を奴の腕にシュルシュルと巻き付ける。
そのまま念糸を全力で引き、サソリモドキの攻撃を止めさせる。
「キィィ?」
サソリモドキは自分の腕に巻き付いている不可解なものに疑問を抱いているようだった。その隙に奴の邪魔な腕を滅却する。
「さっきとは違うぞ…結!…滅!」
ボシュッ!今度は確実にサソリモドキの腕を消し飛ばした。
「キィィヤァァァ⁉」
「……へ?な、なんで?」
サソリモドキは腕を失ったことによる激痛で叫びまわり、ユエはサソリモドキの硬い鎧甲で覆われた腕が消し飛んだことに混乱していた。
無理もない。先ほどまでいくら攻撃しても傷一つつかなかった鎧甲を、今度は一撃で滅したのだから。
サソリモドキはユエが目の前にいるというのに、自分の腕を破壊した僕を信じられないといった様子で見ていた。
「
『多重結界』
一度にいくつもの結界を重ね掛けすることで、滅する威力を格段に引き上げる応用技。
もちろん一度に多くの結界は張るため一度に消耗する力も増えるが、これを使えば硬い鎧甲も滅することができる。
「確かに一度や二度滅したところでお前の鎧甲は壊せないけど、何重にも結界を重ねて滅すれば破壊できる」
「キ、キィエエェェアアァァア!!!」
今までで一番大きな咆哮を上げるサソリモドキ。死の恐怖を紛らわすためか、はたまた最優先の抹殺対象を僕に変えただけか。
いずれにせよ多重結界が有効とわかった今、これ以上時間をかけることも無い。
「結!……滅!」
「キィヤァァァ!」
ボシュッ!多重結界で全身を覆われたサソリモドキは断末魔を上げながら呆気無く消えていった。
「ふぅ~大丈夫、ユエ?」
「……え?あ、うん」
どうやらユエも無事らしい。だが見たところ状況に理解が追い付いていないようだ。片言でしか返事が来ない。
「……今、どうやって倒したの?しかも……完全に消滅させるなんて……」
「言ってなかったっけ?僕は結界師なんだ」
そういえば僕の天職については教えていなかったか。まあ、言うタイミングが無かったというだけなのだが。
「結界師?いや、でも……結界師って結界を張るだけじゃ?それにハジメ、詠唱してなかった……魔力操作、持ってるの?」
「魔力……何?まあ、良いや。道すがら話すよ」
封印部屋の最後の刺客も打破したので、ひとまずこの部屋を出る。この部屋にはもう用はないのだから。
「ところで、ユエはここが迷宮のどの辺りなのか知ってるの?」
「ごめん、わからない……」
封印部屋を出た後、再び極限無想に入る準備をしながらユエにここがどの辺なのかを尋ねたが、返答は芳しくなかった。
「でも……この迷宮は反逆者が作ったと言われてる」
「ふぅん……………あ、え?何、反逆者?」
丁度無想に入ったところだったので、ユエの言葉を聞き流してしまった。ユエがわからないと言った時点で、もう何も情報は無いだろうと油断していた。
「そう、反逆者…………神代に神に挑んだ神の眷属のこと………その反逆者の住んでる場所があるって言われてる………そこなら、地上への道があるかも………」
「なるほどね……」
反逆者とやらの話は後日改めて聞くとして。
もし反逆者の根城があるのなら、地上に続く道が、ないし地上に戻る方法があるかもしれない。
こんな地下深くから毎回徒歩で地上に行くとは到底思えない。
「なら、帰りは楽かな。一々階段を登らなくても済みそうだ…………ふぅ~、よし」
「ヒュー!ヒュー!」
再度極限無想に入り、福郎が姿を現す。
だが様子がおかしい。何か怒ってる。
そう思っていると福郎はくちばしで僕の頭を攻撃してきた。キツツキがホバリングしながら木に穴を空ける時の様にズガガガッと。
「ヒュー!(怒)ヒュー‼(激怒)」
「痛い!痛い!痛い!やめろ…………痛ててて!ごめんって」
ユエの懇願を聞いた時に無想が解けたことが、相当頭に来たらしい。
管理者って普通主人に手を上げたりしないと思うのだが…………
「………そ、その鳥は……何?」
「痛っ~~まぁそれも道すがら、ね。それより早く下を目指そう。思ったより時間が掛かった」
そう。もともと封印部屋については少し調べるだけのつもりだったのだ。
それが、単眼の巨人やサソリモドキと次々に現れた敵性個体を一々対処していたのだ。時間がかなり押している。
「わかった……でも途中で血が欲しい……可及的速やかに」
「そっか。吸血鬼だもんな、吸わないとやってられないよな」
数百年も飲まず食わずで封印されていたのだ。死なないとはいえ、腹も減るだろう。それに彼女の特性上血を摂取しないことには力も発揮できない。
少し注意して魔物と戦わないといけないな。でないと血も残さず滅してしまう。
「ハジメ。その言い方だと私が、何か危ないものを吸っているみたいに聞こえる」
「平気さ。誰も聞いてない」
「むぅ~」
常に無表情なユエには珍しく、頬を膨らませて拗ねている。
探査用結界では階段迄の道中に魔物を感知しなかったので、ユエに血を飲ませられるのは次の階層以降だ。
そうとなったらユエを担いで階段へと急ぐ。福郎も飛びながら付いて来る。
「ところで、ユエ。吸血うんぬんの前にさ、その恰好どうにかしないとね」
「……あ」
今まで触れてこなかったが、ユエはずっと裸のままであった。
今回の話で出た多重結界のくだりですが、【結界師】の正守さん登場回を真似ました。無想のままだと一撃で倒しかねないので、前回の話で強引に無想を解かせました。
次回はいよいよ最下層で最後の決戦になります。