これは、彼女の記憶。彼女の想い。
結界師としての確かな実力を身につけ、数多くの修羅場を潜ってきたアイツだったけど、さすがに学業を両立させることはできなかったらしい。
いつだったか、修行をしている時にアイツが大声で叫んでいるのを聞いた。
「一次関数なんて消えてしまえー!!!」
そんな絶叫の後に何かを投げつけるような音と、たぶんアイツのお爺さんに怒鳴り散らされている声も聞こえた。
修行中の私にさえ聞こえてくるほどだったのでよく覚えている。同時に、いくら術士としての腕を上げても、学業は年相応なのかとすこし呆れた。
すこし呆れて、すこし安心した。アイツにも苦手なものがあるんだって。泣き虫が治って、妖に対する甘さが無くなって、術士としての実力が追い抜かれても。
まだ子供らしさが残っていることに、まだ私の方が勝っているものがあることに。
「あんた一次関数つまずいてるでしょ」
その晩、私はアイツにそう言った。アイツは心底驚いていたけど、ばつが悪そうにゆっくりと顔をそむけた。どうやら本当につまずいているらしかった。
そんないじけたアイツが、どこか懐かしくて、可笑しくて、ほんのちょっぴり愛らしかった。
「明日わからないところ持ってきなさい、教えてあげるから」
自然とそんなことを口にしていた。アイツはその日一番驚いていたけれど、私自身びっくりしていた。
北地家の次期当主としてアイツとは距離を取っていたはずなのに、自分からその距離を詰めようとしていたのだから。気恥ずかしくて今度は私が顔をそむけてしまった。
とは言えこれまでのこともある。アイツもまさか真に受けないだろうと思っていたけど、あろうことかアイツは「本当に⁉ありがとう!」なんて言ってきた。
しかも次の日には本当に教科書やノート、問題集まで持ってきていた。自分から言い出した手前止める訳にもいかず、それからはずっとアイツの勉強の面倒を見続けた。
幸い、何度か教えればアイツもすぐに理解してくれたから、さほど苦労は無かった。
妖退治の合間の勉強会。それはいつしかアイツと私との間で当たり前になっていった。自分から隔てた距離さえも一瞬で埋まるくらい、その当たり前の時間は続いていった。
それでも、この頃まではまだ、アイツに対して特別何かを想っている訳じゃなかった。
私が高2の春、日本各地の神佑地が何者かに襲われ、その地に眠る絶大な力が奪われる、いわゆる『神佑地狩り』と呼ばれる事件が多発した。
その『神佑地狩り』の被害に遭い、神佑地を追われたある土地神が御池鳩に紛れ込んできたことがあった。
お地蔵様のような姿をしたその土地神は神佑地を奪われた悲しみと怒りで半ば暴走状態だった。
いくら結界師といえど、侵入してきたのが土地神では迂闊に手を出せない。その隙をつかれたアイツは土地神の能力で身動きを封じられてしまった。
土地神の攻撃をまともに受けようとしているアイツを助けるには、なりふり構っていられなかった。私は咄嗟に土地神を結界で囲い込み、そのまま土地神を滅却した。
神殺し。
それは緊急時であっても決して侵してはならない禁忌。その禁忌を破った私は裏会による尋問を受けることになり、裏会が所有する島へと連行された。
けど、この一連の出来事自体が『神佑地狩り』を企んだ一派の罠だった。私が連れていかれた島に複数の異能者が現れ、私と裏会の術者達に襲い掛かってきた。
奴らの要求は結界師である私の引き渡し。それが『神佑地狩り』とどう関係しているのかはわからなかったけれど、思うようにさせてはマズいという事だけはわかった。
それに私自身捕まるつもりなど無かった。裏会の人たちも異能者達が今回の一件の首謀者だとわかり、なんとしても捕えようと躍起になっていた。
激しい戦闘が続いたが、異能者達の実力はこちらを凌駕しており、奴らの綿密な計画もあってか、私達は成す術も無かった。
人質までとられてしまい、私が投降しなければ一人ずつ殺していくとさえ言ってきた。
「選べ女。我々に協力するか、こいつらを殺されるか」
「勘違いするなよ。お前が迎える結末は一つだ。その過程で死人が出るか出ないかの話だ」
「もはや人間として生きてはいけんのだ。最後くらい人間として真っ当な選択をしろ。そのほうがこちらとしても手間が省ける」
どうしたら良いのかわからなかった。捕まったら何をされるかわからない。けどこのままじゃあ大勢が死ぬ。
「まだ自分の立場がわかっていないのか?」
「ぐあぁ!」
「や、やめて!」
思考が纏まらない中、連中は人質を痛めつけ始めた。ただでさえ重症を負っている者を、尚も傷つけようとする奴らを前に、もはや選択の余地はなかった。
「……わかったから。言う通りにするから、その人達を放して」
投降の意思を伝えると、私はすぐに二人の異能者に腕を掴まれ、地面に膝をつかされた。
「最初からそうしておけば良いものを。お前のせいで連中は傷ついたんだ。お前のせいで負う必要のない痛みを負ったんだ」
髪を掴まれ、引っ張られながら、私は異能者の言葉を聞くしかなかった。下手に抵抗してまた誰かを傷つけられる訳にはいかなかった。
ただただ悔しくて、歯を食いしばるしかなかった。
「ふん、まあ良い。行くぞ、この女を例の場所へ………ごはぁ!」
「「がはぁっ!」」
「…………へ?」
どこかに連れて行かれそうになった瞬間、異能者達が吹き飛んだ。掴まれていた腕が離されて地面に手をついた。
何が起きたのかと顔を上げると、目の前に一人の術士が立っていた。
ここにいる筈の無い、一人の結界師。
「お前ら、早紀に何してるんだ?」
アイツが、
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