「私と一緒に行こう」
世界と誰かひとりを天秤にかけるロマンチックに残酷な選択肢。まるで魔王を前にした勇者が迫られるようなファンタジーな展開。勇者であれば、魔王の手を払い世界を救うのだろうか。
彼女の手を取ることは、きっとそういう選択だ。
なんとなくは気づいていた。纏う雰囲気が人と違った。笑っているのに怒っている声で、怒っているようで泣いている声でちぐはぐな、聞いたこともない情緒を孕んだ声。時折、垣間見せた情報はなによりも雄弁に語っていたのかもしれない。
ただ、楽しい時間を引き延ばして問題を先送りにして、それももう限界が来てしまったようだ。
──世界を壊すかもしれない、ううん。私は世界を壊す。そんな私の手を君は取れる?
目と鼻の先にいるであろう彼女は、そっと手を差し出した。
助けを求めるなら、引き寄せ守ろうと誓うこともできた。地獄に落ちようとしているなら、手を取り引き上げることもできた。
しかし、世界の破壊者となる彼女の手を取ること。それは彼女の肯定がイコールで、世界を壊すことの肯定となる。勇者ではない己には悩ましい選択だろうか──いいや、答えはもう決まっていた。
▼▼▼▼
始まりは些細なことであった。
「いった!? お前、どこ見て歩いてるんだよ!」
少女は怒る。明らかに視点がふらついた青年に当たられたせいで転倒してしまったからだ。どこかを怪我したというわけでもないのだが、ここまで露骨に前方不注意な人間がいればイラつきもする。それでも普段なら無言で立ち去っていたが、よだるような暑さが怒りを加速させたのかもしれない。声をあらげて怒りを
当の男はといえば、怒鳴り声にハッとしたように彼女の方へと視線を向けた。彼も転んでいたが、四つん這いのまま近寄って来たかと思えば、ぐいっと顔を寄せて申し訳なさそうに謝ってくる。
「すまない、どこか怪我はしてないか? 立てるかい?」
「ちか、近い! 大丈夫だからそんなに寄るな! ほら、立てるし問題ないから!」
「ならよかった。ふらふらとして、本当に申し訳なかった。気を付けるよ」
「謝るぐらいなら初めからそうしろ!」
少女は荒々しい語気で刺々しい態度のまま言葉を吐き終えると、すたすたと去っていこうとして、はたと立ち止まる。後ろの青年の気配が動かない。既に興味は薄れ始めていたが、どうにもおかしい。
ゆっくり振り返って見て、愕然とした。しきりに周囲を見てからゆっくりと立ち上がり、ふらふらと車道に歩み始めるじゃないか。
あんな男がどうなろうと知ったことではない──けど、死ぬなら見てないところでやってくれ。
慌てて駆け寄って手を取った。歩道に引き寄せようとして、驚くほど抵抗なく男の重心が崩れた。慌てて支えて、また怒る。
「わっ、んぐぐ……このッ! お前なにやってるんだよ!?」
「おととっ……えっと、君はさっきの子だよね」
「そうだよ、見てわか、る」
見てわかるだろ。そう言いかけた口を紡ぐ。なにかとてつもない違和感がある。
青年は少女の方を見ているが、少女を見ていない。先程からもずっと視線がさ迷っている。転んでからもすぐに立ち上がらず、幾度となく周囲を見て、まるで手探りのような不安定さで歩き始めた。
少女は確信に近い疑問を躊躇うことなく口にする。
「もしかしてお前、目が見えてないの?」
「アハハ、お恥ずかしながらほとんどね」
曰く、鼻と鼻が触れ合う程度の距離でようやく輪郭が掴めるという。それはもう盲目とほとんど変わらない有り様だ。
これは目を合わせようともしなかった少女が悪いのだが、青年の瞳は白灰色に濁っており、露骨に異常があることは見てとれるのであった。
「目が見えないなら杖くらい持って歩けよ」
「いつもは持ってるんだけどね。今日は運悪く無くしちゃって。出先では、なるべく手放さないようにしてたんだけど、ごめんね。一度ならず二度までも迷惑かけて」
「……いいよ。
先程まで怒り心頭だったが、ふらつく原因を聞いてしまえば毒気が抜けてしまい、怒る気にもなれなかった。
少女の許しも得て、話に一区切り着いたと思ったのか別れの挨拶をして歩き出す。
「うん、ありがとうね。じゃあね」
いや、じゃあねじゃない。待て待て待てと少女は青年への距離を詰め、覚束ない足取りで歩き始めた彼のシャツの裾を掴んだ。何度目だこのやり取りは。
「まだなにかあった? もしかして、実はさっき転んだときに怪我でもしたかな」
「まだなにかあった、じゃないよ。私は無傷だしなんともないけど、お前はどうやって帰るつもりだよ」
青年は白く濁った目をぱちくりとさせて、なにかを言いよどむ。なにも考えてなかったらしい。
「まぁ、なんとかするよ」
「なんとかって」
「これくらい……まぁ、慣れたことだし。家に帰るだけだから、歩道にさえいればどうにかなるよ。さすがに車道に出ちゃってたのは焦ったけどね」
普段はそうないんだけどねと、彼が呑気に笑いながら語る姿を見て再びイラッとした。
私だって本当に普段ならこんなことはしない。むしろ青年よりも先に立ち去ろうとしているはずだ。なのにどうして世話を焼こうとしているのか。
……外に出て暑さに当てられたのかもしれない。インドアな彼女はそう投げやりな自己分析しつつ、青年の手首を握り直した。
「ほら、行くよ」
「行くって、何処に?」
「お前の家。このまま別れて、明日道端でお前の死体を見つけると気分悪いから」
「いやいや、さすがに悪いよ」
「お前がお願いしてきたわけでもないのに、なにが悪いのかさっぱりなんだけど。私はお前を放っておく方が気持ち悪いから、家まで手引きするだけだし」
「ううん、私の気持ちの話だから、そう理屈で詰められると困るね」
眉尻を下げて苦笑する青年は、しかし、いつまでも手を握ったままの少女に観念したようでひとつ息を吐いた。
「それじゃあ、ありがとう。どうか私の家まで手を引いて連れていってもらえるかな……なんて、自分の家までの道案内を頼むなんて可笑しい話だけれど」
「目が見えないなら仕方ないだろ。ほら、早く住所を教えて」
「ああ、私の家は──」
到着した彼の住まいはアパートだった。築30年は固いと思える年季が漂う建物だが、幸いにも青年の部屋は一階の一室であった。
地震でも来たら上の階に押し潰されそうだなんて思いながら、少女が扉を開けると──凍えるような冷気が流れてきた。
「うわっ。あちゃあ、冷房つけっぱなしで出ちゃったかぁ……出掛けに押したリモコン、なんのやつだったんだろ」
青年は苦い顔をしながら玄関口を跨ぐ。
押し間違えたリモコンがなんにせよ、今月の電気代がかさむことは間違いない。貯蓄の残高は如何ほどだったか。そんな悩みに苛まれていれるなか、少女がふらふらと冷えた室内に吸い込まれていった。このまま、帰るものと思っていた青年はどうしたのかと声をかけると。
「涼んでる。私の家、なかなか冷房付けてくれないし、勝手に付けると怒られたし」
素っ気ない返事だが、外に居たときよりも心持ち声が柔らかい。
しかし、大人びた喋り方をする少女だったがなかなかどうして子供らしい側面もあるようだ。冷房を勝手に使って怒られるなど微笑ましい。青年は、彼女は学生だろうかとあたりを付ける。
そんな、青年の予想はズレていた。どちらかといえばズレているのは少女だが。
彼女は
「あはは、そりゃあ夏を過ごすには厳しいね。こんなところでよかったら、涼むといいさ。好きなだけゆっくりしていっていいよ」
「そうそう、こんななか冷房なしじゃ、茹だって脳細胞が死滅しちゃうって」
どっこらしょと座り込んだ彼女は完全に居座るつもりらしい。どこからかパソコンを取り出してカタカタとタイピングを始めた。
青年は音でおおよその動きを把握して、冷蔵庫から冷えた──これはジュースかお茶かどっちだ。わからないまま、飲み物ならいいかとコップにとぷとぷと注ぐ。
「ねぇ、もしかして、それは私に出そうとしてる?」
「そうだけど、お茶かジュースは嫌いだったかな」
「わかった。そのめんつゆをお茶かジュースと勘違いしてることはわかった」
「えっ……ああ! そういえば、めんつゆ買ってドアポケットに入れてたんだった!」
「はぁ、お前は自宅でもそんな調子なんだね……」
ばっちり飲み物ではなかった。
少女は呆れてため息を吐きながらも、青年の代わりにめんつゆを冷蔵庫に返す。このポンコツな彼がどうやって生きてきたのか不思議で仕方がない。
「部屋の構造は大体覚えているから、大きな問題はなく過ごせていたよ。ご飯はだいたいレンジ使ってチンだから手間もないし」
なるほど、長年暮らしているなら部屋の構造は覚えていても納得はいく。料理もバランスは偏りそうなものの、冷凍物ならなんとかなっていただろう。
理屈は通っている。それ以上踏み込む意味も必要も義務もないかと、少女は簡素な返事をして話を打ち切る。
「あっそ……お茶もらうから」
「うん、どうぞ。あ、お茶菓子でも買ってこようかい?」
「やめろ、杖がないのを忘れたのか。私に構わなくていいから」
「そっか。ごめんね、なにもなくて」
彼は棚から適当な本を抜き出して、指を通して点字を読み始めた。少女もようやく落ち着いたのか自身の作業に戻る。
その後は目立った会話もなかった。本を読み終えた青年が、お茶のお代わりはいるかと時折尋ねる程度。
キンキンに冷えた麦茶を3杯ほど飲み干した頃、少女の作業は一区切りついたのかパソコンを閉じて立ち上がる。
「よし、帰るね」
「うん、まだ外は明るい季節だろうけど、帰り道には気を付けてね。なんなら送」
「らなくていいから……せいぜい、お前みたいにふらついたのに当たらないようにするよ」
「ははは、手厳しいね」
少女はらしくもなく長座した
──彼を特別気に入ったわけでもない。ただ、自宅よりも過ごしやすいせいで長居してしまったのだ。
近頃は諦められ始めたのか、小言も以前より減ったがどうしても要所で説教や責めるような視線を感じて鬱陶しいから。彼の家なら彼はなにも言わずにただ一緒に過ごしてくれるだけだったから。あとクーラーあって涼しかったし。
長居してしまった理由をつらつらと考えながら、夕焼けのなかを歩く。
朱色に照らされた帰り道はいつもよりも余計なものが目に映った。例えば、道端に捨てられた折れたゴミとか。いつもなら小石のように気に止めることなんてないのに。雑多な
ただ、言ってしまえばそれだけだ。たまたま路肩に捨てられたゴミが目についただけ。いつもは気にしない他人の会話が耳についただけ。それ以上もそれ以下もない。
だから家に帰ったあとは、代わり映えしない家族との食事を終えて、親がうるさいから渋々と風呂を済ます。そのあとはさっさと自室に籠って作業の続きを……続き、を……。
──彼女は聡明だから気付いていた。盲目の彼が杖を手放すことがないと。
だから、無くすことがあるのだとすれば、それは第三者の介入があったと推測できる。故にあの場で少女は怒りの矛を収めた。
帰り道で見てしまったゴミは折れた杖だった。耳についた凡百の会話は盲目の人間を嘲笑うものだった。気になったのはそれらだった。
しかし、そんなものを気にする自分は
バンッ! と台パン一回。少女はむしゃくしゃを吐き出すかのように声を荒げる。
「……ああもうっ!」
訳のわからない苛立ちに背中を押され、少女は家から飛び出した。
自粛が続くなか、気を紛らわせるような作品になれば幸いです。お疲れの方もおられると思いますが、体調に気を付けてお過ごしください。
私は不謹慎型炎上系VTuberとして、挨拶は「ぶっこ□な~」でバ美肉して生きていきこうかと思っています。嘘です。