人生に演目はなく、故に幕引きは唐突だ。
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「ああ、そうだ。杖を持ってきてくれてありがとう。本当に助かったよ」
「それ言うの何度目? もういいよ。たまたま見かけて拾っただけだから」
「何度でも言うさ。こんなにいい杖は他にないからね」
「ふ、ふぅん。愛着あるんだね」
──初めて出会ってから、その翌日。彼がいつも通り目覚めて、程なくしてインターホンが鳴った。出てみればぶっきらぼうな少女の声。どうして女の子がこの部屋に、なんて寝起きの頭で少し悩んで、昨日の少女だと思い出した。
もしかして、実は昨日怪我してたのかな。
散々、彼女に否定された怪我の可能性を考慮して扉を開けると先程よりも尚ぶっきらぼうな声で。
『
青年がなくしたはずの杖を差し出してきた。投げつけんばかりの勢いで、彼の胸元に押し付けられる。しかし、あるはずのないものが出てきた彼は困惑一色だ。
『えっ、え? 私の杖って昨日とら』
『これはお前のだよ』
『いや、杖を持ってきてくれたのは嬉しいのだけれどね? 私の杖はぬ』
『間違いなくお前のだよ。いいから早く受けとれ、私の腕が疲れるんだけど』
有無を言わさぬ少女。青年はどうしたものかと渡された杖を触りながら考え、はたと手を止める。指が触れ慣れた感触を探り当てた。不思議なことに彼女が正しかったらしい。
──青年の目には見えることはなかったが、それは悪意ある誰かの手で中程で折られた杖だった。しかし、今はものの見事に修繕されている。誰の手によって修繕されたのかは聞くまでもない。普段より、気持ち落ち着きのない少女を見ればわかることだ。
まぁ、青年の目は見えていないのだが。
『あぁ、確かに。うん、これは私のだ。こんな暑いなか、わざわざありがとうね』
『…………うん、本当に暑いよ。ちょっと涼んでいくから入れてくれるかな』
──そうして少女を招き入れ、一幕で終わるはずだった彼らの日常の延長が始まった。
「で最近出来たという友人とは仲良くやれてるのかな」
「
「ハハハ、母親みたいな子だね」
「もはや親より煩いよ……ああ、でも、家事は下手っぴらしいよ。弟の方が出来るんだってさ」
少女の声は少し跳ねていた。珍しいものだと思う。彼女が他人について語ること自体、そうないことであったが、喜色寄りの声音であることは全くなかったと言っていい。
それからひときしり、織斑千冬という人物について語った束はハッとしたように、それでも世界は退屈と言う。
「けど織斑千冬だって、能力的に私に置いていかれないだけで、感覚的なところは全然違うんだよ。置いてけぼりにならずに私に付いてこられるのは嬉しかったけど、やっぱり何処かズレてるんだ」
「けれど、君を避けないで受け止めてくれるんでしょ」
「まぁそうだけど」
「初めて自分を受け止めてくれる人がいて、戸惑っているのかもしれないけれど、そう無下にするものじゃあないよ」
「……お前が説教なんて珍しいね」
「説教というほどのものでもないよ。ただの提案だし、君が気に入らないなら無視するといい、私の提案も織斑千冬という
聞く者によれば酷く皮肉げな青年の言葉だが、恐らくただの本心だ。少女もそれに気付いているから、機嫌を損ねることはない。
しかし、少女が照れ隠しのように捲し立てた内容もあながち嘘ではない。むしろ、あれだって偽りのない本音だ。基本的にこのふたりは、こうして本音で語らうことが多い。
「織斑千冬はねぇ、身体能力がズバ抜けてるくせに周りに溶け込むのが上手いんだ……ううん、溶け込むというより、周りを惹き付けるって言った方が正しいかな」
彼女は普段の不遜さと合わせて自慢気に、ただどこか落胆とも失意とも取れる声音で“織斑千冬”について語る。
「そっか。君は、織斑千冬が羨ましいのかい?」
「どうなんだろうね。独りでいることが辛かったことはないよ。でも、なんだか織斑千冬に会ってからは少し悩むこともあるかな」
今までは少女に比類するものは誰もいなかった。だからこそ、孤独は当然で孤高であることに疑問の余地はなかった。
そこに“織斑千冬”が現れて、少女の価値観を僅かながらに揺るがした。頭脳は少女が圧倒的に上位だが、運動神経で言えば、同等に近く優劣はつけがたい。そんな相手が当然のように社会に溶け込んでいるものだから、少女の普遍の価値観が揺らいだ。その触れ幅は決して大きなものではなかったが、彼女にとっては未知の感覚だ。
青年はその事を察していたが、無暗に口を挟むつもりもなかった。人柄も知らない“織斑千冬”について語るつもりもなければ、少女へとこれを機に周囲へと溶け込む努力をしてみてはなどと言う気もさらさらない。
他の誰にでも出来ることではなく、青年にしか出来ない手助けはないかと思案する。でなければ、せっかく自分へと悩みを吐き出した彼女に申し訳ない、などと思いながらもどうにも良い案が出ない。
普段から世間から離れている弊害がこんなところに現れるとは露ほども疑わなかった。疑っておけばよかった。
──故に彼の取れる選択肢はそう多くなく、ならば後悔しないものを選ぼうと決意した。
「なら、ひとつ私から提案だ」
得意気そうに人差し指を立てて、一呼吸置いて。
「私と友達にならないかい?」
キメ顔で少女の意表を突くのであった。
「へっ?」
「悩んでいるなら、君の環境にも刺激を与えてみようと思ってね。私に出来ることを考えてみたのだけれど、これくらいしかなかった」
「いやいやいや、だからってなんで友達なんだよ」
「嫌かい?」
「嫌、ってわけじゃないけど……」
青年のことが嫌いだとしたら、彼女は彼の家を何度も訪れていない。だが、どうしてあの話の流れで友達になるという選択肢が出てきたのか理解が追い付かなかった。頭フル回転で結論が出なかったことなんて久々すぎてテンパりかけてすらいる。
「お前と、私、友達どうして?」
「片言になりかけているよ」
「うるさい! なんで私とお前が友達って提案が出るか聞いてるんだよ!」
「やっぱり訳を話さないといけないよね」
立てていた指をくるくると回して少し思案して、けれど観念したように、青年は照れ臭そうに訳を語った。
「なに、私もね……友達がほしくなっちゃったんだよ」
ハハハと朗らかに笑う彼に呆気に取られてしまった。かつてなくフル回転させていた脳ミソはピタリと止まり仕事を放棄した。
5秒か5分かそれ以上か。停止した少女はゆっくりと息を吐く。再稼働した脳を働かせて、
友達なんて言葉は縁がないものと思い込んでいた。誰ともなれるとは思わなかったし、なにより作る気すらなかった。青年に対してだって、決して人当たりよく接していたわけではない。だから、今のふわふわとした関係から変わることはないと踏んでいたのだが……。
だけれども、彼からの提案は不思議と不愉快ではなく、頭で是非を考えるよりも先にするりと心に浸透してしまった。
少女はもう一度、しかし今度は小さく息を吐いて意を決した。
「ふぅぅぅ……わかった。じゃあ、私とお前は今日から友達だよ」
「うん、じゃあ改めてよろしくね……えっと、今さらなんだけど、君の名前ってなんだったかな?」
「……そう言えばお互いに名乗ってなかったね。私の名前は
「私の名前は
「じゃあ、“あっくん”って呼ぶね」
「ん?」
恐らく初めて見るであろう青年、もとい“あっくん”の呆けた顔に笑みを浮かべながら束は話す。
「だって、親しい友人は渾名で呼ぶものでしょ?」
「ははっ、なるほどね。じゃあ、私はたっちゃんとでも呼ぼうかな」
「それは私のセンス的になしだから止めて。束でいいよ」
「酷くないかい?」
──関係性を名付けられなかった奇妙な縁を持ったふたり組は、この日を境に友達になったのであった。
「おはよう束。自分で起きて朝から登校とは珍しいな」
「うん、おはよう。
「……今、なんと言った?」
「ちーちゃん。織斑千冬だから、千冬の“ち”を取って“ちーちゃん”だよ」
「なっ、ま、待て束!」
昨日までフルネーム呼びだったのに、急に渾名で呼ばれた千冬は驚きながらも先に歩み始めた束の背を追う。
そんな姿がおかしくて束は笑みを溢した。
▼▼▼▼
──そんなこんなから少女が青年の家へと足を運ぶ機会は加速的に増えていた。時期はめくるめく移ろい、今は雪の降り積もる冬。
「ふぃー、暖かいねぇ」
「ははは、そりゃあ雪が降ってるんだからね。さすがに君の家でも暖房器具は使ってるんじゃないのかい?」
「……ストーブあんまり好きじゃないんだよ。灯油臭くなるし煙たいし」
「なるほど、私は嫌いじゃないけどね。目がこんなだから火事にならないよう、こたつと暖房にしてるんだ」
灯油を汲むのにも一苦労だからねと、青年はこたつでぬくぬくしつつ朗らかに笑う。
少女が家に来るタイミングは不定期だが、最近では週の半分以上に来ているだろう。我が物顔の彼女がこの部屋にいることは馴染んでしまった光景と言える。
ふと柑橘類の香りが漂ってきた。みかんは買っていなかったはずだが、まさか持参してきたのだろうか。
「ふふん、こたつと言えば定番だからね。食べたいならあげなくもないよ」
「じゃあ、お言葉に甘えてひとつもらおうかな……あれ?」
手に渡されたのは綺麗に剥かれたみかんだ。
「剥いといたげたよ。天才の私にはみかんを欲しがることはわかってたからね」
「ありがとう。いただくよ」
みかんを一切れ頬張って酸味と甘味が口に広がる。
少女の友人、ちーちゃんがこの光景を見れば現実と疑うか夢と思って頬をつねるに違いない。なにせ、篠ノ之束という少女は、学校に置いて織斑千冬以外と会話することがないのだ。特に取り柄もなければ、むしろハンデを抱えているとも取れる彼と、仲良さげにしている光景など予想出来るはずもなかった。
「そういえばなのだけれど、ひとついいかな?」
「うん、どうぞどうぞ。あっくんが知りたいならミレニアム懸賞問題から宇宙の神秘まで、なんだって解き明かしちゃうよ」
スケールが大きすぎる。そんなこと気軽に聞けないと笑いながらも、やんわりと断り話の路線を戻す。蜜柑はすっかりふたりの胃のなかだ。
「それは嬉しいけれど、そんなに大層なことじゃないよ。束がここに来たときから基本的にパソコンを触っていたけれど、あの作業って終わったのかい? 近頃はあまりタイピング音を聞かなくなったから、どうなのかなと思ってね」
「あー……うん、終わったよ。全部丸っとね」
「そっか。あれはなにを作っていたか、聞いてもいいかな?」
束は彼の質問に唸る。別に話したくないわけではない。なんなら、これからのことを含めて全部を伝えてしまいたいとすら考えている。
しかし、彼女の製作物に関しては詳しく説明し始めると幾らでも難しくなる。どこまで簡略化するべきか悩んで、極限まで噛み砕いた表現にした。なにせ彼は盲目だから、少しでもわかりやすくすべきだと思った。
「私が作ったのはね、宇宙を駆けられる、超々高性能なパワードスーツ」
そこまで伝えて、歩の反応を待つが彼はなにも言葉を発しなかった。先程と立場が逆転したようだ。
製作物を人に明かしたのは初めてだというのに、随分と味気ない反応だ。束は唇を尖らせる。
「驚いたり、疑ったり、なにかない?」
「疑いはしないよ。驚いてはいる。けれども、話はまだ終わってないかなと思ったんだ」
図星だ。思わず尖らせた唇を横一文字に閉口し、ため息を吐いた。
「はぁ……そうだね、本題はこの先からかな。本当に目的は宇宙開発と銘打って世界に広めるつもりだよ。けれど、
かつて採掘のために作られたダイナマイトが人を殺す道具となったように、空を駆けた飛行機が戦場の空から銃弾と爆弾という鉄の雨を降らせたように。私の発明品も直ぐにそうなると束は語る。
それは己の作品の性能に自信があるということの裏返しであり、世界をまるで信じていないということでもあった。
「うん、争うだろうね。弱者やはみ出し者が叩かれるのは世界の常だから、自分がその立場にならないように世界は力を求めるし、束の作品はそれらに利用されると思う」
青年は束の言葉を否定せずに、彼の視点から思慮し同調した。
「それで、この次あたりかな?」
「なにが?」
「束が話したかった本題だよ」
「……今日はやけに踏み込んでくるよね」
「珍しく遠回りして話すからね。これは私の方から迎えにいくべきかと思ったのだけれど」
「盲目なんて嘘、って思うくらい綺麗に迎えに来られちゃったなぁ……」
そこから篠ノ之束はなにを思うのか、スッと黙りこくってしまった。盲目の彼には表情は読めず、束が言葉を発されなければ、なにかあったことしかわからず、なにがあったかはわからない。
だから彼は待つ。急かすこともなく、いつものように。ただし、今日ばかりは意識を束に向けて子細聞き逃さぬように。
そうして、黙りこくっていた束がようやく言葉を発した。
──私と一緒に世界を壊さない?
激しく胸打つ鼓動の音はどちらのものか。少なくともお互いに表情はフラットだ。青年は微笑むように口角を上げて、困ったように眉尻を下げており、篠ノ之束はいつ瞬きをしているのか見逃しそうになるほどに無表情。
束が言葉を紡いだのち、ゆっくりと歩は口を開いた。
「どうして私に声をかけてくれたか、なんて問うのは野暮かな?」
「ううん、私も私に誘われたらその質問をするだろうから答えてあげるよ」
束は気を紛らわせるかのように、一息ついて語りだした。
「私は天才だからさ、だいたい他人に不可能って言われることは出来ちゃうんだよ。それも特に苦労も苦難も苦節もなく、お茶のこさいさいってね」
ただ、それは周りに比べて度の過ぎた
けれどと言い、束は弛緩したような、にへっとした笑顔になる。
「でもね、あっくんが友達になってくれたとき、実はとても嬉しかったんだ。だから、だよ?」
「……そうだったんだね。いや、本当に野暮なことを聞いたものだね、私は」
青年は知っている。盲目という異物として扱われてきたからわかる。
篠ノ之束は知っている。孤高の天才として生まれた彼女にはわかる。
もしかしたら、彼らを受け入れてくれる人たちは何処かにいたのかもしれない。彼女らに寄り添って手を繋げる人は他にも居たのかもしれない。
だけれども、彼らの前には現れたのは束にとっての歩と、歩にとっての束だけだった。
だから、答えは決まっていた。
歩は手を差し出す。それは束の手のひらに重なることなく、虚空をさ迷った。思わず目を見開いて首を傾げそうになった束に、恥ずかしげに歩は言う。
「私も束と一緒に行きたいよ。けれど、ひとりでは真っ直ぐ歩けない。尻餅ついて君に置いていかれたくはないんだ。だから、私の手を引いて行ってはくれないだろうか?」
「あはは、仕方ないなぁ。私があっくんの手を繋いで一緒に歩いてあげる」
所在なさげな彼の手を取って、束は自分の手へと重ねた。じんわりと温かさが広がり、全身へと熱が巡る。居ても立ってもいられないような、叫びだしたいような、甘酸っぱくも刺激的な感情の手綱を手放したくなるような感覚に陥る。
「じゃあ、改めてよろしくね束……束? 震えてるけど大丈夫かい?」
「震えと言うか奮えだよこれは! うん! うん! これからもよろしくね、あっくん!」
高らかに笑う束と、それに圧されながらも笑みを浮かべる歩。ボーイミーツガールの大団円と見間違うほどの光景。これが映画の終わりなら文句なしのハッピーエンドだ。
──しかし忘れることなかれ。彼らは世界の破壊を目論む者たちだ。
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これは世界にとっては忘れられなくなる日。ふたりにとっては日付も思い出せなくなるほど、なんてことない日。
──重ねられた手がパネルにそっと触れられた。
これで2000発あまりものミサイルが射出されたというのだから呆気ないものだ。
これから束が開発したパワードスーツを纏った千冬が全弾斬り落とすだろう。急に無茶なお願いをされた千冬は怒髪天を突いているだろうが、適当な理由で言い訳すればいい。なにせ頭は束の方が賢いのだから。
「ファンファーレとしては物足りないし、クラッカーでも鳴らしちゃう?」
「構わないよ。私にとってはあの日、君の手を取ったときに始まったのだから。ファンファーレなんて今さらさ」
「あはは、こっ恥ずかしいこというなぁ」
あの日の大団円さながらのエピソードは終わりではなく始まり。ここでようやく一区切りと相成った。そして、彼女らと世界の戦いの火蓋が切って落とされ、第二幕の幕が開けられた。
「よしっ。じゃあ、始めようか。私たちと世界の戦いを!」
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