00.少女は、
少女はたいして優秀ではなかった。
座学は好きな方ではなかったし、飲み込みもそう早くはない。要領もまた、悪くはないけど良くもなかった。
少女はたいして勇敢ではなかった。
人並みに虫や幽霊が苦手で、一人でなかなか眠れなかった。痛いのも苦しいのも嫌で、怪我をするのが怖かった。
少女は臆病だった。
ひどく人見知りで、誰かに心を許すことが難しかった。嫌われるのが怖くて、言葉を飲み込んでしまうことが多々あった。
少女は卑怯だった。
自分を守るために何度も嘘をついた。誰からも攻撃されないように、“イイコ”のふりをした。
少女は弱かった。
身体は勿論、心までもが弱かった。弱さを見せまいと虚勢を張るばかりで、ますますもって心の芯が柔かった。
少女は、
そんな自分を好きにはなれなかったけれど、
“それでもいい”と、“大丈夫だ”と、──“救ける”と、
そう言ってくれた人がいた。
「──ホークス!」
“ウイングヒーロー ホークス”。21歳になったばかりだというのに、早くもヒーロービルボードチャートトップ3入りを果たした彼は、にっと笑って声の方を振り返った。その藤黄色の目に、小走りで近付いてくる少女の姿が映る。
「お、久しぶり。ちょっと見ない間に大きくなった?」
白い髪が肩口でふわりと揺れる。それに合わせて背中の白い羽根もゆったりとはためいた。色白の肌も相まって“白”の印象が強い中、空のような青い瞳が映えている。華奢で儚げな容姿とは裏腹に、少女はホークスのからかいにむっと口を尖らせた。
「そんなに変わんないでしょう、茶化さないで。……今日はこっちでのお仕事だったの?」
「まーね。出張ついでにたまたまフラッと寄っただけ」
飄々とした言動から繰り出される言葉は、真実のみとは限らない。それでも今の彼から嘘は感じられなかったので、そう、と頷いて、少女はまたホークスを見上げる。
「また全国を飛び回ってるって聞いたよ。ちゃんとご飯食べてる? 寝てる?」
「お母ちゃん……!」
「こんな息子持った覚えはありません! ……まったく、もう、」
こうして煙に巻かれるのもいつものことで、不貞腐れたように視線をそらす。そんな少女の、年相応に幼い仕草に、ホークスはおかしそうに目を細めた。柔らかくなった表情で、ぽん、と大きな手でわしゃわしゃと白い髪をかき混ぜる。
「そんな拗ねんでって」
「すっ、拗ねてないし……もう! 髪ぐしゃぐしゃにしないで!」
「はっはっは」
手を振り切り距離を取って、むっと睨み上げた少女を、面白そうに細められた目が迎える。へらへらと笑って、ホークスは廊下の隅に置かれたソファに向かった。
「久々会ったんだし、そこでお茶でもどーですか、お嬢サン?」
ふわり、体が浮く。気づいた時にはもう既に、少女の体はホークスの赤い羽根によってソファに運ばれていた。彼女を座らせた後、その羽根たちはホークスの背に戻ってゆく。
「……どうですかって、聞く前に移動させてるじゃない」
「ハイハイっと。ホラ、これ好きでしょ?」
ぽいっと投げ渡されたのはコンポタだった。今は3月の終わりに差し掛かっていて、春の陽気も麗らかな暖かい日。それでも手の中にある馴染み深いパッケージも、あたたかさも、……思い出も、
「……うん、好き」
少女にとっては大切で大好きなものだったから、カシュ、とプルタブを開けて、中身に口をつける。ほうと緩めた口許が笑みの形になっていく。それを横目で見て、にっとホークスが笑った。
「俺が渡しといてなんだけど、それホント好きだねぇ」
「いいでしょ。ホークスだって、その甘いコーヒーばっかりじゃない」
「甘いのがいーの」
こくこく、とそれぞれの好きな飲み物をただ並んで飲んでいる。たったそれだけだけど、少女にとっては何より大切な時間だ。大好きな、時間。ホークスが大人気ヒーローとして多忙になってからは、より貴重になった、ふたりだけの時間。
「っと、」
「救助要請?」
「そ。おちおちコーヒーも飲んでらんない」
「……大変だね」
残ったコーヒーを一気に流し込んで、さっとゴミ箱に投げ入れる僅かな合間に、ホークスはその翼を広げていた。非常階段に続くドアを開け放つ。外は夕焼けの光に満ちていて、ホークスの赤い剛翼を眩しく輝かせた。
「それじゃ、行ってくるね」
「うん、──」
辺りに誰もいないことを確かめて、少女は非常階段の踊り場に走った。ホークスが今にも飛び立ちそうな元に駆け寄って、小声で呼び掛ける。
「──啓悟くん、気をつけて、ね」
それは、幼い時に彼が捨てた名前。幼い少女がぐずるのを止めようと、彼があやすように教えてくれた名前。ふたりだけの、ひみつのなまえ。
「……ありがと。
少女の“愛依”という名前だって、もう今となっては誰も──ホークス以外は誰も呼ばない名前だ。
彼はふっと優しく囁くように言って、翼のはためきと共に彼方へ飛び去った。彼はその翼で、あらゆる人のサインを聞き取って、あらゆる人の元へ駆け付けて、あらゆる人の命と心を救う。いつか、少女にそうしてくれたように。
「……すごい、なあ……」
この人みたいになりたい。
この人の力になりたい。
この人を、救けたい。
あの日の想いは原点として、今も少女の中で光っている。太陽のように、月のように、星のように。標となって輝いている。まだとてつもなく遠い距離だけれど、それでも追いかけるのをやめられない。ずっと、ずっと、少女は彼を目指し続けている。
「……よし、」
そろそろ訓練の時間だ、戻らなければと踵を返す。かつてホークスも受けたという、“特別なヒーローになるためのプログラム”。……優秀で勇敢で、堂々としていて賢くて強い、彼のようにはいかないけれど、と口許に自嘲の笑みがこぼれる。
だって少女は優秀ではないし、勇敢でもない。臆病で卑怯で弱い、──ヒーローとは程遠い人間だと自覚している。
それでも頑張って、頑張り続けて、いつか、
「あのひとみたいな、ヒーローに」
憧れに照らされた決意が瞳に灯る。
これはとある少女が、大切な人を救けるまでの物語。
00.少女は、
プロローグのようなもの。
主人公は緑谷たちと同い年なのでホークスとは7歳差です。女の子が年上の仲のいい男の子のことを「くん」付けで呼ぶのが大好きです。