XX.何時かのクリスマス
それは、わたしがまだ5歳だった頃。
ホークスによって公安に引き取られてから、約1年が経とうとしていた、そんな日の出来事。
「そういえば、今年のケーキは何がいいですか?」
公安での訓練の後、息を切らしてへたり込むわたしにタオルを手渡しながら、目良さんはそう尋ねた。唐突な質問に、わたしはきょとんと目を丸くする。
「……ケー、キ?」
「ええ」
「……えっと、何の……?」
「……え?」
「……え?」
互いに首を傾げ合って、頭上にハテナを飛ばし合ってしばらく。奇妙な沈黙を破ったのは傍で聞いていたホークスだった。彼は訓練の疲労なんて感じさせない笑顔で、にんまり笑う。
「クリスマスケーキのことだよ。もうすぐ24日だしね」
そう言われて、やっと幼いわたしは納得した。この公安に引き取られてからというもの、ビルの外を出歩くことは無かったから、季節感というものを失念していたのだ。
そうか。そういえば、クリスマスか。
そんな風に思い出して、わたしは、……胸元をぎゅっと握った。
「ていうか目良さん、俺らにケーキなんていいんですか? 去年も怒られてましたよね?」
「怒られるっていっても形式的なもんです。会長も何だかんだ言って目を瞑っていますし」
「……甘いなァ」
「ケーキだけにね」
「いやそういうことじゃなくてですね」
ホークスと目良さん。2人の間にそんな会話がなされていたことに、わたしは気付けずにいた。
気付く余裕なんて、無かった。
「……わ、たし、……」
握り締めた手が震える。かたかた、と、震える。
揺らぐ視界の端に、あの日を垣間見た。
『おまえがいるから、おまえの“個性”がそんなだから……っ』
ずっと楽しみにしていた誕生日。きらきら輝くケーキにご馳走。にこにこ笑うあの人たちの笑顔──それら全てが、ぐちゃぐちゃになった日。
『わたし……いないほうが、よかった、なぁ……っ』
あの独りきりのベランダで、白い息と共に吐き出した泣き声。たった1枚のガラス戸を隔てて、あの人たちとわたしが、永遠に別たれてしまった瞬間。
覚えている。忘れない。
今もまだ、こんなにも、鮮明に脳裏に甦る。
煌めくクリスマスは、
甘いケーキの匂いは、
──どうしようもなく、あの日を思い出してしま……、
「──
ふと、名前を呼ばれる。それでわたしが我に返った時には、ホークスがわたしの前に片膝をついて、視線を合わせていた。藤黄色の目が、優しく細められている。
「またおまえ、ヤなこと思い出してたんでしょ」
「……、……なんで、わかるの……?」
「だっておまえわかりやすいもん。顔に出過ぎ」
「う……」
ホークスは笑う。からりと、何でもないことのように。
ホークスは微笑む。ふわりと、慈しむように。
「……俺と初めて会った日も、クリスマスだったでしょ」
だから、嫌な記憶ばかりじゃないでしょ、と。
そう、少し照れたような、小さな声で付け足されて、わたしは息を飲んだ。数瞬遅れて──ぶわわ、と熱くなる。
「! ……ハハ、顔真っ赤」
頬が熱い。胸の奥が、熱い。ホークスにからかわれて悔しいのもあるけれど、それよりずっとずっと、ずっと、……嬉しいって心が叫んでる。
「……っあ、あなたのせいだもん……」
「アララ。照れちゃって、まァ」
「う”~~~」
「頬っぺた隠さなくていいのに」
「……そんなこと言う君だって照れてるくせにね」
「目良さん」
顔を見られまいと両手で頬を覆って唸るわたし。俯くわたしの頭を、ぽんぽんと笑いながら叩くホークス。そんな彼を横目にぽそっと呟いて、肩を竦めて笑う目良さん。
ビルの片隅。小さな部屋の中の、何でもないようなやり取り。人によっては取るに足らない雑談なのかもしれない。
それでも確かに、あたたかく、わたしの記憶を塗り替えた。
「……そんな話もしましたね」
「「はい」」
「……そう、それに満足して、肝心のケーキをどうするか相談できてなかったんですよね。ケーキ屋に行ってようやく思い出しました、……すみません」
「め、目良さんがあやまることじゃ、ないです」
「そうですよ。年末は公安だって繁忙期でしょ」
「はんぼーき?」
「“忙し過ぎる”ってこと」
「! そう、そうです、目良さんちゃんとねるひまもなかったんですから、あやまっちゃだめです!」
「君たちは本当に聞き分けの良すぎる子たちですねぇ。
……で、まァ、そういったワケで、ご覧の通りです」
そんな前置きと共に、目良さんがケーキの箱を開けた。現れた
「「…………」」
均一に美しくナッペされた生クリームが眩しい、5号のホールケーキ。その頂上に鎮座(?)しているのは、ケーキのファンシーさとは真逆といっていい、厳ついお顔だった。
何とも言い難い沈黙を、ホークスの絶叫が破る。
「……いや何でエンデヴァーのキャラデコケーキと!?」
思わず方言が出ているホークスの隣で、わたしはしげしげとそのケーキを見下ろした。
フレイムヒーロー・エンデヴァー。数多いる日本のプロヒーローの中で、長年No.2に君臨し続けるヒーローだ。彼はあまりファンサしない、そんな硬派な態度がむしろイイと評判のヒーローだからか、デコレーションされたその顔も至極真面目な表情をしていた。……微笑みの欠片もない、甘さを微塵も感じさせないその佇まいは、ケーキの上に在って何とも言えない空気を醸し出している。言ってしまえばシュールである。
「もうちょっと何か、何か……! 可愛い感じのイチゴのケーキとかあったでしょ!」
「でも君は好きじゃないですか」
「ぅぐ、いや、ウン、そうなんですけど……!」
うぐぐ、と珍しく唸っているホークスは、わたしと目が合うと気まずげに眉を寄せた。への字に結ばれた口許が、躊躇いがちに、ゆっくりと開かれる。
「……愛依にとっては、仕切り直しというか、楽しんでほしいというか……だから俺の好みじゃなくて、この子の好きそうなのがよかったっていうか……」
いつも余裕そうな飄々とした口振りで、わたしをからかうことも多かった。そんなホークスの移ろう視線に、言い淀む声に、わたしはいつの間にか笑っていた。口許が、ほころぶ。
(……ああ、ほんとうに、ほんとうに、……)
わたしのことを考えてくれたんだなって、わかって、
胸がぎゅうっとなるくらい、嬉しくて。
「ね、ね、」
「、ん?」
「あのね、わたし、うれしいよ」
くんっ、と袖を引っ張って、視線を合わせて、笑う。
「あなたがすきなの、うれしいの、わたしもだいすき!」
ホークスはきょとんと目を瞬かせた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、ぱちぱちと瞬き。そうしてゆっくりと、眩しそうに目を細めた。
「……っとに、おまえ、……馬鹿だなぁ」
馬鹿って言わなくてもいいのに、とむくれるわたしを宥めるように、ホークスは頭を撫でてくれた。その優しい手付きが髪を梳いていく。じんわりと伝わる熱が、胸の奥まであたためていく。
あたたかい。ちっとも寒くなんてない。
あたたかい人たちと一緒にいられる幸せを、ちゃんとわたしは知っている。
「……さて、よい話が出来たということで、」
静かにわたしたちの話を聞いていた目良さんが、すっと右手を掲げた。いつの間にかその手にケーキナイフが握られている。
「さっそくケーキを切り分けましょうか」
「えっこの流れで??」
「……エンデヴァーさんのおかお、きっちゃう、ですか?」
「大丈夫です。彼もきっと本望ですよ」
「ほんも……?」
「“僕の顔をお食べ”ってことです」
「それ絶対違うやつでしょ目良さん」
やいのやいの言いながら頭を突き合わせて、ケーキナイフの行方を見守る。何とも言い難い表情のわたしたちとは裏腹に、目良さんは何の躊躇いもなく、「無難に4等分にしましょうか」とエンデヴァーさんの眉間に切っ先を入れた。そのまま真っ二つである。
「ヒエ……」
「よっと。はい、右目と左目の部分は君たちにあげます」
「目良さんのデリカシーはどこに出張してるんですかね」
「……お目目、きらきらしてきれい」
「……おまえはおまえで案外割りきりがいいね」
苦笑するホークスがケーキを口に運ぶのを見て、わたしもフォークに手を伸ばした。ふわふわのスポンジと、生クリームと、エンデヴァーさんの輪郭を描いたチョコペンと、彼を彩るカラーゼリー。炎の部分はオレンジゼリーで、肌色や青い目の部分は林檎や桃のゼリーに着色料を混ぜたのだろう、甘酸っぱいフルーツの味が口の中で弾けた。
「! おいひい!」
「よかった。喜んでもらえて何よりです」
「目良さんも、どうぞたべてください!」
「はい、……うん、エンデヴァーさんこんな顔して意外とフルーティーですね」
「おいしい?」
「ええ、とっても」
「! えへへ、」
いつも寝不足で草臥れたような目良さんの頬が、もごもご動いて、柔らかに微笑んでいる。それが嬉しくってわたしはえへえへと笑った。
美味しくて、あったかくて、嬉しくて。
「愛依、」
そうして、笑って名前を呼んでくれるあなたがいる。
「メリークリスマス、愛依」
「……っうん、うん……っメリークリスマス……!」
この聖夜を以て、わたしは、あの雪の日を越えたのだ。
今も、今でも覚えている。
きっとこの先、どんなことがあっても忘れはしない。
「……そんな話も、しましたね」
「はい」
懐かしいなあ、と微笑みながらわたしは頷く。あの日の記憶は幸せを呼び起こしてくれる。思い出すだけで、あたたかさが胸を満たす。
「……だから、目良さん。あなたがそんな顔をする必要はないんですよ」
カタカタとキーボードを叩く指を止めて、ディスプレイから顔を上げて、わたしは目良さんに微笑んだ。彼は、何とも言い難い表情をしている。ぼんやりとしたポーカーフェイスに、ほんのりと渋さを混ぜ込んで、目良さんはわたしを見つめ返す。
「こんな日くらい、雄英に戻ったらどうなんです。あちらではクリスマスパーティーをしてるんでしょう?」
「さっきビデオ通話したから大丈夫です。みんなにいっぱい元気もらえたから、まだまだ頑張れちゃいます」
「……ですが、」
「今は、」
がらんとした部屋の中だからか、嫌に声が大きく響いた。
「今は、頑張らなきゃいけない時期です。……そうでしょう?」
──わたしたちには、日本には、時間がないのだから。
「……だから、謝っちゃだめですからね。目良さん」
ね、と念押しすると、目良さんは苦しげに目を伏せた。
……そんな顔しなくていいのにな。しないでほしいな。
だってこの状況を望んで選択したのは、わたし。
目良さんはそれに協力してくれたのだから。
「……君は相変わらず、しょうがない子ですねぇ」
目良さんはやっと、笑ってくれた。仕方ないなあと言いたげだけれど、柔らかなその表情に、わたしもほっとして笑う。
「ふふ、だってわたしたち、共犯者でしょう?」
「ええ、……悪どい悪巧み中のね」
くすくすと小さな笑い声が、夜に溶けていく。
本当は、こんな風に笑って口にできる話ではない。わたしたちが目指すのは途方もなく遠い地点にあって、それこそ一生叶うことなく、半ばで潰えてしまうことなのかもしれない。
……でもこうして笑っているのは、信じているからだ。
どんなことがあっても、どんな目に遭っても──決して諦めることなく一緒に戦って、そうして望む場所に辿り着くと、信じているから。
「──オイ、何ニヤニヤしてんだおまえら」
そんな時、ドアが開かれた。やや乱暴な開閉音の理由は、現れた人物の手がトレイで塞がっていて、足で開けたからなのだとわかった。彼女はわたしたちがいるローテーブルにトレイを下ろし、それぞれにマグカップを差し出した。
「ありがとうございます。頂きます」
「ん」
「ありが……えっ、わたしもコーヒーが、」
「文句言うな」
目良さんはコーヒーを受け取っているのに、と思わず口を出したわたしの額をぴんと指で弾いて、彼女はわたしから視線を逸らす。
「……ガキはミルクでも飲んで早く寝ろ」
そっぽを向いて、素っ気ない口調で、そんな労りを口にする。彼女のそんなぶっきらぼうな優しさが嬉しくて、わたしは頬を緩めてマグカップに口をつけた。
「あちち、」
「火傷すんなよ」
「はあい、……ふふ、甘くておいしい」
ホットミルクがふわりと甘い匂いを漂わせる。マグカップを両手で持ちながら、ふわり浮き立つ湯気をふーっと吹き飛ばしてみた。白く滲む視界に、あの日を思い出す。
(あの日も、たっぷりの砂糖と蜂蜜を入れたっけ)
……ふいに会いたくなってしまった気持ちを飲み込んで、わたしは彼女に笑いかける。
「ありがとうございます」
「敬語」
「あ、」
うっかりしてた、とわたしは苦笑を溢す。彼女はわたしより年上だというのに、わたしに敬語を許さない。それは
「……ごめんなさい、ナガン」
それから、「とっとと寝ろ」とナガンにリビングから追い出されて、わたしは寝室として宛がわれた部屋で横になっていた。複数あるセーフハウスのひとつであるから、調度品は必要最低限のものしかない。がらんと広く、どこか寂しい、ひとりの部屋。12月の夜は酷く寒くて、ひんやりとした空気から遠ざかるべく、毛布を引き寄せて丸まった。
そうしてぽつりと、口から溢れる。
「……ホークス、」
呼ぶ声に、返る声は無い。
それでもいつか、笑って名前を呼べるように。
「頑張るよ、わたし。……頑張るからね」
祈るように、誓うように呟いて、わたしは目を閉じた。
XX.何時かのクリスマス。
何時かの、過去と未来のクリスマス。