ここは東京にある、公安委員会が所属するビル──の1階に併設された喫茶店。もう温くなってしまったコーヒーを、時間潰しのためにゆっくりと飲む。ざらり、微かに残った砂糖を舌で溶かした。午前10時。まだ始業から然程時間が経っていないからか、店内の人間は疎らだった。きっとこの上階のオフィスでは、今も鬼気迫る顔した職員さんらがキーボードを叩いているんだろな、目良さんちゃんと寝てんのかな、なんて、ぼんやり思う。
そんな暇潰しにも飽きてきた時。喫茶店の厨房側から、さも「バイトです」と言わんばかりの顔をした女の子が見えた。
(……お、)
オーバーサイズの紺色のパーカーに、ダメージの入ったスキニージーンズ。足元はゴツめの真っ赤なスニーカー。肩より少し長い、切り揃えられた黒髪に白い肌。ギターケースらしきものを背負ったその女の子は、まさにパンキッシュなロックンガール、といった出で立ち。彼女は店員に軽く頭を下げて、店内に入ってきた。軽く視線を巡らせて、俺と目が合う。
「よ」
「……びっくりした、来てたんだね」
「まーね。座ったら? まだ時間あるでしょ」
「……なんで知ってるの?」
「ただの勘」
というか鎌を掛けただけ。それにすっかり騙されて信じ込んでいる
「相変わらず……だけど随分イメチェンしたじゃん」
「イメチェンっていうか、一応変装の訓練も兼ねてるから……というか、なんでわたしだってわかったの? そんなにわかりやすかったかな……」
すぐに見破られたことがショックだったのか、自分の姿を見下ろすその眉がしょんぼりと下がっている。白い髪を覆うように被ったウィッグは黒髪のストレートヘア。いつもは着ないようなパンクな服に、きつめの印象を与えるメイク。リップを塗っているのか真っ赤な唇は、いつものこの子とは違う、大人びた雰囲気を出している。それでも黒ぶち眼鏡の奥の目はいつもの青色で。それに少し安心した、なんて──そんなことは言わないけど。
「俺と目が合った時、あからさまに動揺したでしょ。わかりやすいったらない」
「む、……今度は、気を付ける」
公安のビルにただの子どもが出入りするのは不自然だということで、愛依はここを訪れるたび、訓練も兼ねて変装することになっているらしい。背中を飾る白い羽根も大部分を落としてきているのか、すっぽりとパーカーに隠れているし、メイクやウィッグ、服装で印象を変えるのも少しずつ板についてきたんじゃなかろうか。
(……まだまだ、わかりやすいけど)
小さく苦笑をこぼす。それは仕方ないなという気持ちだけではなくて、安堵もあった。それを悟られたくなくて話題を逸らす。
「そういえばおまえ、そんなジャンルの服持ってたっけ?」
「ううん、じろ、……クラスの子が雑誌を見せてくれて」
「へえ、パンク・ロックが好きなのかな。女の子?」
「っうん、耳郎さんっていってね……!」
こっちが聞く姿勢を見せると、ぱあっとあからさまに目が輝く。まだ慣れない照れと嬉しさで、白い頬が赤く色づいていく。そんな愛依の様子に、自然と俺も笑っていた。
そうやって笑っててほしい。きっとこれからのことで、この子はここに来る道中、緊張していたと思うから。
「あ……もうこんな時間。わたし行くね」
「お、そっか。……なあ、」
「なに、ホークス?」
愛依が席を立つ。微笑みは少しだけ固くなっていた。それを和らげてやりたいなと、俺は笑う。
「また後で、話そ」
「! ……うん、……ありがと」
にっこり笑って、愛依はこちらに背を向けて歩き出した。その背中に背負ったギターケースの陰に、ひっそりと剛翼を1枚忍ばせる。……歩きに不自然なところはないから、気づいてないんだろうなぁ、まだまだ訓練不足だなぁとひっそり笑う。
(……俺はそれでもいいと思うけど、)
さてあの御方はどうだろうなと思いを馳せる。
今日愛依がここに来たのは、昨日起こった
ノックの音。失礼します、と控えめな声。パタンとドアが閉じる音。掛けなさい、と椅子を勧める会長の声。そして、
『早速だけれど、昨日の件について、あなたの知り得る情報を報告なさい』
『はい』
愛依につけた剛翼が震え、その会話を俺に届かせる。
雄英高校内部にある訓練施設に、突如として【ワープ】の“個性”を持った
『……あと、黒霧という
『何かしら』
『なにがしかの用件があったのか、授業のはじめオールマイトはいなかったのですが……本来ならオールマイトがUSJで教鞭を取る予定だったそうです。それを黒霧は、
『その口振りからすると、襲撃以前に雄英に侵入していた、ということになるわね』
『……わたしが入学して3日目に、雄英のセキュリティが反応したことがありました。その時は、押し掛けたマスコミが校内に入り込んだと聞いていました、が……』
『その報告は受けていないのだけれど』
『、すみません。それと関係していたとは、思わなくて……』
一通りの報告を聞き終えて、2人の間を沈黙が満たす。しばらくしてから会長の声が聞こえた。
『その3日目に
『っはい』
『それと、……心に留めておいてほしいことがあるわ』
会長の声が低くなる。不穏な気配を感じ取ったのか、なんでしょう、と応える愛依の声も、少し震えていた。
『──雄英内部に、内通者がいるかもしれない』
『……え、?』
信じられない、といったような声色。それに対してどこまでも冷静な声が、現状を突き詰めていく。
『雄英のセキュリティを抜くのは容易ではないわ。それなら、内部にいる者が外部の者へ──
『はい、そうです』
『短時間の侵入で、そんなものが上手く手に入るものかしら』
『……、……それは……』
現在得られる情報をもとに考えると、会長の推論は正しい。それはきっと愛依もわかってはいる。理解している。それでも納得できないのか口ごもる彼女に、会長は静かに溜め息を吐いた。
『あなたの思っていることを当てましょうか。
“雄英の先生方が、そんなことするとは思えない”』
『……っ』
『……いつも言っているでしょう。感情に絆されてはいけない。感情に流され、呑まれてはいけないと』
幼い頃から繰り返し、何度も何度も教え込まれた言葉。
人の懐に入り込んでも、自分の心を晒してはいけない。心のままに、感情のままに動いては、いざって時に冷静さを欠く。判断を下す時に要るのは鋼鉄の理性だけ。情で、行動を左右してはならない──
『あなたは甘い。それを自覚なさい』
『……、……はい』
そうして上手に心を殺して、この子は何になるのだろう。
それがここで求められていることは嫌になるほど知っているけど、そんな風に“上手に”笑えるようになったあの子を見るのは嫌だなァ、なんて、ひとり息をついた。
その息が、自嘲の笑みに変わる。
「……はは、」
“上手”じゃなくていい、なんて──何を今さら。
「ホークス、なに飲む?」
「甘ーいコーヒー」
「糖尿病……にはならないか。運動量が違うもんね」
「そゆこと」
会長の話を終えた愛依と合流した俺は、彼女の部屋に訪れていた。変装を解いた愛依は、動きやすい訓練用の服に着替えていた。はたはた、と白い羽根をはためかせながらコーヒーを淹れる彼女の背中を眺めながら、目を細める。
「今日この後に訓練だっけ? 明日も学校だってのに、よくやるねぇ」
「……ホークス。さっきの話聞いてたんでしょ」
「おっと」
「! 剛翼……もう!」
わざとらしく口チャックのジェスチャーをして、忍ばせていた剛翼を元に戻すと、愛依は眉を吊り上げた。ごめんごめん、と軽い言葉で宥めながら、話を続ける。
「戦闘訓練ね、……なに、この前の
「……うん」
コーヒーをお礼を言って受け取る。愛依も自分用のカフェオレを持ってソファに腰を下ろした。すぐ飲むでもなく、その水面をじっと見つめている。
「なんか、ね、」
「うん」
「……わたし、訓練受けてたくせに
「うん」
「できないことも、いっぱいあったし」
「うん、」
「……もっとちゃんと、強くならなきゃだめなんだって」
「……真面目だなァ」
真面目なのはいいとこだけど、その思い詰めた顔はどうにかしてやりたいなって、隠していた小包を差し出す。
「じゃあ今のうちに渡しとこ。はい、」
「へ? え……これなに?」
「開けてみて」
きょとん、と目を丸くした愛依は、おずおずと包装を解いていく。その青い目がきらきら光を取り戻すのを、そっと笑って見守った。
「ちょっと遅くなったけど、雄英入学祝いのプレゼント」
雄英でいろいろあったこんな時だけど、雄英に合格したことも、そこで頑張っていることも、誇っていいことに変わりはないから。
「デジカメ……こんな、ほんとにもらっていいの……?」
いろいろ考えたけど、プレゼントはデジカメにした。両手で抱えながら俺を見る愛依に、ふっと笑みを返す。
「ほら、昔俺が渡した写真とか、よく眺めてたでしょ。今度は自分が撮る側にまわってもいいんじゃないって思ってさ」
いつかの時、外に出られなかったこの子が『空をとぶのってどんなかんじなの?』と興味をもってくれたから、調子に乗って飛び回って集めた空の写真集。たいして上手でもない俺の撮った写真を、本当に嬉しそうに何度も何度も眺めていた。
それを愛依も覚えていたのか、笑いながら頷いた。ありがとう、とお礼を言ってから、少しだけ首を傾げる。
「うーん……撮る側かぁ、何を撮ったらいいのかな?」
「何でもいいよ」
「それが一番困る答え」
「えー……じゃあそだな、愛依が思い出に残しておきたいものとか、そういうのを撮ったら」
「思い出、に……」
口許に手を当てて、うんうんと考えている愛依を横目にコーヒーを口に含む。程よい甘みと苦み、温かさに目を細めた時だった。
「啓悟くん」
「ん、な……に、」
──パシャ、と焚かれたフラッシュに咄嗟に目を閉じなかったのは、雑誌撮影の賜物か。それでもいきなり自分を撮られたことに、若干の気恥ずかしさが出てきてしまう。
「……えー、なになに、いきなり」
「だ、だってホークスが言ったんでしょ。思い出に残しておきたいものを撮ったら、って……」
恥ずかしそうに早口で言ってから、愛依は胸元に抱いたデジカメを見た。伏せられた目元に白い睫毛が淡い影を落とし、頬が赤く色づいて。
「だから、第1号はあなたがいいの」
そんなことを言って微笑むから、俺は一瞬息を忘れた。いつもは止めどなく出てくる言葉も、胸の辺りで塞き止められて蟠る。
「……馬鹿だなァ、」
なんとかそれだけ絞り出したけど、それからが続かなかった。本当なら「そういうのは学校での新しい友達と一緒に撮ればいいんだよ」とか、そういったことを言おうと思ったのに。
“俺以外の誰か”と撮ればって、言おうと思ったのに。
もっと広い世界を見てほしい。もっと広い世界を知ってほしい。もっと広い世界で生きてほしいと、そう思ったから背中を押した。その気持ちに嘘はないのに、それ以外の何かがいまだに拭いきれない。
馬鹿げてる。未来を明るく照らしてやりたいのに。どこまでも飛んでいってほしいのに。立ち止まってこちらを振り返ってくれることに、こんな喜びを覚えるなんて、
「……ほんと、馬鹿」
「ばっ、馬鹿って、そんなに言わなくてもいいのに」
む、とむくれる愛依の頭に手を置いて、さらさらとした髪を撫でた。憤然としていた顔が、照れたような笑みに変わる。この距離も、いつかは手放さないといけないと、わかっている。
俺は、いつものようにけらけらと笑いながら、指先に走る痛みを殺した。
17.鷹、プレゼント。
ホークス視点。サクッとした小話にするつもりだったのになんでこんなに長くなったんでしょうね。永遠の謎です。