とうとう、ここまで来た。──雄英体育祭、決勝戦。
『さァいよいよラスト!! 雄英1年生の頂点がここで決まる!! 決勝戦!!
轟!!
1人は、瀬呂くん、緑谷くん、飯田くんを降した轟くん。
そしてもう1人は、麗日さん、切島くん、常闇くんを降した爆豪くん。
A組の中でもトップクラスの実力者である2人は、片や静かな眼差しで、片や好戦的な笑みを浮かべて相手を見据えている。……そして、
『今!! スタート!!!』
マイク先生の合図と共に、轟くんは両手を地につけて大氷結を生み出した。スタジアムの天を衝くかのような氷山を見上げて、わたしはは、と息を吐き出す。溢れたそれは白く染まっていた。
『いきなりかましたぁ!! 爆豪との接戦を嫌がったか!!
これは早速優勝者決定かぁ!?』
「……違う……」
本当に一撃で決めようとするなら、瀬呂くんの時のような規模の攻撃をするだろう。でも違う。目の前に聳え立つ氷結は巨大ではあるけれど、あの時より小さい。……次に備えて、温存した?
「!」
ボゴン、ゴゥン、という鈍い破壊音が遠くからして、どんどん近づいてきたと思ったら、一際大きな爆破と共に彼は姿を現した。爆豪くんは、その【爆破】で氷結を掘り進めてきたらしい。
彼はすぐさま右腕を突き出して迎撃しようとした轟くんから逃れ、跳躍し、
(ここで、【炎熱】で攻撃したら……)
爆豪くんにダメージを負わせられる。たとえ爆豪くんがそれを避けるべく飛び退いたとしても、体勢を崩してしまい、追撃することができるだろう。圧倒的に轟くんが有利、そのことをわかっているからこそ、爆豪くんは焦ったのだ。
──けれど、そうはならなかった。轟くんは左手を放し、右腕からの氷結で攻め立てた。爆豪くんはバックステップで距離を取りつつ、やって来た氷を爆破で砕く。……轟くんは、【炎熱】を使わなかった。
「──……俺じゃあ力不足かよ」
見開かれた目が充血している。吐き出した声は、怒りと悔しさで揺れている。爆豪くんはぎり、と歯軋りした後、咆哮した。
「……てめェ虚仮にすんのも大概にしろよ!!」
両手から爆破させながら、彼は叫ぶ。
「ブッ殺すぞ!!! 俺が取んのは完膚なきまでの1位なんだよ!! 舐めプのクソカスに勝っても取れねんだよ!! デクより上に行かねえと意味ねぇんだよ!!」
言葉遣いが悪いとか、緑谷くんに対しての感情が大きすぎるとか、いろいろ思うところはあるけれど、爆豪くんが真剣に勝利を求めていることはわかった。執念とも言っても差し支えないくらい、あまりに強い意志。体育祭の始めから一貫して、彼はそれを心に、いつも全力で戦っていた。
「勝つつもりもねぇなら俺の前に立つな!!!」
だから、苛立ってしまうのかもしれない。
轟くんは緑谷くんと戦ってから、どこか迷っているような、……何かを深く考えているような顔をしているから。ただ、ただ、勝利のみを目指してがむしゃらに戦っては、いないから。
「なんでここに立っとんだクソが!!!」
目を剥いて、声を枯らさんばかりに叫んだ。両手を振り上げ、打ち下ろすと同時に地面に向かって爆破を放つ。その推進力で空高く浮かんだ爆豪くんは、掌からの爆破を巧みに使い分けて空中で身体を回転させ始めた。爆風が頬を打つ。──きっと大技を放つつもりなのだとわかった。
それをきっと、相対する轟くんも察知しているはず。それでも彼は、まだ、迷うように目が揺れていた。どうするべきかわからず、立ち尽くしていた──その時。
「負けるな、頑張れ!!!」
観客席から届いた大きな声援は、緑谷くんのものだった。それを耳にした轟くんははっと目を見開いた。歯を噛み締めた。そうして俯いた彼の顔の左側に、赤い光が、灯る。
「轟く、……!」
回転しながら勢いをつけた爆豪くんが突っ込んでいく。それを【炎熱】を左側に纏わせながら轟くんは迎え撃とうとして──激突する直前に、炎が、宙に溶けるように消えていった。
え、と見開いた目が爆風に晒され、わたしは咄嗟に目を瞑った。大爆撃による豪風、轟音。じりじりと肌を焼くような熱。それを何とか堪えて目を開けると、ステージを煙幕が覆い、視界を白く染めていた。
『麗日戦で見せた特大火力に勢いと回転を加え、まさに人間手榴弾!! 轟は緑谷戦での超爆風を撃たなかったようだが、果たして……』
「………………は?」
マイク先生の実況の影で、爆豪くんの呟きが聞こえた。
「──は?」
大技の余波か、ステージにうつ伏せになっている爆豪くんの視線の先には、砕かれた氷の中で倒れている轟くんの姿があった。彼は、場外に吹き飛ばされた衝撃を受けてか、気を失って倒れていた。
「オイっ……ふっ……」
場外で気を失っている轟くんと、ステージにいる爆豪くん。……どっちが勝者かなんて、誰の目にも明らかだ。でも爆豪くんは、痛む身体に鞭打って立ち上がった。轟くんに駆け寄り、その胸倉を掴み上げる。
「ふざけんなよ!!!」
全力で戦う。それに勝利する。それを誰よりも渇望して戦い続けてきた爆豪くんは──この結果を受け止められないでいる。彼のこんな泣きそうな顔は、今まで見たことがない。それだけ、自分の中の感情を抑えきれないんだろう。
「こんなの!! こんっ……」
けれど、どんなに納得いかない結果でも、勝負はついた。ミッドナイト先生はスーツの袖を破り、その眠り香を漂わせ、爆豪くんを眠らせた。その場に崩れ落ちた爆豪くんを見下ろしながら、バッと左腕を上げて高らかに告げる。
「轟くん場外! よって──爆豪くんの勝ち!!」
『以上ですべての競技が終了!!今年度雄英体育祭1年!!
優勝は──A組爆豪勝己!!!』
観客席からは、最後の展開に戸惑うざわめきがあったものの、それはすぐに割れんばかりの拍手に包まれ掻き消えた。わたしも同じように拍手しながら、小さく息を吐く。
(……本当に、優勝しちゃった……)
選手宣誓の通り、爆豪くんが優勝を収めた。有言実行だね、……なんて言ったらきっと、烈火の如く怒り狂うことは予想できる。きっと今だって、ミッドナイト先生がいなかったら大荒れだっただろうな。
「……寝ててよかった」
眠る2人の傷を治癒し終えて、搬送ロボに運ばれる2人を見送りながら、ふと思う。
「……これ爆豪くん、起きた時大変なんじゃ……」
「んー、やっぱり
「はい……」
いつの間にか隣にいたミッドナイト先生は、そうねぇ、うんうん、と頷いて、同じく隣にいたセメントス先生に顔を向ける。
「じゃあセメントス、柱お願いね」
「アレ本当に造るんですか」
「爆豪くん次第だけどね。じゃあ私は鎖とか手錠とか用意しておくわ!」
「まっ待ってください何をするおつもりですか……!?」
びっくりして尋ねてもミッドナイト先生は軽く笑って『大丈夫よ!』としか言ってくれない。……まあ、これは全国にテレビ中継されているし、こう……NGなことにならないとは、思う。うん、そうだよね。
とりあえずの納得を得たわたしは、A組のみんなのところへ戻ろうと歩き出した。誰もいない廊下を進む最中、プルルと端末が震える。取り出して表示された名前を見て、わたしは目を丸くした。
「、リカバリーガールから……?」
なんだろう、何かあったのかな、と首を傾げながら通話アイコンをタップする。
「はい、空中で……」
『すまないね、急に。そっちはトーナメント終わったかい?』
「え? は、はい、今、」
『怪我人の処置は』
「終わって、います」
リカバリーガールの声がいつもとは違って固かったから、応えるわたしの声も固く強張っていく。リカバリーガールは電話越しに、硬質な声のまま続けた。
『入学前に渡した書類にあった、【治癒】系“個性”持ちが名を連ねるリストについて、覚えているかい』
「……義務教育を終えた【治癒】系“個性”の者が、緊急時に協力するための、リスト、でしたよね」
……どうして今、その確認をするのか。それが今、必要なのか。嫌な予感と答え合わせは、すぐにやって来た。
『そう、その緊急時の治癒要請が出た。あんたには今から私と共に西東京にある保州市に向かってもらう。そこの病院に搬送された、あるヒーローの治癒をするために』
『ターボヒーロー・インゲニウム。……知っているかい』
ひゅ、と喉が鳴る。一呼吸の後、わたしは頷いた。
ターボヒーロー・インゲニウム。代々続くヒーロー一家に生まれた1人。腕部分にある【エンジン】を噴射し、高速移動を可能とするヒーロー。誰よりも速く現場に駆けつけ、人々を救う、そんなヒーローは、
──飯田くんの、お兄さんだ。
あれから学校を早退したわたしは、校門で待っていたリカバリーガールと見知らぬ男性と女性と合流し、タクシーや新幹線を乗り継いで保州市に向かっていた。見知らぬ男性と女性はインゲニウムさんのサイドキックらしく、わたしたちの護衛と案内をするために来てくれたのだという。
「移動しながらで申し訳ないですが、リカバリーガール、カルテに目を通して頂けますか」
「勿論だよ」
新幹線で1時間程。東京駅に着いてからは駅前で待っていたインゲニウム事務所の車で保州市に向かう。その車中で渡されたカルテに目を通したリカバリーガールは、きゅっと眉を寄せた。
「……空中、よくお聞き」
「っ、はい」
その表情や声色から、インゲニウムさんの容態が良くないことはわかった。サイドキックの皆さんは気丈に振る舞ってはいるものの沈痛な雰囲気を隠せずにいたから、わたしはびくりと肩を揺らしてしまう。そんなわたしを気遣ってくれたのだろう。リカバリーガールはわたしの肩にそっと手を置いて、宥めるように撫でてくれた。
「今回の患者は術後で体力が落ちている。そのため私の治癒は使えない。あんたに頑張ってもらうしかない」
「……! は、い」
「要請に応えた以上、私たちは全力で治癒に当たらなければいけない。あんたにもそうしてほしい」
「も、もちろん、です」
「……だがね、これだけは、覚えておいで」
リカバリーガールは微笑んだ。やりきれぬように。
「もし、全力でやって治癒できなかったとしても──それはあんたのせいじゃあない。あんたはまだヒーローになってもいない学生なんだ。決して、荷物を背負うんじゃないよ」
「、ですが……」
「大人の仕事を奪うなんて、生意気を教えた覚えはないよ」
「……っ」
「返事は。空中」
「……は、い……」
厳しい声音は、優しさの証拠だ。わたしは優しく守られている。それなのに震えが止まらないのは、きっと重ねて考えてしまっているから。
過去17名ものヒーローを殺害し、23名ものヒーローを再起不能に追い込んだ、神出鬼没な殺人者。何人ものヒーローを襲ってきたことから、ついた異名が“ヒーロー殺し”。
その凶刃に倒れたのが、もし、ホークスだったら?──想像すら背筋を凍らせる。身体の奥側から震えがわき起こって、止まらなくなる。
想像しかしてないわたしがこんな有り様だ。……実際に、それが間近で現実になってしまった飯田くんの心境はどれほどのものだろう。どれだけ悔しいのか。どれだけ悲しいのか。どれだけ、どれだけ──
「……お気遣い、ありがとうございます。リカバリーガール」
ぎゅっと、拳に力が入る。
「でもわたし、……頑張ります。頑張らせて、ください」
そう言ったわたしに、リカバリーガールは深く溜め息を吐いて、こつんと軽く頭を小突いた。
保州総合病院。その奥まった所にある集中治療室の一室に、彼は横たわっていた。たくさんの管に繋がれ、呼吸器を身に付け、心電計の音が控えめに鳴り続ける静かな病室で、目を閉じ、眠っている。
「……インゲニウム、さん……」
呼び掛けに反応は無い。深く眠っているようだ。そのままそっと、ガーゼに覆われた腹部に触れて、エネルギーを注ぎ込む。
傷はすべて刃物によるもの。頭部の出血も酷いものだったけれど、それは既に手術で縫っているとのことだ。1番の深手は腹部──刀を深く刺し込まれ、背中まで貫通してしまったのだという。そして脊髄を損傷してしまったのだと──
「……っ」
脊髄に集中してエネルギーを注いでいるはずなのに、一向に回復する様子が見えない。伝播したエネルギーが他の身体の傷を治していくけれど、断ち切られた神経が、元に、戻らない……!
「……空中、」
「嫌、です」
「わかっているだろう」
「……でも、まだ……!」
まだ、治っていない。治せていない。脊髄が損傷したままでは彼の足は、動かない。ターボヒーロー・インゲニウム。誰よりも速く現場に駆けつけ人々を救う、そんなヒーローの足が動かなくなるなんて、そんなの駄目だ。嫌だ。そんなの、
「……ヒーローが、終わってしまう……!」
そうならないために、わたしはこの力を使わなければ。
そうでなければ、わたしは……!
「もう、……もう、いい。やめてくれ、空中くん」
わたしの腕を掴んだのは飯田くんだった。いつの間にか背後にいたらしい彼は、わたしの腕を掴んで離さない。
「飯田くん、っでも……」
抗議しようと振り向いて、舌が止まってしまった。飯田くんの顔は俯きがちになっていて、あまりよくは見えない。それでも髪から覗くその目は、表情は、……絶対に「もういい」なんて思ってなかった。
だからわたしは、手を振りほどこうとした。再び治癒しなければと身をよじった。やだやだと、子どもみたいに頭を振って。
「……ごめんな、迷惑かけて」
そんなわたしを止めたのは、ベッドから聞こえてきた声だった。顔を上げると、目が合った。さっきまで眠っていたはずのインゲニウムさんが、静かに微笑みながらこちらを見ている。わたしははっとして、首を横に振った。
「迷惑だなんて、思ってません! だから、」
「ん、そうか。じゃあ、」
「ありがとう、だな」
──ありがとう、なんて、そんな言葉が返ってくるなんて思ってなくて、わたしは喉を震わせた。うまく言葉が、出てこない。
「救けようとしてくれて、ありがとう。……でも、」
眉を下げて、わたしを宥めるように、笑う。
「そのために、君が傷つくなんてこと、あっちゃ駄目だ」
……ああ、ああ。言葉にならずとも、思いが湧き上がる。
どうしてこんな優しいヒーローが、傷つかなくてはいけないの。どうしてわたしは、そんなヒーローを治すことができないの。どうして、どうして、……優しい人ほど、笑って痛みを隠してしまうの。
「だから、……ありがとうな」
“もういいよ”と、柔らかく遠ざけられるような、そんな優しい拒絶の前に、わたしは泣くことしかできなかった。
28.少女、決着と。
無力感とひそかな決意の話。
ヴィジランテで出てきた飯田くんのお兄さんめちゃくちゃ格好よかったので、きっとこんな状況でも優しい言葉を掛けてくれるんじゃないかなと思いました。すごくいい人だったのに何故ステイン判定に引っ掛かったのか……本当に何でなんでしょうね。
体育祭編もラストスパート!次の1話で終了です。