【依存】から始まるヒーローアカデミア   作:さかなのねごと

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XX.雛鳥ふたり

 

 弊オリ主愛依とホークスが公安にて訓練を受けていた頃のお話です。

 

 


 

 

 羽根といえば、翼といえば、大抵の人は自由の象徴として思い浮かべるだろう。しかし少女が“個性”の暴発により手に入れてしまったそれは、ずしんと華奢な背中にのし掛かっていた。“個性”因子に反応し、がき、ごきんといびつな音を立てながら変形した骨格は肌を食い破り──そうして【翼】を得た当初、愛依はほとんどの時間をベッドで過ごした。急激に身体を作り替える負担は大きく、【自己再生】も扱えないほどに消耗し、激痛と高熱に魘されることも少なくなかったのだ。

 そのことを思えば、少女が羽根を得て2年経った今、何の後遺症もなく訓練や勉学に励むことができるのは僥倖といっていいだろう。しかし少女──愛依の表情は晴れなかった。

 

「……っう、!」

 

 本日の訓練内容は【悪天候の中で飛行する】といもので、公安委員会の所属するビル、その地下にある訓練施設の一室では、高い天井から暴風雨を模した水や風が吹き付けていた。愛依は全身ずぶ濡れになりながら必死に羽根を動かしていたが、不規則に吹き荒れる横殴りの風に煽られ、体勢を崩し、床に落下する。羽根を羽ばたかせることで落下の衝撃を緩和させることはできたし、肘や膝はサポーターによって守られている。それでもすぐに身体を起こすことができないのは、疲れと悔しさからだった。

 

(どうして、うまくとべないんだろう……)

 

 あの男の子ならこんな程度の雨風、気にもせずに飛べるのに。奪ってしまうところだった【翼】なのだから、せめてもっと、上手に飛べるようになりたいのに。

 脳裏に浮かぶ赤い羽根。その強さと鮮烈さに、愛依はぎゅうと唇を噛む。泣くことなどできない。そんな暇はない。だから少女は指導係の講評を聞く間も、悔しさと不甲斐なさをただただ飲み込んでいた。それでもすぐに心の雨雲が晴れるわけもなく、少女は指導係が部屋を辞した後も、隅にある長椅子に腰掛けて項垂れていた。そんな時。

 

「──愛依(あい)

 

 俯く彼女の頭上から、そんな声が降ってくる。それは日溜まりのあたたかさに似ていて、愛依はぱっと嬉しさに顔を輝かせたが、……すぐにはっとして周囲を見渡した。

 

「……、ぁ、あの、」

「だーいじょうぶ。……今は誰もいないから」

 

 癒月(ゆづき)愛依(あい)という人間は、戸籍上鬼籍に入っており、もう何処にも存在しない。そういうことにしなくてはならないのと、彼女の持つ“個性”上の理由も合わさり、彼女はもうずっと自分の名前を名乗っていない。誰も呼ばない。誰も知らないふりをする、──目の前の、彼を除いては。

 

「うん、……けいごくん」

 

 何だか名前を呼び合うだけで、我慢していた涙腺が決壊しそうな気がして、愛依は誤魔化すようにへにゃりと笑った。けれどそんな拙い少女の隠し事など、鷹の目にはお見通しのようで。

 

「なァに落ち込んでんの」

「え、……お、おちこんでなんかないよ?」

「ハイ嘘。……ホラ、隠さんでもいいから、」

 

 啓悟の指先が、愛依の凝り固まった眉間の皺を優しくほぐす。そうして少女の膝上に乗せられた握り拳に手を重ね、宥めるように包んだ。膝立ちになった彼は少女を見上げて、囁くように言葉を紡ぐ。

 

「言ってみなよ、愛依」

「え……」

「何か、俺に力になれることがあったら嬉しいからさ」

 

 そうしてからりと笑ってみせた啓悟に、愛依はとうとうその青い目を潤ませた。泣き顔なんて見せたくないのに、彼は少女の手を離してくれない。ぽろぽろ零れる涙を見つめて、“それでいいよ”と微笑むばかり。愛依はスンスンと赤くなった鼻を鳴らしながら、辿々しい口振りで話し出した。

 

「くんれん、じょうずにできなくて……」

「さっきの飛行訓練ね」

「あの、ね、すごくすごく……しょうもないこと、なんだけど」

「いいよ、何?」

「……わたし、羽根で風をうまくうけとめられなくて、すぐバランスくずして、おっこちちゃって……どうしたらいいのかな……?」

「……風を?」

 

 頷く少女は先程の訓練のことを思い出していた。自分の羽ばたきで起こす風ならともかく、人工的または自然界の風だとその流れを把握しきることは難しい。柔く、弱く、小さな白い羽根は、翻弄されるまま上手く風を掴めないでいる。

 一方で啓悟は少女の言う“風向き”の概念に口許に手を添え思案した。【剛翼】と名付けられた彼の翼は、その名に違わぬパワーとスピードを誇る。暴風時には多少動きが鈍るものの、彼の飛行を妨げる程でもない。そのため追い風ならラッキーだなと、その程度に考えていたが──もっと突き詰めればあるいはと、少年の目に決意の光が閃いた。

 

「なるほど……じゃあ飛びながら、飛行姿勢を崩さずに羽根の向きの調整する方法を探ってみようか」

 

 うん、とひとつ頷いて、啓悟は立ち上がった。そして少女に向かって、手を差しのべる。

 

「一緒に飛ぼ、愛依」

「っうん、けいごくん……!」

 

 いつかの時も、自分をモノクロの冬から救い出してくれたその手を取って、愛依は満面の笑みを浮かべた。自分より大きくて、強くて、優しくて、あたたかい手。繋ぐだけで心がぽかぽかするようで、その熱が頬まで上って、知らぬ間にゆるゆる緩む。

 そんな風にふわふわ笑う愛依を見下ろして、啓悟は目を細めた。微笑みのように、目を細めた。

 

(……たった、これだけで、)

 

 たったこれだけのことで、この少女は全部が救われたように歓喜する。そのことに安堵しながらも、同時に悲しさを拭いきれなくて、啓悟は奥歯を噛み締めた。──嬉しさを感じる自分を、鈍い痛みを以て罰する。

 

「ぅわ、わっ」

「、……手繋いでいるから落っこちんよ、大丈夫」

「う、うん……!」

 

 床から遠く離れて飛行するのは、まだ6歳の少女にとって大きな恐怖を感じるはず。それなのに愛依は縋りつくように啓悟と繋いだ手に力を込めて、懸命に翼をはためかせた。時に身体をぐらつかせ、恐怖に頬を強張らせながらも、吹き荒れる風の中で飛行を続けた。

 

 

 

 

 

 そうして数週間ほど練習及び訓練を続けた愛依は、【暴風雨】を想定した訓練でついに成功を収めた。“指定された通りに障害物を避け、複雑な飛行も問題なくこなすことができた”と、指導係の淡々とした講評もそわそわしながら聞く。何故なら、

 

「できた……!」

 

 できた、飛べた!、とそのことが嬉しくて堪らなくて、愛依は跳び上がってしまいそうな足を何とか床に縫い付けながらも、急ぎ足で部屋に戻った。烏の行水もかくやという勢いでシャワーを浴びて、髪を乾かすのもなおざりに部屋を跳び出る。

 早く、早く、このことを彼に伝えたい。その一心で探し回り──廊下の先で特徴的な赤い翼を見つけて、少女は呼び掛けようとして──できなかった。啓悟はスーツ姿の男性、目良と、何事かを話している。

 

「……っ、……!」

 

 みんなの前で呼んでいい名前はない。それがじわりと少女の心を締め付けるけれど、それでも浮き立つ思いは抑えられなかった。弾む足取りそのままに、転がるように少年の背中に飛び付く。

 

「わ、」

「おや、」

「あっ、……あの、お、お話中にごめんなさい……」

「いいえ、構いませんよ」

 

 二対の視線を向けられて我に返った愛依は、きっと話に割り込んでしまったのだろう自分を恥じて肩を落とすが、そんな少女に“気にしないで”と目良は努めて優しく声を置いた。啓悟もまた小さく笑んで、自分の背中にひっついた少女の頭を撫でてやる。そうして視線を目良に戻した。

 

「目良さん、」

「ええ。何やら話したいことがあるようですし、行ってあげてください」

「ありがとうございます」

「あっ、ありがとございます……!」

 

 まるで鳥の雛のように少年の後ろから顔を出しながら、同じ言葉を紡いで頭を下げる少女に、目良は草臥れた目を和らげる。そしてひらりと手を振ってその場を後にした。静かな足音が遠ざかっていくのを見送って、啓悟は少女に視線を落とした。少し小首を傾げてみせる。

 

「それで?」

「?」

「なんか良いことあったみたいだけど」

「! っうん!」

 

 そうなの!、と元気よく頷くと、愛依は両手に握り拳を作る。そのまま笑顔で声を弾ませた。

 

「あのね、今日のくんれんでじょうずにとべたの! このまえけいごくんがおしえてくれたみたいに、羽根のむきをうごかしてね……!」

 

 にこにこきらきら笑っていた愛依だったが、ふと言葉を切り目を伏せた。白い睫毛が小さく影をつくり、青空の目に翳りが滲む。

 

「……いつも、そうだね。わたし、けいごくんにたよってばっかり」

 

 無力感と悔しさと心苦しさが、少女の瞳を揺らがせる。それなのに口許は取り繕うように笑みを貼り付けているから、啓悟は片眉を跳ね上げた。俯いた愛依はそれに気付かないまま、更に言葉を続けようとして、

 

「ごめ……、っ!?」

 

 続けようとして──できなかった。頬を両手でつままれて、無理やり上を向かせられる。目を白黒させる少女の先で、しょうがないなァと言いたげに啓悟が笑っていた。

 

「まーた俯いてる」

「けいごくん……?」

「そんな愛依には、頬っぺむにむにの刑~」

「ぅやっ? もっ、もうなに……!?」

 

 からかいに頬を膨らませる幼い表情だって、少年は嫌いじゃない。けれどもっと、その空の瞳に光が射しているのを見たいと思うのだ。だから啓悟は愛依のまろやかな頬を指先で優しく撫で、微笑んだ。

 

「俺も今日の飛行訓練、成績よかったんだ」

「! すごい……っ!」

「ん、ありがと。……でもこれ、愛依のおかげだよ」

「……??」

 

 ぱちくり、と不思議そうに目を瞬かせる愛依に、啓悟は可笑しそうに喉を鳴らす。少年は手を伸ばして少女の白い髪を、そして羽根の先を撫でた。

 

「おまえが教えてくれた羽根の動かし方を、俺の飛び方にも取り入れてみたんだ。そしたらもっとよく飛べたんだよ」

「そう、なの……?」

「そうなの」

 

 ──自分の考えが、啓悟のためになっていた。

 そのことがまだ信じきれず、愛依はか細い声で再度尋ねる。そんな愛依の不安と期待を見抜いているから、啓悟は強く声を重ねた。

 

「今の速さが出せるのは、愛依のおかげなんだよ」

 

 何度だって、何度だって、少女の空に光が射すまで。

 そう決意する少年の藤黄色の目と、少女の青い目が真正面からぶつかる。その真摯な眼差しに射られて、愛依ははくりと息を溢した。呆けた口が微かに震えて、そして、

 

「……そう、なの……」

 

 そうしてふにゃりと、頬が蕩ける。その白い頬がじわじわ赤く染まるのが、まるで花がほころぶようだなんて、そんなことを啓悟は思った。同時に(あまりに気障すぎる)と内心自分に向かって舌を出したが。

 

「ふふ、……ゆめみたい、だなぁ」

 

 それでも。小さな羽根をぱたぱたとさせて、蕩けるように笑う少女を見ていたら、何だか力が抜けてしまって。彼は小さくふっと吹き出して、それから柔らかに微笑んだ。手を伸ばして、白い髪を指で梳く。

 

「てか髪も羽根も、まだ濡れたままなんだけど?」

「あっだいじょうぶ! くんれんおわったあとちゃんとシャワーあびたよ」

「それで乾ききってないんだったらなお悪いでしょ」

「う、……だ、だって」

「だって?」

「“できたよ”って、はやくけいごくんに、つたえたくて……」

 

 自分の身体を白い羽根でくるみ、その羽先をいじりながらもごもご言う愛依は、今になってやっと叱られると思い至ったのだろう。それまではきっと、ただ嬉しくて早く知らせたくて仕方なくて、そこまで考えが及ばなかったのだとわかってしまって、啓悟は眉を下げて笑った。

 

「……馬鹿だなァ」

 

 可笑しくて、いじらしくて、可愛くて。でもそれをそのまま口に出すのは気恥ずかしかったから、啓悟はふやけた口でいつものようにからかった。むーっとむくれる愛依を宥めるように頭を撫で、その手を引く。

 

「? けいごくん?」

「髪乾かしたげるから、おいで」

 

 そうして連れてきた部屋の中。少女をベッドに座らせた啓悟は向かい合うように座り込み、ドライヤーのスイッチを入れた。愛依に少し下を向かせ、上向きになった白い羽根に温風を当てていく。羽根の隙間に手を差し込んでみると、くすぐったかったのか、啓悟の肩口にある愛依の頭が震えた。ドライヤーの音に紛れて、ふすふす笑う声が聞こえてくる。

 いないはずの子どもたちの部屋に、ふたり。今はドライヤーの音と微かな笑い声しか聞こえないものだから、愛依は“まるで本当にふたりきりになったみたい”だなんて想像した。少年の手が少女の背中に伸ばされていて、彼の身体と腕とに包み込まれているような体勢になっていることも拍車をかけた。優しい手つきとあたたかな体温に、少女の目蓋がとろりと重くなる。

 

(……ああ、たしかまえにも、こんなことが……)

 

 落ちかけた目蓋の裏に、少女は、1年前のことを想起した。

 

 

 

 

 

 生まれてから今まで、備わってなかった羽根が生えてくる。それは少女の身体へ深刻なダメージを与えただけでなく、衣服や身体の動かし方、姿勢など、生活の至るところに変化をもたらした。公安から与えられた衣服には羽根用の穴が空けられ、中にはかつて啓悟が着ていたお下がりなんかもあって、愛依はどこかくすぐったい気持ちで袖を通した。そうしたところは、よかったのだが。

 

『愛依、羽根の洗い方、わかる?』

 

 愛依がベッドから起き上がれるようになって、勉学や翼の適応訓練をして日々を過ごす中。いつものように笑って現れた啓悟は少しだけ沈黙した後、“突然で悪いけど”と切り込んだ。愛依はそれにびくりと肩を跳ねさせ、それから視線を俯かせる。

 

『え、と、その、……』

『うん』

『……ほ、ほんとは、わからないの……』

 

 そうして幼い少女は口ごもりながらも話し出す。曰く──これまでは1人で入浴できたのが、羽根が生えたことで重心がずれ、すぐに尻餅をついてしまう。羽根が邪魔して上手く背中を洗えない。洗おうと思えば思うほど後ろにひっくり返ってしまって、また転んでしまうのだと。

 入浴時のことだから言いづらかったのだろう。胸元を握り締めながら言いづらそうにする愛依の肩に、啓悟はそっと手を置いた。気付けてよかったという安堵を微笑みに変えて、ぽんぽんと優しく叩く。

 

『なんも可笑しいことないよ。俺も昔はそうだったし』

『……ほんとう……?』

『ホント』

 

 そこでようやくほっとしたように笑みを覗かせた愛依に笑い返し、啓悟は考えた。どうしたらいいか、どうすべきか。ただでさえ速い思考をぐるぐる回して、

 

『……まァ小さい子やし、しょんなかね』

『……? なにかいった?』

『なーんも? ホラおいで』

『えっ?』

『洗い方、教えてあげるよ』

『……えっ?』

 

 そうして出された啓悟の提案に、愛依は一時呆けた後、慌てて首を振った。いつも勉強や訓練で忙しそうにしてるのに、これ以上啓悟くんに迷惑をかけるのは嫌だという。その表情の中に申し訳なさはあれど羞恥や嫌悪感は見当たらなかったので、啓悟はにっこり笑みを深めた。

 

『大丈夫だから。ね?』

 

 啓悟はこれまでの経験から、愛依が“申し訳ない”と自分の思いを飲み込んでしまう時、多少強引になっても引き出してやろうと思っている。困っていることがあれば、少しでも力になりたいと。

 そうして少女の手を引けば、愛依は少し躊躇うように立ち止まって、それから少年について歩き出した。きゅっと、微かな力で手を握る。

 

『けいごくん、めいわくじゃ、ない?』

『ちっとも』

『……ん、うん……、』

 

 ありがとう、と小さな声で言う愛依はふやりと口許をほころばせていた。そんな彼女を連れて脱衣場に来た啓悟は事前に用意しておいた水着に手早く着替える。相手はたった5歳ではあるが、少年は12歳ということもあり少々気恥ずかしかったのだ。

 そんなこんなで浴場に入った啓悟は浴槽にお湯を入れながら、まずは少女の羽根を何とかしようと向き直る。

 

『愛依、羽根、外してみて』

『はずす……?』

『あぁそうか、何て言ったらいいかな……羽根を床に落とすってイメージ』

『おとす、……!?』

 

 “落とす”、そう意識した途端愛依の背中を飾る羽根が一気にザアッと抜け落ちた。その勢いときたら床に散らばった羽根がふわりと目の高さまで舞い上がるくらいで、2人は暫く沈黙して──静まり返った浴室に、噴き出す声がひとつ。

 

『豪快だなぁ』

『だっ、だっておとすっていった……!』

『いや違う違う、上手だよ愛依』

『うそ! にやにやしてるもん!』

『いやちがっ……ふくく、顔真っ赤』

『もっ、もーっ、いじわる……!』

 

 むくれてそっぽを向いた少女を何とか宥めすかして、少年は床に散らばった羽根を拾い集めて桶に入れ、ざぷざぷと洗ってみせた。シャンプーをお湯に溶かし入れ、泡立たせて羽根を手洗いする。それを見ていた愛依も一緒になってざぷざぷと見よう見まねで洗ってみた。汚れや埃を指で拭い、シャワーで流していく。そうしてひとつ手に取った羽根はどこまでも白く、ぴかぴかに光を弾いていた。

 

『羽根はまぁ、こんな感じで洗うといいよ』

『あなたのはねも、こうやってあらってるの?』

『うん』

『……あなたのはねもあらいたい、な』

『ん? んー、じゃあ、お願いしようかな』

『! っうん!』

 

 そうして2人並んで啓悟の【剛翼】を洗った後、お礼と称して啓悟は愛依の髪を洗ってやった。少年の指先が白い髪を梳くように通るのが心地よくて、少女はうっとりと目を閉じる。

 そんな頃を見計らって、啓悟はこっそり少女の背中に視線を落とす。折れそうなほどに細く、華奢な背中。そこにある羽根の生え際に傷痕は無い。

 

(あんなに、酷い怪我をしていたのに……)

 

 まるで何事もなかったかのように、その背中は滑らかだ。それに安堵しつつもまた違う憂慮もあって。啓悟は静かに目を閉じ、誰にとはなしに願った。

 

(……どうか、)

 

 この子が、どうか。笑顔で自由に生きられるように。そのためなら、自分は──

 

『……? どうかした?』

『、いーや、なんも』

『そう?』

『そう。ところでお客さん、かゆいところはございませんかぁ?』

『! ふふ、ないですっ』

 

 きゃらきゃら、ころころ、と鈴を鳴らすように笑う。久し振りに見た年相応な少女の笑顔に、少年も破顔した。

 そうして髪や身体を洗い終えた2人は揃って湯船に浸かる。一人用の浴槽は狭く、2人が小さな子どもとはいえ足を伸ばして入るには難しい。だから2人は膝を抱えて所謂“三角座り”の体勢で隣り合った。肩が触れ合うほど窮屈で、けれどそれが何故か嬉しくて。

 

『あったかい……』

『そだね』

 

 愛依ははふ、と息をついて、傍らの少年を見上げた。柔らかく細められた藤黄色を見つめて、ゆっくりと口を開く。

 

『……けいごくん、ほんとに、ほんとに……ありがとう』

『ええ、なに急に』

『きゅうじゃ、ないの。ずっとおもってる……』

 

 膝小僧の上で握り締めた手に、ぎゅっと力を込める。

 

『わたし、いっつもいっつも、なにもできないで、……けいごくんに、もらってばかり』

 

 自分への不甲斐なさ、悔しさ。もっと頑張りたいという向上心と、……寄り添える嬉しさと安堵と。その全てを綯交ぜにして、泣きそうに笑う。そんな愛依に虚を突かれ、何ともいえない気持ちになって──啓悟もまた、くしゃりと笑った。

 

『いいよ、……いいんだよ、愛依』

 

 強く握られた手をほどいて、繋ぐ。そうして少年はその手を持ち上げ、自身の額に押し当てた。ぱしゃんと湯が揺れて、静かに波紋を散らす。

 

『愛依が困ったこと、してほしいこと、救けてほしいこと、……何かあったらすぐに教えてほしい。我慢しないで、ちゃんと言って』

 

 いつも明るいその声が、どこか真に迫った様子で訴えるものだから、少女は遠慮の言葉を飲み込んだ。迷うように口を開閉させて、……それからおずおずと、啓悟の肩に自分の身体を寄り掛からせた。

 

『じゃあ、あのね、……いまだけ、こうさせてね』

『……だから、いつも甘えていいんだってば』

 

 しょうがないなァ、と目を細めて、自分に寄り掛かる少女に笑い、啓悟もまた寄り掛かってみた。愛依の頭の上に自分の顎を乗せる。きっと重いだろうに少女は少しも嫌がらず、そればかりか嬉しそうにくすくす笑うものだから、2人はぱしゃぱしゃと水面を歌わせながら寄り添っていた。

 

 

 

 

 

「……愛依?」

 

 こてん、と自分に寄り掛かってきた愛依に呼び掛ければ、……いつの間に寝てしまったのか、小さな寝息を立てていた。粗方乾かし終えた彼女を抱き抱え、彼女の部屋に向かう。しんと静まり返った夜の廊下に、すうすうと小さな寝息が響くのが何だか可笑しくて、鷹の目が優しく緩む。

 そうして愛依の部屋のベッドに彼女を寝かせて、啓悟はその寝顔を眺めやった。頬にかかった髪を撫で払い、小さな声で囁く。

 

「……“なにもできない”なんて、そげんことなかけんね」

 

 啓悟はいつか、彼女が泣きそうに笑って言った言葉を、その声を、笑顔を思い浮かべた。“自分は頼ってばかり”と、“上手くできない”と卑下する少女に、少しずつでもいい、わかってほしかった。

 飛行訓練の件に限ったことじゃない。少女が“何もできない”なんて、そんなことは少年にとって有り得ない。

 だって傍にいて、その笑顔と言葉だけで、こんなにも──

 

「……おやすみ、愛依」

 

 いつだって甘えるのが下手で、それでも誰かと一緒が嬉しくて。おずおずと寄り掛かって、花開くように頬を染める。

 そんな少女が夢の中でも穏やかであれますようにと、そんな願いを込めて啓悟はその手で愛依の額を撫でた。

 

 こうして今日も、優しい夜が更けていく。

 

 

XX.雛鳥ふたり

 

 


 

 支援絵を描いていただいた◯べさんより頂いたネタを元に錬成しました。ありがとうございました!!

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