職場体験、3日目。昨夜の特訓を経て少し身体に疲れが残っている、もっと言えば翼や背中辺りがだるい。漏れ出そうな欠伸を噛み殺して、ぐうっとひと伸び。
「眠そうだな、
「ふあ、常闇くん……! お、おはよう」
「おはよう」
朝の身支度を終え、コスチュームに着替えた常闇くんも、今から朝食を摂りに応接間に向かうらしい。気の抜けたところを見せちゃった、と恥ずかしい気持ちになりながらも、廊下を歩く彼の隣に並ぶ。
「よく眠れなかったか?」
「そんなことはないけど、少し疲れが残っちゃってるのかな……? 常闇くんは?」
「問題ない。体調も良好だ」
「……そっか、よかった」
なんとなくだけど、それは嘘なんじゃないかなって思った。廊下を歩く常闇くんの、その表情にほんのりと翳りがある気がする。あくまでなんとなく、だけれど。
それでも追及しなかったのは、常闇くんの目に意気込みを感じたからだ。頑張ろうと、決意している。昨夜の特訓で身につけた技を試そうと、それでホークスに食らいつこうと──
「今日も、頑張ろうね、常闇くん」
「ああ」
決意とともに頷き合う。その気持ちは確かだ。
……でもそれがいつだって、すぐさま結果に結び付くとは限らない。
「纏え、
「アイヨ!」
顕れた
──ならばそれを、我が物としたらいいのだと。
「“深淵暗躯”!」
外套のように
「ツクヨミくんキバるなあ!」
「伸びしろですね、昨日の今日で!」
エスパースさんたちのそんな声が聞こえたのか、先を行くホークスがこちらを振り返った。高みから、見下ろしてくる。そうして、
「へえ」
ふ、と笑った。
……なんだろうな、わたしはホークスがこういう時に人を小馬鹿にするような人ではないと知っているし、あの笑顔も「やるじゃん」って頑張りを認めている時のそれだと知っているんだけど、なんだかこう……客観的に見ると、物理的だけじゃなく心情的な意味でも“高みから見下ろされてる”と感じてしまう。
きっと常闇くんもそうだったのだろう、ギリッと歯噛みする音を羽根が拾う。ダンッ!!と強く踏み込んだ足音は、ホークスに追い付こうとする決意と悔しさの表れなのだろう。
けれど力み過ぎたのか、再度強く踏み込もうとしたその姿が
「……ッ!」
「! 常闇くん!」
「すまん、空中……助かった」
「ううん、わたし、こんなことしかできないけど……」
大したことはできないけど、少しでも力になれたら嬉しい。そう、思ったから。
「サポート、するよ。大丈夫。焦らずいこう」
「…………、」
「? 常闇くん、どうかした?」
「……いや、……何でもない。すまん」
常闇くんがなにか言いたげにしていたけど、口をつぐんだ理由がわからなかった。彼が「何でもない」と言うならそうなんだろうと曖昧に頷くだけだった。だから、
「アア? ナンだヨオメー、随分ト余裕綽々ダナァ?」
「……え?」
常闇くんからひょこりと顔を覗かせた
「控えろ!
「エー!? チェっ、ナンダヨウ」
「あの、常闇くん……」
今のは、と問い掛けたわたしに、常闇くんは「
「すまんな、空中。
「……うん」
何故わたしが“余裕綽々”だと思われたのかわからなかった。その意味を聞き返す勇気がなかった。だからわたしがこの言葉の真意を知るのは、もう少しだけ後のこと。
No.3ヒーロー、【速すぎる男】、……そうした肩書きはホークスが着実に積み上げてきた実績によるものだ。そのヒーローとしての活動を、この4年間、福岡の人々は見てきたんだと、
「ホークス!」
「ホークス~~!」
そうわかるほどに、ホークスに向けられる歓声は大きかった。本日8件目となる事件を解決して、居合わせた人たちにファンサするホークスを眺めながら、わたしは頬をほころばせた。
下校途中の小学生だろうか、飛び上がってホークスに呼び掛けるたび、背負ったランドセルがばたんばたんと跳ねる。わたしと同い年か少し年上のお姉さんたちからは、きゃあきゃあと黄色い声も上がっている。甲高い声だけじゃない、少し野太い低い歓声は、店先から拳を掲げる板前さんのものだ。ネクタイを締めたサラリーマンの男性も、子どものように目を輝かせている。
「……愛されてるんだなあ、」
わたしに近しいと感じていた人は、遠い福岡の地でたくさんの人に受け入れられていた。No.3にまでなった人だもの、わかっていたけれど、改めて直にそれを目の当たりにすると深く実感する。それに寂しさを感じるも、嬉しさの方が大きかった。サインを書いてあげたり、一緒に写真を撮ってあげたりするホークスの顔は、「ファンサは慣れたもの」と言わんばかりの涼しさがあったけれど、瞳の奥に光があった。……ホークスが喜んでいるんだと、わかった。
「……よかった」
そんな輝かしい場所から視線を移すと、夕方の薄暗さに染まった路地裏が目に留まった。そこに、1人の男性が、ずるずると身体を壁に預けている。
「! あの、大丈夫です、か……」
反射的に駆け寄って声を掛けると、その人はしばらくの沈黙の後にのろのろと顔を上げた。その顔に──傷跡に、息を飲んでしまう。
顔の大部分はケロイドで覆われていて、青黒く変色していた。一般的な黄色人種の肌色の部分は、……移植したのだろうか、継ぎ接ぎになっていて繋ぎ目にはピアスが幾つか付けられていた。第一印象は、“痛々しい”。この人の素性も事情もわからないけど、何とかしなければと、わたしは思ったのだ。
「あの……! お兄さん、傷に少し、触れてもいいですか?」
意気込むあまり、よくわからない言い方になってしまった。首を傾げるお兄さんに、慌てて言い直す。
「えと、その、わたしは【治癒】の“個性”を持っていて、患部に触れることで怪我や病気を治すことができるんです。だから、」
「……? あァ、俺のこの傷のことか」
やっと納得がいったかのように頷く、お兄さんの表情に痛みはなかった。「傷を治したい」「治さなければならない」という意思が感じられなかった。それでようやく、わたしは自分が先走っていたことに気づく。
「え、と……すみません、具合が、悪そうに見えて……」
「それで? 心配して来たってのか」
は、と笑う。嗤うといった方が正しいかもしれない。
「お優しいこった」
お兄さんはそう言って、路地裏をぐるりと見渡した。
「だけどこんな路地裏に1人で来るもんじゃないな。それに“個性”についてベラベラと……目ェつけられても知らねぇぞ」
「……え? 他にどなたかいるんですか?」
お兄さんは路地裏の先をじっと見ていたから、わたしも同じように視線を追う。そこには夕暮れの闇が蹲るばかりで、人影は見えない。少なくともわたしにはそうだった。
「……いや。俺の気のせいだったみたいだ」
お兄さんも緩く首を横に振った。その目が路地裏の闇からこちらに戻ってくる。黄昏時、薄暗い路地裏、黒づくめの服、無造作な黒髪──どこか暗いところを思わせるお兄さんだからこそ、その目が印象的だった。まるで、そこだけが夏の太陽に照らされた海であるかのようだった。
「なんだ? じっと見つめて」
「え、あっ……す、すみません! 不躾でした……」
「別に構わねェが、何をそんなに見てた? 誰かに似てたりしたか?」
「いや、そ、の……」
そのエメラルドブルーが、とてもとても、碧くて、
「あなたの目が、とても綺麗で、びっくりして……」
しどろもどろになりながらも、正直に口にする。そんなわたしを無感情に見つめる、その数秒の沈黙が痛かった。じりじりと刺されるような視線に縮こまっていると、ふぅん、と声。
「新手のナンパか」
「ナンっ……!? ちが、違います! ごめんなさい本当に重ね重ね失礼を……!」
そんな風に思われていたなんて!!と慌てるわたしも、初対面の方にナンパまがいなことを言うわたしも、さぞ滑稽だったのだろう。くく、と喉でわらわれて、わたしは恥ずかしくて申し訳なくて頬を赤くするばかりだった。そんな時。
「なーにしてんの」
「! ホークスさん……!」
振り返ると同時に、肩を掴まれて後ろに下がらされる。たたらを踏みながらお兄さんたちの方を見ると、ホークスの背中が見えた。赤い翼が、まるでカーテンのように視界を覆っている。
「保護者さんか」
「そんなとこです。すんませんね、うちのが何かしました?」
「いいや? 和ませてもらったよ」
「ほ、本当に、すみませんでした……」
ホークスの剛翼に遮られてうまく見えないけれど、その人が背中を向けざまに、ふっと淡く笑ったような気がした。
「じゃあな、未来のヒーローさんよ」
彼はひらりと後ろ手に手を振って、路地裏の闇に消えていった。
こんな、職場体験中の、何でもないような一幕の出来事。わたしが先走って変なことを口走って恥をかいたってくらいの出来事だと、思っていた。この時のわたしはまだ、あんな再会が──あんな未来が待ってるなんて、思いもしなかったんだ。
一通りのパトロールを終えて、事務所に帰ってきた時、それは鳴り響いた。わたしの端末からビー、ビー!と、まるで警告音のように叫ばれるのは、いつもの着信音じゃない──“治癒個性保持者リスト”に送られる治癒要請時の着信音だ。突然のことに身体をすくませるわたしの肩を、誰かが叩く。
「スピーカーにして」
ホークスの冷静で端的な指示に、わたしは頷いて従う。画面をタップすると、緊張で引き締まった声が流れ出た。
『【治癒】“個性”保持者に申請します。現在西東京保州市にて、脳無と思われる
つらつらと知らされる現状に、わたしはひゅ、と息を飲む。そうして隣で聞いていたホークスに向き直った。
「ホークス、さん、わたしを保州に向かわせてください」
「そう思う理由は? きちんと説明して」
「……っ先月、雄英の施設内部に
USJでの出来事は、まだ記憶に新しい。あんなモノが街中で暴れたら、建物や、人への被害は──命を落とす人がいたっておかしくない。そう思うと背筋が凍る気がした。それに、……保州には、今、
「先ほどの通信で、山梨、東京間の交通機関が麻痺しているとありました。現在雄英高校に……静岡県にいるリカバリーガールも、到着できないか、できても遅れることでしょう。でも、わたしなら【翼】がある。許可を頂けたなら、飛んで、いけます!」
保州には今、──飯田くんがいる。
お兄さんがヒーロー殺しに襲われたあの地で、きっと、どうしようもない気持ちに駆られている。
嫌な予感がして、握り締めた手の中が汗でぬめる。それを強く握り締めることで誤魔化しながら、わたしはホークスを見つめた。彼はわたしを、静かな目で見下ろしている。
「脳無は、君の手には終えないと思うけど? 君に危険が及ぶ」
「戦闘にならないよう、回避します!」
「絶対に戦闘には関わらない? 病院での治癒に専念できる?」
「できます!」
だから早く、と目で訴えると、ホークスもまた視線で答えた。「仕方ないな」「頑固なんだから」と、その仕方なさげな眼差しが語っている。
「わかった。まァ、元々治癒要請を受けるか否かは、特別の場合を除いて本人の意思に委ねられるからね。俺が君の行動を阻害することはできない」
「じゃあ……!」
「うん。俺も一緒に行くよ」
「……えっ?」
ぽかん、と口を開けてしまった。そんなわたしにおかしそうに目を細めて、ホークスは言う。外しかけていたゴーグルを再び身に付けながら。
「治癒要請は君が受けるもの。でも、今君が、このホークス事務所に職場体験として来ている学生だってことも忘れないで」
ゴーグル越しの目が、優しく、わたしを見ている。
「君を守るのも、俺の役目だってことだよ」
その、言葉に。目頭が熱くなるのを必死で堪えた。
わたしの勝手に巻き込んでしまうことへの申し訳なさとか、本当は脳無の暴れる街に飛んで行くことへの不安が解かされた安堵とか、守ろうとしてくれることへの嬉しさとか、……いろんな気持ちが一気にやってきて、溢れそうになる。
「……ごめんなさい、ホークスさん」
「“ごめん”は要らないかな」
「っ、……ありがとう、ございます……」
「どーいたしまして」
軽い口調。軽い笑み。それがどこまでも、わたしの心を軽くする。俯いたわたしの肩をぽんと叩いて、ホークスはエスパースさんたちに向かって眉目を引き締めた。
「じゃあそういうことで、俺は空中さんに着いて保州に向かいます。エスパースさんとシンセンスさんには、今日の事務処理と、常闇くんのこと、そして明日俺たちが戻るのが遅れた場合、通常通りのパトロールをお願いします」
「任せろ」
「うん。こっちは心配せんで、気をつけて行っておいで」
「あ……ありがとうございます……!」
頼もしげに了承してくれたシンセンスさんと、優しく笑ってくれたエスパースさんに頭を下げる。そのわたしの耳に、たたたと駆け寄る足音が聞こえた。
「空中!」
「常闇くん! ごめんなさい、いろいろ勝手に決めて……」
「いや、俺のことはいい。案ずるな。……気をつけて行け」
ふるりと首を振って、常闇くんは、じっとわたしを見つめた。赤い瞳に、心配の色が見える。
「……ありがとう、本当に……」
たくさんの心配と助けを得て、隣にはホークスがいてくれる。そんな幸福とともに決意を固める──絶対に救けるのだと。
「行くよ、空中さん」
「はい、……行ってきます!」
わたしはホークスに続いて、夕闇迫る空の中に羽ばたいた。
34.少女、前兆。
すごくすごく楽しんで書けました。書きたかったこと、書きたいところへの布石をいろいろ詰め込んだ感じ。このように作者の好き勝手にこのSSは作成されております。基本ご都合主義です。
荼毘の正体は本当になんなんでしょうかね?考えれば考えるほどワケわからんとなるんですが、とりあえず作者は轟家とホークス、ひいては公安に関係している人物として捉えているので、このSSでは今後オリ主とよく関わる