「常闇くん、常闇くん……! わたしはもう大丈夫だから! 落ち着い、ッ──」
常闇くんの
だから大丈夫、と張り上げた声は届かなかった。返答の代わりに返ってきたのは鉤爪の一撃。咄嗟に飛び上がって避けなければ直撃していただろう。先ほどまで立っていたコンクリートが、まるで砂のように粉々になっている。
「あ、っあ”ああ、あ”」
「! ARGHHH!!」
その衝撃でベッドから転げ落ちた男性が声を上げた。その声に、
「! 危な、」
「駄目……!」
プラチナブロンドの男が身を呈して庇いに行こうとするのを、突き飛ばして止める。その横をすり抜け、わたしは走った。床に倒れている男性を抱き留め、その場を離脱する──
「、う……っ」
──離脱するはずだったのだけど、少し遅かった。
「おまえは……」
幾つか散った羽根が、影の腕に押し潰される。それを見た男は意外そうに目を見開いていた。その男に保護した男性を預け、口を開く。
「あなたはこの人たちを守りたい。そうですね?」
「……っ、ああ」
「あなたに託します。あなたは、彼らを守っていてください」
「は? ……ッオイ!」
わけがわからない、といったような声で男はわたしを呼び止めた。それに振り返ると、男の顔にさまざまな感情が巡っていた。疑問、苛立ち、そしてそれだけじゃない──別の何か。
「……俺の“個性”は【光】だ。あいつを止めるなら、俺が要るんじゃないのか」
「いいえ。
きっぱり言い放てば、男は憮然とした顔になった。
そんな顔をされたって、違反は違反だ。……だからこそ、
「……これ以上、罪を重ねないでください」
それだけ言って、ふい、と視線を逸らす。そうしてわたしは駆け出し、大きな大きな闇の塊を見上げた。
「……常闇くん……」
先ほどわたしの背を傷つけた後から、ひどく、苦しそうにもがいている。自分の制御を離れて好き勝手に伸びる影の腕を、何とか手繰り寄せようとしている。
「グッ……
「常闇くん、」
「早、く……逃げろ……! 俺のことは、ッ捨て置け……!」
「……そんなの、できないよ」
暴れまわる“個性”は、身体を苛むのだろう。額には脂汗が滲み、見開いた目は充血している。そんな状態だというのに、常闇くんは食い縛る歯の間から声を振り絞った。
「頼、む……ッおまえをこれ以上、傷つける、前に……ッ!」
こんなになってまで、わたしを案じてくれている。
「鎮まれッ……
こんなに苦しんでまで、常闇くんは──
「常闇、くん……」
今考えなければならないのは“正しい”か“正しくない”かじゃない。……“正しくなくても”わたしは動くのか、どうか。……自分に問うのはそれだけだ。
心の中に天秤を掲げる。両の秤に、“大切”を載せる。
ひとつには、【許可無しに“個性”を使ってはならない】。
もうひとつには、──【常闇くんを救けたい】。
どちらも“大切”で、どちらも取りこぼしたくなくて、天秤がゆらゆら揺れるたびに、心が軋む。
(……ああ……)
(痛い、辛い、申し訳ない、苦しい、……)
“正しく”ありたいのにできないのって、こんなに心が痛むのか。
選べない何かを捨てなければいけないのは、こんなに、……こんなに──
「……ごめんなさい、ホークス」
天秤は傾いた。ひとつを取って、ひとつを捨てた。
翼を広げる。これで直ぐ様飛び立って、ホークスを、応援を呼びに行くことがヒーローの卵として正しいのだろう。でもそれは、ここにあるすべてを置き去りにすることだ。
まともに動けない人々を置き去りにするの?
逃げるの?……苦しんでる常闇くんを置いて?
「……それは、できない……!」
ダン!とコンクリートを蹴飛ばして、わたしは上空へ飛び上がった。音を立てた足場は、
(反応するのは、動くものと、音……!)
それもどうも音を優先して攻撃しているらしい。あの赤い目は凶暴化の証のようだけれど、もしかしたら視力も落ちているのかもしれない。得られる情報は確かではないけれど、今この状況においてはすがるしかない。
そしてもうひとつの、すがる情報は──
『俺の“個性”【
かつて、USJで共闘した時に教えてくれた彼の“個性”。──光があれば、制御しやすくなる!
羽根を飛ばして倉庫の荷物を撃ち続ける。その物音目掛けて
(あれをつけることができれば……!)
堪えて、堪えて、堪えて──張り詰めた緊張の糸。わたしの指先がスイッチに触れた時、それがとうとう、プツリと切れた。
「……っぁ……」
がくりと崩れる体勢。身体を包む浮遊感。それに小さく声を上げて──自分の失態に気付いた時には遅かった。眼下の
「GRAHHHHHH!!!」
咆哮。そして轟音。振るわれた大腕が倉庫の天井をまとめて薙ぎ払った。そのついでとばかりに打ち払われて、わたしは為す術なく床に叩き付けられる。墜落の衝撃を覚悟し、ぎゅっときつく目を瞑った。
「っ──、……え?」
けれど痛みはやってこない。ふわりと、柔らかい感触。
恐る恐る目を開けて、わたしは一瞬、呼吸を忘れた。
それは暗いトンネルの先に光を見たような、
激しい嵐が去った後の虹のような、
厳しく降り積もった氷雪を融かす春のような、
──こんなにも眩しく、あたたかな、光。
「っ……ホークス……!!」
ただいてくれるだけで、不安を溶かす。未来へ向かう勇気をくれる。
そんなわたしのヒーローが、そこにいた。
「……遅くなって、ごめん」
剛翼でわたしを受け止めて地上に降ろすと同時に、ホークスもわたしの前に降り立った。こちらを見下ろす目が、辛そうに細められている。怪我を心配してくれているのだろう、でも今はその時間も惜しくて、わたしは首を横に振った。
「わたしは大丈夫です。でも常闇くんが……!」
ガゴン、と響く破壊音が夜気を震わせた。少し離れたここからでも衝撃が伝わってくる。それほどに凄まじい力で、
「“個性”が、
「なるほど、」
頷きつつ、ホークスは剛翼を飛ばす。
「確かにすごいパワーだ。ちゃちな手は通用しないな」
「か、感心してる場合じゃ……っ」
「わかってるって」
「光……照明が必要なのに、さっき壊されちゃって……!」
「空中さん」
おろおろするわたしを余所に、ホークスは人差し指を立てた。静かに、のジェスチャーとともに、軽やかに笑う。
「心配しなくていいよ。傷を治して、少し待ってて」
そっとわたしを、柔らかな眼差しで見下ろして。
顔を上げる頃には、もう強く鋭い目となっている。
次の瞬きの後には既に地上にホークスの姿は無く、彼は空高く飛び上がっていた。星がちらつく夜空に、剛翼が大きく広がる。翼を翻し、上へ、下へ、右へ、左へ。大きく動いているのは
「速い……!」
暴走した
「常闇くん、聞こえるかい?」
「っ……ホ、クス……ッ!」
「うん。ごめんね、ひとりで頑張らせて」
「もう大丈夫だから。安心して、無理に抗わずに……
ホークスなら、絶対に救けてくれると。
きっと常闇くんも、わかったんだ。……信じたんだ。
そう見守っていると、突然、
危ない、と声を上げかけて、止めた。飲み込んだ悲鳴の変わりに、は、と息を吐き出す。だってホークスは微笑んでいたから。
「ホラ、もう──大丈夫」
にこ、とホークスが笑ったその時、
闇を裂くような光が、彼らに降り注いだ。
「ワ、ァァアァ……!」
暴走時の低い声とは違う、いつもの声で可愛い悲鳴を上げて、
(一体、こんな、どうやって……)
どうやって灯台の光を届かせたのか。……後で知ったことなのだけれど、ホークスは
「すご、い……」
強い。速い。すごい。その背中があまりに遠すぎて、ただ見上げるばかりだったのだ。憧れて、憧れに目を焼かれて、眩しく思うばかりだった。
(……いや、駄目。駄目でしょう、わたし)
それだけでは駄目だと、言ってもらったばかりでしょう。
そう自分に言い聞かせ、首を横に振る。そうして、常闇くんを抱えて地上に降り立ったホークスの元に駆け寄った。
「ホークスさん! 常闇くんは……?」
「気を失ってるだけだよ、大丈夫。──で、」
その瞬間、さまざまなことが起きた。
まずホークスがわたしの肩を引き寄せ、後ろに下がらせる。赤い剛翼がカーテンのように視界を覆う中、──ジュッ、と何かが焼ける音とともに、光の矢が走った。光の、矢。光線。……【光】。はっと息を飲むわたしを、ホークスが背に庇う。
「動かんでくださいね」
「……ックソが……!」
淡々とホークスが制するのに対し、罵声が叩き付けられる。鋭く形状変化させた幾枚もの剛翼が、その切っ先が、プラチナブロンドの男を取り囲んでいた。
「今、うちのサイドキックが、警察と一緒にあなたのお宅にお邪魔してます。こっちにも応援呼んだんで、そう遠くないうちに到着するでしょう」
淡々と、ホークスが告げる。
「……うちの子たちが、世話になったね」
淡々と、……冷ややかな声で、最後通告を。
わたしが向けられているわけじゃないのに、思わず胸元を握り締めていた。思わず──投げ掛けてしまった視線と、男の視線が、絡む。
「……なんだよ、その目は」
ぎり、と歯軋りの音とともに、睨み付けられる。
「中途半端に救けておいて、肝心なところは放り投げるのか、テメェは。最悪の偽善者だな」
「……、」
わかっていた。そう思われるだろうことも。実際わたしという人間は
「死ね。……オイ、死ねよ、おまえ」
わたしは天秤を掲げた。
選ばなかった方は、転がり落ちた。
「好き勝手に手ェ出して、高みから見下ろしてんじゃねぇ」
だから、そう言われるのも当然だ。当然のこととして受け止め、ただ立ち尽くす。それだけしかできなかったけれど、それでも、耳を塞ぐことだけはしたくなくて。
遠く、サイレンの波が近付いてくる。治したはずの耳が、じんじんと痛みを訴えていた。
あれからパトカーで駆け付けた警察に
そうして夜も更ける中、ホークスの事務所に帰ってきたわたしは、ふらつく足取りでコンポタのある自販機を目指した。あの程よい甘さとあたたかさで、ほっとしたいなと思って、
「よ、……お疲れさま」
廊下の曲がり角の先。自販機の横に置かれたソファー。そこで腰掛けてひらりと手を振るその人の姿に、なんだか涙腺が緩みそうになった。
「ホー、クス……」
「ほら、座りなって」
言われるままに彼の横に腰掛けると、ぽん、とコンポタの缶を手渡された。じわりと手のひらの中に熱が生まれる。同時に生まれた熱が、わたしの目蓋を熱くした。
「っ、ごめ、」
「“ごめんなさい”も、“すみませんでした”も要らないよ」
「……でも、」
「謝るのはこっち。……ごめん、危険な目に遭わせて」
「な、なんでホークスが謝るの……わたしが、油断してたから、こうなったのに……」
俯くわたしの頭を、ホークスの大きな手が撫でる。わしゃわしゃと髪をかき混ぜられて、思わず顔を上げた先で、ホークスは眉を下げて微笑んでいた。
「おまえは謝る必要ないけど、俺が謝っちゃうと“そんなことない”って言って自分を責めちゃうんでしょ。……だったらもう、この話は終わり」
乱れた髪を、そっと撫でながら。
「それよりも、話したいこと、あるんじゃない?」
こちらを見透かしたような、それでも優しい眼差しで言うものだから、わたしは喉を震わせた。
「……今日のことで、難しいなって、思ったの」
思い出す。
「“正しく”いるって、誰かを救けるって、難しいね……」
「……そうだね」
自分なりに頑張ってきた。頑張った。
それでも取り溢してしまうものは、あまりに多い。
「なあ、
「? なに……?」
なんだろうと、俯いていた顔を上げる。
「……、」
普段言い澱むことのないホークスが、口ごもっている。それが珍しくて、意外に思って、わたしは目を瞬かせた。
「ホークス? どうしたの?」
「……いや、」
何かを飲み込んだような、少し切ない笑顔だった。
「愛依、おまえは──ヒーローに、なりたい?」
「……うん」
迷ったのは、一瞬。その一瞬で迷いを掻き消して、わたしは頷く。
「わたし、ずっと、ヒーローになりたいって思ってたよ」
幼い頃から抱えてきた夢を、こうして改めて話すのは初めてだった。どきどきと騒ぐ胸元を握り締めて、ホークスの目を見つめ直す。
「あなたのようなヒーローに、あなたの力になれるようなヒーローに、……啓悟くんを救けられるようなヒーローになりたいって、ずっと、夢見てた」
夢を語るというのは、自分の胸のうちをさらけ出すことに似ていた。
「……でも、心のどこかで“なれるわけない”って思ってた。あなたに憧れながら……あなたを超えられない。あなたみたいには、天地がひっくり返ったってなれないって、諦めてたの」
自分の弱さをさらすことだって、こんなにも怖い。
それでもわたしが喋ることを止めないのは、あの人のおかげだ。
「……常闇くんに言ってもらって、初めてそれに気付けた」
「そうだったんだね」
「うん……それで、ね」
あの人が、常闇くんがいてくれたから。
わたしの弱さを、甘えを指摘してくれたから。
わたしに、──
「わたしには力があるって、言ってくれたの。人々の元にいち早く駆けつけて、傷を治して……救う力があるって。それが、羨ましいって……」
わたしの唇に、自嘲の笑みがこぼれる。
「【翼】も、【治癒】も、わたしの本当の“個性”じゃない。そんな風に言ってもらうなんて、おこがましいって、わかってる」
彼の称賛は、わたしが受け取るべきではない。治してくれてありがとうと、救かったよと──そう聞くたびに喜んでしまうわたしは、どこまでも浅ましい。そんなわたしが嫌で、自信が持てなくて、“わたしなんて”ちっぽけな奴だと、そう思っていた。
でも、駄目だ。“わたしなんて”と退いては駄目。
それでは駄目だと、叱ってもらって気づいたんだ。
「わたしの“個性”じゃなくても、わたしが、どれだけ狡くて卑怯でも……、この力があることは事実だから。力の責任を取らなきゃいけないってのは確かだから、」
だから、と拳を握る。決意を込めて。
「だから、もっともっと頑張りたい。この“個性”を使って、正しく人を救けてみせる」
そうして頑張って、頑張り続けて、いつか。
「あなたみたいなヒーローに、なるよ。……ううん、あなたを、ホークスを飛び越えちゃうくらい、高く飛んでみせるから!」
声が上ずる。頬が熱い。この決意表明くらいは格好よく決めたかったのに、ホークスはわたしのことをどこまでも見透かしているようだ。きょとんと丸かった目が、柔らかく弧を描いていく。
「うん、楽しみにしてる」
「ほ、本気なんだから。……見ててね、啓悟くん」
「わかってるって、……愛依」
ふは、と楽しげに、優しく、ホークスは笑った。
38.少女、天秤を掲げる。
ホークスは言いたかったことを飲み込みました。それを改めて口にするのは、またもっと後の話。
戦闘?描写ってどうしたらいいの……とクソ難産でした。亀更新本当にすみません。それでも読んでくださる方には本当に無限大感謝です。
次回は常闇くん回です!長かった……!今までたくさん葛藤してもらった分、思う存分プルスウルトラさせたいです。