【依存】から始まるヒーローアカデミア   作:さかなのねごと

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39.黒翼、飛躍する。

 

 端的に言ってしまえば、俺は自惚れていたのだ。

 

 体育祭3位入賞の際、オールマイトから『強いな君は!』との御言葉を貰い、更にはNo.3ヒーロー・ホークスからの指名を頂戴した。

 それに胡座をかくまいと、更なる高みを目指さんと、そう誓って福岡に訪れた。その決心に偽りは無い。それでも心の奥底に、“ホークスに選ばれた”という自負があったのだろう。

 

『そんな、わたしなんか全然……常闇くんやホークス、サイドキックの皆さんの足を引っ張らないよう、頑張るね』

 

 だから、共に選ばれた空中(そらなか)が、どうしてそこまで謙虚になるのかわからなかった。謙虚、と言えば聞こえはいいが卑屈に近いその声色に、首を傾げたのを覚えている。

 空中愛依(あい)という学友は、背中の【翼】を用いた機動力に定評があり、ひとつひとつの羽根を操り、攻撃や援護に応用する器用さもある。極めつけは、希有な【治癒】の“個性”。ヒーローに打ってつけの“個性”を手にしているにも関わらず、いつも自信なさげに、控えめにしているクラスメイトだった。

 

(何故そのように、卑下するのか)

 

 “わたしなんて”と、一歩退いてしまうのか。

 ホークスに憧れているという彼女が空を見上げる瞳は、輝いてはいたものの、深い諦念を宿していた。諦めていたのだ。ホークスに追いつけはしないと、空へ飛び立つ前から決めつけていた。

 

 それがひどく、もどかしかった。

 ……それに羨望が、それに伴う苛立ちが混ざったのは、保州事件を経てのことだった。

 

『わたしなら【翼】がある。許可を頂けたなら、飛んで、いけます!』

 

 (ヴィラン)災害に見舞われた保州を救うため、傷ついた人々を救うため、いつもの控えめさをかなぐり捨てて飛び立つ空中は、ヒーローだった。自分の“個性”を用いて人を救わんとする、紛れもないヒーローの姿。

 

(……ならば、俺は?)

 

 俺は何をしている。何が、できる?

 職場体験でホークスのパトロールについて出たはいいものの、ホークスの速さに追いつけず、追いかけるばかりで、事後処理すら遅れを取っていた。それで終わってたまるかと編み出した“深淵暗躯”も、不完全で不安定で、踏み外しては空中の助けを借りる始末。

 

(何故俺は、ここにいる?)

 

 人々の元へいち早く駆け付け、癒し、救うことのできる空中に対し、俺という人間は──ここにいる意味があるのか?

 事件解決のみならばホークス一人で事足りる。事後処理もまた、俺がいなくても事足りる。……俺が、いなくても。

 

(俺がここにいる意味は、あるのか……?)

 

 何故ホークスは俺を指名したのか。俺を呼んだのか。選んだのか。問い掛けるのはすがることにも似ていたが、それでも俺は、彼の真意を知りたかった。……いや、知って、安心したかったのだろう。“俺はここにいてもいい”と、確信を得たかったのだ。

 ……なんて浅ましい。なんて脆弱な心持ちだろうか。もしかするとホークスは、そんな俺の心をも見抜いていたのかもしれない。

 

『鳥仲間』

 

 もしくは、USJのことを伝える伝書鳩として。

 そのために呼ばれたのだと知って、そのためだけ(・・)に選ばれたのだと思い知って、俺が抱いたのは怒りだった。それは軽薄に笑うホークスに対するものだけではなく、未熟な我が身に、思い上がっていた我が身に向けられたものだった。

 

 そう、我が身に向けられたものだった。そのはずだ。

 しかし俺はその憤怒を──空中に向けてしまった。

 

『常闇くん……!』

『……空中、か』

 

 パトロールの最中、またも“深淵暗躯”に失敗し街灯を踏み外した俺を、救ってくれたのは空中だった。落下する俺を羽根で受け止め、気遣わしげな眼差しを向けてくる。

 

『うん、……あの……常闇くん、大丈夫……?』

 

 空中は、ただ俺を案じてくれているだけ。

 頭では理解していた。心は、納得しなかった。

 

『大丈夫に、見えるのか』

『……と、こやみ、くん?』

『空中は、悔しくは、ないのか?』

 

 自分の弱さが許せず、怒りや悔しさが抑えきれなかった。呆然とする空中にありのままの気持ちを叩きつけてしまい、彼女が肩を震わせる様を見て、罪悪感とともに更なる苛立ちを募らせた。

 何故力を持ちつつも諦めるのだ。

 何故力を持ちつつも自分を卑下するのだ。

 何故、──卑屈になる必要など無いと、気づかない。

 

 そんな身勝手な怒りに呑まれていたからだろう。(ヴィラン)の接近に気づけず、我らは共に囚われた。我が黒影(ダークシャドウ)の天敵ともいえる【光】の“個性”に手も足も出ず、無様に拘束され、見ているだけだった。

 何もできなかった。空中が蹴飛ばされた時も、無理やり引き摺られていった時も、肩を拳銃で撃たれた時も。空中が俺の人質として敵の手中にある──その状況が俺を縛り付けていた。

 しかし空中は、俺と同じ状況だというのに、俺を守ろうとしていた。彼女らしからぬ冷たい声色は、会話は、(ヴィラン)悪感情(ヘイト)を自分に向けさせるためだったのだろう。

 

 あんなことを言った俺を、守ろうとして。

 そうして空中は、耳に風穴を開けられた。

 

 鈍い銃声とともに飛び散る鮮血。痛いだろうに苦鳴ひとつ漏らさず、固く目を閉じて耐える。

 そんな空中を見た刹那、俺の心の糸がぷつりと切れたのがわかった。暗闇にあってざわめいていた黒影(ダークシャドウ)が、俺の怒りの炎をくべられて、狂乱した。

 

(そうして俺が為したのは、何だった?) 

 

 暴走した黒影(ダークシャドウ)の腕は、(ヴィラン)を吹き飛ばすのみに収まらなかった。心神喪失し、まともに動けぬ人々に鉤爪を振るい、あまつさえ──それを庇おうとした空中の背を、傷つけた。もしもホークスが止めてくれなかったら、あれ以上の惨事を引き起こしていたに違いない。

 

 

 事件後、気を失った俺はいつの間にかホークス事務所で宛がわれた自室で目が覚めた。現時刻は深夜で、まだ寝ていなくてはならないにも関わらず、どうしても眠れずに身体を起こした。身体中が悔恨の念で焼かれているかのようで、息苦しく、喉が渇く。

 

「常闇くん」

 

 自販機で水を飲もう。そう思い立ち向かった廊下で、ホークスと鉢合わせた。目を白黒させる俺に、彼は笑いかける。

 

「……ホークス」

「起きてたんだね、気分はどう?」

「体調は良好だ。……心情は、穏やかとは言い難いが」

 

 身体に傷はない。空中とホークスが守ってくれたから。

 だからこそ、この息苦しさと喉の渇きがあるのだから。

 

「君にも謝っとこうと思って」

 

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、ホークスは笑みを引っ込め、真剣な眼差しを投げ掛ける。

 

「危険な目に遭わせた。救けるのが遅くなって、ごめん」

 

「ッ……」

 

 何故謝る。頭を下げる。謝罪するべきは俺なのに。

 

「……“納得いってない”って顔だ」

 

 顔を上げたホークスは、へらりと笑ってそう言った。へらりと笑いながらも、その目を鋭くさせている。

 

「この職場体験中、何度もその顔してたよね」

「……それは、」

「うん、いい機会だからさ、思ってること聞かせてよ。今なら俺以外誰もいないし」

 

 空中さんも寝てるしね、と付け加えられて、こちらを見透かすかのような微笑みに促されて、俺は思い口を抉じ開けた。

 

「……ホークス、」

「うん」

「俺は、ずっと、……悔しかった」

「うん」

 

 そうして洗いざらいを白状した。俺が体育祭の結果やホークスからの指名を受けて思い上がっていたこと。共に呼ばれた空中は自分の“個性”を使って人々を救けているのに対し、俺はあまりに無力だったこと。にも関わらず自分を卑下する空中を責め立てたこと。身勝手な俺を、それでも空中は救けようとしていたこと。そんな彼女を、暴走して傷つけたこと──

 

「……俺は、身体能力や技術だけでなく、心も未熟だった。その苛立ちやもどかしさを空中にぶつけ、傷つけてしまった挙げ句、思うまま感情を暴発させ、黒影(ダークシャドウ)を暴走させてしまった……」

「元々暗所で凶暴になる“個性”だったね。それに常闇くんの感情が乗ってしまった……でもそれは、君の意図するところではなかったんでしょ?」

「それは、そうだが、傷つけてしまったことに変わりはない」

 

 ぎり、と歯を食い縛る。話せば話すほど悔恨の念に駆られ、自分の未熟さを思い知り、顔を上げていられなかった。俯く視界には、自動販売機の電光に浮かび上がる影が伸びていた。

 影。暗闇は、俺の力だった。なのに──

 

 

「じゃあ、やめる?」

 

「──は……?」

 

 唐突に突きつけられた言葉に、呆然として顔を上げた。

 その先でホークスは、薄く笑っている。

 

「ここでやめるかい? ヒーローになることを」

 

 いつだったか、初めて“深淵暗躯”を使って街灯を足場に飛び回った時も、俺を顔だけで振り返り、肩口でこんな笑みを覗かせていた。高みから下界を見下ろすような、そんな表情だと、あの時の俺はより悔しく思ったものだが。

 

(……違う(・・)。)

 

 こちらを見下ろしているわけでも、見下しているわけでもない。ましてや侮っているのでもない。 

 こうして向かい合った、今ならわかる。

 

 

「常闇くんは、諦める?」

 

 

 ホークスは俺を、試している。

 

 

「──否……!!」

 

 

 みっともなく声を震わせてでも、これだけは言わなければならなかった。空中にあんなに偉そうに宣っておいて、俺が足を止めるわけにはいかない。空を見上げるばかりで満足するまい。

 あの紅い翼は、あまりに鮮烈──だからこそ!

 

「諦念など不要……! 俺は今日の未熟も悔恨も糧とし、歩み続ける。空中にも、そしてホークス、貴方にも負けん! いつかは貴方の空をも超えてみせる……!!」

 

 吼える俺に、ホークスは目を瞬かせた。猛禽の鋭さが、面白げに弧を描く。

 

「俺は結構、速さを信条としてるからね」

「承知している。嫌というほど」

「君の成長を足踏みして待つ気は無いよ。それでも俺に、食らい付いてこられるかな」

「無論!!」

 

「……はは、」

 

 こちらを見据える藤黄色の目に、光が射した気がした。

 

「いいね。その目、悪くない」

 

 うん、とひとり頷いて、ホークスは言葉を続ける。

 

「君はきっと、もっと強くなる。もっと高みへ行ける」

 

 穏やかに紡がれた言の葉は、真っ直ぐ俺の胸の中に落ちてきた。降り積もるそれが、熱を生む。

 

「俺でよければ、少しレクチャーしようかな」

「!! ……感謝する!!」

 

 そんな会話を経て、俺は自室に戻ってベッドに横たわった。もう先ほどの息苦しさも渇きもない。早く眠らなければならないのに、それとは違う感情が心の内をぐるぐる駆け巡るようで、なかなか眠れはしなかった。

 

 

 

 どんな夜が来ても朝が来るように、昨夜の目まぐるしい出来事など無かったかのように、穏やかな朝が訪れた。窓から覗く街並みには、普段通り世話しなく人々が行き来している。いつもと変わり無い──それでも俺にとっては、一歩を踏み出す朝だ。深呼吸して、意を決して、自室のドアを開ける。

 廊下を歩いてしばらくすると、白い人影が見えた。白い肌、白い髪、白い翼──それを備える空中は、ガラス越しに街並みをぼんやりと見下ろしていた。その青い目が、はっとしてこちらを見やる。

 

「常闇くん……! あの、昨日は、ごめんなさい」

 

 開口一番に謝られ、頭を下げられて、その眉の下がった表情に胸が苦しくなる。そんなことはしなくていいと、申し訳なさと共に口にした。

 

「顔を上げてくれ……空中が謝る必要など無い」

「でも、」

「昨夜は俺が悪かったのだ。俺が……感情を、黒影(ダークシャドウ)を暴発させてしまい、おまえを傷つけた」

「そんな、それは常闇くんのせいじゃ、」

「否。……俺のせいだ」

 

 それだけではない。物理的な怪我だけではない。

 

「……言葉でも、傷つけた」

 

 こちらを見上げる空中の目を見つめ直し、謝罪を続ける。

 

「あの路地裏で放った言葉は、あまりに身勝手で不躾だった。俺の未熟を、不甲斐なさを、空中に八つ当たりしていたようなものだ。

 重ね重ね、本当に──申し訳ない」

 

 深く、頭を下げる。頭上で空中が息を飲む音が聞こえた。それから数秒の間、考え込むような沈黙が続いて。

 

「……じゃあ、やっぱり、常闇くんが謝る必要なんてないよ」

 

 そんな柔らかな声と共に、肩に手を置かれ、顔を上げさせられた。空中は何かを堪えるような、それでも穏やかな笑みを浮かべている。

 

「路地裏でのあの言葉……あれを聞いて気づいたの。わたしはホークスへの憧れが強すぎて、あの人を超えられるわけないって無意識に諦めてた。常闇くんの、言う通りだったんだって」

 

 空中愛依という学友は、いつも自信なさげで、控えめで。

 でも今は、それだけではない。

 

「自分の弱さや甘さは、確かにあった。でもそれに気づけたから、次に活かすことができる。……空へ向けて、飛んでいける」 

 

 俯きがちだった瞳が、前を向いている。朝日を受けて輝く青い目で、空中はそれに、と付け加えた。嬉しそうに頬をほころばせている。

 

「あの男の人に連れ去られてからも、常闇くん、ずっとわたしを心配してくれてたでしょう?」

「無論、そんなものは至極当然のことだ」

「……常闇くんにとっては“当然”のことでも、わたしにとっては、嬉しかったんだよ」

 

 ありがとう、と。俺にそんなことを言う義理はないはずなのに、それでもその言葉が心からのものだとわかった。彼女は目を反らすことなく、真っ直ぐに俺を見ている。

 

黒影(ダークシャドウ)の暴走は、常闇くんが優しいから。優しく誰かを思いやっているから。だからどうか、自分を責めることはしないで」

 

 微笑んでから、ああそうだ、と俺の胸元に視線をやった。

 

「常闇くんだけじゃないね、黒影(ダークシャドウ)も、優しい」

「ウウ……ソラナカァ……いっぱいゴメンヨウ」

「ううん、いいの。こちらこそごめんね」

 

 ひょこりと顔を覗かせた黒影(ダークシャドウ)の頭を撫でる、空中の表情は穏やかだった。晴れやかでもあり、何の遺恨も残していないように見えた。しかし──

 

「俺には、やはり昨夜のあれを、流すことなどできん」

「……常闇くん、」

 

 何か言いたげな空中を制す。

 許されているといっても、俺は、忘れてはならない。

 

「空中、おまえは、“自分の弱さや甘さに気づいた”と言ったな」

「……、うん」

「俺もだ。俺も、気づいた」

 

 自分の未熟に気づいた。だからこそ、

 

「俺もそれを“次に活かす”。……“空に向けて飛んでいく”!」

「! ……うん、わたしも……!」

 

 決意を口にする俺に、空中は笑顔を輝かせた。わたしも、と同じように頑張ると決意してくれた。それが嬉しくて口許に笑みがのぼる。

 

 

「アララ、青春だなぁ。いいね若いって」

 

 そんな時、軽やかな笑声がやって来た。ホークスはいやに年上ぶっているが、いやしかし、

 

「ホークスは我らと7つしか変わらないと記憶しているが」

「まだまだ十分お若いでしょう」

「まー、こういうのは心の問題だから」

 

 飄々と笑ってから、ホークスは眉目を引き締める。

 

「さて、と。とりあえず現状を伝えておこうか」

 

 昨夜俺たちを拐った者は、博多を根城にしている指定(ヴィラン)団体の一員で、昨日の誘拐事件を経て組員全員が警察に逮捕されたのだそうだ。しかし組員の全貌が掴めるまでは、他の残党が逆恨みで我らに報復するおそれもある。そのため今日を含めた2日間はこの事務所で待機しなくてはならなくなったのだと。エスパースとシンセンスは、警察に協力して調査に動いてくれていて、我らの保護役はホークスとなったのだと。

 ……現状を知るにつれ、事の重大さと申し訳なさが肥大する。それはきっと空中もそうなのだろう、青い目が落ち込んでいる。ホークスが話し終わるのを待って、俺たちは揃って頭を下げた。

 

「勝手な行動をしてしまい、申し訳ない」

「本当に、すみませんでした……」

「ん。謝罪は受け入れた。……で?」

 

 ホークスは笑うように問い掛ける。

 君らはそうして、俯くばかりでいいのかい?、と。

 

「否!!」「っいいえ!」

「はは、息ぴったり」

 

 仲いいねぇ、とからかうように笑いながらも、その目が嬉しそうだったのは、きっと俺の見間違いではないのだろう。

 

「じゃあこの2日間は、君たちにトレーニングを課そう」

 

 そうしてホークスは、我々にそれぞれの課題を呈した。

 俺が“深淵暗躯”の強化をしたいと進言すると、ホークスは何かを考え込むように沈黙したが、それもつかの間、了承して俺の訓練を見てくれた。

 トレーニングルームで黒影(ダークシャドウ)を纏い、駆け、跳ぶ。その動きに視線を走らせ、指示を飛ばす。

 

黒影(ダークシャドウ)が剥がれかけてるよ」

「ッ、了解、再度纏い直す!」

「見たところ、常闇くんと黒影(ダークシャドウ)の行動意思がバラバラになる時に剥がれちゃうんだろうね」

 

 俺と黒影(ダークシャドウ)の間に、右に行く、左に行くといった大まかな選択に齟齬は無い。それでも前進する際に視線を動かす、足に力を込めるといった1秒ほどのラグが“深淵暗躯”を崩壊させているのだと、ホークスは指摘する。

 

「その僅かなラグを無くすには……やっぱ実践あるのみだね」

 

 頷きと共に、ホークスは剛翼を展開した。幾枚もの羽根が、俺たちを取り囲むように切っ先をこちらに向けている。

 

「今から俺は、剛翼で君を追い詰め、攻撃していく。それを黒影(ダークシャドウ)と一緒に避けてみな」

 

 へらりと、何でもないことのように課された課題に、一瞬目眩を覚えた。雄英でも当然のように高い壁を用意されてきたが、それと寸分変わらぬスパルタ加減を前に、口許を引き締める。──笑う。

 

「行くぞ! 黒影(ダークシャドウ)!!」

「アイヨォ!!」

 

 “空に向けて飛んでいく”と決めたのだ。こんなところで、地べたを這いずっている暇は無い。高い壁をこさえてくれたのだから、俺はそれを乗り越えるまでのこと!

 駆け出し、跳躍した俺に、ホークスは口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 俺がトレーニングルームでホークスに訓練をつけてもらっている間、空中は別の課題を与えられていた。昨夜の事件で羽根を使いすぎたらしく、まだ羽根がまだ生え替わってない空中には激しい動きはできない。それを踏まえて、ホークスは笑った。

 

『激しい動きは必要ないよ。空中さんには、……ごはん作ってもらおうかな』

『へ? ……ごはん?』

『そう、ごはん』

 

 食事を作る、と聞いて戸惑いを隠せずにいた空中だったが、ホークスの次の言葉に表情が強張った。

 

手を使わないで(・・・・・・・)、ね』

 

 ホークスの出した課題は、羽根を操って料理を作る、ということだった。食材を洗う、野菜の皮剥きをする、包丁を使って食材を切る、煮込む、炒める──普段何気なく行っている動作のひとつひとつは、さまざまな力加減を必要とする。複数枚の羽根を、さまざまな強度で、速度で、それぞれの動きで、同時に。……それを行うというのは、かなりの負荷が掛かるのだろう。

 

「だ、大丈夫か、空中」

「……こんなにジャガイモの芽を取るのが大変なんて初めて知ったよ……」

 

 夕方、トレーニングルームから戻ってくると、キッチンの椅子にへたりこんでいる空中がいた。声を掛けると、弱々しい呻き声が返ってくる。何とか夕飯のカレーライスを煮込む行程までやりきったらしい。くつくつと煮える鍋の中身を見て、ホークスはにこりと笑う。

 

「おっ、旨そうだ。楽しみにしてるね」

「うう、はい……」

「明日の朝食、昼食、夕食も頼むよ」

「ひえ……」

「ん? ……できる?」

「っ、やれます!」

「いい返事」

 

 満足そうに微笑んだ後、ホークスは視線をこちらにやった。目と目が合う。

 

「で、常闇くん。ちょっといいかな?」

「?」

 

 ニッ、と、少しだけ悪戯っぽく笑って。

 

「夜間飛行と洒落込もうよ」

 

 

 

 

 眼下には博多の夜景が広がり、まるで星空の上を行くようだった。ヒュオオと吹き荒ぶ風が耳元で鳴っている。頬を風が打つ。……いや、まるで、俺自身が風となっているかのようだ!

 

「ホ! ホークス!! 我々風となっている!」

「飛ぶの初めて?」

 

 俺はホークスに抱えられ、夜の街の上空を飛んでいた。声を弾ませる俺に、ホークスはゆっくりと話し始める。

 

「昨日の昼過ぎ、俺が言ったの覚えてる? 『常闇くんを呼んだのは2割が鳥仲間、半分はUSJのことを聞きたかったから』って」

「……記憶している」

 

 それは苦い記憶として俺の中に刻まれていた。悔恨を糧とするべく忘れまいと、誓ったばかりだ。

 しかしそれだけで終わらせようとする俺をとめて、ホークスは続ける。あの時の話の続きを。

 

「残りの3割さァ、常闇くんがもったいないことしてるなーって思ったからなんだよね」

「!」

「空はね、いいよ。物事を俯瞰して見られるから」

「……?」

 

 ホークスは恐らく、頭の回転が速いあまりに会話が飛び飛びになってしまうことがあるのだろう。それでも、断片的な言葉の中に、何かを伝えようとする意思がある。

 

「後進育成なんてする気ないんだけどさ」

「……“もったいないこと”とは?」

 

 だから、問い掛けた。

 “もったいないこと”──俺の欠点と、伸びしろを。

 

「弱点の近距離カバーに尽力もいいけど、“得意”を伸ばすことも忘れない方がいい」

 

 鉄塔の上に俺を下ろし、ホークスは歩いていく。夜風が吹き抜ける中、俺は壁を伝ってホークスの後に続いた。

 

「君はもっと自由に動ける。ホラ……鳥仲間のよしみさ」

 

 未だ眠らぬ街並みの灯りが、ホークスの静かな横顔を照らしている。

 

「飛べる奴は飛ぶべきだよ」

 

 その声色に、複雑な思いが込められている。それは同胞意識だとか、願望だとか、高みに立つ者の孤独だとか、苦悩だとか、決意だとか、──そうしたさまざまな感情が混ぜられているような、そんな気がした。

 

「──地面に縛り付けられる必要なんてない」

 

 赤い剛翼から覗くその目に、俺は、頷いた。

 

 

 

 翼を持たぬ俺が飛べるなど、思いつきもしなかった。まさに青天の霹靂といっていい、……天啓だった。

 信じる信じない、の話ではない。疑うなどしない。

 あのホークスが、“俺は飛べる”と、そう言ったのだ。

 

「俺は翼は持っていない。俺が持つのは──黒影(ダークシャドウ)だ」

 

 だったらその力で、俺は空へ行く(・・・・)

 

「うん……! 常闇くんと黒影(ダークシャドウ)なら、絶対にできるよ!」

 

 夜が明けて、ホークスとの話を打ち明けた空中は、まるで自分事のように喜び、信じてくれた。6日目はホークスも日課のパトロールに出向いたことから、俺と空中で残された課題に挑む。その傍らで、俺が空に行く手助けをしてくれた。

 

 ホークスからの助言。空中のサポート。

 黒影(ダークシャドウ)は「オレタチナラデキル!!」と力強くサムズアップした。生涯を共に歩んできた半身は、もうすべてを信じきっている。

 それらを手に入れた俺に、恐れるものなど、何も無い。

 

 

 

(ホークス)よ」

 

 職場体験、最終日。2日の待機期間を経て、俺と空中は午前中のパトロールに参加することになった。いつものミーティングを経て、いつものように窓から飛び立とうとする(ホークス)の背に、呼び掛ける。

 

「どうか、見ていてほしい」

「……うん、見てるよ」

 

 ふ、と笑って、空中に身を踊らせる。赤い翼がごうと強く羽ばたいて、その背中があっという間に小さくなっていく。

 ……それをもう、地上から追うだけの俺ではない!

 

「行こう、常闇くん!」

「承知!」

 

 空中が翼で飛び立つのに続いて、俺も窓から飛び出した。背中にエスパースたちの慌てた声が掛かる。事実、俺の身体は地上4階の高さに投げ出されたようなものだ。重力に従って落ちていく身体──しかし空中は羽根を飛ばさない。俺を、信頼を込めて見ている。

 

黒影(ダークシャドウ)ッ!!」

「任セナァ!」

 

 咆哮と共に、黒影(ダークシャドウ)に自身を抱えさせる。黒影(ダークシャドウ)は常に浮遊状態。俺を抱えれば空を飛ぶことも可能だと、そう気づくことができた。

 

黒影(ダークシャドウ)……黒の堕天使!!」

 

 ホークスに可能性を見出だされ、空中に励まされ、黒影(ダークシャドウ)に信じられて。そうして俺は、飛べる!

 

「……君たちは、すごいね。水をあげればどこまでも育つ……いや、」

 

 飛びながら身体を反転させ、ホークスは呟いた。その目が俺たちを映して、眩しそうに細められる。

 

「風をあげれば、どこまでも飛んでいけるね」

 

 嬉しそうにほころぶ師の笑みに、胸が熱くなっていく。

 それがきっと、どこまでも、俺の身体を飛ばしていける。

 

 

39.黒翼、飛躍する。

 

 


 

 念願の常闇くん回だからってはしゃぎすぎましたね……長くなって本当に申し訳ないです。ここまで読んでくださってありがとうございました。

 常闇くんはオリ主がいる関係で原作よりずっと焦燥感や劣等感、悔しさが募っていました。書いてる途中で「申し訳ないな……」と思いもしたんですが、常闇くんのメンタルなら葛藤があればあるほどバネにしてプルスウルトラしてくれるよな!!と信じてこうしました。ホークスと常闇くん、どちらも大好きなので、強化した常闇くんの活躍も、ホークスと常闇くん師弟の関わりもどんどん書いていきたいです。


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