▽注意事項
・本編より過去軸の番外編です。
・幼少ホークスとオリ主愛依と若目良さんがいます。
・ホークス視点。
あの家はいつも酷く、寒かった。
見るからにぼろっちいプレハブ小屋で、雨漏りや隙間風なんて当たり前。足を踏み出した床板はところどころ腐っていて、何ともいえない感触に顔を歪めることも少なくなかった。
『どけ!! 背中向けるな! 言うたろが! 何度目や!!』
少しでもマシにしようと、ベニヤ板で穴を塞ごうとしたらコレだ。背中を強かに蹴りつけられ、半ば作業のように“ごめんなさい”と口にする。
……父親だった男は恐らく、俺の羽根を疎んでいた。呼吸をするように殴る蹴るをしてくるのは八つ当たりのためだったのだろう。俺が生まれたせいで“自分が自由でなくなったこと”をいつも嘆いて怒鳴っていたから。
『ねえ、逃げんでね?』
そして母は、そんな“日常”に表情も動かさず、ただぼうっとつかないテレビを見つめていた。耳元に落ちてくる雨水のように、どろりとした声で何事かを呟きながら。
『……。』
こうは、ならない。俺は、壊れない。
毎晩そう心に誓いながら、ゴミ溜まりの中で眠った。すえた臭いが鼻につく。吹き荒ぶ寒風が入り込んで身体を震わせる。毛布なんて上等なものは与えられなかったから、自分の翼で身体をくるんだ。エンデヴァーの人形さえ抱いてれば、心は熱を保ったままでいられた。
それで俺は、耐えられた。
──それだけで俺は、よかったのに。
「けいごくん、……けいごくん?」
小さな声での呼び掛けに、意識が現在へと戻ってくる。はっと目を開いて、素早く瞬き。すぐにいつもの笑顔を浮かべて隣の
「、ごめん。どしたの?」
「あのね……」
控えめに袖口を引かれて、俺は身体を屈めた。愛依のこれは【耳打ちしたいから屈んでほしい】という合図。いつの間にかいつもの“決まりごと”になっていたなァと、そんなことをぼんやり考えた。
「あのねけいごくん、めらさん、みて?」
「目良さん?」
彼女が小さな指で差した先を見れば、廊下に設置されたソファーに深く腰かけた目良さんの姿があった。いつもの缶コーヒーを飲みに来たのだろうに、プルタブに手も掛けないでぼうっと天を仰いでいる。
見事に燃え尽きとーね、と目良さんのいつもながらの多忙さに心で合掌していたのだが、愛依は心配そうにその眉を寄せていた。
「つかれてるのかなって、おもったの。どうしたらいいかな……」
「んー? ……んー、そーだなァ」
まさか公安の仕事を手伝うわけにもいかないし、そもそも愛依だって訓練や勉強で忙しい身だ。そんな大掛かりなことはできないし──と、そんなことを考えている時だ。
ふと、薄暗い部屋で気まぐれに映ったあのテレビが脳裏によぎった。ゴミ部屋を場違いに明るく照らしたあの番組で、やたら声を弾ませていた、どこぞのタレントの言葉だったように思う。
「──そうだ愛依、ハグとかどう?」
「は……ぐ?」
「ふは、……ええとね、“はぐ”って噛むことじゃないんよ実は」
「?」
あ、と口を開け、ん、と閉じてみせる愛依の顔は至極真面目そのもので、だからこそ込み上げる笑いを堪えながら俺は続けて説明する。
「ハグってのは、誰かをぎゅっと抱き締めることだよ」
「ぎゅっと?」
「ぎゅーっと」
「……それでつかれてるのがなおるの?」
「らしいよ」
ふぅん、と小さな声で相槌を打つのを聞きながら、俺は目良さんに視線を戻した。彼は先ほどと同じ体勢で天を仰ぎながら指で眉間を揉んでいる。ウン、相当キテると。
(こんな時に愛依にハグされたら……まァ目良さんだし嫌な思いはしないでしょ)
きっといい感じに慌てたり、びっくりして固まったりした後に、笑ってくれるだろう。そんな想像に笑みを浮かべながら愛依をけしかけようとした時だった。
ぎゅむ、と。
俺の脇腹辺りに回された腕に、笑ったまま固まった。
「……え、」
見下ろせば、白い髪と小さなつむじ。それがぐりぐりと身動いで、暫くして青い目が俺を見上げた。じっと俺の様子を窺うような、真っ直ぐな目。ぱたり、小さな白い羽根がはためいた。
「えーと、あの、愛依?」
「けいごくんがつかれてるのも、これでなくなった……?」
──疲れている? 俺が?
“そんなことないよ”って笑えばいいだけなのに、いつも軽々動くはずの舌が何故か、言うことを聞いてくれなかった。黙り込んだままの俺を不思議そうに、心配そうに愛依が見ている。……早く、早く、取り繕わなくちゃ。この子を心配させたいだなんて、少しも思っていないのに。
「……うん」
それなのに、その目が俺を見つめてくれるのが嬉しい、なんて。
情けないなァ、と苦い気持ちが心を掠めるけれど、それより大きな、あたたかい何かの感情が俺に笑顔を浮かばせた。
そのまま白い髪を撫でると、愛依は嬉しそうに頬をほころばせて笑う。……何だかそれがあんまり幸せそうで、見てる俺まで擽ったい。
「……んー、でもまだ足りないなァ」
「えっ……わ、わかった!」
「ワァ力強……ふくく、」
「……なんかおかしい?」
「なーんも?」
ちょっとふざけてみれば、それも愛依は真剣に受け取ってしまうものだからおかしくてたまらない。ぎゅうぎゅうに力を込めて抱きついてくるのが可笑しくて、可愛くて、……ああ嫌だな、顔がにやけて仕方ない。
「うん。元気でたよ、愛依」
「ほんとっ?」
「ホント」
“からかわれてるかもしれない”とやや不機嫌そうだったのはどこへやら、俺の一言でぱあっと声と笑顔を輝かせる。いつもは白い頬が蕩けて、林檎みたいに赤く染まった。
「んふふふ、」
「にこにこ顔だ」
「だってね、おかしいの」
「ええ? 何が?」
「だってわたしのほうが、うれしくなっちゃった」
げんきをだしてほしくてやったのに、ふしぎだねぇ。
愛依がほやほや笑ってそんなことを言うから、俺は何かが胸に迫って何も言えなかった。それを飲み込んで、引き結んだ口許を笑みの形にして、俺は愛依の背中を柔く押す。
「効果覿面ってやつだね」
「てきめん?」
「こうかはバッチリってこと! だから目良さんにもホラ、やってあげな」
「! うんっ!」
促す俺ににこっと頷いて、愛依は小走りで目良さんの元に向かった。足音に気づいて視線を向けた目良さんにはじめはもじもじしていたけれど、暫くして覚悟を決めたのかぎゅっとその足に抱きつく。……あァやっぱり、驚いたんだろう、いつも眠たげな目良さんの目がぱっちり開いて、それから柔らかく弧を描いた。骨ばった大きな手が、おずおずと愛依の頭を撫でている。
そんな光景を遠目に見ながら、俺はこっそり息をついた。溜め息というにはあたたかく、ただの呼吸とするには重たいそれを。
(……あァ、ほんっとに……)
あたたかいなと、ふと思う。いつかの時を思えばなおのこと、何でもないようなやり取りが、言葉が、笑顔が、心に熱を昇らせた。それは俺に笑顔をもたらすけれど、同時にどうしようもなく、途方に暮れる。
憧れた太陽を抱き締めるだけで、幼い俺は耐えられた。心に熱を保っていられた。それだけでよかったと、本気で思っていたのに。
今はもうこのあたたかさを知ってしまった。それを失う時が来たら、──俺は“大丈夫”でいられるだろうか?
(……でも、せめて。……今だけは)
今だけは、この日溜まりに浸かっていたい。そんなのはただの現実逃避に他ならないのに、ふわふわ笑う青空の目が、目に焼き付いて離れない。
◯べさんより頂いた素敵ネタを小説にさせていただきました。ありがとうございました!!!!