46.少女、飛行機に乗って。
壁に映るポインタを追って羽根を飛ばす。上下左右不規則に動く的は、ふと瞬きをするだけで見失ってしまいそうだ。……でもそれだけに集中してはいられない。部屋の四方、それぞれ上下に二つ、計八つの装置。そこからわたしを狙って射出されるボールを避けたりいなしたりしなければならない。
右後ろ、ボール、もっと高く飛んで避ける。的は、左方。まだ追える。ひゅんと風を切る音を羽根が拾った。後ろから、左右同時に迫るボールは避けきれない、羽根でくるんでガード!
「よし、……!」
上手くできた、と息つく間もない。次いで飛んできたボールを飛んで回避、移動した先に待ち構えていたボールは背中の羽根で受け止めようとして──そこで気づく。手持ちの羽根が、ない!
「……っわ!」
左肩をしたたかに打たれて、飛行姿勢が崩れる。痛みと衝撃に一瞬思考と身体が硬直した。その隙を逃さないとばかりに、鳩尾、右足、胸元、立て続けにボールを喰らってしまう。そして最後に側頭部に一撃。くらりと目眩がして、羽根の制動権を失って、落ちる。……最後の意地で崩れ落ちることなく着地したけれど、それが限界だった。へたりと片膝をついてしまう。
「そこまで」
「……あ、ありがとうございました……」
静かな制止の声とともに、装置の電源が切れる。スーツ姿にサングラスを掛けたその男性は、ここ公安に所属している職員さんの1人。わたしに訓練をつけてくださっている1人だ。
彼は訓練中にさまざまなメモを取っていたのだろう、バインダーに挟んだ資料をめくりながら話し始める。
「3ヶ月前より複数枚の羽根をそれぞれ自在に操れるようになっている。羽根を使った移動、防御、攻撃、感知……精度も上がっている。後は放った羽根の回収を怠りなくするべき、だが……」
サングラス越しの目がこちらを向く。わたしはずきずきと痛む頭を押さえながら、その眼差しを受け止めた。
「……それ以前に、その頭痛をどうにかするべきか」
「……は、い……」
そう、わたしにも成長したところはある。けれど当然課題も山盛りだ。その課題のひとつに【複数枚の羽根を動かす並行処理に頭が追いつかなくなり、頭痛を起こすこと】が挙げられる。まるで処理落ちするコンピューターみたいに、脳が軋み、ついにはブラックアウトしてしまう。最近は意識を失うまでいかないけれど、脳の痛みもあってパフォーマンスが低下してしまうという弱点があった。
夏休みに入ってからというもの、この公安のビルで訓練を受け続ける日々を送っているわたしだけれど、いつもこの痛みで躓いてしまっていた。
「特に強い頭痛が発生するのは、どんな時?」
「……羽根の振動を感知する時です。小さな音を感じ取ろうとすると、その分意識を集中させなければいけないので」
少し考えてから答えると、職員さんはふむ、と思案の息をつき、何事かを書類に書き込んだ。そうして幾つかの書類を見比べている。とん、とん、と手にしたボールペンがなぞるように記述を叩いた。
「頭痛軽減の術を探るためにも……そろそろ君の“個性”の状態も検査しなくてはいけないだろうな。前回のメディカルチェックから間も空いているだろう」
「そう……ですね」
最後に検査を受けたのはいつだっただろうか、と考えなくてはいけないくらいには、その記憶は遠かった。口許に手を当てて、視線を落とし、思考に沈む。
だからか、部屋に
「そういうことなら、うってつけの話がありますよ」
「……! ホークス!」
呼び掛けると、ホークスはへらりと笑って応えた。久しぶりだね、と軽やかに手を振りながら、こちらに歩み寄ってくる。
「ホークス、あの、“うってつけの話”って……」
「おまえのメディカルチェックと、頭痛の軽減。どっちもできるところがあるんだよね」
にんまりと笑みを深めて、ホークスは続ける。
「I・アイランド。知ってるでしょ?」
“I・アイランド”──その単語にわたしは目を丸くした。知ってるも何も、そこは今何かと話題になっている場所だ。
「確かもうすぐ、いろんな研究成果の発表の場としてI・エキスポが開催されるんだよね?」
「そ。そこに公安部が懇意にしてる科学者がいるんだけど、そのI・エキスポの準備で島を離れられないんだってさ。『おまえらが出向くなら診てやってもいい!』……なーんて言われちゃったんだって」
「……それ本当に診てくれるのかな……?」
なんか声真似がやたらドスの効いた声だったのだけれど、と心配になってしまうわたしに、ホークスは大丈夫大丈夫!と至って軽やかに笑ってみせる。
「ホークス、君がスポンサードしてる企業から招待を受けているのは聞いていたが、……彼女も連れていくのか」
「ええ。招待券には【同伴者を2名まで連れて来てもいい】ってあるので。ちょうどいいでしょ? 端から見れば【プロヒーローとその事務所に職場体験に来た将来有望なヒーローの卵】って感じで」
わたしに向けるその笑顔とは、少し色を変えて、ホークスは職員さんを見据える。
「こういう時に変な勘繰りをさせないための、“指名”──ですよね?」
声は、穏やかだ。……それなのにどうしてこんなに、有無を言わせないような響きがあるのだろう。
「……このことを会長は?」
「知っていますよ。さっき許可も取ってきました」
「なるほど。相変わらず行動が速い」
「それが俺の取り柄なんで!」
ホークスがにぱっと明るく笑う頃には、固い雰囲気は霧散していた。職員さんはひとつ頷き、部屋を出ていく。思わず肩の力が抜けて、深く息をしたわたしに、ホークスは向き直った。
「おまえもね、見たことは無いけど会ったことあるんだよ」
「? その、さっき言ってた科学者さん?」
「うん。昔メディカルチェックのためにこのビルに来てたドクター、覚えてる?」
「……確かに顔は見てないけど、……その人が?」
「そ、」
ホークスは目を細めた。
静かに、優しく、……どこか翳りを滲ませて。
「……おまえの“個性”についても、よく知ってる人だ」
そんな話をしたのが3日前。それからあれよあれよという間に、わたしは空の上にいた。空の上──飛行機の中に。
「では
「そういうこと。ま、ヒーローってのは人気商売なとこあるからね。愛想よくしてなきゃならない時もあるんだよ」
「そんな身も蓋もない言い方……」
企業に用意してもらったというプライベートジェットの中で、わたしはホークス、常闇くんといつものように会話していた。……今でこそ“いつものように”だなんて言えるけど、わたしも常闇くんも、ここに足を踏み入れたばかりの時は緊張でカチコチだった。
プライベートジェット、と聞くだけで気後れしてしまっていたのに、実際に乗ったそこはまさに“別格”──もはや“別世界”と言っていいところだったのだ。机やキャビネットなどの家具はダークウッドの木目調で統一されていて、ぴかぴかに磨かれていた。オフホワイトの座席は上質なレザーで出来ているそうで、これだけ座っていても疲れが全くやってこない。足を伸ばしてゆったり座れるスペースがあるのは勿論、後方にはトイレだけでなくシャワールームまで完備されていた。
そんな中でホークスは緊張なんて欠片もなく、慣れたように備え付けの冷蔵庫から高そうなジュースを持ってきてくれたけれど、わたしはグラスを持つ手さえ震えてしまった。……それを見たホークスがおかしそうに笑っていたのは、うん、もう忘れたい……。
「フム……No.3の肩書きは重いのだな」
「重いっていうかねー……まァ俺に限らず、ヒーローには色々とあるもんだよ」
「そういうものか」
ホークスに届いたI・アイランドへの招待券。同伴者は2名までということで、常闇くんも一緒に来てくれることになった。今は好物だという林檎のジュースを口に運びながら、ホークスの話に真剣な顔で相槌を打っている。
「ホークス、貴方が招待されたということは、他にも多くのヒーローが来ているということだろうか」
「そうだと思うよ。I・アイランドの科学者たちの発明にお世話になってるヒーローは多いからね」
俺も含めて、と顔を上げたホークスは、その目をイタズラっぽく閃かせた。
「さてここで問題。“I・アイランドの成り立ちや特徴を答えよ”」
「えっ? えっ、と、」
まるで学校の教師然とした声を作って、彼はわたしに問い掛けた。びっくりして吃りながらも、わたしは出発前に目を通してきた情報を諳じる。
「I・アイランドは……世界中のヒーロー関連企業が出資して、“個性”の研究や、ヒーローアイテムの発明等を行うために作られた学術研究都市です。この島が移動可能な人工島になっているのは、研究成果や発明品を狙う
「その警備の強固さから、今まで
「正解! さすが2人とも、よく勉強してるね」
ぱちぱちと小さく拍手しながら、ホークスは目を細めた。その藤黄色の目に、面白げな光を湛えて。
「君らにとって、きっと得るものが多い旅になると思うよ。なんせ世界中の技術の粋を集めた場所だ。頭がメチャクチャおかし、……良い人たちが研究に研究を重ねているからね」
「今“頭おかしい”って言いませんでした?」
「あっはっは」
「……露骨に笑って誤魔化すのは如何なものか」
「本当に! もう、それで誤魔化せると思ったら大まちが、」
常闇くんに続いて言い募ろうとして、やめた。機内にアナウンスを告げるチャイムが鳴り響いたからだ。
『本日は当機をご利用頂きありがとうございます。大変長らくお待たせ致しました。当機は間もなくI・アイランドへの着陸態勢に入ります』
「さて、ようやくか」
んーっ、と伸びをして、ホークスは笑う。
「I・アイランドは“個性”を研究する大機関。日本と違って“個性”の使用は自由だから、ヒーローコスチュームで行動するのが普通なんだって。常闇くんや
「はい、……常闇くん、お先にどうぞ」
「ム? そうか、では先に失礼する」
スーツケースを手にバスルームの方へ歩いていく常闇くんを見送って、わたしは窓の外を見下ろした。遠目にぼんやりと見えてきた島が、件のI・アイランドなのだろう。真っ青な空や海は眩しく、快晴に恵まれているというのに、……わたしの心は曇っていた。
「心配いらないよ、
……そんなわたしの思いを、いつだって、この人は見透かしてくる。
「信頼の置ける科学者でありドクターだ。彼はおまえに危害を加えるような人じゃないよ」
「それは、わかってるよ」
「じゃああれだ、……“個性”の変化が気になる?」
「……、……うん」
頷くと同時に、視線が落ちる。気付かない間に掴んでいたスカートはぐしゃぐしゃだ。その皺は、まるで今のわたしみたい。感情がぐちゃぐちゃになっている、わたしの中身みたい。
だって、だってわたしの“個性”が、もし──
「大丈夫」
ぎゅっと目を瞑ったわたしの頭上に、
その声が、まるで羽根のようにふわりと落ちてきた。
「大丈夫だよ、……ちゃんと、傍にいる」
……ああ、きっと、ホークスは知らないんだろうな。
わたしがどれだけ、あなたに救われているか。
「……嬉しそうな顔しちゃって、まあ」
わたしを見て、ホークスは苦笑を浮かべた。仕方ないなあ、と言いたげな目で。声で。
「俺が言うのもなんだけど、悪い人に騙されちゃ駄目だよ」
「そっ、そんなのわかってるよ、子どもじゃないもの」
また子ども扱いして、と眉が吊り上げる。わたしが何もわかっていない、何も考えていない子どもだと思ってるなら、それは大間違いなんだから。
「わたしだって、……信じていい人とそうじゃない人の違いぐらい、わかるよ」
わたしはこれを言った時、何だか気恥ずかしくてそっぽを向いていた。だから知らなかった。知る由もなかった。
「…………、」
ホークスが息を飲んで、目を見開いて、
「……ほんと、馬鹿だなぁ」
そうして浮かべた表情が、どんなものだったかなんて。
飛行機から空港に降り立ったわたしたちは、水平型エスカレーターに乗って入国審査を受けた。ただ乗っているだけで空中モニターに健康チェックや個人情報のスキャン映し出される。さすがのハイテクさに感心している──暇もなかった。それから数分後、……時間としては短いものの、空港を出たわたしと常闇くんはげんなりと項垂れてしまっていた。
「いやあごめんね? 俺、腐ってもNo.3だからさ」
「……重々、身に染みた……」
「右に同じく……」
No.3ヒーロー、【速すぎる男】……そう呼ばれる彼の人気を侮っていたのかもしれない。もちろん職場体験で見たように、ホークスが老若男女たくさんの人に愛されているということは知っていた。……知っていたけれど、その規模を、熱量を見誤っていた。
『I・アイランドにようこ、……っほ、ホークス!?』
『どもー、こんにちは』
『ええっ本物!? ちょ、ちょっとサインいいですか!!』
『あはは、どーぞどーぞ』
ホークスが手慣れた様子でファンサを重ねるたび、歓声が更なる歓声を呼ぶ。そうしてあっという間に膨れ上がった人だかりに、わたしたちはぎゅむぎゅむ押され、まともに身動きもできずもがくしかできなかった。キリの良いところでホークスが切り上げていなければ、わたしはグロッキーになっていたに違いない……。
……思わず手で口を覆ったわたしの肩を宥めるように叩いて、ホークスは前方を指し示す。
「ごめんね空中さん。でもホラ、見てみて」
「……わあ……!」
顔を上げた先には、まるで近未来のような世界が広がっていた。“個性”研究の粋を集めて建てられたパビリオンは数多く、巨大なハープを模したものや、さまざまな球体が太陽系のように連なり回転しているもの、球体のすべてが水で覆われたものなど多種多様だ。今まで見たこともないほどに不思議な、夢のような光景に、わたしの声が上擦った。隣にいる常闇くんも驚きに目を見張っている。
「すご……何だか、タイムスリップして未来に来たみたい」
「……さすが、世界最高峰の”個性“学術研究都市といったところか」
「スゲー!! オイフミカゲ、ソラナカ! 見てミロヨ! バイクが宙に浮イテルゼ!」
常闇くんの肩口から現れた
本格的なI・エキスポは明日からだけど、今日はプレオープンということで多くの人で賑わっていた。パビリオンを運営する研究者や、わたしたちのような招待客。ホークスと同じように招かれたのだろう、テレビで見るようなヒーローの姿もあった。
さまざまなパビリオン、さまざまな人々……それらを眺めながら歩いていくと、島の中央部に聳え立つセントラルタワーが近付いてきた。この島の心臓部とも言えるその塔を──ホークスは素通りしていく。
「……え? あ、あの、ホークスさん」
「うん?」
「その……わたしたちは今、あなたのお知り合いの研究者さんのところへ向かっているんですよね?」
「そうだよ」
「研究室があるの、セントラルタワーじゃないんですか?」
不思議に思って声を上げると、隣の常闇くんも頷いた。
「俺も空中と同じく疑問を抱く。著名な研究者は、あの高き塔に研究室を持つことができると聞いた。それがこの島に住まう者にとって、最高の栄誉だと」
「よく調べてるね。だけど今から訪ねる研究者は随分な偏屈さんでね。研究室の話を辞退したんだよ」
「辞退……?」
ワケがわからずに?マークを塗り重ねるわたしに、そう、とホークスはおかしそうに笑う。
「『あいつの下で部屋もらって研究なんてできるか! 僕は1番になってここに帰って来てやる!!』……だってさ」
「それは……なんというか、」
「……癖のある御人だな」
「面白い人だよね。俺好きだよ、そういうガッツのある人」
からかいの混じった軽やかな笑顔。へらりと浮かべられたその裏に、隠しきれない熱がある。
(……エンデヴァーさんと、重ねているのかな)
ホークスのオリジン。忘れられない憧れ。彼が愚直に努力を重ねてきた姿をずっと見てきたんだと、いつだったか話してくれた。不器用だよね、と笑いながら目を細めるホークスは、まるで太陽を見つめているかのようだと、小さなわたしは思ったのだったっけ。
知らず知らずのうちに、口許に笑みが浮かぶ。そんな風に昔のことをぼんやり思い出していたから、だから、気が付かなかった。
「人が聞いていないと思って、好き勝手話してくれるな」
突然聞こえてきた声は、まるで氷柱のように鋭くわたしの耳を穿った。思わず肩を揺らしてしまうも、ホークスは気にした様子もない。振り返りざま、笑いながら
「やだなぁ、こう付け加えようとしてたんですよ? 『変人で偏屈で情緒不安定だけど腕と頭は一級品』って」
「No.3ヒーロー様にそうまで褒めていただけるとは、まこと光栄の至りで」
刺々しい皮肉を放つ
「……で、ホークス。そいつらが今日の客か」
「そうですよ。ほら、自己紹介」
「雄英高校1年A組、常闇踏陰と申します」
「わ、わたしも同じく、1年A組の、空中愛依です」
わたしがそう名乗った途端、男性は眼鏡越しの黒い瞳を揺らした。不機嫌そうだったそれが驚きに丸くなって、
「……なるほど、」
それから何かを思案するように、注意深く細められた。
「ならば僕も名乗らねばならないな。
僕は
よろしく、と淡々と紡がれた声を聞いて、やっと思い出す。わたしは昔、この人と出会ったことがある。
(そうか、この人が……)
公安部と懇意の科学者でありドクター。あの時、幼いわたしの“個性”を解析、分析してくれた人。
──わたしの“個性”を、よく知る人。
「……よろしく、お願いします」
不安はある。それでも、ホークスが“大丈夫”と言ってくれたから。
だからわたしは声を落ち着けて、深く頭を下げた。
46.少女、飛行機に乗って。
まず始めにたくさんの評価並びにお気に入り登録、感想などなど、本当にありがとうございます。拙いSSですが、こうも書き続けていられるのは読んでくださる皆様のおかげです。本当に本当にありがとうございます!
そして2人の英雄編ですが、展開に悩んで悩んでなんとまたオリキャラを出すという暴挙。オリキャラは(ポンコツ筆者が書ききれないので)なるべく出したくはなかったのですが、今後の展開を鑑みてどうしても必要だったので……悪しからず御了承いただければ嬉しいです。
ちなみに最上ですが、名字は違うもののスピンオフ作品のヴィジランテに出てきたとある人と親戚関係にあります。またいずれほのめかしていきたいです。ヴィジランテといえば最新話に出てきた学生ミルコがメチャクチャカワイイヤッター!なので全人類読んでください(ダイマ)。