「げほ、ぷはっ、うええ……」
「無事か、
「大丈夫だけど……っ口の中がじゃりじゃりする……」
「オーっ! ココ暗くテイイナ!」
「
自分から森を選んだんだから、わざわざ土砂を降らさなくてもいいのに……、なんて不満を飲み込んで辺りを見渡した。さっき上から見ていた通り、鬱蒼とした森が広がっている。分厚い葉っぱの波に遮られて、太陽の光があまり届かず、薄暗い。
「私有地につき“個性”の使用は自由だよ! 今から3時間! 自分の足で施設までおいでませ!
この……“魔獣の森”を抜けて!」
マンダレイの明るい声に似合わないその単語に、思わず声が裏返る。
「ま、魔獣の森……?」
「…………」
「……、常闇くん、テンション上がってる?」
「! 否……! このような些事で心を揺らすなど笑止!」
「そう? ……そうかなあ」
常闇くんは否定するけれど、その赤色の目がどこか輝いているような気がした。
こんな風に、お気楽な会話をして、お気楽なことを考えていたけれど、そんな暇はないんだと思い知らされた。ぱき、と木の枝を踏みながら現れた
「……ああ、なるほど……“魔獣の森”ってそういう……」
見上げんばかりの巨体は、ざっと4mほどあるだろうか。四つ足をついている姿勢は野生動物を思わせるけれど、動物にあるべき毛皮どころか、目も鼻も耳も無かった。その代わり、人ひとり簡単に飲み込めそうなぐらい大きく空いた口には、鋭い牙が並んでいる。およそ自然界に存在しないクリーチャーは“魔獣”といって差し支えないだろうなと、遠い目をしながら思う。
「この魔獣……土で創られている!」
「みたい、だね!」
振り上げた前足から溢れ落ちた土くれを見るかぎり、この魔獣をつくったのはピクシーボブだろう。確か彼女の“個性”は【土流】。土石流を生み出して足場を操作する他にこんな使い方もできるんだなと感心しつつ、魔獣の攻撃をバックステップで避ける。トンっと跳躍して宙に浮きながら、思考を巡らせた。
目や鼻、耳といった感覚器官が無いのにどうやってこっちを捕捉して襲ってきているのかわからない以上、羽根による目眩ましや撹乱は意味を成さないだろう。だったらやることはひとつ。シンプルだ!
「……やあっ!」
全体重を支えている後ろ足を狙って、羽根の弾丸を放つ。わたしの羽根にそこまでの威力は無いから、破壊ではなくバランスを崩すことが目的だった。けれど土魔獣は案外脆かったらしく、弾丸を受けたその両足から崩れ落ちていく。
あれ、と瞬きひとつ。思ったよりも柔かったそれに、ああアカデミー生であるわたしたちに合わせて耐久性を低くしているのかもしれない、と思い至ると同時に、ある考えが頭によぎった。
わたしの羽根でこれなら、常闇くんと
「マダ! オワランゾォォォ!!」
咆哮に視線を吸いとられ、そちらを見る。するとそこでは
「見事に粉微塵……いっそすがすがしいね」
「フン……他愛ない」
常闇くんは何でもないようにクールに振る舞うけれど、圧倒的な攻撃力は頼もしいの一言だ。さすがだねと笑いかけた時、遠くの方でドォンと派手な爆発音がした。他にも色んなところから喧騒が聞こえてくるから、みんなあの土魔獣と交戦しているのだろう。質より量を重視した結果があの脆さなら、納得がいく。……でもいくら脆いとはいえ、A組のみんながみんな攻撃に適した“個性”じゃない。
「みんなをアシストしながら、」
「施設まで行く。……だな」
「うん!」
意図を汲み取ってくれた常闇くんに頷き、頷き合って、わたしたちは同時に飛び立った。上は幾重にも折り重なった枝や葉っぱで塞がれてるから、低空飛行で木々の間をすり抜けていく。そうしてしばらく行くとみんなの姿が見え出した。みんな、それぞれの“個性”で土魔獣に相対している。
視線を巡らせる。緑谷くん、爆豪くん、轟くん、飯田くんの姿は確認できなかった。攻撃力と機動力を兼ね揃えた彼らだから、きっともう先に行っているのだろう。彼らは心配しなくていいと判断して方向転換。羽根を降らせて土魔獣の手足を砕く。
「! 助かりましたわ空中さん!」
動きを封じた魔獣に追撃し、それが完全に沈黙したのを見てとって、わたしは八百万さんの傍に降り立った。彼女は薄く汗をかいて肩で息をしている。疲労しているようなのは、恐らく、
「八百万さん、何か創ろうとしてるんだね?」
「ええ、ですが魔獣の波状攻撃が続いていて……それを防ぐための小物を【創造】すると、元々創ろうとしていたものはリセットされてしまうんですの」
「そうなんだ……」
ありとあらゆる万能“個性”にも、大抵弱点や副作用は存在する。八百万さんの【創造】もそうなんだなと頷く。そうこうしているうちに重たい足音が近づいてきて、わたしは彼女の前に庇い立った。
「じゃあ……八百万さんは【創造】を続けてくれる? わたしが時間を稼ぐよ」
「……すみません、申し訳ないです」
「ううん。その、ほんとに気にしないで」
八百万さんが俯く必要なんてない。そう伝えたくてわたしは笑った。思い浮かべるのは、期末試験での一件。
「『時間さえあれば、私たちの勝ち』」
あの時。相澤先生を相手に八百万さんが言った言葉。それを思い出したのか、八百万さんの黒曜石の目が瞬いた。
「あの時の八百万さん、とっても頼もしくて格好よかったもの。最善策を考えて、【創造】して、突破口を開く──そのための準備とか時間稼ぎなら、わたしにもできるから」
わたしも頑張るから、お願いね。そう言ったわたしに、八百万さんはその目を閃かせた。決意と、自信に。
「ええ、お任せください!」
そこにはもう、自信を無くして俯く女の子はいない。勝ち気な眼差しに、口許には微笑。それがとても頼もしくて、わたしは笑って視線を前に戻した。迫り来る魔獣に対し硬化させた羽根を飛ばす。
魔獣は相変わらず脆いけれど、数は多い。わたしはよく手持ちの羽根を使いきって失敗することが多い。それは公安での訓練で身に染みていたから、放った羽根の回収は優先して行った。羽根で土魔獣を貫き、砕き、回収しつつ次に備える。
幾つかの魔獣を土に還した時、ふと、視界の端から短い悲鳴が聞こえて、わたしは咄嗟に羽根を向かわせた。硬化はさせない。柔らかいままのそれは、カーペット状になってその子を受け止める。
「透ちゃん! 平気? 怪我は?」
「
魔獣の間合いから引き離し、自分の傍に寄せる。透ちゃんは明るい声でお礼を言ってくれた。羽根から降りた彼女を背に庇い、ほっと安堵の息をつく。透ちゃんの“個性”【透明人間】は隠密性に優れた唯一無二のものだけれど、面と向かっての戦闘だとやや分が悪い。だからこうして合流できたことに胸を撫で下ろしていた、そんな時。
「──できた!」
背後からの声に振り向くと、八百万さんが制服のスカートをたくしあげていた。下着が見えたわけではないけれどだいぶギリギリなそれにストップを掛けようとして、言葉を飲み込む。剥き出しになった太ももから
「……バイク?」
「その中でもモトクロスなどで使われる、所謂オフロードバイクですわ!」
八百万さんはスカートの裾を払いながら颯爽とバイクに乗った。
「ちょうどよかったですわ、葉隠さん、私の後ろに同乗していただけますか? そしてこれを追従する魔獣に向けて投げてほしいのです」
「何これ? マトリョーシカ?」
「中身は私特性の閃光弾ですわ」
「ああ、これ、期末試験で創ってたやつ?」
「ええ。しかしそれから少し改良を加えて、聴覚障害を引き起こすまでいかなくとも、派手な音が鳴るようにしてあります」
わたしの質問に答えながらも、八百万さんは絶えず【創造】を続けていた。透ちゃんの分のヘルメットに、わたしにはゴーグル。閃光弾による眩惑効果を防ぐものなのだと、すらすらと説明は続く。
「空中さんには私たちの前を先行して飛んで、なるべく他の方々がいない道を選んでいただきたいのです」
「他のみんながいない道? それはどうして?」
「閃光弾による光と音で他の魔獣を引き付け、皆さんの進行ルートを確保するためです」
「!」
八百万さんは、今ここにいる自分たちが施設に行くことだけを考えているのではなかった。広く視野を持って、クラスみんなの無事を考えていた。これが彼女の、最善策。
わたしは感心と尊敬の念とともに、強く頷いた。
「うん……! わかった、先導は任せて」
「私も私も! ぽいぽい投げちゃうよー!」
「助かりますわ!」
意気込むわたしたちに微笑んで、八百万さんはブォンとエンジンを噴かした。前に進み出るわたしと後ろに乗り込む透ちゃんを見て、声を張り上げる。
「発車いたしますわよ! 準備はよろしいですか?」
「ばっちりです!」
「オッケー! いつでもどんとこい!」
「では……行きます!」
合図の声とともに、翼を打ち鳴らして進む。「まずは景気付けに一発どうぞ!」「よしきた!」なんて会話が後方から聞こえてきたと思ったら、一拍置いて炸裂する衝撃音。びりびりと振動が木々を震わせる。羽根を幾つか前方に飛ばすと、振動を感知してか魔獣がこちらにやって来る足音を拾った。よし、と気合いを入れ直す。
「八百万さん! 右方から何匹か来てる!」
「了解! 左方向へ行きましょう!」
「わあ、後ろからも魔獣いっぱい来てる! 第2弾いっくよー!」
飛んで感知してまた飛んで、バイクも悪路を跳んで跳ねては閃光弾をぶっぱなす。作戦のために遠回りの道を選んだことや、そもそもの距離が長過ぎたせいもあって、わたしたちが施設に辿り着いたのはみんなと同じ、カラスが鳴く夕闇迫る頃だった。施設の時計は5時を指していたから、約7時間弱もの間森を爆走していたことになる。
「なんかあんたらのとこだけ爆音すごかったからさ、映画みたいなドンパチ始まったかと思っちゃった」
「うむ……何事かと思ったな」
「あはは、ごめんねー」
「ご心配お掛けしました……」
夕食の席でそう話す耳郎さんに、障子くんが深々と頷く。特に聴力に長けた2人だから、意図して距離を置いたとはいえ大変だったのだろう。頭を掻く透ちゃんの隣で、わたしも苦笑いを浮かべた。そんなわたしのもう片方の隣では、八百万さんがぐったりと項垂れている。
「うう……」
「本当にお疲れさま、八百万さん……だ、大丈夫?」
「ええ……はい……」
「少しは効果あるかな……治癒しておくね」
そっと彼女の肩に触れて、エネルギーを送り込む。わたしのこれは【自己再生】のエネルギーを【譲渡】する仕組みだから、怪我や病気ではない脂質の喪失に効果があるのかはわからない。それでも何かしたくて触れ続けていると、八百万さんの目がゆっくりと瞬き、目にハイライトが戻ってきた。脂質の喪失が“欠損”にカウントされて【自己再生】の対象となったのか、どうやら効果はあったみたいだ。ほっと息を吐くと、微笑む八百万さんと目が合った。
「まあ。ありがとうございます、空中さん」
「ううん、そんな。一番大変だったの八百万さんだもの。これぐらい当たり前だよ」
「そうそう! 功労者ってやつだよ! さぁどんどんお食べ!」
「まあまあ! ふふ、では遠慮なく、頂きますわ」
透ちゃんが盛り付けたご馳走を前に、八百万さんは目を輝かせて箸を手に取った。色とりどりの野菜をふんだんに使ったサラダに、肉料理や魚料理まで並んでいる。このご馳走はプッシーキャッツの皆さんが用意してくれたようで、みんな歓声を上げながら口にしている。峰田くんなんかは泣いて喜んでるし、上鳴くんと切島くんは「美味しい!米美味しい!!」「土鍋……土鍋ですか!?」と変なテンションになってるし。
「まー色々世話焼くのは今日だけだし、食べられるだけ食べな」
……ピクシーボブの言葉に嫌な予感がするけれど、うん、今は気にしないでわたしもご飯を楽しもう、と箸を取る。
豚の角煮はよく味が染み込んでいて、口の中でふわり、じゅわっととろけた。一緒に煮込んであった大根も柔らかく、鷹の爪の辛みがアクセントになっている。ポテトサラダにらっきょうが入っているのは初めてでびっくりしたけれど、プチプチとした食感が楽しく、らっきょうの爽やかな風味がじゃがいものクリーミーさを引き立てるようで、思わずおかわりしてしまった。目の前の大皿に並ぶどの料理も本当に本当に美味しくて、どんどん箸が進んでいた、そんな時。──小さな、本当に小さな溜め息を羽根が拾った。それはこの喧騒の中、きっと耳だけでは聞こえなかっただろう。それぐらい微かなもので。
「……透ちゃん、どうかしたの?」
「えっ、あー、と、……聞こえた?」
「うん、ごめんね」
「謝んなくていいよ! というか、こっちこそごめんね」
その溜め息の発生源である透ちゃんは、たはは、と頬を掻く仕草をした。その顔は“個性”の影響で見えないけれど、きっと悲しげな苦笑を浮かべているのだろうなと、声の調子でわかる。
「なんかさ、今日は愛依ちゃんと百ちゃんに頼りっぱなしだったなあって思ったんだ。私の“個性”はこんなだし、戦闘とか、移動とか、みんなのために何かするとか……そういうのは難しいって、割りきってるつもりなんだけどねぇ」
今日のあの魔獣の森を抜けた時、終始明るく振る舞っていた透ちゃんだけど、笑顔の裏でこんな風に思っていたんだ。確かに八百万さんの“個性”は万能で、それを目の当たりにして色んなことを思うのも当然かもしれない。八百万さんの“個性”と透ちゃんの“個性”は違う。やれることだって変わってくるだろう。……でもそれは、悲観することなんかじゃないはずだ。
「透ちゃんは【透明人間】だから、スニーキングに秀でてる」
「うん、まあそれは、」
「それだけじゃない。相手に視認されないってのは、戦闘にも活かすことができるよ」
「へっ?」
透ちゃんの声に疑問符が浮かんでいる。だからわたしは続けた。透明だということは、相手に視認されないということ。こちらが繰り出すパンチとかキックとか、攻撃の挙動を相手に読ませないということ。それは相手のガードを崩して攻撃を与えたり捕縛したり、絶対に役に立つと思う。
そう力説するわたしに、斜向かいに座っていた尾白くんが同意した。ぱたぱたとその尻尾が揺れている。
「確かに! 葉隠さんって身体も柔らかいし、バランス力もあるし、足技なんかいいんじゃないかな。ホラ体育祭のチアの時、すごい体勢で飛び跳ねてたし」
「……
ぽつりと呟いた声に、尾白くんは何とはなしに頷く。彼にとっては当たり前のことも、多分、透ちゃんにとっては当たり前じゃない。えへへ、とこぼれた笑い声は、本当に嬉しそうだった。
「愛依ちゃんも、尾白くんもありがと! ふっふっふ、足技かあ……新生インビジブルガール爆誕の予感!」
もーっと格好よくなっちゃうかもね?、と笑う透ちゃんに、尾白くんも八百万さんも笑う。みんなの笑い声が響く、あたたかい食卓。それにわたしも一緒にいられることが嬉しくて、頬が緩んでしまう。
「──くだらん」
と、そんな時。そんな呟きを羽根が拾う。視線を向けると、1人の男の子が険しい眼差しでこちらを見ていた。ばちんと視線が絡んで、ふいっと逸らされる。男の子は──洸汰くんはこちらに背を向けて、野菜の入った段ボール箱を手に部屋を出ていってしまった。
(……洸汰くん、)
その小さな後ろ姿に、この宿泊施設に辿り着いた時のことが脳裏によぎる。
『ずっと気になってたんですが、その子はどなたかのお子さんですか?』
『ああ違う、この子は私の従甥だよ。
洸汰! ホラ挨拶しな、1週間一緒に過ごすんだから……』
緑谷くんが尋ねて、マンダレイが答える。彼女に促されて俯きながら進み出た洸汰くんに、緑谷くんは軽く身体を屈めて右手を差し出した。
『あ、えと僕、雄英高校ヒーロー科の緑谷。よろしくね』
柔らかな笑顔。柔らかな声。握手しようと差し出された手は、けれど取られることはなかった。洸汰くんはなんと、……何て言ったらいいのか、うん、緑谷くんの急所を強かに殴り抜いたのだ。
『きゅう』
『緑谷くん! おのれ従甥! 何故緑谷君の陰嚢を!!』
小さく悲鳴を上げて緑谷くんは倒れた。彼を心配して飯田くんが生真面目に声を張り上げるも、洸汰くんは見向きもしない。その場を歩き去りながら、吐き捨てるように言った。
『ヒーローになりたいなんて連中とつるむ気はねえよ』
その横顔はあまりに険しかった。このヒーロー飽和社会で、ヒーローに対して否定的な人も当然いる。でもその中でも、この男の子が持つ嫌悪感は相当根深いものだと感じた。ただ「嫌い」とか「気に食わない」とか、そんなものだったらまだよかったけれど──洸汰くんの目に、どうしようもない悲しさを感じてしまう。
(何か、あったのかな……)
何の理由もなく、あんな顔をするなんて思えない。でもどうしたらいいかわからず、そもそも踏み込んでいいかすらわからない。だからもやもやした気持ちを抱えたまま、わたしは水を一気に飲み込んだ。
外へ通じる引戸を開けると、ひんやりと冷えた夜気と一緒に湯気を顔に被った。ふわりと香る独特な匂いを、深く吸い込む。ぺたりと足に伝わる石造りの感触や、装飾として植えられている松などを見ると、昔ながらの日本庭園といった感じだった。
「わあーーー!」
宿泊施設には、なんと露天風呂まであった。たたたと小走りで駆け寄る芦戸さんに、危ないわよと声を掛ける梅雨ちゃんも、顔が嬉しそうに綻んでいる。
「まさか合宿に来て温泉入れるなんて思わんやった!」
「プッシーキャッツ様々だねぇ」
「ねー……気持ちいいねぇ」
「ホント、サイコーだわ……」
少し熱いくらいのお湯が、身体をほぐしてくれる。お茶子ちゃんと梅雨ちゃんの目が蕩けているのを見て、わたしもふあ、と深く息を吐いて気持ちよさに浸っていた。
そんな時。耳郎さんが顔を上げた。その目はじろりと壁を──男湯の方を睨んでいる。
「耳郎さん?」
「あれ、どったの?」
「……嫌な予感がしてたんだよね」
彼女はイヤホンジャックを揺らして、わたしたちに向けて人差し指を立てた。『静かに』の合図に、わたしたちは口をつぐむ。今はわたしも背中から羽根を外して桶に浸けているところだし、耳郎さんみたいに精密には聞き取れないけれど……それでも、
「ホラ……いるんスよ……今日日男女の入浴時間をズラさないなんて……事故……これはもう事故なんスよ……」
「峰田……」
「峰田くん……」
「やっぱクソだわあいつ」
以前の更衣室の一件からまるで懲りてないらしい。こちら側では溜め息を吐いたり呆れたように顔をしかめたり、耳郎さんなんかは握り拳を震わせている。
「峰田君やめたまえ! 君がしていることは己も女性陣も貶める恥ずべき行為だ!!」
「やかましいんスよ……」
飯田くんの制止も何のその、峰田くんは穏やかな声色でそんなことを言って、途端に口調を荒げる。
「壁とは超えるためにある!!
「速っ……校訓を汚すんじゃないよ!」
「シメなきゃ」
「待っ……待って耳郎さん! 今裸だから……!」
どうやらあの【もぎもぎ】で壁を登ってきているらしい。怒りに耐えかねた耳郎さんが立ち上がろうとしたのを押さえて、代わりに羽根を宙に浮かせる。まだちょっと湿っているけれど、峰田くんにお仕置きする程度なら余裕だと、壁の上方へと向かわせる。
──と、その時、壁の上にひょこっと小さな頭が覗いた。その子はこちらに背を向けて、男湯の方を見下ろして、
「ヒーロー以前にヒトのあれこれから学び直せ」
そんな言葉とともに峰田くんを突き落としたのだろう。峰田くんの「くそガキィィィイ!!?」だなんて断末魔を背景に、賑やかな歓声が上がる。
「やっぱ峰田ちゃんサイテーね」
「ありがとー! 洸汰くーん!」
わっと沸き上がった声に、思わず振り返ってしまったのだろう。洸汰くんは女湯を見下ろして、目を見開いた。
だってお湯に肩まで浸かっているのはわたしと梅雨ちゃんくらいで、お茶子ちゃんたちは浸かる暇がなかったのか胸元を手で隠しているし、芦戸さんなんか岩の上に腰掛けて、その身体をさらけ出していて──
「わっ……あ……」
あまりに衝撃的だったのだろう、洸汰くんは仰け反って、そのまま身体が、壁の向こうに落ちていく。
「危ない……!」
咄嗟に羽根を向かわせるも、まだわたしはホークスみたいに、聴覚のみで対象の場所を感知して羽根を動かすことは慣れてない。洸汰くんが着ていた服の僅かな衣擦れを追うも、向こうでドンガラガッシャンと大きな音がしたものだから、完全に見失ってしまった……!
「洸汰くん、洸汰くん!?」
「空中さん、大丈夫だよ……!」
「、緑谷くん?」
緑谷くん曰く、落ちてきた洸汰くんは緑谷くんが受け止めてくれたらしい。どこも打ってはいないけれど、鼻血も出てるし気を失ってるみたいだから、マンダレイのところへ連れていってくると。それを早口で言って、緑谷くんはバタバタと浴室を出ていった。……とりあえず頭を打ってないなら大丈夫かなと、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかっ……へっくし!」
「あらくしゃみ」
「身体が冷えてしまったのではないですか?」
「もっかいあったまりなおそーよ!」
「うん、そうする」
みんなに頷いて、もう一度湯船に浸かる。温かいお湯の中でほうっと息をついた。
これから始まる合宿──洸汰くんのヒーロー嫌いの理由とか、気になることはあるけれど──それでもこうしてみんなと協力して、ご飯を食べて、お風呂に入って。一緒に過ごす時間が楽しくて、ふふと笑みが溢れる。空を見上げると満点の星空がこちらを見下ろしていた。きっと明日もいい天気だろう。いい日になると、そんな予感に、わたしは目を伏せて微笑んだ。
52.少女、魔獣の森を抜けて。
ヤオモモみたいな高身長グラマラス美少女が果敢にバイクを乗り回すの見たくない?筆者は見たかったので書きました。今回は普段あまり絡めてない女の子と絡めて書いててめちゃくちゃ楽しかったです。そして葉隠ちゃん強化フラグ。葉隠ちゃんのみならずA組の面々は少しずつ強化していきたい所存。
最後になりますがUA、お気に入り登録などなどいつもありがとうございます!基本的に平日は忙しいため亀更新となってしまいますが、また読んでくだされば嬉しいです。