59.少女、断る。
今回はオリ主(の複製)への暴力表現があります。腕がもがれたり頭がパァンとなります。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。次回の前書きで簡単なあらすじを用意しておきます。
「──ッ!!!」
声にならない声が鼓膜をぶった。乱暴に飛び込んできたその悲鳴に、沈んでいた意識が浮上する。目を開ける。身体を起こそうとする前に、ひたり、頬に触れる感触に息を飲んだ。
それは、泥だった。泥のような何かだった。水のように流れることなく、糊のようにねばつくことなく、ただ力なく床に塗りたくられている。見た感じは泥でしかないけれど、土の臭いはしない。
(これは、……いや今はとにかく、悲鳴が……!)
わからないことが多すぎるけれど、今ここで悲鳴を上げている人がいることは事実だと、わたしは身体を跳ね起こす。どこかで聞いたような声を辿って視線を向ける。そう、
「──ぁ、」
……ああ、そうか。
“どこかで聞いたような”って、そんなの当たり前だ。
だってそれは、
「あ、……あ……」
目の前に、
「……! ぎ……ぃ……ッ」
悲鳴を噛み殺す濁音。それが部屋に落ちると同時に、
「……は……?」
どろどろに溶けて、泥になる。
「ふむ……やはりトゥワイスの“個性”は便利だけれど、複製はどうにも脆くていけない。たかが腕をもいだだけで消滅してしまうとは」
呆れたように息をついて、彼は身を引いた。高価そうな革靴に泥がつかないように、……そこにいたはずの
「……おや、目が覚めたんだね」
品のいいスーツに身を包んだ男性が、こちらに顔を向けた。……顔であることに違いない。けれどそこにあるべきものが幾つも無かった。髪や眉毛がないのは別に気にも留めないけれど、目が潰れているのは個性の範疇に止まらないんじゃないだろうか。
そんな、顔の大部分を覆う大怪我を前に、わたしは必死に表情を固めた。驚いてはいけない。気づいたと、気づかれてはいけない。
(会長が、言っていた……6年前のこと)
あのオールマイトが人知れず相対したとされる、巨悪の存在。激しい戦いの末にオールマイトに破れた
(大怪我、
超常黎明期から暗躍し続けている、悪魔であり、怪物。
「初めまして。
豊かなバリトンボイスが優しく鼓膜を震わせる。彼は紳士めいた仕草で一礼し、わたしに右手を差し出してきた。握手のつもり、なのか。その声色も物腰も柔らかいからこそ、わたしの心臓は警鐘を声高に叫んだ。
悪魔は誰よりも、聖人の真似事が上手なのだという。
「あなたは、誰、ですか」
「君の疑問も尤もだけれど、名乗る必要があるのかな」
彼は小首を傾げて、おもむろに口許を覆うマスクを外してみせた。晒されたその素顔は、目だけじゃなく、鼻も、潰されてほぼ原型がない。唯一まともに存在している口が弧を描いているから、それで彼が笑っているのだとわかった。
「どうだい、酷い怪我だろう? 目も鼻も、潰されてしまった」
口許で笑いながら、声で嘆きながら、
どうすればいい。どうすればこの場におけるベストを選べる。10畳ほどのこの部屋に窓は無い。ドアすら無い。わたしの背に翼はほとんど残されていない。この打ちっぱなしのコンクリートの壁をぶち破るほどのパワーは出せないし、目の前の彼を振り切れるスピードも出せない。考えろ。なら救援を呼ぶには、……一般的にコンクリートの壁は防音性能が高いと聞く。叫んで、届くのだろうか。窓もドアも無いこの部屋から、誰かに、届く?
(考えろ、……考えろ! 弱気になっては駄目!)
わたしは
「君は【治癒】の“個性”で、たくさんの人を治すヒーローとなるんだろう? 僕を、治してくれないかな」
──考えて、いた。自分なりにどうすればいいのか。どうすればこの圧倒的に絶望的な状況で、ベストを選択できるのか。どうすれば
「──でき、ません」
気づいた時には、自然と口がそう動いていた。本当なら、要求に対して意図を確かめるなり交渉するなりすれば、時間稼ぎにもなるし何かの情報を掴めたかもしれないのに。
でも、どうしても、……どうしてもできなかった。
「ヒーローは、
「……そういうわけでは、ありません。けれど、然るべき順序を踏んでいただかないと、できません」
「目の前で苦しんでいる人がいるのに?」
「……はい」
ああ、わたし、ここで死ぬのかもしれないなあ、なんて、そんなことをぼんやり思った。
こんな風に要求を突っぱねてしまえば、相手の機嫌を損なうに違いない。抵抗する術も逃げ出す術も、助けを求める術すら、わたしには何一つ残されていないのだ。相手の気分次第ですぐにでも殺されてしまう。そんな状況に、あるのだから。
「そうかい」
けれどそんなわたしの覚悟とは裏腹に、
「ならば、少し話でもしようか」
そうやって、わたしの背後を指し示す。振り返ると……いつの間にあったのだろうか、簡素な木造の椅子があった。
暗い部屋に、ぎしりと、椅子が軋む音が微かに鳴る。四方をコンクリートで囲まれたこの部屋に光源は無く、ただ
「……あなたの治癒を行わないわたしと、話すことなどあるのですか?」
「お喋りは嫌いかな」
「いえ……ですが、わたしにそれほどの価値があるとは思えません」
「おやおや、卑下はいけないよ」
「事実、です」
そう、事実だ。【治癒】の無いわたしに、価値などない。
「わたしを拐ったのは、あなたの治癒をするためですよね」
「弔はそのつもりらしいね」
「……、あなたの指示ではないと?」
「うん。どうやら彼なりの“先生孝行”らしい」
親孝行ならぬね、と彼は笑う。「可愛いものだろう?」と同意を求められても、わたしに頷くことはできない。
「……“可愛いもの”で、誘拐されては困ります」
「ハハ、確かに」
何がそんなに可笑しいのだろう。笑い声を上げる目の前の男性は、まるで本当にただお喋りに興じているかのような気軽さだ。こんな異常事態なんて、何でもないことのように。
……ああ、駄目だ。気圧されている。ずっとこの人のペースに流されている。落ち着いて、気を取り直して。──死柄木弔が
「……話を戻します。わたしに、どんな話を望んでいるのですか」
「せっかちだね」
「生憎と、こんな状況で落ち着けるほど、わたしに胆力はありません」
「そうかな、十分しっかりしていると思うけれど……ああいけない、また脱線してしまうところだった」
彼は、笑う。嗤う。
「それじゃあお望み通り、本題に入ろうか。聞かせてほしいんだ──君の“個性”のことをね」
そんな言葉とともに指を鳴らした。その途端、
「……え……」
「“これ”は、トゥワイスの“個性”で創った
「わたし、の?」
「ここは、どこなんですか。あなたたちは誰ですか……!」
いきなり知らない場所に飛ばされて不安なんだろう、
「気づいたかい? 君との相違点」
わたしの思考を見透かしたかのようなタイミングで、そんな声が突き刺さる。はっとして返答できずにいたけれど、それは彼にとってはどうでもいいことのようだ。
「い……っ」
「、あまり乱暴は」
「“やめてあげてほしい”って? 優しいね」
君じゃないのに、優しいね。
歌うようにせせら笑い、彼は続ける。
「トゥワイスの【二倍】でできた君には、見ての通り【翼】が無いんだよ。何度計測して、何度創っても」
「それは、……今のわたしの【翼】が、ほとんど焼け焦げているからじゃないんですか」
「それなら焼け焦げた【翼】が複製の君にも生えるはずだ。トゥワイスにも確認したけど、こんなことは初めてで首を捻っていたよ」
トゥワイス、というのが誰のことかは知らないけれど、恐らくは
「本当に、興味深いよ。だって複製の君には、【翼】だけじゃなく、【治癒】の“個性”も無かったんだから」
それなのに、
「だから僕はこう仮定したんだ。君の“個性”は【翼】でも【治癒】でもなく、別のものなんじゃないかって」
とあるひとつの事実を突きつけ、それを元に真実を暴いていく。暗く、揺らぐ、嗤う。その声が無ければ、まるで探偵か何かのよう。
「そしてそれは、誰かの“個性”をコピーするか、奪う“個性”なんじゃないか、とね」
……ああ、本当に。痛いところを、暴いていく。
肯定も否定もできず黙り込むわたしに、彼は笑みを深めた。
「ふふ、どうやら正解だったみたいだ」
「……わたしは何も、言っていません」
「沈黙は雄弁、ということだよ。……ほら、複製の君も同じ反応をしている」
言われるままに視線をやると、口を引き結び沈黙する
(……情けない、)
見透かされて、暴かれて、唇を噛むしかできないなんて。この上なく情けない。これ以上恥の上塗りはできない。
「じゃあ……じゃあ、どうするんです。だったら尚更、わたしは用済みでしょう」
「それがね、そうでもないんだよ」
だからわたしは、気丈であろうとした。どんなことを言われても心を惑わせないようにと、揺るがせないようにと、そう決意して巨悪を見据える。
そう、決意、したんだ。──なのに、
「空中くん。君、
「……は……?」
突拍子もない提案に呆気に取られる。脳裏が真っ白に塗り潰されて、薄く開いた口が震えた。
そんなわたしを見て
「僕にも“個性”を奪う“個性”があってね。それで君の“個性”を奪おうとしたんだけれど、……ああ、知っているかい? “個性”には人格というか、思い出というか……面影が残るんだよ」
「……ま、待って、ください。何の、話を、」
「君の過去を垣間見たんだ」
……ああ、まずい。駄目。駄目なのに。
息を飲んでは駄目。目を見開くのも駄目。感情を露にするのは減点だって、ずっと言われてきたのに。
「君が初めて“個性”を発現したのは3歳の誕生日、だったかな。優しいご両親に囲まれて……ふふ、フルーツがたっぷり乗ったケーキが嬉しかったんだね。『きらきらして宝石みたい!』って、可愛いことを言うじゃないか」
“出鱈目を言わないで”って、言わなければならなかった。舌が震えるなんてあってはならなかった。
「けれど、可哀想に。君はケーキを食べられなかった。君は……」
「「やめて!!」」
ああ、ほら、見てみろ。やっぱり悪魔が嗤ってる。
子どものように耳を塞ぐわたしたちに、彼は微笑した。
「君は、ご両親に愛されていた。きっと君も、同じ愛を返したのだろう」
嘲るように。慈しむように。手招きするように。
「けれど、いや、だからこそ君はあの時──ご両親の“個性”を奪った。それが君の“個性”、だろう?」
彼は、笑う。嗤う。
「心を通わせた者の“個性”を奪う。愛につけ込み、愛に縋り、愛に寄生する。君の“個性”を名付けるならば……」
「【依存】──といったところか」
わたしの『だいすき』は、汚い。
だってわたしの“これ”は、相手と分かち合うものでも、支え合うものでもない。一方的に相手に寄りかかって、すがって、寄生して、──未来を奪う。
それは、恋や愛にはならない。
どこまでいっても【依存】でしかない。
「答え合わせは、してくれないのかい?」
「……必要ないでしょう。……沈黙は雄弁、なのでしょう?」
ここまで正確に言い当てられては、何も反論する気が起きない。吐き捨てるようにそう返すと、
「残念。君の口から聞きたかったのに」
「……酷い人、ですね」
「おや、心外だな。君の両親よりはマシだろう?」
そうして軽やかに続いた言葉に、かっと顔が熱くなった。激情が言葉となって、喉の奥からせりあがる。
「……っ違う、違う……! あの人たちは、悪くない!」
「そうかな」
小首を傾げて、口許に手を当てて、彼は心底“わけがわからない”といった様子で話し出す。
「愛していたのに、ああも手のひらを返す。それを酷いと言わずに何と言うのだろう? 僕に教えてくれるかい?」
それは、と、わたしの口から零れた。続きは舌の上で蟠った。二の句が継げずに視線を移ろわせるわたしに向けて、彼はゆったりと歩みを進めた。
「いいんだよ。嫌っても、憎んでも」
低く揺らめく声が、甘さを帯びて広がっていく。
「君は何にも悪くないんだ。だって君は、その“個性”を持って生まれただけだろう? 誰を害そうとしたわけでもない。ただ人を、家族を愛しただけ」
こつ、こつ、と革靴を鳴らしながら、
「それを悪だと責め立てる君の両親の方が、間違っている。大丈夫、大丈夫だよ……僕は君を許そう」
彼はわたしの目の前に立った。そうしてその手をわたしに差し伸べる。
……両親は差し伸べてくれなかった、手を。
「君は、正しい。間違ってなんかいない。優しい子だ」
どこまでもわたしを許すその言葉は、優しく甘い。まるで麻薬のようだった。ぼうっとしていく頭の中が、白く霞んでいく。
「そんな君が救われない社会なんか、見限ってしまって、構わないだろう?」
白い。そうだあの日は、雪が降っていた。吐き出す息が白く濁るほど、痛いぐらい寒い日だった。
真っ暗な夜空にちらつく雪の白。コンクリートのベランダは灰色。全部が全部、そんなモノクロの世界で、
──あの羽根だけが、真っ赤に輝いて見えた。
「──前提が、間違っています」
ふるりと首を横に振って、顔を上げる。もう視界は澄み渡っていた。思考の靄も晴れている。
「わたしは、もう既に、全部、救われています」
あの雪の日を越えて、今わたしはここに在る。
「とあるヒーローに、救ってもらいました」
あの人に、連れてきてもらったのだから。
「あの人みたいになりたい。あの人の力になりたい。
あの人を、救けたい。……揺らぐことなく、この胸に」
何度も繰り返してきた誓いを、祈りのように口ずさむ。それだけで心に熱が灯る。勇気の火が、わたしの震えを止めてくれる。
「だから、もう……わたしは迷いません」
だから為すべきことはひとつだと、わたしはまなじりを引き締めて目の前の
「もしも、わたしがあなたを治癒したとしたら……あなたはきっと、もっとたくさんの人を傷つける。それをさせまいとヒーローは戦う。戦って……きっと、傷ついて、しまう」
超常黎明期から溜め込んでいた数多の“個性”で、何人もの人が血を流すのだろう。涙を流すのだろう。
あの人は、それを見過ごせる人ではないから、きっと心も身体も傷ついてしまうだろう。わかっている。
だから、わたしは、
「それがわかっていて、わたしは……
決別の言葉を、突きつける。
それを受けた
「僕がお願いしても?」
「はい」
「何が、あっても?」
「──はい」
「……そうか、……残念だ」
残念、というよりも、呆れを多分に含んだ溜め息。
「ならばもっと、“お話”をしなければいけないね」
穏やかな口振りから、温度が抜け落ちたのがわかった。冷やかを通り越して冷徹となった響き。そんな声とともに、ぎちぎちと何かが軋む音がした。
「ひぎゅ、ぅ、」
それは、肉と骨が軋む音だった。顔を上げた先で、
「ひ、ぎ……ッ」
ぼたり、と零れ落ちた眼球は、瞬く間に泥と化した。原型を留めていない頭部も、身体も、すべてが溶けて床に広がる。力なく広がる無臭の泥が、わたしの靴先を汚した。
……これがわたしの末路なのだと、彼は示したのだ。
「さて……どうだい? 空中くん」
問い掛けられて、……わたしは微笑んだ。
心はもう、決まっていたから。
「返答は、変わりません。……わたしは
「……君は、案外強情だったんだね。……誤算だったよ」
やれやれと肩を竦めて、彼は口許を歪めた。恐らく嗤っているのだろう。
「ただ死ぬよりずっと苦しいことも、痛いこともあるんだよ。それを今から、教えてあげよう」
先ほど、あっという間にひとつの命を摘み取った手が、わたしにゆっくりと伸ばされる。それにわたしは目を閉じた。目蓋の裏に、あの人を思い描いた。
(ホークス、ホークス、)
あの人の名前を、何度も何度も唱えた。
(……啓悟くん)
それだけで、きっとわたしは大丈夫。
だってあの日に、すべて救ってもらったのだから。
59.少女、断る。
残酷表現ってどこまでなら平気なんだろうと心配していたんですが、そもそも本編が腕足欠損のオンパレードでしたね!まったくの杞憂でした。どんどんいきましょう!
冗談はさておき、今回は
最後になりましたがいつも閲覧ならびにお気に入り登録、評価などなど、本当にいつもありがとうございます!とてもとても嬉しく励みになっております。神野編はドシリアスな展開が続くのですが、また読んでいただければ幸いです。