【依存】から始まるヒーローアカデミア   作:さかなのねごと

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64.少女、「生きたい」

 

 溢した嘲笑は、誰に向けられていたのか。蔑みや怒りが色濃く滲んだそれは、空気を震わせ溶けていった。残されたのは、全てを噛み砕かんとするような歯軋りの音。

 

「“終わり”だと……? ふざけるな、始まったばかりだ」

 

 怨嗟の声を喉奥から振り絞りながら、死柄木は身を捩った。シンリンカムイの木腕は依然として強固に彼を縛り付けている。決して、死柄木の力でほどくことはできない。それは死柄木もわかっているはずなのに、それでも、身を捩る。軋ませる。

 

「正義だの……平和だの……あやふやなもんでフタされたこの掃き溜めをぶっ壊す……そのためにオールマイト(フタ)を取り除く……」

 

 ぎちぎちと締め付けられて、痛みもあるだろう。呼吸だって苦しいはず。

 

「仲間も集まり始めた。ふざけるな……ここからなんだよ」

 

 それでも、“そんなこと知ったことか”と言わんばかりに、彼は声を荒げる。

 

「黒ぎっ……!」

 

 “黒霧”と呼び掛けようとした声は、けれど、途切れた。

 目の前を横切って黒霧を貫いた、一閃に。

 

「──うっ……」

「……え……!?」

 

 一瞬のことだった。瞬きすら超える速さで事態が塗り変わっていく。【ワープ】を発動させようとしていた黒霧は、糸のような細い“何か”に貫かれ、呻き声を上げてよろめき、項垂れた。

 

「……キャアアやだぁもう! 見えなかったわ! 何!? 殺したの!?」

()を少々弄り気絶させた。死にはしない」

 

 ぴくりとも動かなくなった黒霧に悲鳴が上がる。その取り乱した声に答えたのは黒霧を貫いた“何か”だった。その“何か”は、むくむくと形を変える。ただの糸のようだったものが膨らみ、マスクに覆われた口許を、涼やかな目元をかたちづくった。

 

「忍法千枚通し! この男は最も厄介……眠っててもらう」

 

 エッジショット。“個性”【紙肢】を持つ忍者ヒーロー。その“個性”で身体を薄く引き伸ばせるのだと何かで見た覚えがある。その変化速度は音速を超えるのだとか、瞬時に身体の内側に入り込み、(ヴィラン)の身体の自由を奪うのだとか。

 

(やろうと思えば、きっと、この場にいる全員をすぐさま無効化できる)

 

 それを、(ヴィラン)連合も思い知ったのだろう。先程騒いでいた男性も、他のメンバーも、じっと注意深く黙り込んでいる。

 

「さっき言ったろ、大人しくしといた方が身のためだって」

 

 そんな彼らを見渡して、おじいさんが口を開く。

 

引石(ひきいし) 健磁(けんじ)

 

 その男性は厚い唇を結び、緊張に身体を強張らせた。

 

(さこ) 圧紘(あつひろ)

 

 仮面越しの表情は見えないけれど、この状況に固唾を飲んで身構えるような、そんな沈黙があった。

 

伊口(いぐち) 秀一(しゅういち)

 

 トカゲの異形型の、男性か少年か判断しづらい彼は、この中で最も動揺しているんだろう。その鱗に大きな汗が伝っていた。

 

渡我(とが) 被身子(ひみこ)

 

 わたしと同い年くらいの女の子は、悔しそうに顔を歪めて。

 

分倍河原(ぶばいがわら) (じん)

 

 フルフェイスマスクの男性は、何を思っているんだろう。ただじっと黙して固まっていた。

 

「少ない情報と時間の中、おまわりさんが夜なべして素性を突き止めたそうだ。わかるかね? ──もう逃げ場ァねぇってことよ」

 

 そんな彼らを見渡して、おじいさんは言葉を続ける。

 静かに、慎重に、一歩一歩、丁寧に、丹念に、……逃げ道を潰していくように。

 

「なァ死柄木、聞きてぇんだが……おまえさんのボスはどこにいる?」

 

 シンリンカムイによる拘束。エッジショットによる封殺。

 黒霧は動かず【ワープ】は使えない。

 名前と素性を握られているという事実。

 おじいさんやエンデヴァー、警察の機動部隊による包囲。

 そうして、目の前の、オールマイト。

 

「……ふざけるな。こんな、……こんなァ……」

 

 がさがさにひび割れた肌を汗が伝う。圧倒的に不利な状況をまざまざと見せつけられて、声が揺らいでいた。

 

「こんな……あっけなく……」

 

 死柄木の声が、わなわなと震える。それはわたしに一本の線を想起させた。一本の線──導火線は、火をつけられてのたうっている。どうしようもない怒りに身を捩って、どうしようもない憎悪に身を焦がして、

 

「ふざけるな……失せろ……消えろ……」

 

 そうして、さいご──焼き切れる。

 

()は今どこにいる。死柄木!!」

 

「おまえが!! 嫌いだ!!!」

 

 オールマイトに吼え返した、その瞬間。死柄木の背後の空間から黒い液体(・・・・)が現れた。それは堰を切ったように溢れて、溢れて。中から覗いたのは剥き出しの脳味噌──脳無。

 

「脳無!? 何もないところから……! あの黒い液体はなんだ!」

「エッジショット! 黒霧は!」

「気絶している! こいつの仕業ではないぞ!」

 

「……っどんどん、出てくる……!」

 

 唐突に現れた脳無。急激に動き出す状況に、わたしは息を飲もうとして、──できなかった。

 

「……えぶ、ぁ、!?」

 

 突然、喉の奥から“何か”がせりあがる。見開いた目の端に広がる黒い液体(・・・・)に、わたしはまともな声を上げることもできず呑まれていく。

 

「オイ空なっ、お”!!?」

 

 隣にいたはずの爆豪くんの姿すら、黒い影に呑まれて見えなくなる。どうにかしなきゃと液体を掻き分けようとする指の感覚すら、わからなくなる。

 

「っだこれ、身体が、呑ま……れ、」

空中(そらなか)少女!! 爆豪少年!!」

 

「ぜん、せ……っ」

 

 オールマイトに向かって伸ばした手は、届かなかった。

 ばしゃん、という粘った水音とともに、視界が、感覚が、溶ける(・・・)

 

「NOOOOOO!!!」

 

 憤怒と悔恨に轟くオールマイトの声も、遠くなっていく。

 視覚も聴覚も黒く塗り潰されて、ただひとつ残った嗅覚だけが形容しがたい酷い臭いを捉えていた。その臭いのせいなのか、頭に割れるような痛みが走る。飛んでいる時とはまるで違う浮遊感に、吐き気さえ込み上げてくる。

 それは僅か数秒の間だったのか。それとももっと長い間だったのか。時間の感覚すら朧気のまま、ふと、視界が開ける。

 

「……っ、げほ、っは、ぅ……!」

「ゲッホ!! くっせえぇ……んっじゃこりゃあ!!」

「ば、くご……く、」

 

 咳き込みながら目を開ける。隣で、同じように身体を折り曲げて液体を吐く爆豪くんがいることを確認して、辺りに視線を走らせた。……先程までいたバーじゃない。どこかの街の中、だけれど、何か大きな嵐が通り過ぎたかのように倒壊している。夜風に舞う粉塵は、今まさに、この惨状が起きたばかりだということを知らせていた。

 ……どうして。誰が。こんなことを。

 嵐の通り道──その出発点に視線をやって、

 

「……!」

 

 そこでわたしは、悪魔が嗤っていることに気付いた。

 

「……おやおや、人を見てそうも顔を青くすることもないじゃないか。つれないね」

 

 君と僕の仲だろう?、なんて、どこまでも白々しく宣う。

 その口調から、わかる。仰々しい黒いマスクで顔を覆っていようとも、わかる。……目の前で佇み嗤う彼が、AFO(オールフォーワン)だということが。

 

「……てめェが、クソ連合のボスか」

「ボス? ふふ、それはどうだろうね」

 

 爆豪くんもその異様さに気付いたのだろう、警戒心顕に声を低める。そんなわたしたちに対して、AFO(オールフォーワン)は可笑しげに、楽しげに声を弾ませ、両腕を広げた。

 

「にしても空中くん! 君のその姿はどういうことだい? すっかり元通りじゃあないか!」

 

 ここでわたしの採るべき選択はただひとつ、“爆豪くんを連れて逃げること”。幸いにもここは狭い部屋の中じゃない。わたしの背に【翼】も戻っている。万全とは言い難い、熱にふらつく身体でも、今、やらなきゃ。

 

(またあの部屋に……爆豪くんまで、連れ去られたら……!)

 

 今度こそ、成す術がない。だから今ここを離脱しなければと、必死になってAFO(オールフォーワン)の隙を探す。

 

「剥いだ爪も、削いだ指も、毟った羽根も、抉った左目も。すべて治っている。君の【治癒】は人間が自然治癒できる範囲しか治せないのかと思っていたけれど……」

 

 甘ったるい、砂糖をまぶした麻薬の声。それがわたしの頭を労るように撫でていく気がして、ざわりと肌が粟立った。

 

「“個性”が成長……進化したのかな。素晴らしい。素晴らしいよ。よく頑張ったね」

「っ、……よく、そんなことが言えますね」

 

 あんなことをしておいて、どこまでも白々しい賛辞。噛み締めた唇から思わず声が漏れ出て、冷静でいなければと握り締めた拳が震える。AFO(オールフォーワン)への怒りと、自分への情けなさと、……押し殺したはずの恐怖が、わたしを揺るがす。

 駄目だ。呑まれるな、落ち着いて──そう心中で唱えるわたしの前に背中が広がる。その髪の淡い金色が、薄暗い視界を染めた。

 

「どの口が、言いやがんだ、クソが……!」

 

 爆豪くんがきつく拳を握り締める。あまりに力を入れすぎているから、ぶるぶる震えて、骨が軋む音すらする。

 それでも彼が拳をほどかないのは、立ち向かおうとしているから。自分の恐怖に負けまいと、決意しているから。

 

(……そうだ。今は、わたし1人じゃないんだ)

 

 ……彼を、必ず、彼を待つ人たちの元へ帰す。

 それがわたしのやるべきことだと、そう決意を新たに、ふらつく足を踏み締めて顔を上げた。

 その時。──ふふ、と笑みのような吐息がひとつ。

 

「ふうん。この期に及んで守ってもらえるんだね、君は」

 

 “いい御身分だ。”

 そう、AFO(オールフォーワン)が嘲笑い、わたしを見た。

 

「差し詰め、“悲劇のヒロイン”といったところかな?」

「……わたしは、そんなんじゃ、」

「違うって? まさか! 君はこんなにも“ヒロイン”だ」

 

 小首を傾げた後、彼は両腕を広げた。

 

「君を救うために、たくさんの人が動いた。

 君を救うために、たくさんの人が──ほら、」

 

 そうして、わたしの後ろを指差す。わけもわからず、わたしは、吸い寄せられるようにそちらを見た。

 わたしの、背後で、瓦礫の中に倒れる、彼を見た(・・・・)

 

「見ただろ? それ(・・)は、君の無力が招いた現実さ」

 

 すらりとした長身は、全身デニム素材のヒーロースーツに包まれている。几帳面だと知られる彼の性格を表すかのように、そのスーツはいつでもきちんと整えられていたはずだ。一糸の乱れも許さない。きらきらした金色の七三分けだって、……そうだった、はず、なのに、

 

 

「死んでしまったね。可哀想に」

 

 

 今は。スーツも髪も、ばらばらに乱れて。

 お腹は胸元に掛けて大きく裂かれて、血が、溢れ、て──

 

「……っ!!」

「下手に動くんじゃねェ!!」

 

 駆け寄ろうとしたわたしの腕を、爆豪くんが掴む。ぎちりと爪が肌に食い込むくらい握られて痛いほどだったけれど、そんなことどうでもよかった。わたしの口からぼろぼろと覚束ない言葉が転び出る。

 

「離して! だって、だってベストジーニストが……!」

「背中を見せたらすぐ殺られる。そんなんもわかんねェのか!!」

 

 雷のような一喝に、足が止まる。衝動のまま動こうとしたわたしの脳に、一匙の冷静さが戻ってくる。けれど、一匙。その一匙の冷水で何とか地面に足を縫い付けてはいるけれど、頭の中は焦燥で焼け切れそうだった。

 AFO(オールフォーワン)に背を向けたら隙を生む。

 わたしだけじゃなく爆豪くんまで危険に晒す。

 ベストジーニストが大怪我で倒れている。

 死んでしまった、……嘘。嘘だ、まだわからない。

 すぐに治癒を施せば、まだ──

 

「空中、」

 

 きつく、きつく、手首が握られる。その声に歯軋りするような響きが混じったのを感じ取って、わたしは爆豪くんを見た。その、目に、──ああ、と吐息が零れる。

 

「……ばくごう、くん、」

 

 爆豪くんは、職場体験でベストジーニストの元へ行っていた。そこでの体験は散々だったと教室で怒り狂っていたけれど、……きっとそれだけじゃなかったんだ。

 だってそうじゃなきゃ、こんな表情をするはずがない。

 ベストジーニストに、何か感じ入るものがあって。それでも自分が選ぶべき選択がわかっているから、だからこんなにも、苦しそうに……。

 

「粗暴でありながら、冷静な思考は失わない。優秀だね、爆豪くん」

 

 そんな時。こんな雰囲気とは場違いの拍手が響いた。AFO(オールフォーワン)は優雅に手を叩き、肩を竦めてみせる。

 

「そんな彼を説得できないとは……しょうがないね、弔」

 

 ちらと視線を向けたその先で、黒い液体が虚空から溢れた。そこから次々に現れる(ヴィラン)連合の面々……その1人、死柄木弔に向けて、彼は語りかける。

 

「でも決してめげてはいけないよ。またやり直せばいい。こうして仲間も取り返せた。この子(爆豪くん)もね……君が“大切なコマ”だと考え判断したからだ」

 

 優しく肩を叩くような、励ますような声色。

 

「いくらでもやり直せ。その為に(先生)がいるんだよ」

 

 まるで本当に、死柄木(生徒)を教え導くかのように、彼は手を差しのべた。

 

「全ては──君の為にある」

 

 ひゅ、と浅く息を飲む。それしかできなかった。

 AFO(オールフォーワン)の言葉を否定することも、彼らを拘束することも。逃げ出すことすら、何もできない。舌が、足が、震えて動かせない。

 

 そんな。全てをAFO(オールフォーワン)に支配されてしまったと錯覚する感覚を、

 

 

「……やはり、来ているな」

「え……」

 

 

 瞬きの後、一筋の流星が、打ち砕く。

 目の前で巻き起こった暴風から目を庇う。閉じていた目を開くと、視界に赤、青、黄色──()の三原色が鮮やかに翻った。

 

「すべてを返してもらうぞ、AFO(オールフォーワン)!!」

「また僕を殺すか、オールマイト」

 

 流星──空から飛翔したオールマイトが振りかぶった拳を、AFO(オールフォーワン)は両手で受け止める。がっぷり組み合った両者は、同時に互いを弾き飛ばした。その衝撃は足元のコンクリートを割り、周囲に衝撃波を放つ。

 

「随分遅かったじゃあないか」

 

 あまりの衝撃に吹き飛ばされ、地面を幾つか転がって、ようやく身体を起こした頃にはわたしと爆豪くんの距離は遠く離れてしまっていた。

 

「バーからここまで5km余り……僕が脳無を送り(・・)優に30秒は経過しての到着……衰えたねオールマイト」

「貴様こそ、何だその工業地帯のようなマスクは!? だいぶ無理してるんじゃあないか!?」

 

 そして衝撃の中心部、クレーターの真ん中で、オールマイトは立ち上がってAFO(オールフォーワン)に対峙する。

 

「5年前と同じ過ちは犯さん。……AFO(オールフォーワン)

 

 トントン、と爪先で地面を軽くノック。軽く身体の動きを確認した後、グッ──と低く構え、弾丸のように飛び出した。

 

「爆豪少年と空中少女を取り返す!

 そして貴様は今度こそ刑務所にブチ込む!

 貴様の操る(ヴィラン)連合もろとも!!」

 

「それは……やることが多くて大変だな、」

 

 他人事のようにそう呟いて、AFO(オールフォーワン)はおもむろにわたしを見た。すっと掲げた左腕が一瞬で肥大して。そして、

 

「──お互いに」

 

 わたしに向かって、振り下ろされる。視認できたのはそこまで。立ち尽くすしかできないわたしに衝撃波が迫り、視覚と聴覚が真白に塗り潰される。

 何も、わからない。動けない。

 ただ死を待つばかりだったわたしを、“青”が包んだ。

 

「……ッ!!」

 

 “新幹線にはねられた”が、一番近いのかもしれない。それぐらいの衝撃に押し出され、吹っ飛ばされた先で、わたしは荒い息を吐き出した。世界が壊れたかと思うぐらいの衝撃に、まだ耳鳴りはやまないし立ち上がれない。……それでもこの程度で済んだのは幸運だった。“彼”が守ってくれなかったら、わたしはきっと──死んでいた。

 

「大丈夫かい!? 空中少女!」

「……っは、……は、い……」

 

 オールマイトの問い掛けに、息も絶え絶えに頷く。大きすぎる衝撃に心臓が早鐘を打っている。痛いぐらいに波打つ胸元を握り締めて、何とか呼吸を落ち着かせようとするわたしの肩に、彼は手を置いた。

 

「……怖い思いをさせたね。けれど、もう大丈夫!」

「オールマイト、先生……」

「あいつは私が何とかする。君は逃げるんだ!」

「っでも! オールマイト、爆豪くんはまだあそこにいます……!」

 

 AFO(オールフォーワン)がわたしだけを狙って吹き飛ばしたのは、きっとオールマイトがわたしを庇うのを見越してのことだ。それは全部、──爆豪くんを狙っているから。分断されている間に彼が連れ去られてしまうかもしれないと、拳を握る。

 

「救けに、行かないと……! それにベストジーニストが……!」

 

 血塗れで、仰向けで倒れている彼の姿が脳裏に焼き付いている。一刻も早く治癒しなければと訴え、わたしは立ち上がり顔を上げた。

 顔を上げた先で、オールマイトと、目が合う。

 

「……君はこのような時まで、皆を気遣う」

 

 オールマイトは、微笑んでいた。眉間に皺を寄せて、眉尻を下げながら。切なそうに。

 

「その強く優しい心は、きっと君をヒーローにしてくれる」

 

 そうして頭を撫でてくれた。それは柔らかくて、優しくて、……だからこそ、つきりと胸が痛む。

 

「けれどそれは、今じゃなくていい。……いいんだ」

 

 だってそれは、わたしを遠ざけることと同じだから。

 ひとりきりで戦うと、宣言しているのと同じだから。

 

「今はどうか、私に任せておくれ」

 

 そうやってみんなを守るために、ひとりで戦い続けてきたのだろうか。自分ひとりで矢面に立って、拳を振るって、みんなを背に庇って。

 

「……大丈夫! あんな工業地帯マスクなんぞ一捻りさ!」

 

 笑顔を浮かべる顔にも、身体にも、数えきれないくらいの傷がある。

 ──わたし。わたしは今まで、ずっと、

 ……この傷だらけの人に、すがってきたの?

 

「っ……オールマイト!!」

 

 爆豪くんの元へ向かおうとしたオールマイトの背中に、手を伸ばす。両手で触れて、額をつけて、……祈るようにエネルギーを注ぎ込む。

 

「、空中少女!」

「嫌です、待って、ください! ……わたしも行きます! 戦闘では役立たずでも、攻撃の範囲外でなら治癒できるはずです。だからわたしも……!」

「駄目だ、危険すぎる!」

「危険なのは、あなたもでしょう!?」

 

 声を荒げたわたしに、オールマイトは虚を突かれたように沈黙した。それからはっと眉目を引き締め、首を横に振り、わたしを引き剥がす。

 

「っ、オールマイト!」

「いいね、空中少女! 君は必ず逃げるんだ。戻ってきてはいけない!」

「待っ……!」

 

 引き剥がして、優しく突き飛ばす。

 わたしの伸ばす手は、もう、彼に届かない。

 

「オールマイト!!」

 

 叫ぶわたしに振り返らず、彼はわたしを置いて飛び立った。着いてきては行けないと、逃げなさいと、そう釘を刺して。

 

「……っ」

 

 頭では、わかっていた。オールマイトが正しいのだと。

 わたしがあの戦場に戻ったとして、先程のようにAFO(オールフォーワン)に狙われて殺されるだけだ。それだけならまだしも(・・・・)、オールマイトや爆豪くん、ベストジーニストを巻き込んでしまうかもしれない。わたしの存在が、みんなの足を引っ張ってしまう。そんな可能性があるのなら、何もせず、いち早く離脱するべきなのだ。

 

 頭では、わかっていた。心は納得しなかった。

 

「……っでも、でも、オールマイト……」

 

 ぼろぼろに崩れ落ちて、砂糖菓子のように壊された建物。瓦礫の街と化したあちこちから、聞こえてくるんだ。(オールマイト)が去った後の静寂が、それを浮き彫りにさせる。

 

「──ぅ、あ、」

 

 “声”が、聞こえる。

 

《たすけて、あし、あしがぁ……っ》

《いだいいだいい”だい”!!》

《やぁだあ、おがぁざん、どこ……?》

《嫌、嫌、嫌ぁ……! お願い、目を開けて!!》

 

 羽根が、震える。数多の声を拾う。

 わたしだけじゃない、たくさんの「生きたい」。

 そう切望する声が、願いが、悲しみが、

 

「──あ、ぁ……っ」

 

 わたしのせいで(・・・・・・・)巻き込んでしまった──たくさんの人たちの、「生きたい」が、

 

《おね、がい、お願い、お願いっ、誰かぁ!》

 

 「死にたくない」と、叫んでいる。

 

《誰か、救けて……!!》

 

 ──救けを呼んでいる。

 

「……ッ!!」

 

 「生きたい」と泣き叫ぶ“声”。それを頼りに無我夢中で羽根を飛ばした。熱を発している身体の怠さとか、羽根を何枚も動かし続けることに対する頭痛とか、感じているはずの苦痛が酷く遠い。

 

 わたしのことは後回しでいい。

 今はただ、ただ、一刻も早く治癒しなければ。

 

 その焦燥がわたしの身体を突き動かした。倒壊しかけているビルから怪我人を連れ出して、治癒して、また別の場所へ。それを何度も繰り返す。

 衝撃波を受け、特に下層部分の損傷が激しいマンション。斜めに傾いで今にも倒壊しそうな部屋から掬い上げた女性は、瓦礫に右腕を潰されたのだろう、酷い骨折と鬱血で肌が青黒くなっていたけれど、治癒のエネルギーを送り込むにつれ元の綺麗な肌色を取り戻していった。それにほっとして、同時に意識が白みそうだったのを内頬を噛んでやり過ごした。まだ、……まだ、気を失うわけには、いかない。

 

「……あ、れ……傷が……」

「……っ大丈夫ですか、動けますか」

「! あなたは、」

「ごめんなさい、避難場所へはご自分で向かっていただけますか。わたしはまだ、──」

 

 何度も繰り返した、その時だった。

 マンションの上層部の方から、泣き声が聞こえたのは。

 

「……赤ちゃんの、声。どこから……」

 

 聞いているこちらの胸が痛くなるような、悲痛な泣き声。火のついたように、わんわんと響くそれを頼りに浮上し、崩れかけているマンションの中へ。内部も外部同様ぼろぼろに壊れていて、粉々になった電灯の、行き場を失った電気がバチバチと鳴いている。それが暗い廊下の闇を気まぐれに散らしていた。

 奥へ、奥へと進む度に、灯りを断たれた暗闇が濃くなっていく。進む度に、声が──小さく、掠れていく。

 

「……っ待って!」

 

 狭い廊下では翼は広げられない。だからわたしは走る足に力を込めた。硝子や瓦礫が散らばっているのも、裸足に走る痛みも煩わしかった。蹴飛ばすように足を進める。

 だって赤ちゃんの声が、どんどん力を失っていく──!

 

「だめ、待って! おねがい、今行くから……!」

 

 まだ、終わってしまわないで。

 声にならない願いを胸に、息を切らせながら辿り着いたドアに手を掛ける。ドアノブを手にとって、ひやりとした温度に触れたその時、

 ──ふつ、と。 “声” が、途切れ た 。

 

「──ぁ……」

 

 ……ドアノブを捻って、部屋の中に足を踏み入れる。暗くて静かな部屋だ。今が夜で、停電していることを踏まえても静かすぎる(・・・・・)。何の音も、“声”も、しない。

 リビングには倒れた家具が散乱しているだけで誰もいなかった。それを確認して、寝室へと続くドアを開ける。真っ暗な部屋の大半は、崩れた天井と上から雪崩落ちてきた瓦礫で埋まっていた。その瓦礫の山の麓に視線を移して、わたしは浅く息を飲んだ。

 ──瓦礫に潰された“誰か”。その二の腕から先だけが崩落から逃れるように床に投げ出されていた。そうして、その腕に抱かれているのは──

 

「……、……ごめん、ね」

 

 小さな小さな、赤ちゃんだった。さっきまで、……本当についさっきまで泣いていたのだろう、その口は大きく開かれていて、頬や目尻に涙の痕がある。

 でももう、この子は、泣かない。動くことはない。

 ぼこりと陥没した頭部が、血にまみれたそれが、わたしにその事実を知らしめていた。

 

「痛かった、ね。苦しかったね、……」

 

 赤ちゃんを守るように抱いていた腕。その左手の薬指に光るのは結婚指輪だろうか。こんな血と埃にまみれた暗い部屋の中で、それだけが場違いに綺麗で、だからこそどうしようもなくやりきれない。

 我が子を身を呈して守ろうとした母親。

 きっと、愛されていたのだろう赤ちゃん。

 さっきまで、救けを求めて泣いていたのに、

 「生きたい」って、言ってくれていたのに……!

 

「……救けてあげられなくて、ごめん、なさい……!」

 

 どんなに、苦しかったろう。痛かったろう。冷たくなっていくお母さんの腕に抱かれて、どれほど心細かっただろう。想像しかできないわたしすら胸が張り裂けそうなのに、当事者のこの子は、どんなに……。

 

「……っ、ごめん、なさい……」

 

 きっと。きっと、こんな母子のような目に遭った人たちが、この神野の街で溢れているのだろう。今この瞬間も、どこか暗い部屋の中で、痛くて苦しくて心細くて、「生きたい」って泣いている人たちがいるはず。

 そう思えばこそ、わたしは立ち止まってはいられない。震える足を叱咤して、涙で歪む視界を睨んで、何とか立ち上がってこの場を後にしようとした。

 

 ──後にしようと、した。

 

 

「……、愛依(あい)

 

 

 その呼び掛けと一緒に、赤い羽根で視界が覆われる。 

 

 

「──もう、いい。……もういいんだよ、愛依」

 

 

 何もよくなんかない。わたしはまだ頑張れる。頑張らなきゃ。頑張らなきゃ、いけない。

 わかっているのに、身体が動かせなかった。背後から緩く抱き寄せられているだけだから、いくらでも振りほどけるはずで。わたしは行かなきゃ、頑張らなきゃ、なのに、なのに……!

 

 

「……っ愛依、」

 

 

 わたしの名前を呼ぶ声が、あまりに泣きそうだったから。

 だからわたしも、涙を零した。

 

 目から零れた涙が頬を伝って、顎から落ちる。それと同時にわたしの意識も、深い夜の底に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

「……。」

 

 気付いた時には、わたしは見慣れない天井を見上げていた。まだぼんやりする頭で瞬きを繰り返し、混乱する思考を巡らせた。

 ここは、……白いベッドにカーテン。点滴に心電図モニターの電子音……病院だろうか。カーテン越しには月の光が注いでいて、今が夜なのだとわかる。でもそれだけ。目に見える範囲に時計もカレンダーもないから、今が何日の、何時何分なのか。あれから何日経ったのかわからない。何も、何も──

 

(あれから、わたし──今、どうなって……!)

 

 たくさんのことを考えなければいけない。

 あれから神野区はどうなったのか。オールマイトは、AFO(オールフォーワン)は、爆豪くんは、ベストジーニストは、(ヴィラン)連合は、……神野区の崩壊に巻き込まれた、たくさんの人たちは──!

 

「……っ、」

 

 焦燥と不安で肌が粟立つ。こんなところで寝てる場合じゃない。たくさんのことをしなければいけない。

 たくさんのことを、考えなければいけない。

 思うように動かせない身体に歯噛みしながら、ぐるぐる思考を巡らせる。その思考が──ふっと止まった。

 

 頭が、真っ白になる。

 視界に映ったサイドテーブル。そこに置かれた赤い羽根。

 

「……ホー、クス?」

 

 ホークスの羽根。剛翼の一欠片が、月明かりにきらりと輝いて見えた。震える声で、譫言のように名を呼ぶ。

 

「啓悟、くん……」

 

 この場に、来てくれていた。“そうかもしれない”という憶測だけで、こんなにも心が震える。熱くなる。

 たくさんのことをしなければいけない。

 たくさんのことを考えなければいけない。

 忙しいあの人(ホークス)の足を引っ張るなんて、あってはならないのに。足を止めてここに来てくれていたことを、喜んでは、ならないのに。

 

「……啓悟くん……」

 

 これ以上を、望んではいけないのに。

 わたしの弱い心が、彼の名を呼ばせる。

 

 もうこれ以上我が儘を言うわけにはいかないと、きつく唇を結んだ。歯を食い縛って、口元を手で覆って、身体を折ってシーツに頭を沈ませる。

 ちゃんと、……ちゃんと、我慢できたよ。そのはずだ。

 声を押し殺して、心を押し殺して、そうして一晩明かせば、何もなかったように振る舞えた、はずだ。

 

 ──それなのに、どうして、

 

「……ッ」

 

 荒々しい足音に、乱暴に扉を開く音。突然わたしの羽根を震わせたそれに、思わず驚いて顔を上げる。

 顔を上げた、先で、

 

「……。けいご、くん……?」

 

 ホークスが、いた。いつもの飄々とした表情はどこへやら、眉をひそめて、きつく顔を歪ませている。もしかしてどこか怪我をしているのかとざっと視線を走らせても、どこにも異常は見当たらない。それに対する安堵と、じゃあどうしてという混乱で、わたしは声を震わせた。

 

「え、……え? どうして、……」

 

 どうしてここに、と、言う暇さえなかった。いつの間にか大股で近付いていたホークスが、上体を起こしたわたしの身体を抱き締めていた。突然のことに頭が回らない。何も考えられず真っ白になった頭に、ふわりと浮かんできた。

 

 白い。そうだあの日は、雪が降っていた。

 あのベランダも、……あのコンクリートで覆われた部屋も、今は夏のはずなのに、わたしはずっと、寒くて痛かった。

 寒くて痛くて、悲しくて、寂しくて、……でも今は、

 

「……っ」

 

 ああ、──あったかい、なぁ……。

 

「……っぅ、……っ、~~~っ」

 

「……うん」

 

 顔をくしゃくしゃにして、ホークスのヒーロースーツを涙や色々で汚しながら、嗚咽を漏らすしかできないわたしは、酷くみっともなかった。こんなことしてる場合じゃないのに、こんなことしかできないでいる。そんな、みっともなくてどうしようもないわたしなのに、ホークスは突き放さない。

 

「泣いていいよ、愛依」

 

 そうっと抱き寄せて、髪や背中を撫でてくれた。

 

「誰のことも、何も、考えなくていい。頼むから、……今だけは、どうか」

 

 こんなわたしの我が儘を──「生きたい」を、

 

「どうか今だけは、……自分のためだけに」

 

 全部受け止めて、許してくれる。喜んで、くれる。

 それがどんなにわたしの心を熱くさせるのか、きっとこの人は知らない。さも当たり前のように、“奇跡”をわたしに与えてくれる。

 

「……っけいご、く、」

「うん」

「けいごくん、……っけいごくん……!」

「うん、……愛依」

 

 

「──愛依が生きていてくれて、よかった……」

 

 

 この時、わたしは泣いてばかりだった。

 押し殺していた悲しみと恐怖が溢れて、生き延びられたことに安堵する一方、救えなかった後悔が拭えずに、それでも生きてまたホークスに会えた喜びで、涙が溢れて止まらなかった。

 

 だから、気付かなかった。気付けなかった。

 ホークスがどんな思いで、いたのか。

 

 気付けないまま、わたしたちは、ひとつの決意と共にこの夜を越える。

 

 

64.少女、「生きたい」

 

 


 

 更新遅くなってすみませんでした!!7000字くらいまでは割とするする書けたんですが、そこからどう着地させようか悶々と悩んで難産でした……作中でオリ主の考えがいったりきたりで安定していないのですが、緊急時で追い詰められている状況下ということでお目こぼしを。

 

 この神野事件編終了と同時に、【依存】から始まるヒーローアカデミアが第1部完!と相成ります!ここまで長かった……というか神野事件編で何ヵ月かかっているんでしょうね本当に。

 全話通して2部構成のイメージで書いているため、やっとこさ折り返しといった感じです。第2部ではオリ主が公安で育てられたからこそ見えてくる視点とか、公安絡みで動ける展開とかを書けたらなあと思っております。また読んでいただければ幸いです。

 

 最後になりましたがいつも閲覧、お気に入り登録、評価、感想等々ありがとうございます!!いつも本当に元気を貰っています。このssが続けられているのは誇張なしに皆様のおかげです。これからもスローペースかもしれませんが頑張ります。

 

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