65.少女、目覚める。
ふ、と。意識が浮上する。それと同時に身体がベッドに沈み込むような、そんな錯覚を覚えた。まるで鉛のよう。熱を孕んだ鉛が胸に埋め込まれたようだ。じくじく熱くて、重くて、息がうまくしづらい。
「……っ?」
浅い呼吸と朧気な視界の中、わたしは視線を巡らせた。白い壁、白いカーテン、人工呼吸器、心電図モニター、点滴、……病院の一室だろうとは、わかる。つい最近、こんな状況で目を覚ましたような気がするけれど──ぼんやりする頭でそんなことを考えて、そうして息を飲んだ。
白む視界の中に、黒い人影が入り込んだからだ。
「───」
「……あな、たは……?」
絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような視界では、その人が誰なのかもわからない。ただその人がスーツを着ている男性だということや、ベッドで寝ているわたしを見下ろしていることは辛うじてわかる。
疑問はあるものの、確認しなければいけないことは山ほどある。わたしはベッドに上体を起こしながら口を開いた。
「すみ、ません。あの、お訊きしたいことが……っ!?」
すんでのところで悲鳴を飲み込むも、わたしはされるがまま掴まれた腕を引っ張られ、ベッドから引き摺り下ろされた。突然のことで頭と身体が上手く回らない。乱暴に取り外された人工呼吸器と点滴が床に散らばり、乾いた音が転がった。
「来なさい」
そんな状況を意に介さず、スーツの男性はそれだけ言った。わたしの返事も待たず大股で歩き出す。わたしを、ずりずりと引き摺りながら。病室を出て暗い廊下に足を踏み出した時、わたしははっとして目を見開いた。
(……この人、は……)
合わなかった焦点がはっきりして、ようやく気付けた。この男性は、公安委員会の一員だ。あのビルで訓練を受けていた頃に見かけた覚えがある。
公安委員会の人が、どうして。……神野絡みで何かあったのだろうか。だったらしゃんとしなきゃと、わたしは痛む膝を叱咤して背筋を伸ばした。足元は震えて、覚束ないままだけれど。
「あ、あの、どう……されたんですか。わたしを、どこに、」
「どこに? 決まっている」
掴まれたままの腕が、ぎゅっと握られる。きっと痕がついてしまったのだとわかるくらいには、痛かった。
「おまえの“個性”を、役立てるべき場所だ」
“個性”を、役立てる。それがわたしの【治癒】を意味していることは何となくわかったし、断る理由も気もなかった。けれどわたしの足はふらつき、バランスを崩し、その場に座り込んでしまう。夜の廊下はひどく冷たくて、それが余計に自分の身体に籠る熱を際立たせているかのようだった。熱い。頭が、あつい、いたい……。
(ぐらぐら、する……)
身体中が重くて、立ち上がれない。
「……っ、ぅ、」
「……何をしている、早く立ちなさい」
ぐい、と上に向かって引っ張られる。それに合わせてわたしも立ち上がろうとしたけれど、震える足が言うことを聞いてくれない。思うように、動かない。そんなわたしに焦れたのだろう。
「早く、……早く立て!!」
声を、荒げた。今まで必死に押さえつけてきた焦燥や怒りが溢れたような、そんな声。
どうして、と少し舌足らずな口調でわたしは問い掛けた。どうして、そんなに苦しそうなのか。何があったのか。彼はそれを聞いて、くしゃりと顔を歪めた。
「……私の、娘が……」
「娘、さん……?」
「……神野の崩壊に巻き込まれ、壊死した両足を切断する他なかった」
しいんと静まり返った夜の廊下は本当に静かで、わたしが小さく息を飲む音さえ大きく聞こえた。そんなわたしに彼は畳み掛ける。鬼気迫る勢いで。
「おまえは今回の件で、欠損すら治せるようになったのだろう」
「……あ……」
「……その力を、今、使わないでどうする。おまえはもう、
今となっては、ぎちぎちと握られる腕も、熱が収まらない身体も、大した痛みではない。それよりずっと、ずっと、
「……このような時のために、育てられたのだろう! さっさと役に立て!!」
──心、が、
「……何をしているんです!」
え、と。驚きに俯いていた顔を上げる。突然聞こえたその声と同時に、わたしと腕を掴む男性の間に
「……め、ら、さん……」
呆然と呟くわたしにそっと視線を投げ掛けてから、目良さんは男性に向き直った。男性の手首を掴み、わたしの腕から引き離そうとしている。
「やめなさい。この子はまだ安静にしている必要が、」
「おまえは昔からこいつらに甘いな、目良」
わたしを庇う目良さんのことを、彼ははっと鼻で笑う。それから眼差しを険しくした。
「こいつらは社会のための子どもだ。社会のため、社会の役に立つために育てられた子どもだ!」
「だから何だというんですか。この子だって、守られるべき子どもです」
「……そうやって甘やかして、つけ上がりでもしたらどうする気だ。反抗する余地など許しては
その目が、まるで、
「この娘が、
並べられたピースは繋がりそうなのに、何も知らないわたしには何もわからない。けれど、何だろう、と思案に耽る暇もなかった。──目良さんがいきなり、男性に掴み掛かったのだ。
「!? 目良さん……っ!?」
「彼女が何故、あのような行動に至ったのか、わからないのですか?」
声こそ冷静だけれど、その底は沸々と熱を孕んでいた。
「……その態度こそが彼女を追い詰めたのだと、何故、わからない」
沸々と沸き上がる怒りと、後悔と、悲しみが、その声と手を震わせていた。わたしには何故目良さんがそんな風になっているのか、何を知っているのか、“彼女”とは誰なのか──何一つわからないけれど、それでも一触即発なこの空気は伝わってくる。男性がわたしの腕を離し、目良さんの胸元を掴み返したこともそれに拍車を掛けた。
「! やめ、やめて、くださ……っ」
このままでは殴り合いになってしまうかもしれない。そんなことはしてほしくなくて、それを止めたくてわたしは声を振り絞った。
その時。
「あのー」
間の抜けたような声とともに、目良さんと男性、2人の身体が
「その話、俺らが聞いちゃ駄目なやつですよね?」
Shhh、と口許に人差し指を立てて、ホークスがへらりと笑った。暗がりでも鮮やかな剛翼を背負い、肩を竦めながらこちらに歩み寄ってくる。
「公安の機密ってやつでしょ。それをこんな、人気の無い時間帯とはいえ、病院の廊下で大声で」
鷹の目が、一瞬鋭くなって男性を射た。それも束の間、ホークスはまたへらりと笑う。
「あなたはどうもお疲れみたいですし、ゆっくり
まるで、のんびりと世間話をしているかのような声色だった。そう錯覚させるぐらい軽やかに、平穏とは程遠い話をしている。それが何故か、夜の薄暗さと寒々しさを思い起こさせるようで、わたしは胸元を握り締めた。
「……ね?」
念押しするようにホークスが微笑んだ、その瞬間。4、5人の男性たちが足早にやって来て、スーツ姿の男性を取り押さえた。彼らもまた公安委員会の人たちだと、その静かな無表情を見て気付く。
「くそっ……、離せ!」
「! まっ……待って、ください!」
そうこうしている内に男性が連れて行かれそうになって、わたしは慌てて口を挟んだ。慌てたまま、混乱しているまま、わたしはぎゅっと拳を握り締める。
「わたし、治します。ちゃんとやります、だから……っ」
「駄目」
ぴしゃり、と。高揚するわたしに冷や水を浴びせるような、そんな声だった。抗議のために顔を上げたわたしと、そんなわたしを冷ややかに見下ろすホークスの視線がかち合う。
「駄目に決まってるでしょ。……まだおまえは絶対安静の身なんだから」
冷ややか、……というのは、語弊があった。それに気付いて、わたしは口をつぐむ。そんなわたしにふっと笑って、ホークスは座り込んだままのわたしを横抱きにした。突然の浮遊感に戸惑うわたしを余所に、彼はこの修羅場にそぐわない軽口を叩く。
「と、いうわけで。俺はこの子を病室に戻しますんで、お先に失礼しまーす」
「っ、ホークス……!」
わたしの本調子でない身動ぎなんて、ホークスは意にも介さない。彼はすたすたと歩みを進めて、病室への道を戻っていく。
「ホークス、離して! わたしはっ、」
「人を治して、治し続けて、……そうして死ぬつもり?」
周囲から人の気配が途絶えて、ようやく沈黙を貫いていたホークスが口を開いた。さっきの軽やかさは消え失せた、静かに、暗く、夜のような声。
「
……死にかけてたってことだよ。わかってる?」
夜の静寂に、ホークスの声が切々と降り積もっていく。それを口にするホークスの顔を見上げて、……わたしはもう、何も言えなかった。
「一度目を覚ましてからは冬眠状態は解除されたみたいだけど、それから2日しか経ってないんだ。まだエネルギーが圧倒的に足りてない」
「ホークス……」
「ホラ、熱がある」
病室のベッドに横たえられて、額に手が当てられる。グローブ越しの手が顔に掛かった髪を梳いてくれた時、わたしは改めて彼の顔を見た。
ホークスは眉根を寄せて、何かを堪えるように、微笑んでいる。
「……っ、ごめん、なさい……」
──たくさん、心配してくれているのだとわかった。
そしてわたしは、優しいこの人に、何も報いられていないのだと。
「わたし、ちゃんと……できなくて……」
「君が謝る必要はありませんよ」
入り口から声が聞こえたと同時に、開けっ放しだったドアが静かに閉じられた。目良さんはベッドサイドに歩み寄り、がしがしと、ばつが悪そうに頭を掻いている。
「目良さん……」
「先程は、すみません。驚かせてしまって」
「い、え。それは、いいんです。でも……」
「あの人のことなら、君は気にしなくていい」
“この話はこれで終わりだ”と、そう言わんばかりの強い口調だった。それにわたしは一瞬躊躇して、それでも意を決して向き直る。ベッドの上に上体を起こして、視線を合わせた。
「……、でも……でも、あの人の娘さんとか、他にも、たくさんの人が怪我をしているんです、よね」
「愛依」
「わかってる、今は“個性”は使えない。でも治ったらそうじゃないでしょう?」
両足を切断せざるを得なかった、と、あの人は言っていた。……そんな風にたくさんの人が、あの悪夢の夜に傷ついたんだ。それだけじゃない。大切な人がそんな風に傷ついているのを目の当たりにして、心を痛めている人だって、数え切れないほどいるはずだ。
「その時のためにも、神野でどんなことがあったのか、今、どんな状況なのか。……きちんと知っておきたい」
どれぐらいの被害が出たのか。怪我人は何人いるのか。爆豪くんやオールマイト、ベストジーニストは無事なのか。
尋ねるわたしと、黙り込むホークスの視線が錯綜する。彼は鋭く目を細めた。
「知ったら、おまえは立ち止まれないでしょ」
「それはホークスの方でしょう」
神野で少し、わかった。
悲鳴や苦鳴が、救けを求める声が聞こえて。
そこに駆けつけられる翼があって。
その2つが揃ってしまえば、足を止めてはいられない。多少傷付いたって、苦しくたってお構い無しに、“行かなくちゃ”って思いが溢れて止まらない。
「だから、“速すぎる男”なんて呼ばれて、何でもかんでも全部自分で解決しようとして……」
ホークスはきっと、どこまでも止まれない。止まらない。
「ホークス、疲れた顔してる」
いつも多忙でワーカホリック気味な彼だけれど、今は輪にかけて目元に翳りが浮かんでいる。そしてそれは、彼の隣に並ぶスーツ姿の彼だって同じだ。
「目良さんだってそう。……今もまだ、大変な状況なんですよね。だからわたしも、頑張りたいんです」
そうして目良さんに視線を合わせて微笑むと、彼は何かを言いかけて、押し黙った。その表情や仕草から、何となくわかる。
「……わたしが休む暇なんて、本当は、無いんでしょう? だから目良さん、ここに来たんですよね」
いつも公安委員会の本ビルで忙しそうに事務仕事に奔走している目良さんだ。ただのお見舞いか何かでわたしの元まで来るはずがない。多分会長への報告か何かだろうなと、そう推測するわたしに目良さんは目を伏せた。
「……そんなに聡くなくていいのに」
「目良さん……」
「可愛げないぐらい聡くて、意地っ張りで、聞かん坊で、甘えるのが下手で……心配なとこばっかり似てきますね」
「ええ? なんすか目良さん、聞き捨てなりませんね。俺ほど聞き分けのいいイイコもいないでしょ」
「鏡要ります?」
「ヒドッ」
「……ふふ、」
何だか、今だけ、昔に戻ったみたいだった。あの公安所有のビルの中、訓練と勉強漬けの日々。出来の悪いわたしには大変だったけれど、目良さんがいて、ホークスがいて。こうして笑って過ごす時間が大好きだった。
……でも、昔は昔。今、やらなきゃいけないことがある。
くすくす零れた笑みを引っ込めて、目良さんを見据える。彼は少しの沈黙の後、悲しそうに笑った。
「“君は、まだ、眠っている。”
……そういうことに、したかったのですが……」
「……先程の件で、きっと報告がいっていますね」
わたしを病室から連れ出した公安の人と、それを取り押さえた人たち。わたしが起きたことは、複数の人が確認している。わかっている。大丈夫。
「わたしは、大丈夫です。ですから、目良さん」
促すと、目良さんは荷物からタブレットを取り出して画面をわたしに向けた。そこに、見覚えのあるガラス張りのオフィスと、ソファーに腰掛ける彼女の姿があった。
「会長、……すみません、夜遅くに」
『構わないわ。あなたの体調は?』
「まだお医者さんに診てもらってはいませんが、こうして話す分には問題ないです」
「……高熱出してるのによく言うよ」
「ホークス、」
『……手早く済ませましょうか』
会長は静かな眼差しで、画面越しにわたしを射た。それを受け止め、わたしも居ずまいを正した。そうして話し出す。──わたしが
『……そう。会見の際に
「……はい。でも、もう治っています」
剥がれた爪も、削がれた指も、捥がれた翼も、もう全て元通りだ。広げて見せた指のどこにも、傷痕や痛みは残っていない。
「
『進化のきっかけに、思い当たることがあるのね』
「……もう、治らないと。助からないと覚悟していたんです」
あのコンクリートに囲まれた部屋で、研ぎ澄ましたはずの“決意”。それが溶かされた感覚を、今も思い出せる。
「でもオールマイトたちが救けに来てくれて、“助かるんだ”って安心して……“生きたい”と、強く、思いました」
『……生存本能に、生存欲求……なるほど』
何かを思案するように目を伏せた後、会長は神野事件の顛末について教えてくれた。
爆豪くんは無事に保護されたこと。オールマイトは死闘の末に
「……オールマイトが、もう、戦えない……?」
オールマイトが、ヒーロー活動を引退したこと。会見によると、既に“個性”に衰えがある中で活動してきたけれど、先だっての
(……お前たちは知らないだろうが、彼の“個性”は消えかかっている──)
I・アイランドでの事件の折、デヴィット博士が言っていたことが脳裏によぎった。あの時わたしは、まさかあのオールマイトの“個性”が消えかかっているなんて信じられなかったけれど……、
(……本当、だった、なんて……)
だとしたら、わたしは──なんてことを。
『……オールマイトの激闘及び真実の姿は、メディアにより全国放送されたわ。今、それを受けて、社会は大きく揺れている』
会長の氷のように凛とした声に、はっと我に返る。そうだ、今わたしは、少しでもやれることをやらなくちゃいけない。
オールマイトへの称賛。彼が第一線を退くことへの不安。雄英高校への風向きは依然として厳しい。そもそもオールマイトがいたから雄英が巻き込まれたのではないのか、戦えなくなったオールマイトがいても生徒が守れないのではないのかと、批判の声が上がっているのだと会長は言う。
またわたしのように、生徒が
「……世間は、わたしが拷問に遭ったと思っているのですか?」
『半々、といったところね。あなたが沈黙を守ったことにより、
「……、世間の声は、わたしに同情的なんでしょうか」
『概ねそうね』
拷問に遭ったかどうか、曖昧な認識。わたしへの同情。命と力を懸けて戦ったオールマイトへの称賛。……これらを手札に、わたしはどうするべきか、頭を回す。どうすれば、最も良い選択ができるのか。考えて、考えて──結んでいた口を開く。
「──明日の朝、マスコミの前に出たいと思います」
わたしの発案に、みんなの反応は様々だった。目良さんは“やめなさい”と窘めて、ホークスは厳しい表情になって、会長は見定めるようにわたしを真っ直ぐ見据えた。そんな彼らに向かって訴える。今この状況で、わたしだからこそできることがあると。
……目良さんはわたしを“聡い”と言ってくれたけれど、それはみんなこそそうだ。彼らは一様に冷静に、わたしが起こそうとしている行動のメリットとデメリットを理解している。それらを天秤に掛けて、どちらが傾くか、理解している。
「わたし、きちんと、やります。……やらせてください」
わたしももう、天秤を掲げた。揺らぐことはない。
65.少女、目覚める。
本当はもう少し続く予定だったんですが、だらだら長くなったので区切ります。後編は明日か明後日には更新できるといいな。
神野編辺りから更新スピードがガタ落ちしたのは、ただただ作者のアイディア不足と文章力が無かったせいなんですけど、本当にただの偶然なんですけど、このグダグダしている間にヒロアカ本編にレディ・ナガンが登場したのは幸運でした。レディどちゃくそに好きなのでここぞとばかりに今後捩じ込みたいと思います。