それは3月の終わり。もうすぐ春を迎える、少し肌寒い日々の中でのことだった。今日の分の訓練を終えて一息ついたわたしに、会長から「話がある」と入電があり、珍しいなと思いつつ部屋に向かったわたしを出迎えたのは、驚きの言葉だった。
「突然だけれど、あなたには来年度の雄英高校ヒーロー科の入学試験を受けてもらうわ」
ヒーロー公安部の会長を務めるのは女性だ。確かな年月をしっかりと積み上げてきたとわかる、上品で綺麗で、いつも冷静なご婦人。そんな彼女は冗談を言う人ではないと知っているけれど、それでもわたしはぽかんと大口を開けてしまった。
「驚いたかしら」
「お……驚き、ました。というかその、本当なんですか?」
「エイプリルフールはまだ先よ」
「そ、そうなんですけど、でも……」
確かにわたしは14歳で、本来ならもうすぐ中学三年生で、再来年度から高校一年生になってもおかしくない年ではある。けれどわたしは今まで一度も学校というものに通ったことがない。それが当然だと、思っていたから。
「……質問しても、いいですか」
「ええ」
「……【特別なヒーローを育てるためのプログラム】は、公安での訓練が主で、……学校には通わないと記憶していたのですが」
思い起こされるのは、ホークスが辿った十代の記録。わたしの先輩にあたる彼は、幼少の時に公安に保護されて以降、秘密裏に教育されるために学校には通っていなかったはずだ。わたしもそれをなぞるように、今まで小学校にも中学校にも行っていなかった。
それなのになぜ、と問いかけたわたしに、会長はいつもの冷静な顔で、冷静に頷く。
「あなたの疑問は尤もね。我々もつい先日までは、あなたもその方針で育てるつもりでいたから」
「……それでは、どうして?」
「理由は三つ。まず一つは、あなたの保持している【治癒】の“個性”。【治癒】系の“個性”は非常に希少ということは、あなたも知っているでしょう」
「……今は、雄英高校の養護教員であるリカバリーガールを筆頭に、2、3人しかいないと言われていますね」
以前知らされた情報をなぞるように唱えれば、会長はまたも頷く。
「そう。そして希少かつ有用な個性ゆえに、【治癒】系“個性”を持つ者には義務教育終了以降、リストに名を載せる義務が生じる。非常時に協力を要請できるように。
そうしたリストがあるにも関わらず、いきなりヒーローとして社会に出ると、それまでの過去を必要以上に詮索されかれない」
「……どうして今までリストに登録しなかった、協力しなかった、って追及されるということですか」
『今まで何していた』と問われれば、わたしの過去を洗い、公安まで辿り着く人がいるかもしれない。わたしだけ非難されるならまだしも、そこでホークスについての情報が明らかにされてしまうのはまずい。
「そう。そして二つ目の理由は、今あなたが考えているホークスに関係しているわ」
思考していたのを見透かされたような発言に、わたしは取り繕えずに目を見開いた。すぐ、それを咎めるような眼差しを投げられる。
「わかり易過ぎる。減点よ」
「……すみません」
『心情を悟られるな。表に出すな』……そう何度も言われ続けてきたというのに、わたしはまだうまくいかない。頭を下げたわたしに一つ息をつき、彼女は話を再開させる。
「ホークスは予定した通りのプログラムを終え、18歳でプロデビューを果たした。以来、破竹の勢いで事件を解決し、No.3まで登り詰めた。社会も、メディアも、彼に注目している──し過ぎている」
そう。有能過ぎたか勤勉過ぎたか、ホークスは公安の人たちの予想を遥かに超えて有名になり過ぎた。そこまで有名になれば、それまでの過去に焦点が当てられても仕方ないと思われたのに。
「『ミステリアスなところもいい!』、でしたっけ。なんだかんだでメディアが良い風に受け取ってくれて、そこまで大事にはなりませんでしたね。エッジショットさんという前例もありましたし」
「そうね。こちらが気を揉む以前に、うまく煙に巻いてくれた。露出の操作はさほど意味は無いと教えてくれたわ」
ふう、と少し遠い目をして息を吐く。そうして会長はわたしを見据えた。真っ直ぐに透き通る、氷のような目。
「秘密裏にあなたを育てても、表で育てても、同じ。ならば【治癒】系“個性”持ちのリストの件もあるし、高校は通わせようと意見が出たのよ。ここまではいいかしら」
「はい。……ではなぜ、雄英なのでしょうか」
今や日本中にヒーロー科のある高校は星の数ほどある。その中でも最高峰と謳われる雄英高校に限定されるのには、きっと訳があるのだろう。
わたしの問いに、彼女はそうね、と静かに返した。
「それが三つ目の理由にあたるけれど、あなた、察しはついているのではなくて?」
「……リカバリーガール、ですか?」
雄英の屋台骨とも称される、【治癒】の“個性”を持つ大先輩でありその道の第一人者である彼女の名前を挙げれば、首肯が返ってくる。
「そうよ。あなたの保持する“個性”のうち【翼】に関しては、ホークスのデータもあるしこちらの者で指導できる。けれど【治癒】については不可能、……より効率良く伸ばそうとするならば、その道のプロに委ねる他ない」
確かに、と相槌を打ってわたしは頷いた。確かに会長の言う通り、さまざまな状況を鑑みても雄英高校に通う他ないのだと思わされる。
それでも、胸の中のもやもやが消えないのは、きっと。
「あなたがどう思おうと、これは決定事項よ」
「……、わたしまた、顔に出てましたか?」
「ええ。わかり易過ぎるのは減点と言ったのだけれど」
「……すみません……」
俯くわたしに会長の視線が注がれる。彼女はふう、と溜め息を吐いた。
「今日はこちらに来ているそうだから、直接話を聞いてきなさい」
「……、え、」
「あなたを雄英に進学させることに、一番賛成していたのは彼だったわ」
その、言葉に。わたしは目を見開くと同時に、きゅっと唇を噛み締めた。
「──ホークス!」
「お、なになにそんな怖い顔して」
食堂で見つけた赤い翼に駆け寄ると、彼ははじめ、いつものようにへらりと笑っていたけれど、わたしの顔を見て笑顔の色を変えた。何かを察したような、眉を下げた笑みに。
「雄英の話、聞いたんだ」
「……っなんで、ホークス、なんで……?」
「あーはいはい、まずは落ち着いて」
ぽんぽん、と宥めるように肩を叩かれても、落ち着いてなんていられない。そんな気持ちのままホークスを見上げて見つめる。彼は根負けしたように、仕方ないなァ、と肩を竦めた。
「ここじゃなんだし、部屋に行こ。そこでちゃんと話すから」
そう言われてやって来たホークスの部屋で、わたしはソファーを勧められて腰掛けた。飲み物でも用意するよ、と腰を浮かせたホークスの袖を握って、引き留める。
「いいよ、いらない。……話して、くれるんでしょ?」
「……せっかちだなァ」
苦笑を浮かべて、ホークスはソファーに座り直した。彼は静かにわたしを見つめる。わたしの言葉を、待っている。その視線に促されて、聞きたかったことを尋ねるために口を開いた。
「会長たちに、わたしを雄英に通わせるよう勧めたのは、ホークスなんだよね」
「俺だけじゃないけどね」
「……どうして?」
「どうしてって、気に入らなかった?」
緩く首を傾げて、ホークスは微笑む。
「学校、ずっと、通いたかったんでしょ」
その声が、笑顔が、あまりに優しいから。
だからこそわたしは、ぎゅうと胸が締め付けられるようで、泣きそうになるのを必死に堪えた。
「っ……でもそしたら、ホークスはどうなるの。わたしだけ、こんな、……こんな……」
今でも思い出す。公安のビルの窓から外を眺めて、わいわいしながら登校していく子どもたちを見ていたこと。学校からの帰り道、疲れたなんて話しながら楽しそうにしていた彼らのこと。背負えなかったランドセル。着られなかったセーラー服。本を読んで知識ばかり増えても、それは絶対に届かなくて。
こっそり泣いていたわたしを、いつもホークスは見つけて、頭を撫でてくれた。慰めてくれた。……そんなホークスだって、寂しそうな顔をしていたくせに。
「あー……もー、なんで泣くん」
堪えきれずに溢れた涙は、頬を伝って膝小僧を濡らした。嗚咽を噛み殺すわたしの背を、とん、とん、とさすってくれる。困らせたいわけじゃないのに、涙腺がいうことをきかない。
「っく、ぅ、な、泣いてない……っ」
「いやさすがにそれは無理があるでしょ」
「……っう、ぅぅ……」
「……ホラ、あれだって。俺が今から高校生とか無理でしょ。制服姿想像してみ? アウト臭ヤバいって」
「……ブレザーも、学ランだって、似合うよ……」
「それもさすがに無理がある」
はは、と掠れた笑い声が聞こえて、わたしは涙を拭って顔を上げた。泣いてびしょびしょになったわたしの顔を見て「鼻真っ赤」だなんて言って、また笑っている。
「……どうして、笑ってるの? わたしだけ学校通うなんて、ずるいでしょ。どう、考えたって……そう思うのが、当たり前で……」
「
ぽん、とわたしの頭に彼の大きな手が乗った。ゆったりと撫でられるようにして、上を向かせられる。ホークスの優しい藤黄色の目と、目が合った。
「俺はもう、一番なりたいものになれたから、いいんだよ」
「……ヒーローに?」
「そ。愛依もヒーローになりたいんだよね?」
「っうん」
「でも、まだ訓練中」
「……うん、」
そうだ、わたしはまだ、彼には遠く及ばない。【ウイングヒーロー ホークス】には、まだまだ、もっと頑張らないと追いつけない。
頷くわたしに、「ならさ、」とホークスは言う。
「ヒーローになるまでの間、“高校生”にだってなってもいいんじゃない?」
それぐらいのわがまま、叶えさせてよ。
そんなことを軽い口調で、それでも柔らかな声で言うから。だからわたしは、まるで丸ごと許されているような、そんな気持ちになってしまう。
「……いいのかな、そんな、……恵まれすぎてる、よ……」
ぽろりと涙が一筋こぼれる。それを指先で拭って、ホークスは目を伏せた。ひどく、切なそうに、口許に微笑を浮かべて。
「……本来なら、当たり前のことなんだよ。そんなに感謝されることじゃない」
「当たり前なんかじゃ、ないよ」
そう、当たり前なんかじゃない。こんなわたしに、大切な人が、優しくしてくれてる。願いを叶えてくれている。
それが奇跡じゃなくて、他になんといえばいいんだろう。
「……っわたし、わたし、頑張るね、啓悟くん」
雄英高校のヒーロー科は国内最高峰と名高く、その倍率は例年300を超える。でもそんなことは大した難関じゃないと、そう思えるくらい、わたしの心は光に満ちていた。
「絶対に受かってみせるから……見ててね、啓悟くん」
「うん。応援してるし、信じてる。……できるよね?」
「! っうん!」
「いい返事」
大切な人がつくってくれたチャンスを、絶対に掴む。
その決意を新たに、わたしは微笑んだ。
02.少女、青天の霹靂。
ホークスは学校に通ってたか定かじゃないですけど、とりあえずこの小説内ではこんな感じです。それにしてもhrks先生によるミルコとのイラストは最高でしたね。